貨車解結通知書の内容を読み取れないと、貨物列車の車掌業務は務まらないものでしたが、今回は内容にはあまり触れず、用途と様式のみにとどめてご紹介します。
貨車解結通知書は、「組成駅又は始発駅の駅長が、その列車の出発時の組成内容及び途中駅における貨車の解結車数を明らかにするために作成」するもので、その列車の列車掛と機関士に交付される書類でした。
組成駅とは、「列車の組成及び分解、貨車連結順序の整正並びに中間駅発着貨車の連結解放手配を行う駅」のことで、操車場や比較的規模が大きい駅が指定されていました。中間駅は組成駅に連結車数を申し込み、組成駅ではそれを取りまとめ、貨車解結通知書を作成していたのです。貨車解結通知書は列車掛と機関士が使用しますが、駅の控え片も含め複写で作成されました。
駅から交付された貨車解結通知書は、列車掛が受け取り、機関士に渡していました。
機関士に貨車解結通知書を渡そうとしているところで、その人物は私本人です。
貨車解結通知書というのは正式名称ですが、現場では単に「解結通知書」とか略号「カケツ」という呼び方をしていました。貨物列車に乗務する「列車掛」は、中間駅で連結解放をするたび、その実績を書き込み、編成の重量や長さの管理をしました。
機関士は私ども列車掛が算出した数値(実現車数・延長現車・換算両数)をもとにして運転しました。そして列車掛又は機関士が乗継になる場合には、原則として次の組成駅まで乗り継いだ乗務員に引き継がれました。
「列車掛」については、
【3】貨物列車
で、その仕事について触れています。
「貨車解結通知書」と、そこに書かれている内容などについては、
【33】列車掛3:その仕事の概要は…
【34】列車掛4:発車前の作業
【35】列車掛5:貨車解結通知書
【36】列車掛6:入換
で、かんたんな例を用いて書いていますので、ここでは詳しくは書きません。
乗車券類の場合は様式が規定で定められ、同じ効力の切符であっても、硬券や車内補充券など多くの様式があり、同じ様式でも印刷所ごとに活字の字体や大きさが異なっていたりして、収集すると非常に奥が深く面白いものです。貨車解結通知書は、それには及ばないものの、発行駅や列車によって、定められた様式がアレンジされたり、活字や仕様の違いを見出すことができて、乗車券収集にも似た面白さがありました。
貨車解結通知書の最もポピュラーなのが、この様式でした。大きさはB5サイズです。
関西本線亀山(操)発稲沢行の貨物列車の例です。
(表示される画面が小さいですが、元画像は、数値が読み取れる程度にしてあります。)
最上段には、この通知書を発行した組成駅「亀山(操)」発車時の編成内訳数値が書かれ「実現車16 延長現車20.6 換算40.1」となっています。延長現車と換算については【579】貨物列車の現車制限と換算両数で、その算出のしかたについて書いています。
貨車解結通知書には、解結する駅順に貨車解結差引計が書かれています。この様式は、解結する途中駅が10駅書き込める様式です。私が見たことがあるのは、15駅用・10駅用・8駅用・6駅用・5駅用・3駅用・2駅用でした。貨車解結通知書は乗車券のように有価証券でもなく、ただの部内用書類でしたから、乗車券類のように直営の印刷所で印刷していたのではなく、鉄道管理局から民間に発注されていたようです。発行された駅が所属する鉄道管理局によって、そして列車によっても違った様式に当たることがありました。
上の10駅用の例は亀山操発行(天王寺鉄道管理局管内)のものですが、天王寺鉄道管理局では5駅用の様式もあり、どちらも裏カーボン仕様でした。一方、名古屋鉄道管理局管内の駅発行の貨車解結通知書は、6駅用の様式が大多数で、関西本線では、解結する駅が特別多い特定列車に限って15駅対応のものがあり、上下に長くB4サイズになっていました。
同じ内容の書類であっても通常の倍の大きさですから、仕事量が比例してくるわけで、気分的にも圧倒されます。こういう大判の様式を使う列車は、当然多くの駅で解結があり、列車の長さと重量の管理が大変な列車であったわけです。
名古屋鉄道管理局で使用された貨車解結通知書は、当時はノーカーボン仕様の用紙が使われていました。ノーカーボン仕様の場合、文字が経年変化で、ほとんど見えなくなってきて、上の画像のように貨車組成の内容が読み取れなくなってしまっています。
