2021/11/2206:00
連載「守の起源」

【5】ミスタースペインとのコンビで重賞初Ⅴレース前に言われた河内さんの〝金言〟

 栗東トレセンは数年前に厩舎が老朽化して改築工事が行われた。そのため元の位置から変わってしまったけど、ボクが所属していた境直行厩舎の隣に橋口厩舎があった。

 ミスタースペインは当時、田島信行さん(現調教助手)のお手馬だったけど、1991年の同じ日(2月10日)に小倉で行われるレース(萌黄賞)のツルマルモチオーに騎乗することになって、鞍上が空いた。そこで橋口先生のほうから「境さんところの兄ちゃん、空いてるか?」と声をかけてもらって、GⅢきさらぎ賞(京都)への騎乗が決まった。

 今の時代は有力馬への乗り替わりはほとんどがリーディングトップや外国人同士になっているので、だいぶ様相が違う。境先生と橋口先生の関係でコンビを組ませてもらえたのだから、人とのつながりや縁をすごく感じた。しかもその時、田島さんが乗りに行ったツルマルモチオーでダービーに初挑戦(91年17着)できた。ミスタースペイン、境先生と橋口先生の存在がなかったら実現できなかったことなので、常に感謝の気持ちを忘れないでいたいんだ。

 ミスタースペインはきさらぎ賞で2着してからはほとんどコンビを組ませてもらって、翌年の京阪杯でボク自身初となる重賞勝ちをさせてもらった。

 京阪杯の前に尊敬する河内さん(洋現調教師)に「どうやったら勝てますか?」って聞いたら「自信持って乗ったら結果は出るやろ」と言われたのを鮮明に覚えている。

 河内さんは今でも尊敬していて、ご自身が引退される時に後輩騎手たちが河内さんの鞍やムチを欲しいと申し出たんだけど、「これは守にやるからゴメンな」と言ったみたい。それを人づてに聞いてすごくうれしかった。4つほど河内さんから鞍をもらったんだけど、2冠を達成した時(2006年メイショウサムソン)の鞍は河内さんから頂いたものだった。(武)ユタカなんかは30個くらい鞍を持っているみたいだけどね。

 メイショウサムソンは河内さんから頂いた鞍のハマリ方がピッタリ。スプリングSから使用し始めてボクが最後に騎乗するジャパンC(08年)までずっと使わせてもらった。書きやすいペンと一緒で、あの鞍のおかげですごく操縦しやすくなったんだ。河内さんはこういう場でも自分の話が出るのを嫌う人だからこれ以上は触れられないけど、尊敬する先輩の後押しで取れた2冠だと思っている。

ミスタースペインとのコンビでは、京阪杯のほかに92年のGⅡ高松宮杯(芝2000メートル)も勝った

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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