それから2時間。ちょうど酸素マスクをつけたり外したりしながら面倒なチューブ食を取っている時に、派手な塗装の揚陸艇がやって来た。トレーラーの近くに着陸すると、どかどかと中から重機や人員が展開し、あれよあれよという間にちょっとしたお祭り状態になった。人員が装着している酸素マスクのラインカラーは、工兵隊の重機労働者を意味する黄色と科学者の青、そして数人はメロカと同じ警備要員の赤色だ。赤色のマスクの中のひとりが、人混みから抜け出した。
「おっ姉御じゃねぇかぁ」
その視線に捉えられたメロカの眉間に大げさな皺がよった。
「……うげ、コルチク」
「あっはっは、久しぶりだなぁ。ウィトカまできてドライバーか。士官学校の頃のアルバイトと変わらねぇな」
大柄な男であるコルチクはメロカの肩に肘を載せようとしたがにべもなく振り払われた。
「うっさいね。アンタこそ、夢の巡空艦乗りだってあれだけうるさくしてた割に今は揚陸艇の操舵手やってるのか? らしくない」
「腕を買われて栄転さ。パルエの低空を飛ぶ空中艦の時代は終わった。これからは宇宙こそが男のロマンだ」
こいつは昔からこんなやつだ。ため息をつき後ろを振り向くと、端末機を眺めるクルツが迫っていた。
「おっと失礼、お知り合いか?」
「腐れ縁です。昔のことは聞かないでください」
「えぇ、大学時代の先輩です。しっかし別の星で"元カノ"と出会うとは、宇宙も狭いもんですねぇ学者先生」
クルツはあっけにとられたように二人の顔を交互に見たが、
「そう。ごゆっくり」
くるりと踵を返すと「あの堅物爆弾味蕾女に年下の男が居たとはな、これも宇宙時代の怪異か」などとぶつぶつ漏らしつつ去っていった。
「聞こえてるっての。ごゆっくりじゃないぞ、早くどっか行ってくれ」
メロカは舌打ちしてダルドにしっしと手を振った。
「そうも行かない、ここの警備を任せられたからなぁ。姉御と同じだ」
「どうせウィトカの高原に襲ってくるような動物なんていないのに……」
「宇宙条約に書いてあるからなぁ、仕方ない」
「融通が利かない条約だ」
融通が利かないラオデギアで採択されたからだ、と言いそうになったが腐ってもアーキル軍人なメロカなので言わないでおいた。
「クルツさん、予備土中スキャンの高解像度処理画です」
クルツはとある青マスクの若い女性に呼び止められた。研究者に似つかわしくないやたらひらひらした服装の彼女は、重そうな大型デバイスを地面に置き、クルツを手招きした。彼女の恰好は中世ノスギア北方服飾文化か何かだろうか、機器を弄る時に引っかからないかとつまらないことを考えながら、クルツは大型デバイスの画面を覗き込んだ。
「おお、この角度からなら形状が分かりやすいな。旧時代の飛行機のように見える……いや、自分は門外漢だから分からん。君はどう見る? 専門か?」
「ナテハです。宇宙機のエンジニアですわ」愛想よい笑顔をクルツに見せたが、すぐに真顔に変え画面に視線を戻した。「機影からするとノル丙型か戊型の汎用連絡船のように見えますね」いずれもパルエ軌道上やエイアの廃墟で見つかった旧文明の宇宙機だ。ノル型は大気圏航行可能な有翼宇宙船である。
「そうか。……申し遅れた、私は帝都大で惑星地質学をやってるクルツだ。そういえばウィトカ着任時にちらっと顔を合わせていたな。よろしく」
「よろしくお願いいたします♪」
「しかし、航空機ではなく宇宙船なのか……軌道上から操縦しそこなって墜落したか何かだろうか?」
ウィトカの周回軌道上には中型の宇宙ステーションが存在していた。現在は完全に解析され、大幅な増築ののちウィトカ軌道上の前進基地となっている。
「ノルタイプはウィトカ基地では発見されていないのですよ。ただの軌道シャトルではなく、多量のデルタVを持った惑星間航行船らしくて」
二人がそこまで話したところで、大型クレーンに吊下された宇宙船が穴から姿を現した。全長30メートル程度、旧文明特有の流線型を有した有人連絡機のようだ。遠巻きに二人が機体の正体について議論している間に、その連絡機は手際よく揚陸艇に積まれ、ウィトカ第四基地へと運搬されていった。
ウィトカ第四基地 多目的格納庫
