1991年にカナダ・サスカチュワン州で発見されたティランノサウルスの骨格がようやく公開される(2019年5月)。化石は硬い砂岩の中にあり、発掘して組み立てるまでに10年以上の歳月を要した。
スコッティと名付けられたこの6600万年前のT-Rexは全長12.8mもあり、しかも他の標本よりもがっちりしているという。
スコッティは30代前半に死んだとみられており、戦いの傷跡から生き抜くことがいかに難しかったかが見て取れる。顎の部分に感染が認められたほか、肋骨は骨折し、尾には他のT-Rexに噛まれたような跡があるという(CNN)。
最大の肉食恐竜としてつとに有名なティランノサウルス Tyrannosaurus rex は(近年アルゼンチンで発見されたギガノトサウルスの方が大きいとも言われるが)、比較的最近まで、良く知られている割には標本は多くなかった。
1902年と1907年にバーナム・ブラウンがモンタナで発見した骨格(ほぼ50%完全)が代表的な標本だった。これら2体はニューヨークのアメリカ自然史博物館で展示(1頭は倉庫に保存)されていたが、1940年にヨーロッパで第2次世界大戦が始まると、ドイツ軍の爆撃によって貴重な標本が失われることをおそれ、先に発見された方(倉庫にしまわれていた方)はピッツバーグのカーネギー博物館に売却され、そこで初めて日の目を見ることになった。今もそこにある。
長い間強い影響力を持っていたブラウンの標本は全長14.3m、高さ5.5m。体をまっすぐに起こし長い尾を引きずった動きの遅い恐竜というイメージを与え続けてきた。
アメリカ自然史博物館のオズボーンは当初、2頭のティランノサウルスが獲物を奪い合っているシーンを作ることを想定していたが、このようなバランスの悪い姿勢をとらせることは不可能とわかり断念した。
恐竜の足跡の化石は多数見つかっているが、尾を引きずった跡は、最も初期のもののいくつかにしかみられない。これはほとんどの恐竜が尾を引きずらずに、持ち上げていたことを暗に示している(ジョン・R・ホーナー、1993)。動いている時はともかく、ジッとしている時はティランノサウルスも体をまっすぐに近くして、尾を垂らした所謂ゴジラスタイルをとっていたのではないかと考えてみたのだが、この点についてもホーナーは、少なくともちょっとの間なら、ティランノサウルスは尾を着いて背中を立てることもできたかもしれないが、どの姿勢が最も自然かというと、体を前に倒したスタイルだという。
1970年に B. Newman はアメリカ自然史博物館の標本から尾骨を53個から37個に減らした全長10.7m、高さ3.5mの復元を提唱した。体は前傾姿勢で、後足を鳥のように動かし、尾を持ち上げてぴんと伸ばしたより活発なイメージを与えた。これ以降、尾を引きずらない姿の復元が主流になる。アメリカ自然史博物館の標本も1994年にリニューアルされ、頭を下げ、背中を水平にして歩くスタイルに変更されている↓
年 | 収 穫 | 発見者 | 備 考 |
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1966 | 1.5m近い頭骨と幾つかの骨(60%) | ハーリー・ガルバーニ | ロサンゼルス郡自然史博物館 |
1977 | 大きな上顎骨と幾つかの骨 | ハーリー・ガルバーニ | ロサンゼルス郡自然史博物館 |
1981 | 骨盤、肢、背骨など(30%) | ロイヤル・ティレル古生物学博物館(アルバータ、カナダ) | |
1981 | 1.5m近い頭骨など全身骨格 マンガンのため黒に変色 | 3人の高校生 (アルバータ) | ロイヤル・ティレル博物館 |
1987 | ほぼ全身の骨(67%) | スタン・サクリソン (サウスダコタ) | ブラックヒルズ研究所 |
1988 | 1.4mの頭骨など全身骨格(90%) | キャシー・ウォンケル (モンタナ) | ロッキーズ博物館 |
1990 | 1.5mの頭骨など全身骨格(90%) | スーザン・ヘンドリックス (サウスダコタ) | シカゴ・フィールド自然史博物館 |
ティランノサウルスは、これまで想定されていたよりも大型で、成長も速かったとする研究結果が、2011年10月に発表された。5体の骨格標本にデジタル処理で肉付けし、ティランノサウルスはこれまでの推定より最大30%大きかったことがわかったという。最大標本-フィールド博物館のスーは全長13m、体重は約6トン半と推定されていたが、この手法によれば9トンもあった(AFPBB)。