下の画像は8駅対応で、田端操発行です。これは裏カーボン仕様で、大きさはB5サイズです。
この田端操発行の貨車解結通知書は【584】逆向きコキフの前面展望~東海道本線4063列車で扱った4063列車のものです。
この列車のように目的駅へ直行し、ごく限られた指定駅でしか解結がない貨物列車は、途中駅の解結欄は少なくてよいし、場合によっては途中駅で解結がない場合が多々出てきます。、そういう列車では、3駅用や2駅用の様式が使われることがありました。
途中の組成駅を通過し、または乗務員交代のためだけの停車とし、貨車解結通知書の発行が省略される列車も多々ありました。私はこの4063列車に、組成駅である西浜松から乗継乗務したわけですが、わずか3分停車で解結もしないので、この列車は西浜松での貨車解結通知書の発行省略列車に指定されていました。そのため西浜松まで乗務してきた列車掛から、この田端操発行の貨車解結通知書で編成を引き受けることになるわけです。
この列車はいったん稲沢の出発線に入って、列車番号が3063列車と変わり進行方向が逆になって笹島へ向かう列車でした。この列車は組成駅に指定された稲沢でも解結がありませんでしたが、機関車も列車番号も変わりましたし、別列車という扱いで、新たに貨車解結通知書が発行されました。その貨車解結通知書です。
この列車で稲沢駅長から交付される貨車解結通知書は、「模写電」と呼ばれる業務用ファクス送信によってプリンターから出力されたものでした。右上には(模写用)と印刷されていますから、「模写電送」する原稿は通常とは別の用紙を使用されていたことがわかります。この例は5駅用で、原稿の大きさはB4長辺を3分の1にしたサイズのようですが、出力印字された現物の用紙はプリンタ用のロール紙規格で出力されていますので、やや上下が大きめです。
発行者は稲沢駅長とされていますが、直接稲沢駅で組成された列車ではないので、他所(東京北局~名古屋局貨物指令?)からの連絡によって流された情報をもとに作成された内容であることは確かです。ほかにも稲沢駅は広大ですから配車係のある部署から、列車が発着する出発線までは、かなりの距離があるので、こうした電送方式に拠っていたという理由もあったのかもしれません。
ついでに、この4063列車関連で、珍しい貨車解結通知書の例をもうひとつ。
今や伝説となった自動化された武蔵野操発行のものです。
カタカナで印字され、マルス(MARS)のN型端末発行の乗車券類を思わせます。日付が手書きで訂正されていますが、たぶん組成が終了し出力したのが前日で、この列車の発車時刻が0時をまたいだということではないでしょうか。
武蔵野操は、ヤックス(YACS)という自動化ヤードシステムが導入されていましたので、その端末機プリンターから出力されたものだと思われます。大きさはプリンター用紙のためB5に近いですが、横幅がやや小さいです。画像では印字された部分だけを撮影しましたが、下の方には大きな余白部分があり、連続紙を切り取ったものと思われます。武蔵野操については、イカロス出版から出ている書籍「59-2ダイヤ改正国鉄貨物列車大変革期」に紹介されています。
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さて、手書きの様式に戻りますが、こちらは3駅用で、岡山操の発行です。大きさはB4長辺の3分の1サイズです。(B5がB4長辺の2分の1サイズですから、それより縦が短くなり横はB5と同じ長さ)
この例は、【313】思い出の乗務列車4:直行貨5850列車・5852列車で取り上げたク5000形式を連ねた自動車輸送専用列車のものです。
同様に2駅用の使用例として、同じく自動車輸送専用列車である5850列車の様式もご覧ください。幡生駅の発行です。大きさはB5短辺を2分の1にした横長サイズです。
この列車は九州の志免発で岡多線北野桝塚行でした。終点まで途中駅での解結がなかった列車だったと思われます。
この列車に関係する珍しい解結通知書がもう一つあります。途中駅の欄がない解結通知書です。大きさはB6サイズです。
門司駅発行になっています。