数十人の作業員がせわしなく働く薄暗い格納庫内、揚陸艇からクレーンで慎重に降ろされた旧文明機には足場が組まれ多数のケーブルを配し、大小様々な機械に繋がれて分析が行われていた。
「主推進はクリスタル4発だし、耐座標系影響値は20超えてるし、思ったより大出力で頑丈らしいわ。どう思います? 先生」
作業員に混じってパネルを叩いていたナテハは、隣に鎮座する分析装置のようなものに尋ねた。
「現在までに集められたスキャニングデータを見る限り、これまでのデータベースに無い新型機なのは間違いない。確かにあの外見はノルタイプに見えるけど、惑星間飛行用に大幅に強化された別物だよ」
"先生"は、その装置から声を出して答えた。
「パルエとウィトカを結ぶコスモライナーか何かですかね」
「そうかもしれないけど、δVはもっと大きい。ヒーターも強化されている。居住性はあまり高くないけれど、それでも外惑星とか外縁天体まで巡航できるだけの潜在能力を持ち合わせているようだ」
ナテハは隣の装置に置いてあったシーバのコップを取り、そこに座った。
「僕の上に座るのは止めてほしいな」
ちょうどその時、旧文明機の操縦席周辺で解析作業を行っていた作業員がざわめき始めた。
「どうしたのかな」
「コックピットからミイラが見つかったらしい。酸素ボンベも付けてない」
「うえ……私見ないからね」
展望ドーム内
ナテハは駐在職員から「カフエ」と呼ばれている、基地内の展望ドームの椅子に腰を降ろしていた。彼女は、シーバのカップとともに机に置かれた中型の端末機と会話していた。
「未知の新型機なのは間違いない、というのはリパブリア工科大の工学データベースをダウンロードして参照したから確かだ」
「大学のサーバーから一晩でデータ全部落としたんですか!?」
ナテハはつい声を張り上げる。職員の視線が数人分、彼女に集まった。
「今月分の通信容量はぎりぎりクリアしていたけど……まずかったかい?」
「……いえ、仕方ないです先生。研究のためですし」
ナテハはふぅ、とため息をつくと視線を上げた。大峡谷の巨大な岸壁は遠く霞み、ウィトカの低湿地帯が基地付近一面に広がっているのが見える。高張力蛋白ガラスを透過する日光はパルエの砂塵時のように覇気がない。
「大声を上げてどうした、トラブルか」
「あ、クルツさん……いえ、そういうわけではないんですけどね。今月の通信リソースが……まだ月初めなのに……」
惑星駐在の職員は、研究室や分隊などのチームごとにパルエと通信できるデータ容量が決まっている。研究用データとプライベートの通信は区分されていないため、あまり研究用に使いすぎると個人での通信ができなくなってしまう。
クルツはちらっと端末機に視線をやり、ついでにここ良いかと聞いてナテハの会釈で彼女と同じ席に座った。
「何か分かったのか」
「これまでに発見されたデータベースには記録されてない、完全新型の機体らしいです。現時点では、外惑星系までやすやすと飛行できる推進能力を軌道連絡船に付与したもの、とだけ」
「連絡艇に長距離軌道飛行をさせるという泥縄的設計をしているあたり、滅亡直前のオブジェクトらしい」
「それ、喋るのか。誰と通信してるんだ」
クルツは机の上に置かれた端末機を不審そうに見つめた。端末機に付属したレンズがクルツの方を向き、ランプが緑色に変わる。
「僕は僕だよ。ハーブェー・ウィラシックの分身八号機。ウィトカ基地に参考人として配備された人格だ」
「あぁ、名前は知ってる。旧文明の……ハーヴ研究員か。お初にお目にかかる、帝都大の地質屋クルツだ。この星に来た時に小耳に挟んだが、まさかそんな小さい機材の中にいるとは……」
「"本体"はここじゃなくて基地中央のサーバーだよ。最近はナテハ君に連れられて技術話をしていることが多いな」
「私の先生兼エンジニア友達ですわ♪」
ナテハは両手で端末機を持ち上げた。端末機のレンズがぐるぐる回り、ランプは黄色で点滅した。電源ランプを表情の代わりにしているのか。端末機自体は汎用無線機のはずだが、ハーヴが使える改造品だろうか、その人間臭い反応にクルツはふふっと笑う。
「ところでだ」話し相手が分かったところでクルツは話題を戻す。「外惑星連絡機といったな。アルゲ・クメグ系の衛星へ入植でもする気だったのか?」
