親育てである。
また改めてそんな事を感じました。
長年ウチは毒親で、機能不全家族だと思っていました。
理由は簡単。
本音を隠す家。
見栄っ張り家族
だったから。
家族という
同一団体に所属する個体
母も私も愛に飢えていました。
特に母は、ずっと父に期待し続けてた。
幸せな家族に憧れていた。
絵の餅だという事に気づかず、
私がもっと頑張れば!!
私がもっと支えれば!!
私がもっと尽くせば!!
と。
これが、我が家の悪夢の始まりだった。
我慢は美徳
愛より規律
息苦しい家族の形。
それなりに楽しい思い出もあります。
父はギャンブルも女遊びもほどほどに(借金や泥沼はなく、それなりに楽しむ程度)だったし、不自由なく暮らせたと言われればそうかもしれません。
ですが、父と母がせめぎ合う、ギスギスした雰囲気は、やはり、
子供にはキツかった。
暖かい愛
お互いを想い合う優しさ
本当に大事なのは、お金や地位や名誉じゃないという事。
これを言えば必ず、苦労していないからだ!と言われるけれど…
正直、心が満たされる事がやっぱり第一条件だと思う。
お金や地位や名誉はあるに越したことはない。
けど、それだけじゃ幸せにはなれないし、
お金はそれなりにあっても、自由に使えるわけでもなく、いちいち数百円の買い物すら父にプレゼンして許可を得なくてはならず。
おかげで金銭感覚はしっかりしたけど、やっぱり専業主婦は旦那に頭が上がらない構図が出来て、私は子育てで1番大変な時に心を病み、何度も死に場所を探した。
それでも暖かい家と食べるものがある環境に感謝すべきだ!と言う人もいるから、余計に自分を責めた。
そんな時代を過ごしたから、確実に言える。
大切なのは愛だ。
色恋ではなく、慈しみや、思いやりの愛
家族であること、例え、血の繋がりはなくとも誰かに心から愛され、大事にされ、自分が生まれたことを幸せに思える環境が何よりも大切だと思う。
私は子供を産み、育て、
親になる事、親である事よりも、子供の気持ちを大事にしたいと思った。
子供がいたから親にならせてもらえた。
子育ては親育てである。
この言葉の意味がよく分かる気がする。
親の言う事を聞け!
誰が育ててやったと思っているんだ!
生意気な事を言うなら出て行け!
親の気持ちを全面に出すような、父のようにはなりたくないと改めて思った。
例えそれが世の常、常識と言われても。
私は私らしく親になって行こうと思う。
誰かや世間に捉われず