順番としては門司駅でこの貨車解結通知書が発行され、複写されたもう一片は列車掛の手でEF30の機関士に渡され関門トンネルをくぐって、幡生まで来たのでしょう。幡生では解結がなかったものの、機関車は変わりますし幡生駅は組成駅に指定されていたので、この1つ前の画像でご紹介したの2駅用様式の画像にある貨車解結通知書が新たに発行されたのでしょう。門司~幡生は、機関車は専用機関車EF30が担当していた関係で、関門トンネルをはさんだ幡生までは短区間かつ解結がないので、その様式に途中駅欄は不要ということなのでしょうが、「解結を前提としない貨車解結通知書」とは何か変です。
今回ご紹介した貨車解結通知書は、緩急車の中に使用済みとして放置されていたものを拾ってきたものと、自らの乗務列車が終点に着いた時点で用無しになったものです。使用後の正しい取扱は、次の組成駅又は列車の終点駅の駅長に交付されるべきもので、列車掛は所属車掌区へ持ち帰り回収箱に入れる取扱いでしたが、その後使用する性格のものではないので、たいてい列車掛は乗務が終わると緩急車に放置し、多くはそのまま車内のゴミとなっていました。物好きな私のような者がそれを拾って、様式の違いを見つけては楽しんでいたというわけです。
<2015年10月28日追記>
本文中に実物のサイズについての説明を追加しました。
また、TOKYO WEST 様より、貨車解結通知書について規定された「貨物輸送統計報告等基準規程」についてご教示いただきましたので、追記しておきます。
それによれば本文に示した一般的な貨車解結通知書は貨物輸送統計報告等基準規程の第9条関係別表11に規定されていた様式であることがわかりました。
別表の様式見本ではB5版とされていますが、行については省略とされていて、何行(何駅)設けるかは明記されていない。画像の武蔵野(操)発行のカタカナ印字のものは別表第12のものであろうとのことです。
貨物輸送統計報告等基準規程
(貨車解結通知書)
第9条 輸送規程第107条に規定する貨車解結通知書の様式は、別表第11のとおりとする。
2 貨車解結通知書の記入方は、次の各号に定めるとおりとする。
(中略)
3 武蔵野(操)、郡山貨物ターミナル及び北上(操)において発行する貨車解結通知書の様式は別表第12のとおりとし、その記入方については前項の規定を準用する。
TOKYO WEST 様 ご教示ありがとうございました。
この記事へのコメント
急行おが1号
貨物列車の業務については、旅客列車と違い、私たち一般人にはほとんどが目に見えない部分ですので、しなの7号様のブログで貨物・荷物列車の業務内容を見るのが大変楽しみです。
正直に言うと、私には理解に難しい部分もありますが、リンクを貼って下さっている過去記事を見ながら「あー、なるほどね」と思いながら読み進めています。
最近、昭和40年代の貨物列車の時刻表を購入しました。いいお値段がしましたが、人や物が車ではなく鉄道輸送が主役だった頃の時刻表で、ヤード方式でいろいろな貨車を連結、解結しながら荷物を運ぶという様子が想像できる内容で「あー、こんな時代もあったんだな」と思いました。
今は鹿児島から北海道まで荷物を送っても、中1日で届いてしまう時代ですので、3日も4日もかかるような鉄道は、物流の主役から退場せざる得なかったのかもしれませんが・・・
でも、その時代は「それでよし」「それが当たり前」だったことを考えると、今の便利さを享受しながらも「これでいいのか?」という思いでいます。
例えば私の学生時代は携帯電話などなく、彼女の家に電話するときは、それはそれは緊張で手に汗握る瞬間でしたが、今の私の娘の世代は携帯電話やらスマホでいつでも、どこでも好きなときに連絡が出来る時代になってしまい、あのときの何とも言えない感情は沸かないのだろうな・・・と思い、国鉄が物流の主役を担った時代に思いを馳せています。
時代の流れを改めて感じ、「あー、自分も年を取ったな」と思うところです(^_^;
しなの7号
私は昔自分が携わった仕事を思い出し、資料をひも解きながら書いているだけで、昭和40年代の物流を研究しているわけではないので、偉そうなことは申せません。