「外惑星系の現在の状況はよくわかっていないから、何とも…… 少なくとも僕は、遠い星系へ入植するというような計画は聞いたことがなかったね」
現在のソナ星系において、エリクセ以遠の外惑星系は危険地帯である。特にエリクセとアルゲ・クメグの間の小惑星帯には多数の宙間機雷が散布されていて、かの惑星系に向かった初期の惑星探査機はいずれも触雷爆沈している。まるで旧文明がアルゲ・クメグに住む怪異を寄せ付けないようにするかの如く、あるいはエイリアンがパルエ人への嫌がらせでもするかの如く、徹底的な機雷散布が行われたらしい。その技術的な由来、目的は何一つ判明していない。かくして外惑星系への進出以前の問題として、何らかの手段で機雷原の対策を行うことが急務とされている。だが掃宙作戦に関する研究は始まったばかりだ。いまだアルゲ・クメグの至近まで飛行しての科学探査は、無人探査機の一つとして成功していない。
「アルゲ・クメグ衛星のエイゾレには水の海があると報告されている。ミズィクには有機組織の存在まで分光観測されてるのに、近くまで行って探査できないのはまったく惜しい話だ。どのようなオブジェクトがアルゲ・クメグ系に眠っているかもまったく不明ときている。ハーヴ君はどう思う?」
「その辺りの宙域は僕の生きていた時代でもアンノウンだよ。前の文明の末期に至って、そんなところまで手を伸ばしている余裕は無かった。"宇宙組"はみんな月かエイアを見ていたさ」
旧文明人は予期される終末戦争に備え、様々な手段で代替文明の存続を図った。ある集団は月や内惑星のパルエフォーミングを行い、ある集団は宇宙植民、ある集団は空中大陸への退避、ある集団は頑丈なハイパービルディングの建設、ある集団は地下アーコロジーの建設、ある集団は意識のアップロード……皮肉なことに、国や組織によってバラバラな計画を立て、残り少ない資源を分散させてしまったことが旧文明の滅びる遠因となってしまった。宇宙殖民組の多くは離陸すらかなわず、入植船はパルエ地表で無残な姿を晒している。旧文明への理解が進む前から、これらパルエ地表のオブジェクトの研究が続いている。
「でも、旧文明の外惑星に関しての工学的記録は不自然なほど少なくなっていますの。情報統制でもあったかのよう」
ナテハはお手上げとでも言うかのようにため息をついた。
「僕は違うと思う」ハーヴはナテハの情報統制、というワードを打ち消した。「僕の生きていた所で知る限りではあるけれど。最後まで議会は紛糾していた。前の文明の最後の四半世紀は、未知の遠くの惑星を調べるより既知の近くの惑星へ殖民することに全力を注ぐような環境だった。あるいはロケットひとつ飛ばすだけでも、対立陣営に言いがかりを付けられて滅ぼされるかもしれないという恐怖があった。自由な研究なんて、許されない……」
ハーヴの言葉は重い。これは紛れもなく彼自身の人格が体験したことなのである。
「好奇心の赴くまま、好きな研究ができる時代に万歳、ですね」
ナテハの言葉にクルツは軽く頷き、尋ねる。
「……それなら例えば、出発地などははっきりしているのか?」
その質問でハーヴのランプはオレンジから緑に変わった。いつもの口調で答える。
「航路データが残っていたよ。僕の出身じゃない言語でコードされていたけど、まぁ何とか解読できた。あの機体は、終末戦争"直後"の日付でウィトカとソナのラグランジュ点付近の基地を発進し緊急脱出してきたものだ」
「終末戦争の後に? 一体どういう所から飛んできたんだ」
「いや、何も。出発地点周辺には何も存在していない」
「そのとおり、何もなかったのです。高利得観測装置が見える限り、50フィンを超える大きさのものは何も」
ナテハは両手を広げ50フィンぐらいの大きさを示して補足した。
「存在しない? 宇宙ステーションも移民船も何も?」
「そうなのです。何もない空間から急に現れてここに墜落したかのよう」
「墜落、か。目的地はウィトカではなかったのか」
「パルエ行きだよ。乗組員のホトケサンも酸素マスクはしてなかった」
クルツはふむん、とあごに手を当てて考え始めた。今は存在しない、正体不明の始点からパルエに飛行する過程で何かトラブルが発生してウィトカに墜落し、今までアッ=ゲーバール高地に眠っていたのだろうか。一体どこから?
