働き方は、いつだって時代を映してきた。

“働く”の100年史

100 YEARS of WORK in JAPAN

日本社会に“サラリーマン”という働き方が生まれた1920年代から100年。
社会が一つの転換期を迎えたようにも見える今、SmartHRは、時代と共に移り変わってきた“働く”の100年を振り返る映像を制作しました。
このページでは、映像の各シーンの解説や制作陣のメッセージ、日本の“働く”をさまざまなキーワードで紐解く特別寄稿をお届けします。

SmartHR Service Brand Movie
「“働く”の100年史|100 YEARS of WORK in JAPAN」

監督:大月 壮 アニメーション:モトクロス斉藤 音楽:HIMI
時代考証:原 克(早稲田大学) 制作:EPOCH  Powered by SmartHR

INTRODUCTION

はじめに

日本社会の一世紀を追いかけて

今から約100年前の1920年代は、
“サラリーマン”という働き方が日本に広がった時代です。
毎日決まった会社に通い、固定の給与を受け取る。
現代の私たちにとって見慣れたワークスタイルは、それ以前の社会では決して当たり前ではありませんでした。

そこからの100年の間にも、働き方にまつわる常識や価値観は何度も移り変わってきました。
社会の変化と結びつき、私たちの“働く”は絶えず更新されてきたのです。

新型コロナウイルスの流行からはじまった2020年代。
「先行きの見えない時代になった」という言葉も耳にします。
でもそれは、今はじまったことではないのかもしれないとも思うのです。

次は、どんな時代だろう。
私たちは、どんな働き方を選びとっていくのだろう。

これまでの100年を振り返るこの映像が、
これからの働き方を考えるきっかけになることを、願っています。

COMMENT

制作陣より

監督に大月壮さん、アニメーション制作にモトクロス斉藤さん、楽曲制作にHIMIさんを迎え、クリエイティブレーベルEPOCHとともに映像をつくりあげました。実力派制作陣の、作品への想いをお届けします。

サラリーマンって、エモい

日本のサラリーマンの100年の歩み・働き方を、史実に基づいてリアルに描きつつも「エモい」アニメーションにするべく、ピクセルアートという手法で制作しました。
今回全ての作画を担当したモトクロス斉藤くんの描くピクセルアートは、現実の中で見過ごしそうな何気無い物事や細かな機微、光や風などの空気感も含めたリアルな風景を写実的に、しかしながらあえてドット絵という手法で描写することで、現実感とノスタルジーが合間って「エモい!」となる絵を描くのが持ち味だと思ってます。
そんなエモい絵を、エモいコピーでストーリーテリングしながら、HIMIさんのエモい音の上で料理したエモい絵巻物みたいなアニメーションです。
つきましては「サラリーマンってエモいなぁ」ってなったらこれ幸い。

大月壮

映像作家、映像ディレクター。 時代において常にオルタナティブな表現を求めながらもPOPさが通底した作品を制作。近年はピクセルアートを用いた映像演出を得意としている。MV、広告といった商業映像制作を中心に活動。

100年の“働く”の歴史を追体験

SmartHRのオンラインムービーのアートディレクションをさせていただいたモトクロス斉藤です。当時から今への変遷を描く際、試行錯誤していたら擬似的にその当時を追体験しているような感覚になりました。当時の空気感をピクセルアートと音楽が相まって現代的に表現できたのではないかと思います。願わくば、同じ感覚を共有し今の働き方を見つめ直す一助となれば幸いです。

モトクロス斉藤

モノのディテールと日常の空気感を感じる作品を主とするピクセルアーティスト。幼少の頃から慣れ親しんだヒップホップ音楽の文化などをベースに置き、普遍的な景色や普段スポットライトが当たらないモノなどを描写する。大学で広告・グラフィックデザインを専攻し、構図、パース、ビジュアル効果などの造詣を深める。その後ピクセルアートと出会い、精力的に活動。広告関係やMVなどにイラストや映像を提供。

雰囲気を醸し出すために試行錯誤した音楽

今回SmartHRのオンラインムービーの音楽を担当させていただいたHIMIです。ムービーの雰囲気にあった音楽になるようにエンジニアさんやピアニストさんと一緒に何度も試行錯誤しました。ムービーの素敵なアニメーションと音楽のどちらにも注目していただければと思います。現在のコロナ禍で一層注目されている働き方改革というテーマのムービーですから、多くの方に見ていただければ嬉しいです。

HIMI

HIMI(ヒミ) は東京をベースに活動するシンガーソングライター・俳優。1999年生まれの21才。2020年1月よりPERIMETRONのプロデューサー西岡 将太郎と自主レーベル『ASILIS』を立ち上げる。R&B・Soulをベースとした楽曲に自身の思想やレーベルのスタンス、新しい時代の意思を表現していく。また、同じレーベルに所属するアーティスト “Dr.Pay” とユニット 「D.N.A.」としても活動している。

昔を知ることで “働く” ことを考えるキッカケに

100年という時代の中でアップデートされてきた働き方の歴史を、たった2分で駆け抜ける。なぜか懐かしくて、エモくて、見入ってしまうような動画になれば良いなと思って、この企画を考えました。ただ、一世紀という時間はあまりに長く、時代考証や描きたいシーンの選定、資料収集が大変だったことは良い思い出です…。それを実現してくれたスタッフチーム、公開まで信じて一緒に走ってくれたSmartHRさんには感謝しかありません。 社会や世の中の価値感が多様化するいま。昔を知ることで “働く” という事についても考えるキッカケを、一人でも多くの人に作れたら嬉しく思います。

佐々木渉 / Creative Director, Planner / EPOCH Inc.

