2021/11/2906:00
連載「守の起源」

【10】1番人気で勝ったダービー。誰もいない内正面で空を見上げ感謝の気持ちを込めた

 2006年、メイショウサムソンで皐月賞を勝って、2冠目の日本ダービーは1番人気で挑むことになった。

 以前から(武)ユタカから「ダービーは1番人気になってこそなんですよ」と言われていた。1冠を取ってのダービー1番人気はファンがその世代で一番強いと認めた馬という意味だったので価値があるということだ。

 でも人気のプレッシャーも当然あった。レース前日の夜は早めに就寝したつもりだったけど、午前3時には目が覚めてそこから一睡もできずにあきらめて起き上がった。

 その週はダービーに騎乗するのがこれが最後かもしれないと思って全てのスポーツ新聞に目を通していて無意識のうちに追い詰められていたのかも。本馬場入場の時に落馬したらどうしよう…なんて、考えなくてもいいことを考え過ぎて余計に硬くなってしまった。それでもサムソンは返し馬で皐月賞と違って手脚が軽くていい感じだった。リラックスしてハミを抜いて走ってくれていたのでレースには自信を持って臨めた。

 毎日杯、青葉賞を離して逃げて連勝…自分の競馬ができれば強いアドマイヤメイン。末脚鋭いドリームパスポートが特に怖かった。

 ただ、ドリームパスポートはきさらぎ賞からずっと騎手が乗り替わっていたのは助かった。こっちはずっとコンビを組んできた信頼関係、そしてサムソンのことはボクが一番分かっているという自負があった。ころころ乗り替わる馬に負けるわけがないという気持ちだった。

 4角では前をいく同期の(柴田)ヨシトミが乗るアドマイヤメインを射程圏に入れてあとは自分のタイミングで追い出した。残り100メートルあたりで前を捕らえると後は必死に追ったつもりだったけど…後でVTRを見るとゴール前では無意識に手綱を緩めていた。ただ、あの時のサムソンならもう一度、並び掛けられても抜かれない自信があった。

 ゴールした瞬間は1番人気、そしてオーナーをはじめ関係者の期待に応えられてホッとしてダービージョッキーになった実感はすぐには湧いてこなかった。ボクは性格的に目立ちたいタイプでもないし、派手なガッツポーズもしなかった。

 ボクはゆっくり馬を止めて、周りに誰もいなくなった向正面で空を見上げてサムソン、そしてこれまでお世話になったたくさんの方へ感謝した。騎手の職業に就いてダービーを勝てたことを誇りに思った瞬間だった。

プレッシャーで眠れなかったダービー。それでもメイショウサムソン(左)は能力全開で2冠を奪取した

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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