ラグランジュ点のいくつかは本質的には不安定だ。少しでもずれ始めると山の頂上から落下するかのようにずるずると軌道が変化してしまい、別の軌道を描くようになる。軌道計算を精密に行うのは非常に難しく、今使われているモデルは近似値だ。過去の天体軌道の変化を現在以上に精密に計算するべきか。
「……数万年前のソナ星系の厳密な天体軌道計算について、私の友人の電算物理学者にやってもらおうか。データ、貰えるか?」
「ありがとう、ぜひ頼むよ。物理シミュレーションは専門外だからね」
フォウ王国 オルドヴァ極域研究所遊星物理学チーム
青年というより中年に差し掛かりつつあるエディという男が、自分の研究室で隣席の学生と雑談しつつブラウン管に囲まれた生活を送っていた。かつてメロカやクルツとともに惑星ルーンで冒険を繰り広げた彼は現在、オルドヴァ市街郊外にある研究所の一室、電算機に大半を占拠された狭苦しい部屋で、惑星の軌道を画面に描いては修正する生活をしばらく続けている。
「……それで、エディさんはラオデギアアカデミーの学会でも講演会なされたんですか」
「そうなんだよ。相変わらずだったぞ、ランテ焼きに続いてルーン焼きとかいうのを作ってみたから食ってみろとか進められてな、それがどんなシロモノだったかっていうと……おっと、画面の小惑星45番と73番消えてないか、どこだ」
学生はエディがあごで示した画面に顔を近づけ、小さな光点ひとつひとつの数字を読んで探したが。
「あっ、パルエに衝突しました」
「ははっ」エディは学生の報告に肩をすくめて笑った。「ダウトだ。これじゃ南北衝突前に隕石衝突じゃないか」
「あれぇ……どこにミスがあったのかな……つら」
学生は眼鏡を外して机に突っ伏す。
「ちょっと疲れてるな。ラッツ君、気分転換に飯でも食べに行こうか。電算機もちょっと冷やそうぜ」
エディの電算機越しの提案に、ラッツと呼ばれた学生は起き上がって伸びをした。
「いいですね、行きましょう」
二人はラックから垂れ下がったコードや足元に散らばっている電算機の筐体を慎重に避けながら、ちょっとした立体迷路のごとく席から移動して研究室の扉までたどり着いた。室外から流れ込むオルドヴァの冷気に、室内の電算機の発熱量を実感する。
「うわ寒! それでルーン焼き、どんなのだったんですか?」
「もう後で聞け。食欲なくすぞ。……あれ」
エディは扉に付けられた簡易ポストに国際便の封筒が投函されていることに気づいた。差出人は連盟宇宙協会だ。開封して中を確認する。
「誰からですか?」
「あぁ、クルツ……かつての冒険仲間さ。内容はとても簡潔だ、奴らしい」
「どんな内容で」
ラッツの質問に、エディは手紙から視線をそらさずににっと笑って言った。
「ちょうど今やってることに関して、な……忙しくなるぞ。食べに行くのは中止だ、電話で出前でも頼んでくれ。研究所の事務のほうにツケといていいぞ。さて、遊星軌道シミュレーション。正確な奴が必要だ、今すぐ取り掛かろうか」
パルエ上空・汎惑星往還機 攻撃型「セト・ワイゼン」機内
『高度20万メルト。機材チェック』
ヘルメットの通信機から地上クルーの声が入る。機長席に座った壮年の男性は表情ひとつ変えず口を開いた。
「チェック。機体はいいぞ、安定している。HUD、センサ類には問題なし。FCS良好。撃ってみようか」
「分かりました」副操縦席に座ったオペレーターが操縦桿から手を離し、座席横の射撃盤スイッチを手にする。「極超音速射撃管制装置、起動します。下部パイロン武装マスターム、オン。目標対流圏メルカヴァ級巡航艦。突撃宙雷、目標捕捉」
機長は一瞬、画面の目標ロックオンを確認した。言葉が途切れ、腹部に響く重低音のみがコックピットを包んだ直後、口を開いた。
「目標捕捉確認。射撃許可」
「撃ちます……!」
わずかに遅れてゴトン、という音が2回連続した。同時に突撃宙雷を切り離したことによって機体が浮き上がり、2人は縦方向に大きく揺さぶられた。
「点火確認」