クリエイティブエージェンシー EPOCH に立ち上げから所属を開始。テクノロジーと映像の組み合わせを強みに、PR視点を持ったインタラクティブコンテンツ、映像、リアルイベント、OOHなど、統合的にプランニング、ディレクションを行うことを得意とする。主な実績に、Microsoft Surface「まだタイトルのない君へ。」、DESCENTEのグローバルリブランディングや、安室奈美恵のGoogle Chromeを使った世界初のミュージックビデオ「Anything」など。

SCENE

シーン解説

リアルさを大切に描いた、
それぞれの時代の働く風景

映像では、日本の100年間の“働く”を15のシーンで描いています。
それぞれの描写には当時の働き方を象徴するモチーフを取り入れるとともに、時代ごとの社会背景も反映しました。時代考証を重ね、リアリティを大切に作り上げた各シーンを解説します。

SCENE 01

1920年代

“サラリーマン”の誕生

第1次世界大戦後に増加した事務職員が働くオフィス風景

今から約100年前の1920年代、日本に“サラリーマン”というモダンな響きを持つ新語が生まれました。1919年に第一次世界大戦が終わり、世界的に産業構造が変化したこの時期に増加した事務職員が、“サラリーマン”の原型と言われています。当時のオフィスでは机や椅子が木製なのはもちろん、電話にまで木が使用されていました。男性はシャツなどの洋装ですが、女性は和装である点が印象的です。

SCENE 02

1930年代

職業婦人の台頭

女性労働者の数も増加した時代に電話交換手として働く職業婦人の画像

かつて電話は、電話交換手の手によって繋がれていました。仕事は、発信者と受信者を取りつぐことです。第一次世界大戦期の急速な経済発展により、都市部を中心に今までには見られなかった新しい仕事が多数誕生し、女性労働者の数も増加したこの時代。「職業婦人」と呼ばれた彼女たちが活躍した職業の一つが、電話交換手でした。

発信者は口頭でどこに電話をかけたいのかを交換手に伝えたため、丁寧な対応と高い理解力・機転が求められる仕事でした。電話の需要が増えるにつれて電話交換機が横にも縦にも大型化していき、上の接続口まで手が届くよう高い下駄を履いて働く交換手もいました。この職業は国内での電話交換が完全に自動化された1970年代後半まで存在しました(※)。

※国際電話などでは1970年代以降も電話交換手が存在。また社内の交換(構内交換)では、現在でも「電話交換手」として、採用を行っている会社もあります。

SCENE 03

1940年代

戦時中の通勤風景

太平洋戦争中に出勤する戦時中の通勤風景

太平洋戦争中も厳しい環境ながら会社勤めは続きます。戦時中は物資が不足しており、衣服も簡素化がすすめられました。そこで国は「国民服令」を制定。カーキ色の「国民服」を男性の標準服としました。また国民服令から2年後には、女性に対して「もんぺ」を標準服として指定しました。一方で、法制化に争う姿勢を見せてスーツを引き続き着用する人なども存在したため、都市部ではスーツやワンピース、国民服などさまざまなスタイルで会社に向かう通勤者の姿が見られました。

SCENE 04

1940年代

戦中から戦後へ

1940年代戦時中に出勤する人の足元と1950年代に革靴を履いて出勤するサラリーマンの足元の画像

SCENE 03で戦時中に出勤する人々の風景を描きましたが、SCENE 04ではその人々の足元に着目しました。道路整備もままならず、砂埃が目立つ1940年代の路面。その上をすねを守るための布「ゲートル」を巻いた男性が歩いています。

徐々に時代が変化し、次に映し出されるのは1950年代の会社員の足元です。路面は整備され、装いは国民服から解放されスラックスに戻りました。当時のスラックスは、現在見られるものと比べて全体的に太いデザインが特徴です。また、この時代から革靴が“サラリーマン”の足元のファッションとして標準的なものになりました。 また、終戦直後の1947年には「労働基準法」が制定。賃金、労働時間、休暇といった労働条件の最低基準を定めた、労働者保護を目的とした法律です。

SCENE 05

1950年代

終身雇用と年功序列の定着

高度経済成長期の建築系事務所で汗だくになりながら営業電話をかけるサラリーマンの画像

戦後の混乱から少しずつ立ち直り、高度経済成長に突入していく1950年代の日本。このシーンでは、当時の建築系事務所の真夏のオフィス風景を描きました。登場する男性は、エアコンがない営業所の中で汗をかきながらも営業電話を頑張っている様子です。男性の周りには書類の山と黒電話、デスクには火のついたままの煙草があります。背景に吊り下げられているのは、当時の建設現場で使われていたヘルメットです。

日本社会ではこの時期、終身雇用制度や年功序列制度が定着します。第二次世界大戦前から原型となるいくつかの制度がありましたが、戦争により一時衰退。経済成長時に労働力不足対策として、労働者を長期的に雇用し年功に応じた昇級や退職金支給などを含んだ終身雇用制度が一般的となりました。

SCENE 06

1960年代

東京─大阪間の日帰り出張が可能に

東京オリンピックに合わせて東海道新幹線が開通。日帰り出張が可能になった新幹線車内風景

高度経済成長がピークを迎えた1960年代の日本。東京オリンピックに合わせて東京–大阪間で東海道新幹線が開通しました。それまで移動に6時間以上かかっていた首都圏と関西がぐっと近くなり、東京と大阪の日帰り出張が可能に。開業当時の所要時間は約4時間、最高速度は当時の世界最高速である210km/hでした。このシーンに登場するのは大阪方面に向かう車内でくつろぐ男性たち、窓の向こう側には夏の富士山が見えています。新聞の一面ニュースになっている1969年7月のアポロ月面着陸は、世界を揺るがす20世紀の大ニュースでした。

SCENE 07

1970年代

新宿駅の通勤風景

通勤ラッシュ時、電車に人が押し込まれる新宿駅ホームの風景

1970年代、新宿の通勤風景。戦後の復興から経済成長が進む過程で東京に住む人は激増し、1945年に約350万人だった人口は、この頃には1,100万人を超えるようになります。近年の東京都の通勤ラッシュも激しいものではありますが、乗車率300%を超える路線もあり、さらに過酷だったと言われる当時、通勤電車は「殺人電車」、通勤は「通勤地獄」と例えられるほどだったといいます。また、似通った髪型と服装に見える男性たちの通勤スタイルも特徴的です。

