※連載第1回(「コーネリアス」にも「渋谷系」にも興味がない私が小山田圭吾にインタビューした理由)から読む
なぜ訂正を申し入れなかったのか
インタビューが行われたのは小山田氏側が指定した都内某所の弁護士事務所だった。当日は冷たい雨が降っていた。
こちらは私と文春の編集者。「週刊文春」というだけで相当警戒されていたに違いない。指定された時間に弁護士事務所を訪ねると、まず小部屋に通され、担当の弁護士からインタビューに臨む小山田氏の様子などを説明された。芸能人やミュージシャンなどの所属事務所に雇われた弁護士は、やや上から目線で高圧的な態度を取る場合が多い。中には「お手柔らかにお願いします」と妙に下手に出てくる弁護士もいるが、稀だ。その点、小山田氏の弁護士は淡々としていて、「小山田は緊張していますが、どうぞ存分にやってください」といった具合で、特段「これはNG」などと事前に暗黙のルールが通達されることもなかった。
インタビューのために用意された部屋には5、6人が向かい合って座ることができるソファーがあった。私と編集者が先に座ると小山田氏が後を追いかけるようにして座った。事務所のマネージャー、顧問弁護士が脇に控える格好だった。
この日のために準備した小山田氏関連の資料を重ねると、その厚さはおよそ8センチにも積み上がった。当該記事の他、雑誌に掲載されたインタビュー記事がほとんどだった。インタビューは「最近どのような生活をしているのか」という質問から始まった。小山田氏は緊張していたが、受け答えの口調はしっかりしていた。
それにしても解せないことがあった。
小山田氏が、当該雑誌に掲載された自身のインタビューについて事実と異なると認識していたのであれば、なぜもっと早い段階で編集部に訂正を申し入れなかったのか、ということである。この日のインタビューは、最終的に2時間に及んだが、私がもっとも時間を割いたのはその点だった。
詳しくは本連載の1回~3回を参照してほしいが、簡単におさらいをしておく。問題となっていたのは、小山田氏のいじめの加害行為である。本人は何が事実で、何が事実でないと主張しているのか。炎上の発端となったエピソードはいくつかあるが、そもそもこれらは小学時代、中学時代の出来事が混在、誇張されて表現されていた。
例えば、もっとも拡散されている「裸にしてグルグルまきにして、オナニーさせた」という部分については、小山田氏は次のように説明した。本人が直接、手を下したのではなく、「自慰行為に関しては、中学の修学旅行のときのことでした。留年して同じクラスだった上級生と、僕は一緒の部屋でした。友だち数人とプロレスごっこをしていると、そこにその上級生が部屋に入ってきて、同級生の一人を裸にしたり、紐で縛ったり、自慰行為を強要したのです。行き過ぎた行為でしたが、怖くて止めることができず、傍観者になってしまったことがありました」。
また、「ウンコを喰わしたりさ」の部分は、小学校時代の思い出だ。小山田氏によると、「小学校の頃、何でも落ちているものを口にしてしまう同級生がいました。枯葉とか蟻んことか。その彼が下校している時に、道に落ちていた犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出して、それをみんなで見て笑っていたという話をしたんです」。
しかし、実際は「ウンコを食べさせた」という事実はないという。小山田氏はインタビューにこう答えている。
「(その記事を掲載した)『ロッキング・オン・ジャパン』という雑誌が、原稿の内容をチェック出来ない雑誌で、自分が語った内容がどのような記事になったのか、それを知ったのは雑誌が出た後だったのです。自分がそれを見た時に事実と違うことだったり、見出しににもされていた。何より自分がやったかのように書かれていて、すごく違和感を感じましたし、ショックを受けたんです」
つまり、このエピソードをあたかも小山田氏がやったかのように「盛って」掲載したのは、雑誌の側だというのだ。
他にもイジメや暴力の可能性について、私が指摘した部分は10カ所近くに及んだが、小山田氏の回答は、一貫して「加害者という立ち場で暴力を振るったことはない」だった。つまり、これらのエピソードは、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の両誌の中で、時系列が曖昧になったまま、小山田氏のいわば「武勇伝」として放置され続けてきたということになる。改めて指摘しておくが、これがもし事実であれば明らかな犯罪だ。
「私はやっていない」
一方、私が当初から気にしていたのは、小山田氏が特定のターゲットに対して、執拗に陰湿で凄惨なイジメを繰り返していたか、どうかだった。一部の新聞が「長年にわたって同級生をいじめていた」と書いたからだ。私は当時を知る同級生に接触し、その事実があったか否か何度も尋ねた。しかし、そうした事実は私の取材からは浮かび上がってこなかった。
本人が「私はやっていない」と表明し、真っ向から加害性を否定している事実は重い。一方、目の前で繰り広げられる壮絶なイジメを傍観したという事実は消えない。この部分に対する批判は小山田氏が今後の人生の中で引き受けていくしかないだろう。本人は何度も「申し訳なかった」「後悔している」と繰り返した。
