2021/11/2906:00
連載「守の起源」

【11】しっくりこなかった秋シーズン…菊花賞4着で逃したサムソンの3冠

 現代はダービーが終われば放牧に出すのが当然のようになっているけど、当時はそのまま厩舎に置いて夏場も手元で調整するパターンが珍しくなかった。

 今は外厩システムが発達し、受け入れ先の技術が向上してきたので牧場に送り出すケースがほとんどだけど、メイショウサムソンはダービーを勝った後も栗東トレセンの自厩舎で調整を続ける選択をした。

 担当していた加藤厩務員は「神戸新聞杯までに毎週のように併せ馬をしていたし、2歳のころから同じところにずっといて精神的なストレスがあったのかもしれない」と当時を振り返っていた。確かに秋初戦の神戸新聞杯を使う前の調教は何かチグハグでハミがかりが変だった。その良しあしについてボクは言及できる立場ではないけど、今思うとそれが結果に影響したのかもしれない。

 サムソンのレースはほとんど覚えているけど、下見所(パドック)の記憶はあまりないんだ。例外は3冠のかかった菊花賞。何かしっくりこないというか気負いが目立っていた。

 神戸新聞杯はいつも以上に馬が行きたがっていて2着。その時は“ここを使っていいガス抜きができるのでは”と思っていたのだが…。表面上折り合っているように見えても、神戸新聞杯と菊花賞だけは馬に平常心がなく、気負っていたようだ。

 パドックのイメージだけじゃないけど、3000メートルだけに折り合いを欠いてしまうかもしれないという不安要素が頭にあった。菊花賞の時はレースの周回中から嫌な予感があった。

 結果は逃げたアドマイヤメインさえ捕らえられずに後ろから来た馬にもかわされてしまったけど、いまだに破られていないレコード決着の4着。悔いがないといえばうそだけど…当時のサムソンの力は出し切れたのでは、と思っている。

 ボク自身は“前年のディープインパクトに続く3冠馬の誕生か”とマスコミが騒ぎ立てて必要以上にプレッシャーを感じていた。でも勝てると思ったし、勝つと思っていた。

 過去に3歳牡馬3冠に挑んで敗れた馬はたくさんいるけど、状態面を含めてすべてがうまくいかないとかなり厳しいということなのかな。あの時は場内も騒然としていてメイショウサムソンの3冠をたくさんの人が待ち望んでくれていた。それだけにファンや瀬戸口先生、松本オーナーには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

変調だった3歳秋のメイショウサムソン(右)。3冠を狙った菊花賞は4着に終わった

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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