SCENE 08

1980年代

深夜のオフィスと「モーレツ社員」

深夜のオフィスで電子タイプライターを打ち、残業するモーレツ社員の風景

1980年代のオフィス。時計を見ると時刻は深夜2時を過ぎていますが、人々はまだまだ働いているようです。 「企業戦士」「モーレツ社員」「24時間働けますか」など、長時間働く人々を表す言葉が多く生まれた時期でもあります。 オフィスをよく見ると、デスクには電子タイプライター(=ワープロ)が登場していて、時代の変化を感じます。

SCENE 09

1980年代

バブルに沸く花金の夜

バブル景気に華やぐ「花金」の夜の街の風景

バブル景気に華やぐ夜の街を描きました。この時代、夜になると“サラリーマン”たちは街に繰り出し、取引先の接待や、同僚・上司との「飲みニケーション」を行うことも一般的でした。深夜の繁華街には、タクシーを我先に止めようとする人たちが道沿いに並んだといいます。

「ワンレン・ボディコン」という当時流行のファッションアイコンに身を包んだ女性の手には大きな携帯電話が。携帯電話文化の始まりです。発売当初は非常に高価で、携帯電話を持っていることが一種のステータスでもありました。また、金曜日の夜に遊んだり飲んだりすることを指す「花金(=花の金曜日)」という言葉もこのころに誕生。バブル期の花金は街に人が溢れ、明け方までにぎやかでした。

SCENE 10

1990年代

ポケットベルでの呼び出し

コミュニケーションツールとして普及が拡大したポケットベルの画像

「ポケベル」の愛称で親しまれてきたポケットベル。当初は着信を音で知らせ、公衆電話などからかけ直すというシンプルな作りでした。次第に機能が追加され画面が大きくなり、文字や数字を表示できるようになるとメッセージの送受信が流行。コミュニケーションツールとして普及が拡大し、1996年には契約数が1,000万件を突破しました。ビジネスシーンでは、外回りの営業担当者と連絡を取る際などに活用されていました。

SCENE 11

1990年代

デジタル化が進むオフィス

デスクトップパソコンの設置や仕事用携帯電話の配布などデジタル化が進行したオフィス風景

SCENE 10のポケベルを始め、デジタル化が進行します。紙が山積みのオフィスは徐々に整理され、デスクトップパソコンの設置や仕事用携帯電話の配布が見られるようになります。同時に、男女雇用機会均等法の改正により女性の社会進出も活発に。このシーンでは、女性社員が上司の男性社員に押印を依頼する風景を描いています。デジタル化が始まった年代とはいえ、これまでのハンコやFAXといった紙を使用する業務も多くありました。

SCENE 12

2010年代

時間や場所に縛られないノマドワーク

フレックスタイム制など柔軟な働き方が拡大。ノマドワーカーがカフェで働く風景

公衆無線LANや高速モバイルデータ通信と、フレックスタイム制など各企業ごとの柔軟な働き方の導入が拡大。カフェやレンタルスペースなど特定のオフィス以外でも働くことが可能になりました。「ノマドワーク・ノマドワーキング」と呼ばれる、場所や時間に縛られない働き方を選ぶ人があらわれたのが2010年代です。2019年には「働き方改革関連法」が施行。労働力年齢人口の減少と働き方のニーズ多様化に対応するため、年次有給休暇の取得義務化や時間外労働の上限規制などが適用されました。

SCENE 13

2010年代

メッセージアプリでのコミュニケーション

メッセージアプリでビジネスコミュニケーションを取っているスマートフォンの画像

2000年代以降、ビジネスシーンのコミュニケーションは電話やメールが主流になりました。そして2010年代に入りスマートフォンとメッセージアプリの利用が社会で一般的になると、仕事でも業務用メッセージアプリやチャットアプリが活用されるようになります。場所や環境を選ばないスピーディな連絡手段として現在も積極的な導入が進んでいます。

SCENE 14

2020年代

コロナ禍のオフィス

マスクの着用、消毒液、飛沫防止のパーテションなど感染対策の工夫が施されたコロナ禍のオフィス風景

2020年初頭にはじまった新型コロナウイルスの流行は、人々の働き方を急速に変えました。このシーンでも、マスクの着用や机に置かれた消毒液、飛沫防止のパーテションなど、オフィスでの感染対策の工夫が多く見られます。また、デスク周りには紙の書類がずいぶん少なくなっていて、仕事のデジタル化が進んでいることがわかります。

この年、感染対策のために社員の出社人数や回数を制限する企業も多く見られ、オフィスにいなくても仕事が行える環境の実現が急務となりました。そこで活発化したことの一つが、業務プロセスにおけるハンコの廃止やペーパーレス化を進めようとする動き。働き方改革関連法の施行等で高まりつつあった業務効率化への関心が一気に高まりました。一時的な対応策に止まらず、「これを機に従来の仕事のやり方を見直そう」と考える企業も増えつつあります。

SCENE 15

2020年代

ニューノーマルな働き方

新型コロナウイルスの流行によりテレワークが浸透。テレビ会議をする女性の横で男性が子供をあやしている風景

SCENE 14に続き、SCENE 15でも新型コロナウイルスの流行により変化した働き方を描いています。オフィスワークを中心にテレワークが一気に浸透し、テレビ会議やチャットツールを駆使して家から働くことも珍しくなくなった最近。

このシーンでは、リビングでテレビ会議をする女性の横で、男性が小さな子供をあやしています。自宅で仕事をする人が増えたことで画面の向こう側から子供やペットの声がすることも珍しくなくなり、仕事と生活の距離が一気に近づきました。2021年6月には男性の育休取得が推進される改正育児・介護休業法も成立し、これから働くことと暮らすことはもっともっと混ざり合っていくのかもしれません。

