大御所の左翼作曲家に楯突いた僕が左翼に置かれるおかしさ
その昔、音楽家の7割は左翼だった。僕は朝日新聞に嫌われていたけど、だからといって右翼でもないし読売新聞に可愛がられたわけでもない。いつの時代も中間というのは居づらいものだけど、気が付けば左がいなくなって、真ん中が左になった。それで僕も今は左翼じゃないかという位置に立っている。いつの時代も、戦争を知らない人たちが社会を牛耳ってくると、とんでもなく右翼チックになるものだ。
随分前に、「反核音楽家の夕べ」で司会を任されたことがある。もう一人の司会は、音楽界の超大御所。この人は舞台で「アメリカの核は悪いけど、ソビエトの核は悪くない」と主張したんだ。「ソビエトの核は人民の核だからいいんだ」と。僕はそんなことはないと反論して言い合いになったんだけど、当時、日本の共産党員はみなそんな考えだった。
その夜、新橋の居酒屋に連れていかれ、日本を代表する作曲家夫婦に正座をさせられて、コンコンと説教をされた。「キミは何も分かっとらんな」と罵倒され、それから僕は業界でつまはじきにされた。それまで作曲家としてはエリートの道を歩いてきたと思っていたが、どの世界にも権威があって、いろんなものを仕切っている。