①市町村職員給与を地元中小企業の正社員給与と同等とする条例案
繰り返して言っておきますが、ここで問題としているのは市町村職員であり、兵士、警察、消防士、教師は除きます。
ここで問題とすべきは住民と共にあるはずの市町村職員であって、市町村職員以外の公職にある者に住民の貧困化の責任を問う必要はないからです。
市町村職員にどのような罪があるか説明します。
市町村職員は公共事業に反対します。なぜなら、例えば、何十キロにも及ぶ水道管取替え工事を行って市町村の資金がなくなったときに、財源はもはや、高すぎる市町村職員にしかないということに気が付くからです。
また、なお、性質の悪いことに、財政が悪化して高すぎる市町村職員に言及されないように、市町村の財政を悪化させるという理由で、民間に対する福祉や教育に対する補助金を削ろうとします。事実、削られています。
このように、市町村職員は、自己の待遇を守ろうとする心理から、住民を犠牲にしようとし、自治体の中央政府に向けられるべき緊縮財政政策すなわち地方窮乏化政策に対する「異議申立」を妨害するように働きます。
ある自治体の首長が中央政府に対して、防災工事などについて、もはや地方負担金を支出する資金が無いので、全額国庫負担をしてくれと要望した場合、必ず、自治体は、中央政府から、まず自分たちが経費節減の努力をして資金を工面しろと言われます。
その経費節減とは市町村職員の削減のことです。自治体は職員にそれほどの高額報酬を支払う「余裕」があるのに、カネが足りないというのは矛盾しているというわけです。
だから、地方自治体が中央政府に減税や所得再分配政策を要求するときは自分自身にやましいものが無いようにしておかなければなりません。職員の高い給与はまさにやましい弱点なのです。中央政府はそれを良く判っています。
したがって、地方自治体の異議申立機能を取り戻す方法は、まさに、市町村職員から地元中小企業の2倍も高い給与という特別待遇を取り上げるしかありません。
それでは生活がきつくなると言うかも知れませんが、すでに住民は低い所得水準で生活しています。
市町村職員の給与の基準を地元中小企業の正社員給与と同等とすれば、もはや、地方自治体は誰にも文句を言われないきれいな身体となりますから、中央政府に対して、堂々と地方への減税や所得再分配を要求することが出来ます。
また、市町村職員の給与の基準を地元中小企業の正社員給与と同等とすることで、市町村職員は地方の住民の所得水準に関心を持つようになります。
なぜなら、その場合、地方の住民の所得水準を高めることが、自分自身が豊かになる唯一の方法となるからです。
そうすることによって、ようやく、市町村職員に、住民と共に歩もうとする意識が生まれます。
市町村職員が地方の住民の所得水準に関心を持つことは、政治家に対しても大きな圧力となり、政治家の行動に影響を与えます。
市町村職員の待遇を地域住民の水準に揃えると言えば、これを聞いた市町村職員は全員が心から激怒するでしょう。なにしろ、みじめな住民と同じ境遇にまで引きずり下ろされるのですから。
しかし、日本国民が平等の実現や経済の成長のために当然あるべきメカニズムを取り返すためには、この市町村職員を激怒させる過程が絶対に必要なのです。
念のために言っておきますが、今の市町村職員と仲良くしながら、市町村職員給与の減額を回避して、民間の給与を上げれば良いというバカ者がいますが、市町村職員自身が特権階級として、民間給与を上げるための政策にことごとく反対する尖兵となっているのですから、市町村職員をそのままにしていては、絶対に民間給与を上げることは出来ません。
はっきり言ってしまえば、民間の給与が上がらないのは、市町村職員が自分たちの給与の高さを守るために、民間の給与を上げるための積極的な財政政策を妨害しているからです。
これまで、中央政府が間違った制度作りをし、市町村職員にそれに協力させるために、市町村職員にあるべきでない待遇を与えて手なずけていたのですから、正しいメカニズムを取り返すための最初の反撃として、市町村職員の民間経済から隔絶した特権を取り上げるのは、あまりにも当然のことです。
そのときの軋みが、それをやろうとした政治家が市町村職員から憎まれ、嫌がらせを受け、政治的・社会的に抹殺されかねないというリスクなのです。
では、地元の住民は国家に向けてクーデターでも起こさなければ市町村職員のそうした待遇を取り上げることは出来ないのでしょうか。
いや、クーデターなどと大げさなことを言わなくても簡単に出来ることがあります。地元の市議会の中だけで市議会議員が決心すれば今すぐにでもできることです。
すなわち、市議会で職員給与について二つの附則を決めれば良いのです。これで目的のほとんどは達成出来ます。
『地方公務員法(昭和二十五年十二月十三日法律第二百六十一号)
第四節 給与、勤務時間その他の勤務条件
第二十四条
