大御所の左翼作曲家に楯突いた僕が左翼に置かれるおかしさ
音楽や新劇の世界で左翼が幅を利かせていたのは、食うためもあったけど、勤労者音楽協議会(労音)の存在が大きかった。労音は共産党の拠点となった巨大組織で、あらゆる芸術家を支えていた。クラシック音楽や芝居の切符は、ここを通さないと買えなかった。芸術家の生活は共産党の支援の上にあったわけで、それだから多くの音楽家が左翼的な主張をまとっていたんだ。
その後、自民党系の音協、創価学会系の民音が生まれたけど、最終的に3つとも影響力をなくしたのは、「ぴあ」の誕生が原因だったんだろうね。おかげで芸術家も自由にモノが言えるようになったけど、その前に反抗した者としては、経験する必要のないつらさを味わった。
それでも、左翼的な権威が存在した時代は、抑制が利いていたと思う。スターリンと毛沢東はヒトラーよりも多く人を殺していると思うし、今の中国を見ても自由にモノが言えない非民主的な社会になっている。だからといって、大きく右に振れるのが正しいとは思えない。僕のような考えが左翼に置かれる社会は、やはりおかしいね。