2021/11/1506:00
連載「守の起源」

【4】無我夢中に迫ったデビュー戦で初勝利境先生の期待に何とか応えたかった

 3年間の競馬学校での生活を経て、ボクは85年3月にデビューを迎えた。

 当時はまだ競馬がそれほど認知されていない時代で、華やかなイメージはなかったね。2年後に(武)ユタカが出現してきてからは若い女性が多く競馬場に足を運んでくれたし、バブル全盛で景気も良くて年々お客さんが増えて、レースも盛り上がってボクたち騎手もだんだんと脚光を浴びるようになっていった。

 師匠としてボクを迎え入れてくれたのは境直行先生(※注)。あまり多くを語る人ではなくて“オレの背中を見て何かを感じ取ってほしい”というタイプのトレーナーだった。

 レースでも朝の調教でもとにかく出遅れするな、が口癖だったかな。さすがに朝の調教に2日続けて出遅れたときは怒られたけどね(笑い)。

 競馬学校の3年間でそんなに自信を持ったわけではなかったので、デビューにあたっては不安のほうが大きかった。デビュー戦は今でもよく覚えている。

 境先生が“勝てる馬を守に乗せたい”ということで短距離戦を中心に使ってずっと上位争いをしていたカンキョウツバメという馬を用意してくれていた。レース前に師匠から言われたのはたったひと言。
「先輩の邪魔をしないで回ってこい」

 短いところを使っていたので道中は楽に先手が取れた。直線はもう無我夢中に追って先頭でゴールを駆け抜けた。

 最近、初勝利のビデオを見る機会があったんだけど、あんなに外を回して追い方もバラバラ。あんなのでよく勝ったな、と思って恥ずかしくなったよ。でもこの1勝で何とかこの世界でやっていけるのではないかな?と少し自信がついたのも事実。境先生やスタッフがデビュー戦を何としても勝たせてあげたいという気持ちが伝わってきたし、あの時の感謝は今でも忘れない。

 ボクはこの年25勝を挙げて新人賞を獲得したけど、そこからは毎年20勝ずつくらいで、成績は伸び悩んだ。90年代に入るころには同期の(柴田)ヨシトミとの差は徐々に開いていった(柴田善は80年代にJRA重賞6勝)けど、あまり焦りはなかった。そんな中でめぐり合ったのが、ミスタースペイン。これも“縁”が結んでくれた1頭だった。

※注 境直行調教師は1944年生まれの68歳。騎手(JRA160勝)を経て、81年に調教師免許取得。83年開業。87年の安田記念など、JRA重賞計5勝を挙げたフレッシュボイスで有名。

再浮上のきっかけを作ってくれたミスタースペイン(写真は92年京阪杯優勝時)

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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