湯殿川の名前の由来
小学校の前を流れる湯殿川(ゆどのがわ)。校歌にも歌われているくらい
由井三小とは縁の深い川ですが、名前の由来は何なのか気になって調べてみると
もの凄く湯殿川に詳しいサイトを発見しました。
多摩丘陵/湯殿川周辺の雑記帳
んでもってこの湯殿川博士のようなサイト管理人さんによると・・・
という事で、要約すると、出羽三山の湯殿山が由来のようです。
小比企や片倉とはあんまり関係ないんじゃね?って気がしないでもない・・・
護岸工事によりほぼ直線となってしまった湯殿川ですが
昔はかなり曲がりくねった川だった(学校の1階廊下にある写真参照)ようです。
生態系は一度完全に破壊されたハズですが、現在は気持ち悪い程の数の鯉が泳いでます。
これは昔、川の傍に鯉の養殖場があり、そこから水害で流れ込んだのが原因だと、
おやじ会の地元出身者から伺った気がします(すみません、酔ってて正確な記憶じゃございません^^;)。
護岸が急勾配で危ない為、魚取りをするやんちゃな子供もいません
もう少し水と親しめる護岸設計にできなかったのでしょうかねぇ
せっかく小学校の前に川があるのだから、川を使ったイベントも企画してみたいですが
ハードルつーか、護岸が高すぎますね・・・
ところで話は変わりますが、このブログには裏サイト(ブログ)が存在します。
裏サイトと言っても、お父さんが喜ぶような方向のモノではありませんが・・・
その管理者さんが湯殿川をサイクリングする記事を書いていらっしゃるので
併せてお読み頂ければ、より湯殿川に詳しくなれますぞ!
由井三小とは縁の深い川ですが、名前の由来は何なのか気になって調べてみると
もの凄く湯殿川に詳しいサイトを発見しました。
多摩丘陵/湯殿川周辺の雑記帳
んでもってこの湯殿川博士のようなサイト管理人さんによると・・・
湯殿川の名前の由来には、諸説あるようです。
定説ではないようですが、以下のような説明を見つけました。
その1:CEC中央電子のWeb siteより引用。
中世,龍見寺の辺りには「横山党」(平安時代にできた武士団)が住んでいたと 伝えられています。 前九年の役(1062年)に源頼義(みなもとのよりよし)に 従って出羽(現在の山形・秋田県)にいった 横山経兼が,出羽三山のひとつ湯殿山(山形県中部,標高1504m)から 大日如来像を拝領して, 館に大日堂を建立しました。 現在,この大日如来像は東京都の文化財になっています。 湯殿山にちなんで,ここを流れる川を湯殿川と呼んだそうです。 また,大日堂の下の湧水が湯殿川の水源と言われていました。
その2:歴史教材集「館町とその周辺」上館小学校 1983より
900年代、八王子あたりを横山党という武士集団が支配していた。横山党の党首横山常兼は朝廷の奥州征伐で苦戦した際に、 奥州の出羽三山の一つである湯殿山にお参りし、山伏の応援を得て敵の大将阿部貞任の首をとることができた。 以降、経兼は湯殿山を信仰し、その守りの本尊である大日如来像を大日堂に安置した。 その場所は。拓大の奥にある堂平(堂側)と言われている。堂平には湧水の池がありそこから流れ出る川を湯殿川と 呼ぶようになったと伝えられている。 その後1600年頃大日堂は龍見寺の裏山の堂山に移りさらに今の龍見寺の境内に移りました。
という事で、要約すると、出羽三山の湯殿山が由来のようです。
小比企や片倉とはあんまり関係ないんじゃね?って気がしないでもない・・・
護岸工事によりほぼ直線となってしまった湯殿川ですが
昔はかなり曲がりくねった川だった(学校の1階廊下にある写真参照)ようです。
生態系は一度完全に破壊されたハズですが、現在は気持ち悪い程の数の鯉が泳いでます。
これは昔、川の傍に鯉の養殖場があり、そこから水害で流れ込んだのが原因だと、
おやじ会の地元出身者から伺った気がします(すみません、酔ってて正確な記憶じゃございません^^;)。
護岸が急勾配で危ない為、魚取りをするやんちゃな子供もいません
もう少し水と親しめる護岸設計にできなかったのでしょうかねぇ
せっかく小学校の前に川があるのだから、川を使ったイベントも企画してみたいですが
ハードルつーか、護岸が高すぎますね・・・
ところで話は変わりますが、このブログには裏サイト(ブログ)が存在します。
裏サイトと言っても、お父さんが喜ぶような方向のモノではありませんが・・・
その管理者さんが湯殿川をサイクリングする記事を書いていらっしゃるので
併せてお読み頂ければ、より湯殿川に詳しくなれますぞ!