SPECIAL ESSAY

特別寄稿

100年前の“サラリーマン”誕生が
今の私たちにもたらしたもの

映像の時代考証では、日本の労働史に造詣が深い早稲田大学の原克教授に多大なるご協力をいただきました。
ここでは長年働き方の歴史を研究してきた原先生の視点から、“サラリーマン”が生まれた1920年代の風景を起点に、近代社会の“働く”を考察する特別寄稿を掲載します。

プロフィール

早稲田大学教授

原 克(はらかつみ)

早稲田大学教授。専門は表象文化論、ドイツ文学、都市論。1954年生まれ長野県出身。立教大学大学院文学研究科ドイツ文学専攻。神戸大学国際文化学部助教授、立教大学文学部教授、ルール大学ボーフム、ベルリン・フンボルト大学招聘研究員を経て現職。『流線形の考古学』(講談社学術文庫)、『騒音の文明史』(東洋書林)、『サラリーマン誕生物語』『OL誕生物語』(講談社)、『身体補完計画』(青土社)、『気分はサイボーグ』(角川学芸出版)、『ポピュラーサイエンスの時代』(柏書房)他著書多数。本作では時代考証を担当。

21世紀オフィスの主人は誰なのか
── 労働の原理と遊戯の作法

日曜日の夕方のメランコリー

『サザエさん』を観ると物哀しくなる。 誰もが経験したことのある子供の頃の記憶だろう。

もちろん、テレビ番組の内容が物哀しいわけではない。 なにせ愉快な国民的人気アニメだ。 物哀しいのは日曜日の夕刻、あたりが暗くなり始めた頃、テレビから流れてくるテーマソングを耳にした途端、身につまされる思いのことである。

「ああ、もう日曜日が終わってしまう」
「明日からまた学校が始まるんだ」「もっと遊んでおけば良かったのに」
「なんであのとき、あんな無駄なことをしたんだろう。 遊ぶ時間が無くなっちゃったじゃないか」
「もったいないことをしたなあ」

どこか未消化でやり残した感じ。 子供たちを襲う日曜日の夕方のメランコリー。 これこそが憂鬱の正体である。 子供時代に誰もが囚われる「サザエさんの憂鬱」。 多くの人びとが共有している記憶であろう。

ところが、なんの変哲もないこんな素朴な感情のなかに、じつは、大きな問題が潜んでいる。 それは、サラリーマンが誕生して以来100年余、近代社会が直面してきた大問題である。

揺らぐ境界線

それは何か? それは労働と遊戯の関係性が揺らいできた、という問題である。 仕事と遊びの境界線と言いかえても良いし、勤務時間と自由時間、働く時間と余暇との違いと言いかえても良い。 これらの境界線がハッキリしなくなってきた。 こうした事態のことである。

この問題に焦点を当て、哲学者テオドール・W・アドルノは鋭く分析している。

余暇は無駄なく利用し尽くされることを求めている。
(『ミニマ・モラリア』1945年)

こう言うのである。これは一体どういうことか? 

アドルノ曰く、近代が都市化するにつれ、「あわただしさ、いらいら、落ち着きのなさ」が、まるで「パンデミック的感染力で蔓延している」。 その結果、工場やオフィスにおける生産過程や労働過程でも、「時間を無駄にしない」ことが最重要事項になってきた。 時間を最大限に効率よく使い、最大限の成果をあげる。 つまり、時間利用の最大効率こそが最大限の成果を生む。 これが仕事の原理とされるようになってきたのである。 なるほど合理的な考えである。

オフィスや工場においてならば、それも良かろう。 しかし20世紀、事態は思いもよらないほどの速度で、意外な展開を見せ始めたのである。

その合理的な効率性があまりに上首尾だったせいか、仕事の原理は、オフィスや工場という労働現場をまたたく間に越え出て、広く暮らしのすみずみにまで浸透してゆき、パンデミック状態になってしまった。 その結果、時間利用の最大効率こそが最大限の成果を生む。 こうした「生産過程がとる形態」は、ひとり仕事の現場に限らず、「私生活」や「自由時間」「余暇」にも感染してゆき、いまや労働時間外の「生活」までもが総体で、「まるで職業ででもあるかのような外観を呈するようになってしまった」。 アドルノはこう言うのである。

遊びの本質

かつて歴史学者ヨハン・ホイジンガは人類の本質を、「ホモ・ルーデンス(遊戯する人)」であることに求めた。遊びこそ人間の本質である、というのだ。

そもそも、遊びというものは、労働の原理とは本来まるで違った別の原理から、成りたっているはずのものである。

効率よく時間を使い合理的に成果を生む。 これが労働の機械的合理主義だとするならば、遊びの原理はまるで違う。 非効率に見えても、ゆっくりと時間をかけて楽しむ。 非合理に思えても、脇道にそれて道を失う。 無駄だと感じられても、同じ手順をくりかえし味わう。 こうした身振りこそが遊びの中核をなすものだ。 なぜなら、遊びは何かを手に入れるための「手段」なのではなく、その行程を体験することそれ自体が「目的」だからだ。 要は、労働は成果を得るための「手段」だが、遊びは遊ぶことそれ自体が「目的」に他ならない。

たとえば、プロ野球選手の場合、野球をするというのは、記録であれ、名誉であれ、年俸であれ、家族のためであれ、野球の外部にある目的に到達するための「手段」であるだろう。 他方、放課後の校庭で三角ベースに興じる小学生たちの場合、彼らの目的は野球をすることそれ自体であって、それ以外の何ものをも目指してはいない。 野球が「自己目的」だからだ。 遊びには、効率性とか近代合理主義などといったものは、本来関係ない。 機械的合理性が好んでもちだす「無駄の排除」という合い言葉もまた、遊びには無縁のもののはずである。