このような貨物関係の記事内容は、携わったことがある国鉄OBの方か、貨物関係を専門に研究されている方くらいしか理解できないでしょうし、面白味もないはずと思います。しかし子供のころ、誰もがいつも見ていた貨物列車が、どのような手順を踏んで貨車が組成され、各駅で解結されていったのか、舞台裏を知らないまま、そのヤード系国鉄貨物輸送はなくなってしまったので、あえて1連の記事としてまとめることにしました。
今はありがたい世の中で、おっしゃるような通信手段もそうですが、お若い方々はもちろんのこと、私どもの世代までが、便利で楽、快適で平和が当たり前であることに酔いしれています。それによって失ったものは経済効果のモノサシでは計ることができず、逆に昔は考えられなかった弊害がでてきましたが、ここまで進化した日本のこの時期に生きていることを幸運だと感謝しなければと思います。
そして若い方々もきっと、将来、時代の流れを改めて感じ、「あー、自分も年を取ったな」と思うことがあるのでしょう。その時代には、今より良い時代になっていなくてはなりませんね。
なはっ子
北恵那デ2
のらいぬ
解結通知書が各局で様式が異なっていたとは驚きました。様式は統一されていたものと思っていました。 これを書きこみ、列車監視、何かがあった時の防護処置等、駅・操車場での合図他、大変なお仕事ですね。 子供時代、そういった事があると本等で多少わかってはいましたが、ヨやワフ・コキフ等に乗務しているのが、かっこいいな。と通過を見守ったものでした。(心のなかでは、○○駅も通りますよね…お願い…乗せてと……)
時間の取れる時にしなの7号様の過去記事読ませて頂いております。最近関西本線名古屋口の駅名を目にと、よこばいや~どうでもえいわ~、いらうな~等がつい頭を過ってしまったり、この駅はなんていったのかな?と。気になってしまう事も… 一枚目の通知書が関西本線でしたので、つい…。今日は失礼なコメントになりすみません。 のらいぬ
NAO
中間駅が組成駅に連結車数を申し込みなんて初めて知りました。組成駅の応募受付けみたいですね。
貨車解結通知書を渡されるお姿、凛々しいこと!カッコいいですね。鉄道マンに憧れるシーンのひとつでもありますが、雨の日も風の日もやらなくてはならないとなると、ちょっと私には...。
私も転勤で電算システムは前職場と同じものの、書類の書式がだいぶ変わって慣れるのに苦労しています。早く馴染めるように部内外向け各用紙をコレクションしています。全然勉強していませんが。扱い高が多く、「弁納」はさせませんが部下が釣り銭が合わないと報告書を上げてくるケースが増え、認めを捺したり、回収指示を出すのに慣れない毎日です。
しなの7号
数字の書き方で指導を受けた記憶はありません。
一方で漢字は、達筆過ぎて解読困難な事例もありましたが、駅名コードの番号が併記されますので誤りはありませんでした。私の場合は筆順が誤っていて、崩すと解読できなかったらしく、車内補充券に書いた駅名で指摘された事がありました。
しなの7号
貴殿がご幼少のころご覧になった駅は組成駅で、昼夜を問わず入換作業が行われていましたから、何のための作業なのか疑問に思われたことでしょう。ひょいと飛び乗る連結手。手慣れた動作で誘導する操車係。それに応答する機関車の汽笛。引上げ、突放、押込み、そして流れてくる煙の匂い。あれだけ貨車が集結していた構内が数十年を経て様変わりしても、趣味の原点がそこにあるという気持ちはよくわかります。
しなの7号
説明不足でしたが、貨車解結通知書が各局で様式が異なっていたというより、乗車券類が印刷所ごとに字体や印字位置が微妙に異なっていたようなことと同じで、様式そのものは規定されていたはずで、微妙な違いを楽しんでいたというべきでした。
貨車解結通知書左上に「別表第11(第9条)貨輸統報基」と書いてあるものも存在することから、一般的な様式は「貨物輸送統計報告等基準規程」?(内容は見たこともなく全く知りません(^_^;))という部内規定で定められていたと思われます。ただし駅名欄の数や用紙の規格まで規定で縛っていなかったので、各局で必要に応じてアレンジされ、あるいは列車によって使い分けたと見るべきでしょう。
特殊事例として掲げた門司駅発行のは「別表第5(第9条)」となっています。電算によるものも、YACS稼働によって加えられた様式なのだろうと想像します。
