2021/11/1506:00
連載「守の起源」

【3】何度も〝脱走〟試みた競馬学校時代そんな中起こった衝撃の出来事

 ボクが騎手の門を叩いたのが82年4月。この年から馬事公苑(東京都世田谷区)での2年間の研修システムがなくなって、千葉県の白井に競馬学校(※注)が開校された時期だった。

 騎手課程第1期生として正式にサークル入りしたわけだけど、「乗馬は学校に入るまで習わないほうがいい」という親父の教えもあったので期待よりも不安のほうが大きかったかな。

 同期には栗東中学の同級生だった須貝尚介(現調教師)や、柴田善臣がいた。ヨシトミは入学当時から達者だった記憶が鮮明に残っている。だからまだ現役で頑張っているんだろうね(笑い)。彼とは後々、ダービー(06年石橋メイショウサムソン、柴田アドマイヤメイン)でシノギを削ることになるんだからこの時の出会いも忘れられないものがある。

 学校生活は正直言ってスポーツ少年団時代の水泳練習のほうが苦しかったので、それほどきつくは感じなかった。でも、校則が厳しくてジュース1本も飲ませてくれない時代。今だから言える話だけど、何度も皆で脱走を試みようとした。すべて未遂に終わってしまったけどね(笑い)。

 馬乗りに関しては、経験がなかったので初めて速いキャンターに行った時はまったく御せなかったのをよく覚えている。このままでは…という焦りもあったが、一つひとつの課題をクリアして、ゆっくりではあるけど、我慢強く着実にレベルアップしたいと考えていた。

 教官はヨシトミの技術は褒めていたけど、ボクの名前は…石橋の「い」の字も出てこなかった。1つ下の世代に(横山)典や(松永)幹夫がいたから、余計にボクの存在感は薄かったのかもしれないね。

 ある時、競馬学校の厩舎実習中に今でも忘れられない出来事が起きた。

 ボクが騎乗していた馬が調教中に故障してすぐに安楽死処分が取られた。担当の厩務員さんが泣き崩れる姿を見た時、ボクも自然ともらい泣きしてしまった。その厩務員さんは入ってきたばかりの新人で、その時に命の大事さや尊さ、1頭の競走馬に携わる人間の思いをすごく感じた。

 だからそれ以降、馬に関することでボクは人前で涙を見せずに、より馬への感謝、愛情を持って接しようと心に決めた。

 後々の騎手人生において若いうちにこういう経験ができたのはやはり大きかった。

※注 千葉県白井市にある競馬学校はJRAの騎手・厩務員を育成するために作られた教育施設。騎手課程は3年、厩務員課程は半年で卒業となる。全寮制。

同期では最初から目立っていた柴田善

☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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