ところがである。 20世紀、遊戯の世界に恐るべき事態が発生した。 遊びの領域にも、仕事の原理が感染してきたのだ。 自由であるはずの休日が、まるで勤務時間のように過ごされるようになってゆく。 遊びの原理がいつしか労働の原理に感染してしまっている。 要するに、遊ぶときにもまるで仕事をするように遊ぶ、ということだ。 効率よく遊ぶ。 遊びのために時間を無駄なく配分する。 こうした遊びのスタイルは大いなる論理矛盾に他ならない。 しかし、このように矛盾した状態こそが日常化してしまったというのである。

「余暇は無駄なく利用し尽くされることを求めている」。 20世紀の自由時間を観察してアドルノが下した診断は、こうした事態をさしているのである。

本来、仕事と遊びは、まったく別の原理で成りたっていたはずのものである。 それがいつしか、遊びまでもが仕事の原理で語られるようになってしまった。 労働原理のパンデミック状態が常態化してしまったのである。

「サザエさんの憂鬱」。 なるほど、子供時代の素朴な記憶にすぎない。 しかし、仮にその未消化な思いが、休日の時間管理に失敗したことから来るものであったとしたならば、事態は深刻である。

「あのとき、もうちょっと時間配分に気をつけていたらなあ」
「あの一手が無駄だったよなあ」

なぜなら、このように後悔したとき、子供時代すでにして、近代的合理主義を初源的なかたちで学び始めていたことになるからである。

「サザエさんの憂鬱」。 労働の原理が暮らしを圧倒した20世紀サラリーマン時代、遊戯の原理までもが労働のそれに浸食されてしまった。 子供たちを捕らえた憂鬱とは、後年、サラリーマンになったときの自分が巻きこまれることになる事態を、はからずも先取りしていた瞬間だったのかも知れない。

サラリーマン誕生物語

労働と遊戯の関係性が揺らいだ時代。 それは奇しくも、サラリーマンが誕生した時代と重なっているのである。 そして言うまでもなく、遊戯の労働への屈服というこうした事態は、とりわけサラリーマンにおいて明確なかたちで発生してくることとなったのである。 なぜなら、サラリーマンほど時間管理のもとに仕事をしなくてはならない社会集団は存在しないからである。

では、サラリーマン時代とはどのように始まったのだろう? そして、サラリーマン時代、とりわけ時間管理という視点において、労働と遊戯の関係はどのように成立していったのだろう?

そもそも、サラリーマンが誕生したのは20世紀初頭1920年代のことである。

仕事のスタイルとしては、大抵の場合、机に向かった事務仕事でもって給与を得て生計を立てるというものであった。 これに似た先行的な労働形態は明治時代にも存在した。 役所の事務員や教師などに代表される頭脳労働である。 けれども、社会全体からするといまだ小集団にすぎなかった。

それが1920年代、おおむね大正時代になると、頭脳労働者集団はもはや無視できない大きな社会集団としてはっきりとかたちをなしてきて、俸給生活者としてサラリーマンと自称するようになったのである。 その背景としては、この時期、社会的構造が複雑化していったことが挙げられる。 簡単に言うと、第一次世界大戦が終わって1920年代くらいから社会構造に大きな変化が生じてくる。 いわゆる「大衆社会」の誕生である。 それまでの旧武士だとか華族だとかを中心に回っていた社会から、大衆がその中心を担う社会へと変わっていった。

それと同時に、産業構造にも変化が生じた。 都市化が進むにつれ、都市部を中心に今までには見られなかった新しい仕事や職種が数多く誕生し、俸給生活者の数も増加していった。 雇用先に住み込んでの奉公といった伝統的な雇用関係ではなく、「企業対個人」といった近代的な雇用関係に移り変わっていく。 そんな過渡期にあたる時代が到来したのである。

このように産業構造が変化し近代化が進んでゆくにつれ、頭脳労働者として事務職集団がこれまで以上に必要とされるようになり、増加していった。 これが現在のサラリーマンの原型が誕生した瞬間であったと言って差しつかえない。

働く女性の時代

それと同時に、現在の女性ビジネスパーソンつまり職業婦人もまた、事務員やタイピスト、電話交換手や百貨店の売り子として男性サラリーマン同様に増加していった。

きっかけは1923年(大正12年)の関東大震災であった。

震災で配偶者等を亡くした女性が大量に発生したのだ。 その結果、これまで主流であった、男性が外で働いて女性は家内にとどまるという生活構造が事実上不可能になったからである。 そのため、女性たちは「台所から街頭へ」というスローガンのもと社会進出を始めることとなった。 時代背景としては、自由主義や男女平等を旨とする大正デモクラシーの流れもまた、これにあずかって大きかった。

たとえば、食堂やカフェで働く給仕さん。 または百貨店で働くデパートガールやエレベーターガール、バスガイドなど。 これらはサービス業や肉体労働寄りの仕事だ。 頭脳労働と言うべき仕事ならば教師、医者、弁護士、学者などだが、弁護士や学者に女性が占める割合はこの時代、極端に小さかった。

それに対して頭脳労働の中でも、最も数が多かったのが企業で働く「事務員」だった。 これが現代の女性ビジネスパーソンの前身だといえるだろう。 ちなみに、事務員にも大きく分けてふたつの種類があった。 一般的な事務作業などを担当する事務員と、比較的高度な専門性を必要とする「タイピスト」と呼ばれる人たちである。 現代でいうところの一般職と総合職のようなイメージと言っても良いだろう。 1920年代すでにして、働く女性の職種もまた、おおむね現在と同じような方向で細分化が行われていたのである。

その結果、女性の労働人口は大正初期には43万人しかいなかったものが、関東大震災を経て昭和初期に至る頃には87万人とほぼ倍の人数に膨れあがっていったのである。

こうした流れはひとり日本だけのものではなかった。 期せずして同時期、欧米先進国でもまったく同じ傾向が生まれていたのである。 ドイツ、フランス、イギリス、アメリカなど各国でサラリーマンが増えたのは1920年代のことであった。 そして女性の社会進出もまた、やはり第一次世界大戦が大きく影響していた。 各国ともに参戦当事国であり男性は戦地に駆り出される。 その結果、オフィスの労働者が払底し女性が進出せざるを得なくなる。 基本的な背景は同じである。 要するに、日本ばかりではなく世界的にも1920年代が、深刻な社会的災厄にみまわれたのを機に、サラリーマンならびに女性ビジネスパーソンが誕生した時代だったのである。

効率の良いオフィス

サラリーマン時代の幕開け。 サラリーマンが誕生した1920年代、男女ともに働き方に大きな変化が訪れた。それはオフィス風景でいえば、いかなるものであったのだろうか?