3.職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない。』
において、条例によって附則として次の2項を付与すれば良いのです。
(1)「民間事業の従事者の給与」については、「地元中小企業正社員給与」を適用する。
(2)「国及び他の地方公共団体の職員給与」が「地元中小企業正社員給与」と乖離する場合は、「地元中小企業正社員給与」を優先する。
たった、この二つです。
これで、全国の市町村職員に激震が走ります。おそらく、あらゆる住民に対するエリート意識が音を立てて崩れ去るでしょう。
しかし、これで、市町村職員は、深層に持っている中央政府に対する卑屈な心も洗い流され、市町村職員としての本当のプライドを取り戻すことが出来ます。
この条令の新設で始めて、市町村職員も住民と同じ生活観および世界観を共有するようになります。
すなわち、市町村職員も住民と同じ境遇を運命付けられることで、住民の無知に付け込んで特権階級で居続けようとする欲望をあきらめて、住民の境遇を決定する中央政府の財政政策、金融政策、そして、それからもたらされる地方の景気動向に関心を持たざるを得なくなるのです。
ただし、急激に市町村職員の650万円の所得を民間の350万円の所得にまで減額することは現実的ではありません。
市町村職員は現状の所得水準で中流階級の生活をしており、子共を高い私立学校に入れ、マイホームの住宅ローンを払っています。それを、いきなり破壊することはいくらなんでも出来ません。そこで、長期的なスパンで徐々に地元の民間給与水準に合わせて行く以外ないものと思われます。
例えば、長期的なスパンとして10年を想定して、1年目は前年度の職員給与と地元中小企業正社員給与の差額(以下、差額と呼ぶ)の10分の1を減額する。以下、2年目は差額の9分の1を、3年目は差額の8分の1を、4年目は差額の7分の1を、5年目は差額の6分の1を、6年目は差額の5分の1を、7年目は差額の4分の1を、8年目は差額の3分の1を、9年目は差額の2分の1を、10年目は差額の全額を減額して行き、このように10年目に両者の給与水準を一致させるという方法であれば、市町村職員も10年計画で新しい所得水準の生活へ適応することが出来るでしょう。
住宅ローンが残っていれば、妻を働きに出さなければならなくなるでしょうが、民間はすでに夫だけの収入ではやって行けず、妻を働きに出しています。そうしなければ、生きて行けないからです。
楽な仕事と高い給与でのほほんとしている市町村職員がその境遇に落とされれば、それでようやく、住民と運命を共にするという意味が理解できるようになり、日本の真の姿を理解できるようになるでしょう。
ただし、数年以内に地元中小企業正社員給与が現在の市町村職員並みに上がれば、つまりインフレになれば、市町村職員給与はそこから先は下げなくても良くなります。
この条例の施行による混乱は、1年程度は続くかも知れませんが、2年目からは市町村職員も市民と苦楽を共にする覚悟を決め、新しい体制の一員になります。
市町村職員は、むしろ、座して自分の給与が下がるのを待つのでなく、地元中小企業の正社員給与を引き上げようとあらゆる努力をするでしょう。それが景気回復を政策的に実現させ、実際、10年を待たずして景気は回復するでしょう。
そうなれば、むしろ、民間給与が上がって行くようなら、市町村職員給与も地元中小企業の正社員給与の上昇と共に難なく給与を上げることが出来るのですから、「市町村職員給与を地元中小企業給与水準に合わせる」という基準作りは市町村職員にとっても悪いことではないはずです。
また、若い市町村職員はもともと給与が安いので、こうした減額方法が実施されてもほとんど影響を受けないものと思われます。影響が存在するのは中間管理職以上に限られるでしょう。
しかし、それでもなお、市町村職員には様々な保障を伴う安定性というメリットは残りますから何も心配してやる必要はありません。民間では、有能でも低賃金労働に従事している者は多く、年収300万円でも市町村職員になりたい者は山ほどいます。
今まさに、市町村職員給与を下げ、住民との階級分裂を終わらせるべき時でもあります。
これが政府の緊縮政策およびその路線維持のための住民と市町村職員を反目させる階級的分断工作に対して、住民が生き抜くための(おそらく唯一の)答えとなるはずです。
一つの地方でこの小さな変革が起これば全国の自治体に波及するでしょう。そして、全国の自治体の市町村職員が地方住民の立場で考えるようになります。
市町村職員が地方住民の立場で考えるようになれば、地方の首長や議員もまた地方住民の立場で考えるようになります。それほど市町村職員の力は強いのです。
そして、はじめて、本当の意味における地方創生が始まり、日本全体の低所得者たちが未来に希望を持つことが出来るようになります。それはすなわち、ようやく、日本がまともな国への歩みを始めるということでもあります。