2021/11/1506:00
連載「守の起源」

【1】不思議な縁でつながった騎手生活にピリオド…調教師として新たな夢へ

 騎手として2006年にメイショウサムソンで3歳牡馬2冠を制した石橋守調教師。当時感じたクラシックの重圧、厩舎開業への備えと開業後の夢…苦労人が自らの起源と進化を語った。

 昨年12月に念願だった調教師試験に合格。ボクは今年2月いっぱいでむちを置いて、28年に及ぶ騎手生活に幕を下ろした。

 騎手としてそれほど皆さんの印象に残るような活躍はなかったかもしれないけど、デビュー22年目、不惑を迎える年の06年にメイショウサムソンとのコンビで皐月賞、ダービーのクラシック2冠を達成できた。菊花賞は4着に負けて前年のディープインパクトに続く牡馬クラシック3冠の夢は果たせなかったけど、当然ながらこの年は思い出深いものがある。

 ダービーといえば、日本競馬の最高峰に位置するレース。2つ後輩でかわいがっている(武)ユタカに「皐月賞を勝ってさらにダービーを1番人気で勝つことに価値があるんですよ」とよく言われていたけど、それをサムソンが現実のものにしてくれたのは騎手冥利に尽きると思っている。

 先月末に行われた第80回ダービーはご存じのようにキズナが勝ったけど、あれはユタカじゃなかったら届いていなかった。

 4コーナーで前との差がかなりあったし、ジョッキー心理とすれば早めに動きたいところ。それでもユタカはキズナを信じて直線まで追いだしを我慢して最後は測ったかのように差し切ったからね。彼はダービーで5勝しているように勝ち方を熟知している。乗り替わりの最初の2戦は結果を出せなかったけど、一戦ごとにキズナとの信頼関係を築いていったのがボクが見ていても分かった。それだけに、今年のダービーは例年以上に感動させられた。

「ダービーは一度勝ったらいつ辞めてもいい」「一度勝ったらまた勝ちたい」

 いろいろな騎手がいろいろな表現をするけど、どれもまさしくその通りだと思う。

 これからは調教師として馬を送り出すという立場になるけど、次なる目標は「調教師としてもダービーを取る」こと。騎手、調教師でこの偉業を達成したのは過去に3人(大久保房松、二本柳俊夫、橋本輝雄氏)だけみたい。ボクは今、新たな夢へ向かってスタートを切るところだ。

 これまでを振り返ると、たくさんの方々の支えや出会いがあって恵まれた騎手人生だったと思う。現役最後の騎乗馬(メイショウカルロ=2月24日の阪神1000万下14着)は騎手時代にもっとも懇意にさせていただいた松本好雄オーナーの所有馬。幼少期の遊び友達の弟が武豊であったり、ボクの人生の節目となる出来事には必ずと言っていいほど不思議な“縁”を感じずにはいられなかった。ボクの騎手人生を順を追って振り返っていきたい。

かわいがってきた後輩・武豊だからこそ勝てた日本ダービーのキズナ

 ☆いしばし・まもる 1966年10月23日、福岡県生まれ。82年に騎手課程第1期生として競馬学校へ入学。85年3月に栗東・境直行厩舎所属でデビュー。同年3月3日の阪神競馬で初騎乗初勝利を達成。この年に25勝を挙げ最優秀新人賞を獲得した。初重賞勝ちは92年京阪杯(ミスタースペイン)。96年にはライブリマウントとのコンビで第1回ドバイワールドCに挑戦。2006年皐月賞をメイショウサムソンで制してGⅠ初勝利を果たし、同年のダービーにも優勝して2冠獲得。13年に調教師免許を取得して騎手を引退。JRA通算成績は473勝で、重賞勝ちは15。

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この記事を書いた記者

東スポ競馬編集部
東スポ競馬編集部

 アナログでの紙面制作に携わり続けるも、突然のWeb編集部への転向で進化したデジタル世界を知りおったまげる。読者の方々にどうやったら喜んでもらえるか日々悩みながら「明るく楽しく、やるときはやる」をモットーに奮闘中。引き出しにはお菓子が欠かせない。

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