渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

加工

2021年12月27日 | open


こんな余計な電子回路は私はカット
している。他にもカット回路はいく
つかあるが。
この車は1997年製だが、このあたり
からミョウチクリンな機構をオート
バイに搭載し始めた。
擬似的「安全性の確保」が人間力
の低下を著しく促進し始めた。
現代では新車には二輪でABS付で
ないと登録認可が下りないように
なった。
二輪でABSが安全かと思い込んで
いる二輪に乗れない不認知者だら
けになったからそれ相応だ。
馬鹿バカしくて話にならない。

この○で示した箇所のシステムも
スロットルを繊細微細に開閉して
燃料供給と燃焼を同調させられな
い運転手の為に作られたおバカな
回路だ。おバカ用のご親切回路。
それだけ、既にこの1997年時点
右手がおバカな運転手が増えて
いたという事だろう。

そういう機能を望む人たちは、ま
あ元来「自動車」というくらいだ
から、人は何もしなくても勝手に
機械が運転して運んでくれる乗り
物を目指しているのかも知れない。
でもそれは車ではないですね。
人が操縦する四輪車でも二輪車で
もない。それはATS付無人運転の
電車だ。

最新の二輪車では、マップの書き
換えというのは、各ギア間の繋が
りやピックアップが向上する事も
あるので、腕が良くノウハウの蓄
積がある専門家ショップに書き換
えを依頼するのもアリだろう。
だが、メーカーのフォローは受け
られなくなる。
しかし、コンピュータの設定変更
は違法ではない。
私のこの○囲みの回路のカットは
機械的な加工だが、それの施工に
よりダイレクトな反応を得られる
ようになった。
つまり、運転操作において人間が
やった事をそのままマシンが反応
するのだ。
それが本来の人と車の在り方の姿。

最初にくそくだらないシステムが
搭載されたのは1988年頃のサイド
スタンドを畳まないと発進できな
い回路システムだったかと思う。
これはサイドスタンドを出したま
ま発進して走って重大事故を起こ
したバカがいたために、スタンド
を畳まないと点火がカットされて
発進できなくするシステムだった。
バカ向け機構の搭載開始はそのあ
たりからでは。

今四輪車に必要なのは、「アクセル
とブレーキを踏み間違えないシス
テム」なのかも知れない。
足がバカなのが多いから。
でも、実はその踏み間違え問題は、
誤った操作方法を指導している警察
や安全協会や教習所に原因がある。
アクセルから足を離して空中に浮か
せてからブレーキを踏む事を普通
自動車で指導している。
物理的にそうしないとならない
配置の大型トラックじゃないん
だぞ。
しかし、事故の原因は究明しない。
さらに加齢による認知力のせいに
して免許返納というキャンペーン
に持って行く事で誤魔化そうとし
ている。うちも警察関係者が多い
が、家族に免許返納を強制してい
る。

バカの極みだ。
真実の原因を徹底して洗ってみよ。
それを誤魔化す為の免許返納大作戦
であることを多くの国民は見抜けず、
お上やそれに類する連中に煽動され
ている。
まあ、踏み間違えの暴走事故は、
この先も無くならないでしょうね。
オートバイにおバカ機構を搭載し
ないと認可させないというような
流れの中では。

人間力の低下は、本人のせいだけ
ではない。
そういう方向性に社会全体を持って
行こうとする勢力が創作した潮流
によって育成される。
しかし、真実はどうであるのかを
見抜いて、覚醒したならば、その
先は自分自身が自己責任を以って
折り合いをつけながらも真実の
行動を取ればよい。
ちなみに私は数十年間、二輪四輪で
無事故だ。
車の運転は、自分が危険認知力が
低下し過ぎで運転不能と多角的、
総合的に判断するまで運転する。
他人が強制する事ではない。

ジジイやババアだから運転が下手、
判断不能なのではないのよ。
人間力の問題なの。
そして、その人間力を剥奪する事
を社会がやってるの。運転に関して
は一部の勢力とその提灯持ちたち
が。
二輪車などは四輪車よりもその
傾向が顕著で、大嘘まみれの事を
「指導」してる。
だから二輪ではここ20年程で硬直
姿焼きのヤキトリ載りだらけに
なってるんだよ。
分かりやすく言えば「運転できな
い=乗れない」人たちだらけにな
っている。
おっかなびっくりおぼつかない
運転しかできなくても免許が取れ
るシステムになったし、それなの
にますます乗れない方法を普及
させようとしている。
倒れたら自分で起こせない二輪車
に合法的に乗る事ができる免許を
与えるようにもなった。
これは、もう完全に政治的なもの
で、アメリカの圧力によりそのよ
うな歪んだシステムを日本は導入
した。
国民を危険に晒す事を回避する
よりもアメリカのご機嫌伺いの
本性を1996年に日本の支配者は
見せた。
バカな国民は喜んで、倒れたら
自分一人で起こせない二輪車に
乗ってご満悦だ。
多分、国を牛耳る権力や資本は、
国民には免許は取らせるけど、真
安全運行はどうでもいいのだろ
う。いろいろな複雑な目的から。

けだし、権力サイドは二輪に関し
ては自分たちだけは適正な操作を
ている。
白バイ隊員にヤキトリ硬直姿焼き
はおらず、また、ブレーキレバー
は2本掛けで自分たちのみは操作
している。
やり口は汚いが、操作自体はそれ
が正しい。
だが、運転免許指導ではブレーキ
は4本掛けを徹底させている。
そして、真実を知らない新免許
取得者は、パニックブレーキで
4本掛けで力任せにブレーキを
掛けて転倒して事故を起こす。
それが増えてABS導入だ。
根本原因はどこにあるのか。

96年の免許制度改訂は、自発的
な国民のモーターリゼーション
発達の為ではなく、アメリカ
政治的経済的圧力で実行した制度
改訂であった事を日本人は忘れて
はならない。
また、同時に、大嘘まみれの宣伝
と真実を実行する少数の人間たち
の立ち位置の交差も見逃してはな
らない。

権力を持つ者たちは、いきあたり
ばったりでは物事はやらないから
ね。
必ず、深い狙い、複合的な周到な
狙いを持っている。
見抜きましょう。国民は。
裏の裏裏裏を。
裏の裏は表じゃないんだよ。
深層の真相は複雑なのよ。



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