日本に免罪符を与えない韓国の「堕落」
好意を権利と勘違いすることとともに、少なくない韓国人が、中世の堕落した聖職者よりずっと堕落した態度を見せるのも、日韓関係の悪化の大きな原因になっている。何のことかといえば、今日の多くの韓国人が、「日本に免罪符を与えてはいけない」という言葉を頻繁に使うということだ。
1995年に発足した日本の「アジア女性基金」では、日本の首相の謝罪手紙とともに、1人当たり約500万円の慰労金を元慰安婦に支給した(61人の韓国人元慰安婦が受領、一部前慰安婦は受領拒否)。ところが、これに対し、当時の挺身隊対策協(慰安婦関連反日団体)は、アジア女性基金の慰労金を受領しないように元慰安婦に圧力をかけて、以下のように警告した。
「罪を認めない日本の同情金を受け取るならば、被害者は、自発的に出て行った公娼になることであり、日本に『免罪符』を与える結果を招く」
2015年の慰安婦問題合意の時も、韓国のメディアや国民は「今回の合意で日本に『免罪符』を与えることになるようで心配だ」という反応を見せた。
「免罪符」(indulgentia:贖宥状)は、中世のローマカトリック聖職者が、金銭や貢物を捧げた人々に、罪を赦免するという意味で発行した証書だ。堕落した聖職者を象徴する表現でもある。
結局、日本に免罪符をあげたくないということは、日本がいくら謝罪し補償しても、韓国人は日本を非難して断罪することを、永遠に楽しみたいということだ。これは、中世の堕落した聖職者よりもはるかにたちが悪い。なぜなら、中世の聖職者は、たとえ堕落していても、金を受け取れば、最小限、免罪符を与えるのに対し、今日の韓国は、謝罪と補償を受けながらも、免罪符を与えていないためだ。
金を受け取とることによって免罪符を渡した中世の聖職者と、謝罪と補償を受けても免罪符を渡そうとしない今日の韓国人では、どちらがより悪辣だろうか。