旧5000円札の新渡戸稲造。 最近でもたまに見かけることがある。 2007年まで5000円札に描かれていた人物だ。 明治時代から昭和初期まで、実業教育とりわけ女子教育に力を注いだ教育者・思想家であり、サラリーマン誕生の陰の立て役者のひとりと言っても過言ではない。

当時、サラリーマンに人気のあったのが経済専門誌『実業之日本』であった。 格調高い論考や最先端の経済思想・実業思潮などを数多く掲載し、オピニオンリーダー誌として一目置かれる存在だった。 新渡戸稲造は同誌の編集顧問であった。 その関係で毎号欠かさず論説を寄せている。 とりわけ20世紀初頭から1920年代まで、じつに進歩的・開明的な視点を発信しているのである。

なかでも重要なのが、新渡戸がくりかえし提唱した新思想だった。 それは、「タイム・イズ・マネー(時是金)」という実に明快な金言であった。 そして、そのために欠かせないのが、最小限の労力で最大限の成果を上げる方法論。 これであるとした。 あらゆる無駄を排し、最大限の効率で最大限の成果をあげる。 この目標を実現するための具体的な手立てとして、新渡戸稲造はときに、「効率的な仕事をするために役立つ欧米の最新器具」を紹介したりしている。

たとえばオフィス用具である。 「コムトメーター計算器械(小型の卓上計算機)」「自動鉛筆削り機」「新式ホチキツス」などのオフィス用具が、欧米の「最新式の実務家が採用しつゝある最新式の執務器」として紹介されたのであった。 それまでの伝統的な算盤や大福帳にかわり、小型計算機や西洋ノート、検索カードシステムやタイプライターなどなど。 いずれも旧来の事務作業のムダを省き、サラリーマンの仕事を効率化する道具として紹介され推薦されている。

サラリーマンの仕事とは、その誕生の瞬間からして、効率化と合理化とを構造的に運命づけられた働くかたちだったのである。

タイムカードの憂鬱

1920年代、最新のオフィス機器が採用されてゆく。 それに応じて、男女サラリーマンの働くかたちが変容していった。たとえば労働時間である。

江戸時代の丁稚奉公ならば、労働時間には明確な線引きはなく、仕事とプライベートの区切りは曖昧なものであった。 それが明治時代になって西洋式ビジネス、会社制度などの新思想が移入され、雇用関係が契約にもとづく関係へと変化することとなる。 そして、それと連動して、労働時間・勤務時間という概念が日常的なライフスタイルとして定着してゆくことになった。

たとえば、三菱銀行や三井、住友、中央官庁や役所など大規模な組織体では、始業から終業まで時間が決まっていた。 大抵は朝9時から夕方の4時ないし5時までであった。 これを皮切りに随時、他の会社・業種でも大手企業や官庁に合わせるかたちで、労働時間と余暇の時間をハッキリと分ける時間の使い方を採用するようになり、統一化されていった。

そうした中で、時間管理を正確におこなうために出勤簿が作られ、タイムカードが登場する。 そして、このタイムカードを最初に日本に紹介し、さかんに導入を推奨していたのが、経済専門誌『実業之日本』と新渡戸稲造だったのである。

タイムカードの出現によって何が変わったのか? むろん、働き方をめぐる評価方法が変わったのである。 すなわち、労働が時間単位で計測されるようになり、数量的に計測された労働が統一的な基準で金銭に換算されるようになったわけである。 働き方が時間という単位で計測され、評価され、金銭に換算されてゆく。 じつに合理的で効率的な評価システムといえよう。

評価ばかりではない。 労働そのものについても、もはや時間の浪費や、時間の空疎なムダ遣いは許されない。 効率よく働き、合理的に時間配分をし、最大限の成果をあげるべく、極力時間のムダを排除しなくてはならない。 このようにして、モダン社会の時間管理思想こそが重要なものとなってゆく。 こうした風潮が以前にも増して、数値的エビデンスのもとに前面に出てきたのである。 文字通り、時是金というわけだ。

昭和初期のテレワーク

働く場面において、時間観念に影響を与えたのは、ひとりタイムカードばかりではない。 数多くのオフィス機器もまた、時間的ムダを省くという大義に沿った労働形態を生みだすことに手を貸していたのである。

たとえば電信電報がそうだ。 それに電話、電送タイプライター、電送写真、ファクシミリなどといった遠隔情報テクノロジーたちがこれに加わる。 テレグラフ、テレグラム、テレフォン、テレタイプライターなどなど、いずれも接頭語“テレ(tele-)”がつく機器ばかりだ。 もちろん、これは古代ギリシア語から来るもので、「テレ=遠隔」を語義としているわけだ。 言うまでもなく昨今、テレワークと称される働き方も、「オフィスからの遠隔地における」働き方という意味であり、1920年代の最新オフィス機器の先進性を示す語義に共鳴しているわけである。

こうしたテレ系(遠隔系)の事務機器が導入されることによって、打ち合わせや事務連絡のために、わざわざ遠方に出向いてゆかなくても良くなった。 つまりは、時間の使い方に相当な変化を生じさせることになったのである。

このように、明治末期から大正、昭和にかけて、矢継ぎ早に新しい情報処理機器がオフィスに登場してくることによって、時間の使い方が大きく変わっていった。 「最大の効率で最大の成果を挙げる」。 こうした近代的合理主義が、働く現場での日常的感覚として人びとの中に浸透していったのである。