これまでご紹介した列車の大多数は直行系貨物列車でしたが、解結を繰り返す普通貨物列車での列車掛は存在価値がありました。そして関西本線の荷物列車に、昔ながらの荷扱風景が遅くまで残ったように、貨物列車でも同様に関西本線には遅くまで昔ながらの普通貨物列車が残っていました。順次その作業内容をご紹介してまいります。
古い記事まで丹念にご覧いただいてありがとうございます。
しなの7号
会社にも、限りある製品を支社や支店に配分する権限を持った部署が必要なように、限られた輸送容量を不公平なく過不足なく効率よく輸送するには、組成駅を指定して調整する必要は出てくるものですね。駅順に無秩序に連結していけば始発から遠い駅は常に連結不可能となってしまい、毎回列車掛と喧嘩することになるでしょう。
再就職した会社で、書類を様式別に管理をする担当をしていた時期があり、何に使うんだ?と思われるような様式まで、在庫管理と年間使用数予想と校正チェックをして印刷業者に発注する数を出しました。支店が移転することになり、きちんと必要数を管理しておいたのに、電話番号が変わることがあとになって判明(-_-;) 電話番号入りの書類が全部廃棄処分になったときは、なんのための仕事だったのかと思ったことですが、その後様式はワープロで保存し必要枚数を作成する時代になり、今ではダウンロードと、変わってきました。自分が経験してきた仕事のうち、国鉄時代の貨物列車の乗務員も含め、今ではありえない仕事(必要がなくなった仕事)がとても多くなってしまいました。
門鉄局
管理人様のかっこいい写真ですね。「機関士さん、現車〇両換算〇両です」「はいご苦労さん、今日はあんまり重くないね」なんていう声が聞こえてくるようです。貨車解結通知書というのですね。操車場廃止の59・2の改正以後めっきり貨物列車が減ってしまい、運命を共にした地方私鉄もあって悲しい気持ちになったことをつい最近のように思い出します。まだまだ使える機関車や貨車が余剰車として留置され
「これが世の中の進歩なのか?」と嘆いたことも。
基本的に運転士と車掌が所属が一緒で同一行程な私鉄(違う会社もあるかもしれませんが)と違い国鉄・JRでは「相手が誰か知らない」と聞きました。あの機関士不愛想で感じ悪いとかあの運転士下手とかいろいろな噂があったと思います。
しなの7号
わかる方には画像を見るだけで、そのときの会話までわかるんですね^^
国鉄ではローカル線ならば皆職員は顔馴染みでしたが、幹線系では、機関士・駅・車掌それぞれが知らない者どうしで、入換作業を行いましたが、お互いの連携がうまくいかず失敗する場面もありました。いずれそんな失敗談もアップします。
59.2のころ私は、すでに貨物列車には縁がなかったですが、以前入換作業を行っていた駅の側線が赤錆びてしまっているのを、旅客列車の乗務員室から眺めておりました。
TOKYO WEST
貨物輸送統計報告等基準規程では、
(貨車解結通知書)
第9条 輸送規程第107条に規定する貨車解結通知書の様式は、別表第11のとおりとする。
2 貨車解結通知書の記入方は、次の各号に定めるとおりとする。
(中略)
3 武蔵野(操)、郡山貨物ターミナル及び北上(操)において発行する貨車解結通知書の様式は別表第12のとおりとし、その記入方については前項の規定を準用する。
と定められていました。別表の様式見本ではB5版とされていますが、行については省略とされていて、何行(何駅)設けるかは明記されていませんでした。画像の武蔵野(操)発行のカタカナ印字のものは別表第12のもののようです。
しなの7号
TOKYO WEST様
ご教示ありがとうございました。
貨物輸送統計報告等基準規程なるものがあったことさえ、在職中を含めて意識したことさえありませんでした。いざ貨車解結通知書のことを確認しようにもさっぱりわからずにおりましたので、モヤモヤしていたものが、晴れたような気がします。
規定上は別表11の様式はB5サイズなのですね。ご教示いただいた条文やアップした画像のサイズなど、後刻本文に加筆させていただくことにします。
ちなみに特殊事例として掲げた門司駅発行の貨車解結通知書「別表第5(第9条)」と書かれたものは、サイズが小さくB6でした。
ご多忙ななか、お調べいただき申し訳ありませんでした。
天鉄竜機
