2021/11/2906:00
連載「守の起源」

【12】春の天皇賞で見せたサムソンの真骨頂!ゴール前でエリモエクスパイアを差し返す

 メイショウサムソンは菊花賞で4着に負けて3冠を逃したけれど、以後もジャパンC、有馬記念とGⅠレースを走った。

 神戸新聞杯、菊花賞で感じた気負った面はなくなっていたけど、デビューしてから1回も放牧に出さないでいたことで肉体的な疲れがピークに達していたのかもしれない。

 有馬記念はそんな状況下でディープインパクトの5着。この走りでボクは来年はもっとやれると手応えをつかんだ。ただ、瀬戸口先生が翌年2月末で定年とあってこの有馬記念が先生とのコンビで最後の一戦になった。最初の出会いから40年近くもお世話になった先生だったので「ありがとうございました」と感謝の言葉しかなかった。

 マスコミの方から「使いづめだったのでスプリングSの結果次第で放牧の可能性もあった」と後から聞いたけど、コンスタントに使いながらスプリングSからさらに皐月賞、ダービーで状態を上げていった手腕は瀬戸口先生ならではだと思う。前にも触れたけど、この馬は先生じゃなければ2冠を取ることはなかっただろう。

 メイショウサムソンは07年3月から高橋成忠厩舎への転厩が決まっていた。ボクがそのまま乗せてもらえるという保証はなかったので不安になった時期があった。そのままコンビを継続できると分かったのは、復帰初戦となる4月のGⅡ大阪杯の3週間前くらいだったからヤキモキしたよ(笑い)。

 初めての放牧が良かったのか、久しぶりにまたがったサムソンはドッシリと構えていい雰囲気だった。それだけにレース前から負けられない気持ちだった。その通り快勝したんだけど、あの時の高橋成先生のホッとした表情は今でも忘れられない。前年のダービー馬を預かったんだから相当プレッシャーを感じていたみたい。

 いい形でスタートを切れて、続く春の天皇賞はサムソンの真骨頂を見せてゴール前で一旦、前に出られたエリモエクスパイアをもう一度、差し返してくれた。菊花賞を負けたのは距離が長すぎたのでは?とささやかれていただけに、3200メートルの古馬最高峰GⅠの勝利は格別だった。

 最近ではダービーを勝って翌年の天皇賞・春も制したのはディープインパクトくらいしかいなかったから、この馬の底力には頭が下がる思いだった。そしてこのレース後に、松本オーナーは秋に凱旋門賞への挑戦を明言、運命の日を迎えることになった。

放牧で生気を取り戻したメイショウサムソン(左)。春の天皇賞は持ち味の粘りでハナ差勝ち

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

< 【11】   一覧   【13】 >

この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

この記事をシェアする
撮れピチ動画
東スポ紙面をPDFで読む
インスタはこちら

人気記事ランキング

  • 今日
  • 週間
  • 月間
坂路好タイム
写真で見る馬上の景色
秘宝館
もう一回やらせて
週刊ゆるうまニュース
はじめての競馬ガイド
キャンペーンプレゼント