コックピットの目前から錐のような白い航跡が2本、真っすぐと伸びてゆく。弾頭は間もなく見えなくなったが、モノクロの火器管制カメラはメルカヴァ級に突撃する宙雷をしっかりと捉えていた。
機長のダウード、火器管制手アトイの2人はその画面をじっと見つめた。特徴的なデザインの旧文明戦艦メルカヴァ級は、自身に突っ込んできた宙雷を認識したのか、中央の赤い眼のような部分が光り始める。重力照射砲にエネルギーが集中し、この飛翔体を迎撃しようと試みたのだろう。だがそれが放たれるより前に、突進する宙雷が先に砕け散った。
「よし、弾頭分割確認」
音の十数倍という速度に加速した宙雷の弾頭はバラバラに飛び散り、対等な質量を持った十数発の運動エネルギー弾頭となる。照準を乱されたメルカヴァは、脅威度の等しいそれら分割弾に適切なリスク再評価を行うことができず、一瞬のフリーズの間に突っ込んできた分割弾に貫かれて砕け散った。
「標的撃沈成功!」
ダウードの言葉にアトイは手を叩いて拳を握った。
「よっし」
「模擬メルカヴァ・モデルの撃沈に成功。新型宙雷のコンセプトは上々のようだ。これで未踏の天体に敵性存在がいたとしても何らかの対抗はできるだろう。できれば我々がルーンに行った時にもこんな優秀な兵器があれば、あんなにビクビクしなくてもよかったのにな」
ダウードのつぶやきにアトイは苦笑して返す。
「ですね。結果論では無事だったとはいえ……すごいなぁ、まるで散弾をスナイパーライフルで正確に撃ち込むようなもんだ」
ダウードは無言でうなずくと、地上クルーとのしばしの交信ののち自動操縦を解除し、操縦桿を握った。
「さて、基地へ帰投しよう。散弾と言えば、だな。ショットガン計画の第四次が打ち切られそうって話、聞いたか?」
「ショットガン計画……散弾のごとく探査機をばら撒く奴でしたっけ」
宇宙進出は始まったばかりだ。惑星クラス天体の研究は比較的進んでいるが、ソナ星系に存在する天体はそれだけではない。現在到達できる内惑星軌道周辺だけでも、何万個もの小惑星が発見されている。それらのうち一部には、なにか旧文明由来のオブジェクトが存在しているのかもしれないが、地上からの望遠鏡で確認できることは限られている。
そういうわけで、無数にある小惑星に旧文明に関与するオブジェクトがないかどうか、手当たり次第に探査機を飛ばして探っていく計画がショットガン計画だ。探査機は簡単なスラスタと通信機、電源にカメラ、対旧文明逆探のみを載せた廉価な量産機で「とりあえず小惑星に旧文明の機材が落ちてたりしないか分かればそれでいい」というだけの代物だ。それを一度に数十機もまとめて打ち上げる。それぞれの探査機はバラバラに小惑星めがけて飛んでゆくが、何せ粗製乱造なので目標小惑星のデータがちゃんと送られてくるのは7割ぐらい。それでも第三次計画途中の時点で300を超える小惑星のフライバイ撮影に成功している。
「で、これまで撮影した小惑星はどれもハズレ……旧文明の物品を見つけたケースは一つもない。任務達成率ゼロパーセントだ」
「多分、旧人は小惑星の資源開発なんかまで着手できなかったんでしょう」
「だろうな。プロジェクトチームはまだ全体の1パーセントも探査していない、根気よく続ければ必ず面白いものが見つかるはずだと主張しているが……」
「だとしても、効率は悪いでしょう。パルエや他の惑星で発見された物品からのデータサルベージで、興味深い小惑星がピックアップされたら改めて高級な探査機を送ればいい。計画凍結は妥当でしょう」
アトイの身も蓋もない指摘にダウードは苦笑いした。前世紀の軍事費に代わって大量に宇宙予算が投じられるようになった現在でも、費用対効果というモノはある。写真機と逆探しか載せてない安物を何のあてもなくしらみつぶしにばら撒くより、もっと良い予算の使い道はいくらでもあるだろう。
「さて、そんな話をしてるうちにもう基地だ。アプローチ」
ダウードは左手のスロットルをゆっくりと引く。甲高いエンジン音の反響は低くなり、セト・ワイゼンはゆっくりと首を垂れる。