しかし、一度は小山田氏の発言として雑誌に掲載されているのだから、今さら「あれは事実と違うのです」と弁明されても、はいそうですか、と信じることはできないし、世の中も、それでは許さないだろうな、という空気を私は感じていた。
もし、加害の事実がウソであるならば、なぜこんな発言をしたのだろうか。その疑問を素直にぶつけた。
「乗せられた部分もあったし、自分からそういう露悪的なことを話してしまった」
なんで露悪的なキャラクターを演出する必要があったのか。
「今にして思えば本当に浅はかでくだらない、何も分かっていない愚かな考えでした。それまで自分に何となくついてしまったイメージを変えたいという気持ちが多分あったのだと思います」
私は納得がいかず、矢継ぎ早に「今思うと当時、どうしたかったのですか?」「何が目的だったのですか」と質問を返している。
「いじめたという事実はないと今、彼の前で言えますか?」
本取材の目的は「彼のウソを暴くこと」ではなかった。何が事実なのか彼の口から改めて語ってもらうことが目的だった。けれど、記者の性として「彼がいじめ行為には直接加担していない」というウラをとりたくなるのも当然だ。そこで私は、当時を知る小山田氏の同級生に対して、事前に取材をしたことを打ち明けた。ただし、連載の第3回でも書いたように当該人物にどのようにして接触したかという、こちらの手の内は明かした上で、「クイック・ジャパン」で小山田氏がいじめたという沢田(雑誌上の仮名)という人物の名前を挙げ、私はこう切り出した。
「彼をいじめたという事実はないと今、彼の前で言えますか?」
すると小山田氏はこう即答した。
「はい、言えます。ただ今、このような形で彼のことを語ってしまっていることは、申し訳ないなと思っていますし、それが完全に二次被害を与えてしまっているわけで、今も友だちと自分が言っていいのか……。彼に対しても、『ロッキング・オン』で語ってしまった彼に対しても同じで。ご家族とか同じような経験をされた方の気持ちを考えると……。自分が親になってみて、自分の子どもがそういうふうに他人に語られたらどう思うのか。当時はそういうことを想像できない人間だったんです」
小山田氏は、私が中学時代の同級生に接触をしているということは、もしかすると、この沢田という人物をすでに特定しているのではないか、と勘ぐった可能性はある。ただ、この時、小山田氏の返答には迷いがなかった。私は同級生への取材と合わせて、「もしかすると、小山田氏は本当にシロなのではないか」と初めて感じた。もうひとつある。小山田氏が息子を和光学園に通わせたという内容のやりとりがあった。プライバシーの問題があるので、ここで詳細を明かすことができないが、それを聞いた時、本当に悪質な加害行為をしていたら、息子を自分と同じ学校には通わせることはできないだろうと思った。
しかしである。この雑誌のインタビューはどちらも、今からおよそ25年以上前の出来事だ。この記事が出てからというもの、2ちゃんねるや他の掲示板、ブログなどで本件が定期的に話題になっていたことを、本人は知らなかったのだろうか。
「もちろん知っていました。ただその時点ではどう対処していいか分からなかった。それを取り上げることで、正直、またこの問題が大きくなってしまうのではないかという恐怖があったのです。ずっと悩んでいました。事実でないこともいくつかあったので、それを訂正したりとか謝罪したりとかということを、どういう場でどうやればいいのかということが、自分でも判断できず、時間だけがたってしまったのです」
一般視聴者からのNHKへの問い合わせ内容
小山田氏がこのインタビューではじめて打ち明けた事実もあった。それは自身が音楽を担当していたNHKの番組宛に、一般視聴者から問い合わせがあったということだ。その際、番組側と相談した上で、「事実と違う部分がある」「今の自分は全く違う価値観で制作をしています」などとNHKを通じて視聴者に伝えたという。仮にこの時に会見を開き、公に自分の言葉で話していれば、このような大騒動にはならなかったかもしれない。
小山田氏は終始、うつむき気味で言葉に張りはなかった。問題発覚後、7キロ痩せたという。傍らには弁護士が座っていたが、質問を遮られることは一度もなかった。小山田氏と対峙して抱いた印象は、取材者である私に対して、ある意味で正直というかサービス精神が旺盛な人だということだった。聞いたことには何でも答えてくれる上、この場を紋切り型の受け答えで凌ごうという下心がないことも明らかだった。単に人がいいのか。それとも芸能一家に生まれ、「囃されれば踊れ」という宿痾が染みついているのか。
インタビューをしながら、この無意識のサービス精神が、いわば「仇」になったのではと思った。インタビューは聞き手と語り手の即興のセッションだと言う人もいる。その意味で、小山田氏は「乗せやすい」相手に違いなかった。だからこそ、小山田氏は調子に乗って、乗せられて語ってしまったのではないか。
インタビューはいよいよ、この騒動の発端となる雑誌との関係に及んでいく。
(#5に続く)
source : 週刊文春