2021/12/0606:00
連載「守の起源」

【14】JCで1年5か月ぶりのサムソンの背中に感慨…ファンの大声援にも胸が熱くなった

 2008年ジャパンカップ。もう二度と手綱を取ることがないと思っていたサムソンの背中にはボクがいた。そのときは(武)ユタカが鎖骨骨折で戦線離脱しており、オーナーから「乗ってくれないか」ということで、二つ返事で了承させていただいた。

 凱旋門賞挑戦プランに端を発した乗り替わりに関してボクはまったくわだかまりがなかったから、松本オーナーは再指名してくれたんだと思う。その週の追い切りで1年5か月ぶりにまたがった感触は…すごくドッシリとしていて古馬の風格が出てきたな、もうGⅠタイトルを4つも取ってるんだものな、と久しぶりに味わう背中は感慨深かった。

 トレセンでの取材の多さにもビックリしたけど、当日のパドックでもものすごい声援があった。ボクとのコンビ復活をこれほどまでにファンが待ち望んでいてくれたとは…本当に胸が熱くなった。

 レースはウオッカ、ディープスカイと3世代のダービー馬が揃って超豪華メンバーだったけど、ファンが3番人気に支持してボクとサムソンを後押ししてくれたのがうれしかった。

 レースはスローペースで、瞬発力が試される展開となってサムソンの得意とする馬体を併せて勝負根性をむき出しにする走りをさせてあげられず結果は6着と残念なものになってしまったけど、あの日の大声援は一生忘れることはないだろう。

 有馬記念は再びユタカに手綱が戻ったけど、27回も走って一度もけがすることなく競走生活をまっとうしたのには頭が下がる思いだった。無事にゴール板を過ぎたときにはホッとしてこれまでのサムソンとの思い出が走馬灯のようによみがえった。

 09年1月4日に京都競馬場で松本オーナーの粋な計らいでボク、ユタカの2人でサムソンの引退式に臨んだ。

 ボクはパドックから本馬場への入場までまたがったんだけど、これが最後かと思うと寂しい気持ちになった。結果を出せないとすぐに外国人ジョッキーに乗り替わってしまう時代にあって07年の宝塚記念までずっとコンビを組んで「いぶし銀」「叩き上げ」なんていう言われ方をしたけど、サムソンがボクを成長させてくれたし、人馬ともにここまで歩んでこられたのは、オーナーや関係者の理解があってのもの。

 ジャパンカップでのコンビ再結成のときも思ったけど、つくづくボクは最後まで周りの人たちに恵まれて過ごせて幸せだった。​​​​​​​

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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