流線型アベツク

近代的合理主義に徹して働いたあと、いわゆるアフターファイブや週末など、余暇においては黎明期のサラリーマンもまた、自由に遊んでいたはずである。 それは基本的に現在と変わらない。

1920年代以降東京の例をみると、女性ビジネスパーソンの場合、代表的な余暇の過ごし方としては映画鑑賞や観劇、食べ歩きや銀ブラなど。 あまり現代の遊び方と変わらない。

ここに面白い資料がある。 1935年に刊行された『流線型アベツク』という本だ。 当時最新の東京遊び場ガイドブックである。 都心で働く若い男女サラリーマンのカップルに向けたデートスポット情報などがたくさん載っている一冊だ。 かつての情報誌『ぴあ』や『TokyoWalker』、現代の各種SNSアプリに相当すると思えば良い。 たとえば、「帝国劇場の裏にあるビアホールはビールが安くておつまみもおいしい」であるとか、「給料日前で懐が寂しいときは渋谷の道玄坂で屋台巡りがオススメ」「ウイークエンドは箱根へドライブ!」などといった記事が載っている。 黎明期のサラリーマンもメディア情報を頼りに、余暇を有効に過ごそうと心をくだいていたのである。 遊び場案内というのは言ってみればガイドブックだ。 目利きの他者が厳選してくれた余暇の過ごし方の集大成。 『流線型アベツク』はまさにこれだ。

さて、ではなぜ人はガイドブックを手に取るのか? むろん効率よく余暇の時間を過ごすためだ。 休日という貴重な自由時間を、試行錯誤してムダに過ごすことのないように。 人気のスポットに迷わずたどり着き、評判のビヤホールで過ごす時間をできるだけ長く確保し、屋台を巡るにも当たり外れがないように、せっかくの休日を台無しにしないように、事前に情報を入手しておく。

つまりは、余暇といえども効率よく過ごすこと。 これこそが正しくもあり、快適な余暇の過ごし方ではあるまいか。 彼らがこう考えていたとしても不思議ではあるまい。 1920年代、サラリーマンが誕生した瞬間から、すでにして彼らは「効率よくことを処する」という生き方を実践していたのである。 ひとりオフィスの事務机においてばかりではなく、広く暮らしのあらゆる局面において。 そう、労働とは対照的な原理で成り立っているはずの遊びの時間においてすらなお、効率化の原理は起動してきていたのである。

そして、周到に計画していた週末の自由時間が、万一不首尾に終わったとき、1920年代の若きサラリーマンもまた、薄暮が近づいてくるにつれ、日曜日の夕方のメランコリーに襲われたことは間違いない。 それは、サラリーマン時代黎明期における「サザエさんの憂鬱」だったと言えよう。

科学的管理法という神話

サラリーマン時代が進むにつれ、日々の暮らしまでもが仕事の原理で組み立てられるようになってきた。 効率性、合理性、最小労力、最大成果、ムダの排除。 こうした一連のキーワードを決め台詞にして、仕事の合理的時間管理が、遊びの領域にまで浸透してきた。 ここまで追ってきたのは、こうした経緯であった。

言うまでもなく、こうした経緯は工場生産の科学的管理法、いわゆるテーラーシステムから派生したものでもある。 1911年、職場での作業の効率的管理法の理論的始祖のひとりフレデリック・テーラーが、その主著『科学的管理の諸原則』を上梓した。 彼のキーワードは「効率性」や「標準的行動」、「動作研究」や「科学的管理」。 そして、目指すは作業の省力化であることは周知のところだ。

そして当時、この科学的管理法が有効であるとして、家事労働の領域にも応用しよう。 こうした風潮が一世を風靡することとなる。 すべて手作業によっていた従来の家事労働を、ガスレンジや冷蔵庫、洗濯機や掃除機など、科学技術を駆使した「新奇な道具」たちを導入することで、効率化し、合理化し、軽便なものにしよう。 家事の合理的効率化により、重労働から主婦を解放し、快適な暮らしを実現しよう。 こうした文脈のもと、科学的管理法がオフィスから台所に浸透してきたわけだ。

もちろん、それ自体はなるほど合理的でもあろうし、効率的でもあろう。 労働の機械論的にはそのとおりだ。 しかし、それはあくまでも技術的な合理性であって、人間の存在にとってはごく一部分の限定された話にすぎない。

今日でも、暮らしの合理化によって、なるほど「便利」にはなろうし、「効率よく」はなろう。 そして、そのことによって快適さを手に入れたという実感すら、ときに感じることもあろう。 しかし、人間の存在というのは、そうした部分の快不快もふくめて、もっと大きく深遠なもののはずである。 ある部分を便利にしたからといって、そのままで、全体が良きものになるかどうかは別のテーマである。

部分と全体の関係性。 今日、便利な道具や装置がいとも簡単に手に入るようになった時代であればこそ、いちど立ち止まって考えてみる必要があるだろう。 それは、そうした「便利の流れ」を止めるためにではなく、せっかくの科学的新機軸を、間違った方向へ向かわずに、よりまっとうな方向へ向かわせるためにこそ、立ち止まってみる必要があるからである。

工場化する台所

オフィスの近代化から暮らしの効率化へと、近代的合理主義がパンデミック的感染を開始した20世紀初頭。 今から100年前の黎明期、その時代を生きていた同時代人として、いちはやくこの問題の奥深さに気づいていた女性の声が残っている。

『レディース・ホーム・ジャーナル』といえば、20世紀を通じて米国の女性に絶大なる信頼を寄せられていた家庭雑誌の雄だ。 その1912年9月号から12月号にかけて掲載された連載記事「新しい家事」である。 筆者はクリスチーネ・フレデリック夫人、家政学の在野の権威だ。 記事は基本的に、工業界における科学的人間管理を家庭内化する必要性を説いているものであり、いわば啓蒙の書となっている。 基本的にはこうした新思潮に賛同しているのである。

