私は技術職の人間であり、つまるところ専門は自然科学や応用化学の分野が主となります。趣味は人文科学と社会科学の勉強です・・・それってどうなんでしょうね、色々な意味で。
そんな技術屋/工学屋の視点から経済学に関する違和感をちょっと語ってみます。
違和感の存在
社会科学、特に経済学の本を読んでいると顕著に感じるのですが、論拠を人に頼っているところに自然科学を学んできた人間としては違和感を感じます。自然科学でも理論や法則の発見者は誰々だという記録は残っていますが、その理論や法則の論拠は観察やその後の研究によって実験的に証明された結果正しいだろうと判定されます。元の理論を誰が発見したかは論拠にはなりません。確かに過去にはアリストテレス先生が言っていたから正しいというような人に論拠を頼っていた時代もありますが、17世紀の科学革命以降は主に観察と実験による証明が自然科学の論拠です。
哲学や宗教学であれば”誰が何をどう考えたか、私や貴方はどう考えるか”という思想・推論の学問ですので、論拠は人が主軸になります。法学や社会学も人の社会における規律や動向を学ぶ学問ですので人が主軸であることに違和感はありません。
経済学は非常に中途半端な位置にいるような気がします。数式を用いて経済を定式化しようとするところは自然科学に近い行いですが、しかしその証明方法は人文科学・社会科学の方法を用いています。「この理論は誰々が言っていた」「○○教授曰く、このような市況では政府はこうすべきだ」のように論拠は人が主軸であり、まるで哲学を学んでいるような気分になるのです。数式のような自然科学的な手法を用いるのであればその理論・数式の根拠は観察と実験によって証明すべきではないでしょうか。いや、もちろん経済学は社会科学であり実験は容易ではないことは分かるのですが、どうにも違和感を感じます。
経済学に求めること
そもそも経済学は自然科学的な手法を用いる必要なんてないような気がします。それこそ歴史学のように現実に起きている事象を分類・説明することに特化したほうがその特色を生かしやすいのではないでしょうか。経済学がやっていることは過去の事象を収集・分析してその説明を付けることであり、まさに歴史学と同じです。自然科学は事象を数式化して未来を含めた一般則を見出すことを目的としていますが、歴史学は人類の歴史を総合し、叙述して編纂することが目的です。歴史学は人類の未来がどうなるかを語る学問ではありません。経済学も無理に当たらない未来予測なんかしていないで歴史学のような学問になったほうが良いと思う次第です。学者の論争の種ではありますが、別に自然科学が偉いわけでもありませんし。