2021/12/0606:00
連載「守の起源」

【15】負けても悔しさが込みあげてこない ダービーを勝った現実は大き過ぎた

 2009年ごろから騎乗数が少なくなってきて週末レースに乗らない日もできてきた。乗ることを控えていたわけではなかったけど、近年は騎乗技術の優れた外国人ジョッキーが短期免許で来日してきているし、40歳を過ぎて依頼が先細りになってきたこともある。

 ダービーを勝ったことで何かそれまであったものが一気に燃え尽きた感じもあって、そのあたりから徐々に騎手から調教師への転身を考えるようになった。

 調教師試験は11年から受けたんだけど、今振り返るとダービーを勝った直後くらいから騎手としての未練はなくなっていっていたのかもしれない。ダービーを勝ったということで燃え尽き症候群というか、虚脱感があったというのか、ほかのレースで負けたとしても悔しさが込み上げてこなくなった。

 メイショウサムソンの3冠がかかった菊花賞(4着)、凱旋門賞での(武)ユタカへの乗り替わりも、なぜか悔しいと思わなかったのもダービーが終着点になってしまって、自分自身で「ダービージョッキー」という肩書に満足してしまったからかもしれない。やはりダービーを勝ったという現実が大き過ぎたということ。騎手として、勝負師としての気持ちはなくなっていた。

 そんな中、昨年12月に調教師試験に合格できた。騎手時代と違って治療に関する薬の知識など覚えることはたくさんあったけど、今度は「トレーナーになってダービーを取るんだ」という目標ができたせいか、2回目の試験で合格することができた。来年3月の開業に備えて、今年2月に28年の騎手生活に別れを告げた。

 現役最後の騎乗馬は最も縁があったメイショウの冠メイショウカルロ(2月24日=阪神1000万下・14着)。サムソンと同じ勝負服で花道を飾らせてあげようとしてくださったオーナーの人柄や優しさを感じずにはいられなかった。

 最後のレースには尊敬する河内さんからいただいた鞍でレースに挑んだ。河内さんの鞍を着けたスプリングSから3連勝でダービーを制覇したし、後輩のユタカは皐月賞、ダービーの後に翌朝まで飲み明かして喜びをともにしてくれた。本当に先輩や後輩の存在はありがたかった。

 2月24日の引退式もユタカが率先していろいろやってくれたし、松本オーナーも駆けつけてくださった。周囲の人たちにただただ感謝するだけだった。

引退式で胴上げされる石橋守騎手。周囲のサポートに感謝の一日だった

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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