ただし、彼女の視点は複合的で遠大で、決して微視的な機械的合理性だけに目を奪われて、これを礼賛しているわけではないのだ。 筆者は米国中流階級の白人女性の現況をまとめている。 曰く、「今日、文字通り数百万人におよぶ女性たちが家事について実際に『苦しい』と感じています」。 「彼女たちは役に立つ家庭雑誌を何冊も読んでおり、省力化する道具も数多く持っています。 しかし、それでいて、自分の仕事がいつまでも延々と続き、こまごまと繁雑であることにうんざりさせられているのです。 そんな思いが、あたかも人を溺れさせる洪水のように、彼女に頭から押しよせ、自分はもうダメだ、押し潰されてしまうと感じているのです」。

つまり、洗濯機や掃除機など、家事労働を効率化し軽減する最新の道具は使っている。 しかし、それでも家事労働の基本的な労苦は解消することはない。 家政学の専門家フレデリック夫人の目には、効率化された家事の現実はこのように映っていたのだ。 そこで、ひとことまとめて曰く、

家庭の効率性の目標とは、仕事や科学的スケジュール、理想的な清潔さや整理整頓を見事にシステム化することではありません。 家庭の効率性の目標とは、個人が幸福になること、健康であること、そして家において家族が発展することです。 仕事や科学やシステムやスケジュールなどは、なるほどこの目標に到達するための手段でしょうが、決して目標そのものではないのです。 家庭を営むという目標のためには、それらを使わなくてはならないこともあるでしょうが、それらを逸脱させることだってあるのです。

私がハッキリさせたい点はただひとつ。 自分の仕事を支配しているつもりで、じつはシステムや方法論に支配されるというのはご免だということです。 それでは、フライパンが熱いといって火の中に跳び込むようなものです。

筆者が考える目標とは、つきつめれば「個人が幸福になること」である。

科学的管理による家事労働の軽減も、じつはそのための手段であって、決して「目標そのもの」ではない。 幸福になるためなら、いかに有効であったとしても手段を逸脱することだって構わない。 こう述べているのだ。

主体と客体の弁証法

なるほど、100年前のテキストである。 語られているのも主婦のことであり、家事のことである。 効率化の道具といってもたかが冷蔵庫や洗濯機にすぎない。 とても最新OA機器を備えた21世紀の最先端オフィスとは比べものにならない。 確かに、テキストの表層レベルではそのとおりかもしれない。

しかし、時代や分野の違いを乗り越えて、このテキストが見ぬこうとしていた深層構造は、いまだに解決されてはいない大問題であるように思われる。 それは、やはり労働と遊戯の関係性が基盤的なところであやふやのものになってきている。 効率化や合理化といった道具的合理主義が、力を発揮する一方で、その起動分野が拡散し、暮らしや遊びの中にまで浸透してきている。 こうした事態である。

これは、しかし逆の見方をすれば、ムダの排除や効率化といった発想も、その起動範囲を適正に見定め、制御すれば、野放図な暴走を阻止することができる。 こういった処方箋にもなりうる知見だということでもある。

効率化も合理化も近代の宿命的課題であり、サラリーマン時代の時代思潮であることは間違いない。 そこから完全離脱して、非合理の世界に逃走することはむずかしい。

であるとするならば、ボクらに残された道はおそらくただひとつであろう。 それはフレデリック夫人が警句を発してくれているように、「自分の仕事を支配しているつもりで、じつはシステムや方法論に支配されるというのはご免だということです」。

21世紀のオフィス風景がどのようになってゆこうとも、大切なのは、ボクらは来たるべき新しいオフィス風景の「主体」になるべきであって、決して「客体」に成り下がってはいけないということであろう。

ボクらはオフィスの主人であって、オフィスがボクらの主人ではないのだから。

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株式会社SmartHRは、サービスビジョン「Employee First. すべての人が、信頼しあい、気持ちよく働くために。」のもと、クラウド人事労務ソフトSmartHRを開発しています。プロダクトを通じて企業の多様な労務手続きや人材マネジメント領域をサポートしており、登録企業数は全国40,000社を突破しました。※2021年7月現在

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「働くの実験室(仮)」について

SmartHRがお届けする「働くの実験室(仮)」は、これからの人びとの働き方や企業のあり方に焦点をあてた複数の取り組みを束ね、継続的に発信を行う、長期プロジェクトです。
各取り組みでは、イベントや映像・Podcastの企画、働きやすさをつくるアイテムの開発や制作過程の発信など、さまざまな活動をおこないます。
社会の変化をしなやかに受け止めながら小さな試みを繰り返す、実験室のような存在を目指しています。
ブランドムービー「“働く”の100年史」は、本プロジェクトの企画第一弾となります。

CREDIT

制作クレジット

映像

Creative Director / Planner:佐々木 渉(EPOCH)
Copy Writer / Planner:藤巻 百合香(EPOCH)
Producer:川島 佳峻(EPOCH)
Producer:中島 佑介(EPOCH)
Project Manager:小林 ひかり(EPOCH)
Director:大月 壮
Art Director / Pixel Art / Animation:モトクロス斉藤(UPC)
Pixel Art / Animation:せたも(UPC)
Animation:GYORAI EIZO Inc.
Artists Coordinator:瀧澤 真之介(SPLUCK)

音楽

MUSIC:HIMI(ASILIS)
Sound Engineer:Yu Sasaki 
MA:SALMIX

PRプランニング

PR Producer:伊集 朝平(AUR)
PR Director:山田 彩香(AUR)
PR Director:篠原 桐香(AUR)
Media Promoter:後藤 幸久(AUR)

時代考証

原 克 (早稲田大学)

企画・制作

Planning Director:中澤 茉里(SmartHR)
Project Manager / Planner:大木 早苗(SmartHR)
Brand Marketing Manager:荒木 彰(SmartHR)
Creative Director:関口 裕(SmartHR)
PR:洪 由理(SmartHR)
Web Designer:宮本 詩織(SmartHR)