渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

フォーインワン

2021年12月27日 | open

CB750four-2

これねえ、音はいいんだけど、
昔乗ってみたらかなり遅かった。
ただ、この頃のホンダはハンドリ
ングに例の変なクセは無く、この
あとのFのほうが宜しくないハン
ドリングだった。
その頃からホンダの悪性ハンドリ
ングが目立つようになってきて、
前に16インチをはかせた時期が
一番最悪だった。
フレーム設計とエンジン出力が
なんというかチグハグという感じ
で、曲がらないオートバイを何車
種もホンダは出していた。これで
もか、これでもか、という感じで。

一方、1970年代に最悪のハンド
リングだったカワサキは80年前後
から市販車で絶妙なハンドリング
の二輪を作り出し始めた。ヤマハ
のオートバイのような良好さ。
スズキは総じて良性だったが、
RG250ガンマ1型だけはどう贔屓
に見繕っても「失敗作」だった。
あれ、「実験車」でしょうね。
いろいろな認可を通させた、とい
う点では歴史的な車だったが、出来
を客観的に評価すると、未成熟で
不完全さが満載の車両だった。
ヤマハはトータルバランスを取るの
が何故か上手くて、良い車を作って
いた。多分、車作りの時のテスター
が優秀だったのだろう。
意外と知られてないのがカワサキ。
81年以降のカワサキのハンドリング
は実に良好だ。
それまでのぶっぱしりオンリーだ
った直線番長的な車ではなく、走り
曲がり止まる二輪をあの直線野郎
カワサキが作り出していた。
でも、不人気過ぎて、川崎重工は
80年代末期に二輪部門の閉鎖廃止
を検討した程だ。
どれくらいカワサキが売れなかっ
たかというと、ホンダNSRが年間
24,000台の時にカワサキKR-1は
6,000台。企業業績としては勝負
にならない。論外だ。重工が不採算
部門の二輪製造販売部門を閉鎖検討
したのも分かる。連結決算でも足を
引っ張るお荷物部門だった事だろう。
好景気で空前絶後のバイクブーム
の1980年代、国産3社は売れまく
っているのに、カワサキの二輪だけ
が全く売れなかった。
その後、背水の陣のゼファー400が
カワサキを救った。

今は世紀の大逆転で「カワサキ一人
勝ち」の情勢を作っている。
私の推測では、これ、カワサキの
社内の上の陣営の中にとんでもない
知恵者の戦略家がいると睨んでいる。

この記事についてブログを書く
« サシバ | トップ | アオダイショウ »