HOW CAN I ENJOY ONE'S 30S LIFE

いくしかないやろ

HOTSONIC MUSIC その他

【まさかの】僕の書いた曲が全国発売されました

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「seize the day」という曲がある。
地元のライブハウスのだだっ広い駐車場で
ギター一本で
僕が生まれて初めて作った曲だ。

周知の方も多いかもしれないが
僕は16歳〜25歳の約10年間
音楽活動に明け暮れた。

初めてのアー写w

最初は高校の文化祭の思い出作り程度のつもりだった。
しかしいつの間にかライブハウスに通いつめる様になり、
コピーバンドではあるもののライブハウスに出演する様になり、
高校を卒業する頃には初めてのオリジナル曲まで完成していた。

僕らのバンドの初期はリハーサルスタジオで全員でガチャガチャやりながら何となく曲を完成をさせる事が多かったが、
なぜかある日ふと地元のライブハウスのだだっ広い駐車場でギター一本で作曲に挑んだ事がある。
多分本当にその日の気分でチャレンジしただけだった様に思う。
大してギターを弾ける訳でもないのに
簡単なコードをジャカジャカ鳴らしながら鼻歌で作ってみたらなんとなく一曲完成してしまった。
その曲こそが「seize the day」である

そしてそれは僕のバンドの初期の代表曲になった。
初めてCDを全国発売したアルバムのリード曲、そしてタイトルも「seize the day」に決定した。
リリースはちょうど15年前、2006年の12月6日。
ライブの最後に演奏することの多い曲だった。

当時まだ20歳そこらのクソガキだった我々を早い段階で見初めてくれて、
全国デビューに導いてくれた当時のプロデューサー、和田さん。
当時超スパルタだった和田さんに未熟だった僕たちは最後までついていくことが出来ず、
結局1枚のリリースだけで事務所を脱退。
お世話になった期間は1年ほどだった様に思う。
正直あまり良い別れ方ではなかった気がする。

その後も5年ほど音楽を続け、曲も沢山増えた。
CDも何枚かリリースし全国ツアーも回った。
そして25歳の時に僕の音楽人生は幕を閉じた。

ラストライブの写真
画質悪過ぎw

客席側から友達が撮影してくれた写真の方が
画質いいってどういうこと


それから10年。
今年の7月にLAに行く事が決まったので
LAに住む元バンドマンの友人・しほちゃんに連絡したところ
なんと和田さんも同時期にLAに滞在している事を知った。
しかし僕のLA到着日にLAを発つスケジュールという事で
僕は到着を1日早めた。

そしてダメ元で向こうが嫌じゃなければ十数年ぶりに会いたいと伝えてくれ、としほちゃんにお願いしたところ
和田さんからの返事は「YES」だった。

そしてサンタモニカのレストランで再会。
驚くべきことに和田さんはEnd of the world(SEKAI NO OWARI)のProducer&Creative Directorに就任していた。
そのMV撮影でLAに滞在していたのだ。

食事しながら思い出話を沢山した。
そして
「俺あの時ナオキのバンドに目をつけたのは今でも我ながら見る目あったなあと思ったわ、曲良かったもん」
という
泣きそうなくらい嬉しい言葉も頂いた。