機関区における「カケツ」「ヘンツ」のその後。天鉄局所属のDL・ELには黒バインダーに挟んだ「乗継通告券」が搭載されてました。乗務員は異状の有無を通告券に書き込みます。他、日付・仕業番号・名前。受取通告券はこのバイダー挟みに挟まれ、検査掛のところまで・・・。
冒頭の写真。小柄な列車掛・車掌さんは大変でした。風の強い日も。デッキから来られる方も居ました。
しなの7号
機関士さんに渡ったカケツは、最後は検査掛のところへ行くんですか。その後はやっぱりゴミになったのでしょうかね。緩急車では捨ててあるカケツにマッチで火をつけ焚き付けに使用されることもありました。
旅客列車でホームから旅客車編成通知書を機関士さんに持っていくときと違って、線路の位置から見ると機関士席の窓はほんとうに高いですね。これでも身長は170㎝くらいはありました。エンジンの音がうるさくて、外から呼んでも気付いてもらえず、機関車をバンバン叩いて気が付いてもらえたことがよくありました。
田端車掌区レカ
機関車もEF13、EF15、EF80、EF65、EF60、DD13、DD51などで
機関士に渡すときは写真のように地上からですが、デッキのある機関車の時は、デッキに乗って手渡したりしました。乗務途中で通知書の交換をするとき、構内本部まで歩いて行って受け取るわけですが、駅によっては着発線から相当歩く場合があり、(新座貨物ターミナル、北柏、)早暁の眠い時、天候不良の時は(T_T)でした。通知書の様式も色々あるなと思っていましたが、蒐集までいかず焚き付けにしたりと、もったいないと思います。田端レクでは通知書で通じました。なお、武蔵野機関区を入出区する機関車は、番号読み取りのため切り文字機関車ナンバーが白ペンキで塗られていました。
しなの7号
おそらく田端操と武蔵野操のカケツを懐かしく感じていただける方は田端車掌区レカ様はじめ、わずかな方々だけだと思っていましたので、お目に止まってうれしいです。
おっしゃるように大きな操車場の場合は、誰もいない長い距離を一人トボトボ歩きましたし、あまり行かない東静岡など、カケツ受け取り場所がどこなのかよくわからず心配でした。「通知書」だけで通じたのは、私どもも同じです。
白ペンキがナンバー数字に塗られた機関車、首都圏にありましたねえ。まだ列車掛になる前の荷物列車乗務時代に、新宿や新鶴見でよく見ましたが、そんな理由で塗られたのですね。
貨車区一貧乏
私も解結通知書は手元に30枚程保管していますが、ほとんど別表第11(第9条)田端操発行の青色カーボン8駅タイプです。
しかし宮城野と塩浜操(現川崎貨物)発行の用紙だけは黒い罫線で7駅タイプです・・・。
武蔵野操発行の通知書はすっかり記憶から抜け落ちていましたので、見た瞬間おぉw(゚o゚*)w「そういえばあったなぁ」と感動しました!
また、武蔵野操といえば設備が整っていたので、ブレーキテストをあえて合図器でやっていた記憶があります(足でボタンを踏んで ―・・―)
緩急車が廃止になった後、機関車後部乗車時の通知書の引き継ぎですが、機関車が交換しなければ、そのまま機内。機関車交換の場合は「受箱」なるものを新設し、その箱へ通知書を入れて引き継ぐことになっていますが、どのような箱なのか全く記憶にありません。
記念にもらった行路表にそのようなことが記載しておりました。
しなの7号
7駅のもありましたか。たくさん保存しておられるのですね。カケツも列車番号を見るだけで、いろいろ、その列車のことが思い出されますね。
名鉄局のブレーキ試験合図器は、乗務員無線機の普及でことごとく廃止されていったようです。関西本線では富田駅の三岐鉄道からの継送に使用する線に残っていたのですが、無線機を使用したので、合図器を使ったことはありませんね。たぶん三岐鉄道側で使うために残っていたのでしょう。今はどうだか知りません。
新鶴見では、荷物列車の長時間停車中に、リンリン鳴るのでうるさかった記憶があります。
田端車掌区レカ
しなの7号
機関士からのリクエストがありましたか。都市部の駅や操車場では、乗務員無線だと他列車のブレーキ試験と競合混信することがありました。
私の場合、貨物の入換はすべて無線で、旗の経験は旅客車だけ。無線機によらないブレーキ試験では、踏切事故の時に165系電車で停車場間で合図灯を使ってブレーキ試験をやったことがあります。
こういう合図は時を経ても記憶しているもんですね。私も今すぐにでもできますよ(*^^)v