「誘導飛行経路に沿って。エーレ35」
アトイは蒼一色の海原にふと、小さな点の存在を見出した。オリエント海にポツンと浮かぶイザリア島だ。ワリウネクル領の最東方に存在するこの島は、古来よりこの世の最果てとされ、パルエ人にとって重要な意味を持ってきた。現在は大規模な滑走路や停泊施設が整備され、パルエの「表側」と「裏側」両世界を結ぶ民間航路のハブ港となっている。
極超音速で成層圏を飛行していたセト・ワイゼンも十分に出力を落とし、すでに亜音速に入っている。あれよという間にイザリア島が大きく広がり、ちょっとした霧の立ち込める山地エリアを抜けると、まもなく眼前に舗装された滑走路が広がった。
「タッチダウン」
ダウードが呟く。ドヒュウという音と振動と同時に、セト・ワイゼンは危なげなく接地した。今まで低く唸っていたエンジンは再び大声を挙げて逆噴射を掛ける。その気になれば宇宙まで飛翔できるこの巨鳥は、エプロンで混雑する民間旅客機を尻目に宇宙局の所有するターミナルへと自走していった。
地上誘導員指示のもと停止すると、ダウードが右端のスイッチを押下した。セト・ワイゼンからタラップが展開される間、2人は迅速に機材のシステムチェックを終えて電源を落とす。ダウードは大きく伸びをし、ヘルメットを外しながら言った。
「お疲れさん。さて空港で実験成功を祝してというか、何か美味しいものを食べようか」
「いいですね。イザリアはヤシのジュースが名物らしいですよ。前に来た時に飲みましたが、甘酸っぱくて美味しい」
「おお、いいね。アンモニア入りのルーンジュースとはえらい違いだ。サッと汗を流した後は観光といこう」
数年前のアーキルでの苦い記憶に肩をすくめ、アトイはダウードに続きタラップからイザリア空港に降り立った。すでに何人もの宇宙局エンジニア達が、停止した機体に集まって何か点検を行っている。空港ターミナルの宇宙支局に向かい、手短な挨拶と報告書の提出を終えるとこの任務は完了となる。2人は手短にシャワーを浴びると、狭くつまらない宇宙局施設にもはや用はないと商業施設の集まる民間ターミナルの方へ歩いていった。
イザリア空港 民間ターミナル
パルエの裏側が広く開拓される時代になり、イザリア島は「世界の果て」から「裏側航路中継地」にして「人気の観光地」となった。アーキルやパンノニアや南東入植都市の市民にとって、異国情緒溢れる来世文化が色濃く残るこの島は魅力的なのである。また、宇宙時代黎明期から裏側探査の拠点・通信施設としてインフラが整備されてきたため、生活水準も高く、「移住してみたい街」の筆頭としてよく挙げられたりする。
そんな世界的人気を誇るイザリア島の空港は、民間だけでなく連盟軍や宇宙局が共同で使用する、現代では世界トップクラスの利用者数に充実した施設を持つ良港である。
「久しぶりに来ましたが、前にもまして港内の店舗や物産展が充実していますな」
アトイは辺りを見まわすように眺めて感嘆した。その賑わいは港湾施設というより、観光地か人気娯楽施設の水準である。施設内にちょっとしたクルカコースターなんてものまである。しかし空港としての運営機能が損なわれているわけでは決してなく、掲示されている看板の表示に従えば自分の乗りたい飛行機や旅客船の方へうまく向かえるように誘導通路が整備されている。もちろん、その露天の通路には目抜き通りの如く沢山の売店や土産屋が林立している。
「土産でも散策しながら適当な売店で例のヤシジュース、買いに行こうぜ」
ターミナルの高揚した空気に包まれながら、アトイはダウードとともに店々をぶらつくことにした。イザリア島古来から伝わる常世の魚神の置物。正規のルートで出荷された弁当や甘味。それに混じって、商魂たくましい者は屋台の許可を取得してとるに足らないモノをなんとか売りさばこうとしている。お祭り騒ぎだ。2人は遠目に雑談を交わしながら喫茶店を探す。
「はは、あそこの屋台今どきカラークルカなんて売ってますな」
「今の若い奴らには一周回って人気らしいぜ」