これでT.レックスが再び最大の肉食恐竜の地位に戻るのか。ライバルたちの骨格標本でもこの3Dのレーザースキャンを行い、デジタル模型を作成してみるまで即断ははばかられる。
ティランノサウルスが生きた動物を狩る捕食者だったのか、死体を食べるスカベンジャーだったのかはいまだに議論が続いている。
カンザス大学の古生物学者、デービッド・バーナムらによれば、草食恐竜ハドロサウルスの尾の部分に、Tレックスの歯が埋まった化石が見つかっている。これはハドロサウルスがTレックスにかまれながらも逃げ出し、その後も骨が治るまで数年間生き続けたことを示している(CNN)。
※ テタヌラ さん、Yamadaさんから知らせていただきました。
ティランノサウルスはどのようにして獲物を狩ったのだろう? そこで問題になるのが走る速さである。絶滅した動物の走行速度を算出するのはかなり難しい。研究者たちはティランノサウルスの後脚の筋肉をコンピュータ上で再現し、試算した。多くの研究がはじき出した数字は時速18~40kmだった。決して俊足とはいえない。
近年になって、走行速度を計算するには後脚だけでなく、尾の筋肉も考慮する必要があると指摘された。まだ具体的なスピードは算出されていないが、ティランノサウルスの走る速さはこれまでの想定より速くなるだろう(恐竜ビジュアル大図鑑)。
ワイオミング、グレンロック古生物博物館の Robert T. Bakker はティランノサウルスを地獄から来た4.5トンのロードランナーと表現した。温血で俊足の恐竜という新しいイメージを一般に広めた Bakker はティランノサウルスが時速65kmで走れたとの結論を出したが、これは極端だろう。
コペンハーゲン大学の Per Christiansen は四肢骨の長さの比率からティランノサウルスは時速47kmで走れたと推定している。
テキサスで発見された俊足の恐竜(おそらくオルニトミムス科)の足跡を計測したジム・ファーローは、それが現在の走鳥類の足跡ときわめて似ていることに気づいた。彼はティランノサウルスが時速40kmで走れたと推定している。
ティランノサウルスの脳は恐竜では最大であり。鳥類ほどの学習能力は持っていたと考えられている。
嗅覚をつかさどる部分も大きく(脳容積の半分を占めるといわれる)、イヌより鋭い嗅覚を持ち、獲物を認識、区別、追跡するのに非常に役立ったであろう。慣性能率を高め敏捷性を増したと思われる長い尾やはさみのような動きと衝撃を吸収する力をあわせもつ頭骨など狩りに適した能力と活動性を持っていたようだ(恐竜博2004)。
↑スーザン・ヘンドリックスが1990年にサウスダコタで発見した骨格。恐竜博2005で日本初公開。全長12.8m、高さ4m(フィールド博物館)
デンバー自然史博物館の Kenneth Carpenter はティランノサウルスに襲われたと見られるエドモントサウルスの成体の例を挙げている。その尾の骨は何ヵ所か骨折していたが、傷は治癒していた。
1997年、モンタナで発見された成体のトリケラトプスの頭骨には数カ所の傷跡があった。それはティランノサウルスによって付けられたものだという。重要なことはその傷を負ってからもトリケラトプスは数年間は生存していた、つまりティランノサウルスに襲われながらも生き延びていたことで、これはティランノサウルスが死体に付けた傷ではなく、攻撃者であったことを示している(gradewinner)。
トリケラトプスの頭骨には稀にティランノサウルスによってつけられたと思われる噛み痕が残っている。ティランノサウルスがトリケラトプスを捕食していたことは間違いなさそうである。モンタナ州のヘルクリーク層から発見された、ティランノサウルスの歯型が付いた18体のトリケラトプスをもとに、どのようにしてトリケラトプスが食べられたのかを推測する研究がおこなわれた。
フリルに残された歯形から、ティランノサウルスがトリケラトプスのフリルを咥えて、強引に引きちぎっていたらしい。また頭骨の後の首と関節する場所にも歯型が多く残されていたことから、ティランノサウルスは、トリケラトプスの頭を引きちぎった後、頭の裏側の肉も食べていたことが示された(大阪自然史博物館・特別展2014・トリケラトプス)。