2021/11/2906:00
連載「守の起源」

【9】皐月賞Vで22年目にしてG1初勝利 その日はユタカと朝まで飲み明かした

 2006年4月16日、皐月賞。スプリングSを勝ったメイショウサムソンで絶対的な自信を持って臨んだ一戦だったのに…6番人気だった(笑い)。

 まあ、逆に言えばトライアルGⅡの覇者なのにマスコミの取材攻勢もなく、プレッシャーがなく自然体で臨めた。

 あの時は返し馬からサムソンはうなっていて力強かった。状態に関しては言うことがなかったし、レース週の木曜午後に枠順が3枠6番に決まった時点で1角さえ包まれずに行ければ「勝てる」と思った。

 皐月賞はいつも1コーナーに殺到するのでカットされたり、引っ張ったりする不利があるのでそこさえクリアできればと本番へのイメージはすでにできていた。

 ゲートが開いて外は多少ゴチャついていたけど、うまくスタートを切って向正面ではいいポジションが取れた。4角手前ではこれまでで一番というくらいの手応え。有力馬がどの位置にいるのかを確認するために、後ろを振り向くくらいの余裕があった。

 少し仕掛けが早いかなと思ったけど、当日は良発表ながら馬場が重たかったし、この日はこの1鞍しか乗っていなかったけど当日のレース傾向を踏まえて、このタイミングで行っても大丈夫という自信があった。

 外からアドマイヤムーンやフサイチジャンク、内からドリームパスポートが来ているのは分かったけど、4角のあの手応えなら負けないと思っていた。

 ゴール板を先頭で駆け抜けた時は「デビュー22年目にしてようやくGⅠジョッキーの仲間入りができた」という喜びもあったけど、瀬戸口先生や松本オーナーの理解があってコンビを組ませてもらったのでまずは感謝の気持ちが湧いた。そして、これまで頑張ってくれていた厩舎スタッフにもGⅠを勝てたことで少しは恩返しできたのではという安堵感があった。

 レースが終わって引き揚げてきてから場内、検量室で“守コール”が湧き上がったそうだけど、ボクは興奮状態だったのか覚えていないんだよね。検量室では(武)ユタカをはじめいろいろな人が祝福してくれて、自分は本当に先輩や後輩に恵まれた男だとその時実感した。

 その夜は、ユタカのほうから誘ってくれて朝まで飲み明かした。ユタカは自分のことのように喜んでくれた。

 そして、ボクはGⅠジョッキーとして幼い時から抱いていた夢=ダービージョッキーの実現に向かって進んでいく。

メイショウサムソンとのコンビで自信を持って臨んだ皐月賞。半馬身差だったが、内容は圧勝だった

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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