手のひらサイズしかない色とりどりのミニクルカ達が屋台の柵の中で右往左往している。
「そうなんですか? 俺が子供の頃に流行った記憶があるんですけどね」
「200年ぐらい前からカラークルカ売られてたからな。たびたび思いだしたようにブームになってるらしい……お、あそこの喫茶店とかどうだ」
2人はその店で諸島ヤシのジュースを買い、その風味と華やかな空気を楽しみながらまたしばらく歩いていると、通路の端まで来てしまった。左右に道が続く丁字路になっていて、目の前にはふたつの看板がある。ひとつは空港案内と離発着便の掲示、ひとつは周辺の観光案内だ。何するでもなくそれをぼやっと眺めながら、ダウードは感慨深そうにつぶやいた。
「大きくなったもんだな、我々の世界も」
「まったくです」
イザリア島もそこそこの規模がある島だが、空港周辺は都市化されている。かつては僻地の寒村だったここも諸島有数の大都市と化し、今や沖南洲の洲都である。観光案内にはイザリア島の自然を楽しめるビーチや亜熱帯林散策の案内から、国立博物館のような文化施設へ向かう乗り合いバス時刻表まで記載されている。背後の賑わいをBGMに、2人がパルエヤシジュースを吸うずずずという音が何を主張するもなく響く。たまにパタパタという音も聞こえる。離発着便を表示する反転フラップが変わるのだ。何気なく目をやると、"イザリア発
アノーリア着 ラオデギ運輸中型船 機材故障のため運休
補償無"とある。飛行機便に比べて人気のない長距離格安船は最早減便されてく一方だよな。学生時代はよくお世話になったもんだけど。
これも時代の移り変わりかなとぼやっと思いめぐらせていると、唐突に聞いたことのある声が後ろから投げかけられた。
「おぉっす、ダウードさんとアトイさんじゃない! お久しぶりだね!」
「ん、ミトとムロボロドか」
フランクな中年女性に軍の夏服を綺麗に決めた渋い中年男性という対照的な2人組が、何やら紙袋に入った揚げ物をかじりながら近寄ってきた。この2人もやはりルーンを探検した仲間だ。
「2人はこんな島でバカンスかい? ムロボロド。お前妻子持ちだろ?」
「馬鹿言え、出張だ。沖南洲立大学でやってる宇宙医療学会に参加してたんだ」
ミトは宇宙生物学者、ムロボロドは退役軍人の医者である。
「君たち2人は? その服装ってことは例の"パルエ宇宙防衛軍"関係の任務かい?」
「ああ、新型の宙間攻撃機に乗って、テスト飛行でな。パルエを半周してきて終わったところだ」
「はぁーそりゃお疲れ様だね。どうぞ、食べていーよ」
ミトは片手に持っていた紙袋をアトイとダウードの方に押し付けた。
「なんだこれ」
「イザリア名物のサルダキっていう揚げ物。ワリムギの練り物を油で揚げて砂糖とかまぶしてるの」
ダウードは紙袋を受け取ると拳サイズのサルダキを一つ掴んで齧り、ふむ、といった感じにアトイに頷いてみせた。
「しかし。連盟合同空軍、転じてパルエ宇宙防衛軍、か……慣れないな。まるで空想科学小説だよ」
ムロボロドはサルダキをもぐもぐしているダウードの宇宙軍制服を眺めてぼやいた。ダウードは彼の言葉に苦笑して返す。
「もご……なんてことはない。武装宇宙船を効率的に運用する部署が連盟軍の中にできただけで、今のところ何も変わった仕事じゃない。私だってただのテストパイロットさ。まぁ、昔読んだ少年冒険雑誌に出てくるような浪漫溢れる要素は名前と設立理念だけだな」
パルエ宇宙防衛軍。この素晴らしい響きを持った組織が編成されたきっかけは、まさに今話している4人がルーンへ有人探査を行ったことだった。ムロボロド率いる7人と2匹の調査チームは、ルーンの北極でリンと窒素からなるまったく未知の生物を発見した。この生物は、入植した旧文明人のシェルターに対し砲撃する生体兵器へと進化していたのだった。
