2021/11/2206:00
連載「守の起源」

【7】メイショウサムソンに初めてまたがった時は〝運命的な出会い〟とは思わなかった

 ボクの騎手人生でかけがえのない存在は、メイショウサムソン。これも縁が結んでくれた一頭だった。

 2005年7月の2歳新馬戦(小倉芝1800メートル)は当初、福永(祐一)君が騎乗予定だったけど、その日は関屋記念のサイドワインダーの騎乗があって鞍上が空いていた。まず先に(武)ユタカにオファーしたけど、他厩舎の先約があって断られたみたいだった。小倉に滞在していて普段から瀬戸口厩舎の馬の調教を手伝っていることもあって先生からボクに「守、乗るか?」と声をかけてもらったのがコンビ結成の経緯なんだ。

 デビュー前には西谷君や上野君も乗っていた馬だったから、初めてまたがった時の記憶はまるでないんだよね(笑い)。新馬戦に乗るのが決まったのが2週前だったかな。レース直前の追い切りに2週続けて乗ったんだけど、当週の小倉では本馬場での感触がダートより良かった。それで、滞在していた記者には「これまで稽古の時計は出ていないけど、芝に替わって面白いんじゃないかな」ということをコメントした記憶はあった。でも全体的に緩くて良くなるのはもっと先だと思っていた。

 実際デビュー戦は2着。よく走ったな、というのが本音だった。時を同じくして瀬戸口厩舎から大物と称されたマルカシェンク(※注)が出てきたので、福永君がそちらの主戦を務めることになった。それで、ボクとサムソンのコンビが継続されていったんじゃないのかな。でもその時はこの馬と運命的な出会い、とは夢にも思わなかった。思い出すのは使うごとに素軽さが出て緩さがなくなっていったこと。確かにこれには驚いた。

 3戦目で未勝利を脱出してくれて、オープン特別の野路菊Sを勝って、11月の東スポ杯2歳Sでフサイチリシャールの2着に来たでしょ。この時点で賞金面に余裕ができたので“来年は40歳になるけど、久しぶりにクラシックに乗れるな。ダービーにも騎乗できそう”というのが素直な気持ちだった。

 暮れの中京2歳Sをレコードで勝った時に“ダービーが見えた”みたいなことを書いた新聞記事を目にしたことがあったけど、その時点でボクはサムソンの大きな可能性をまだ感じていなかった。それを一気に確信に変えてくれたのが、翌年のスプリングSの勝利だった。

 ※注 マルカシェンクはサンデーサイレンス産駒の良血牡馬。新馬、GⅡデイリー杯2歳S、京都2歳Sと無傷の3連勝を飾り、クラシック戦線に名乗りを上げた。以後は脚部不安を発症して休養。翌年ひと叩きして臨んだダービーは4着に終わった。

05年秋の東スポ杯2歳Sで2着。メイショウサムソン=石橋守コンビ(左)にクラシックの希望の光がともった

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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