かねてより科学者の間で共有されていた疑念が確信に変わった。この宇宙にはパルエ人の理解が及ばない生命も存在しうる。それは敵対的な存在かもしれず、しかも平和的な解決が決して不可能な存在かもしれない。ルーンのリン-窒素生物自体は、ルーンの地表に着陸しない限り脅威ではない。しかし、これから宇宙探検を続ける中ではるかに危険な存在に出会わないという保証はどこにもない。いや、何もせずとも突如として宇宙の恐怖がパルエに襲い掛かってくる可能性すら、誰もゼロだとは断言できないのだ。現に外惑星系への宇宙空間には正体不明の機雷が敷設されている。捉えようによっては、未知の脅威によって我々の制宙権が侵害されていると言えそうだ。事態は一刻を争うのかもしれない。
パルエ連盟加盟諸国と、旧文明から生きている4体の知能達。彼らは全会一致でパルエを守る宇宙規模の軍事組織に賛成したのだった。
"外なる脅威に対しあらゆる手段を用いて、我々の独立と自尊、我々の揺りかごであるパルエの大地と海を守る、人類連合の総軍"なのである。
「まぁ母体になった連盟空軍はムロボロドの古巣だし、組織の大幅な変革に色々と意見はあるかもしれんが」以上のことを踏まえて、ダウードは話した。「少なくとも、その理念があったからこそ我々は真にまとまることができた。それは事実だ。小さなパルエの表面の国境線をちょっとずらすために陸軍を用意するとか、そんなことするより他の惑星を開拓して、未知の脅威に対抗する宇宙軍をみんなで運営した方が現実的というような時代になったんだ。今じゃみんな大真面目に宇宙艦隊だの惑星要塞だの研究してる」
アトイはサルダキにまぶした砂糖が偏ってることに気を取らつつ、それを聞いて凄い時代になったもんだなと改めて思った。ムロボロドもそれは分かってるよといった感じで頷いて、こう返答した。
「確かに、半世紀前なら小国と言われてきた一部の国々も、裏側や惑星に入植していって、巨大な資源と市場が手に入るようになってからは人口も経済もうなぎ上りだ。パンゲア大陸で今更戦争する意味はまったくなくなった」
「"昨日の発見"で、ついに宇宙防衛軍も初陣かとか言われてるしねー」
「おいおい、そりゃさすがに報道が飛ばしすぎだろ。まだ何も分かってない。確かに学会の最中にあの写真が送られてきた時は度肝を抜いたが……」
「私たちも懐かしの探査任務に復帰ですかね。パルエ宇宙防衛軍・軍属宇宙生物学者のミト! ひゃーかっこいい」
ミトとムロボロドの話に付いていけず、ダウードはサルダキを食べる手を止めて質問する。
「待ってくれ、昨日の発見って何なんだ」
「ん、聞いてないのか」
現役の宇宙防衛兵だろ、というムロボロドの突っ込みに、ずっとテストパイロットで飛んでたんだよ、数日はシャバのニュース見てないよ、とダウードは答える。その間にミトが鞄から何枚か写真を取り出してきた。
「例の、ショットガン計画。粗製乱造のばら撒きって言われてたやつね。第三次の59番機が写した奴がね。対象は、小惑星724番。全長数百レウコの小惑星だと思ってたのが、実はね」
ミトから手渡された写真を受け取って、ダウードとアトイは眼を見開いた。
小惑星の全体像。いや、違う。そこに写っているのは砂礫積もる岩の天体ではなく、明らかに人工物だった。小惑星の一部にオブジェクトが、という代物ではない。小惑星だと思われていた天体そのものが、何らかの巨大宇宙船なのだ。
写真を繰る。2枚目に移っているのは、より接近して撮影された画像。金属的な質感のある外装は、ところどころ損傷し、あるいはデブリに当たったのか衝突痕が見受けられる。相当古い時代のものらしい。
3枚目。少し移動した位置からの撮影。外装の一部は剥がれ、中に何らかの構造があるようにも見える。しかしカメラの性能が悪いのかよく分からない。他にも小さな破孔が散見されるが、いや、全体の大きさを考えるとこれでもこの空港サイズの巨大な開口部かもしれない。
4枚目。別アングルから、再び全体像を撮影したもの。この写真なら"巨大宇宙船"の全体像がよく分かる。全体的には、魚類のようなスマートな形状に、ヒレのようなものが生えている。無数の機材や配管、外装などが剥がれ曲がって朽ち果てている。細かいところはやはりよく分からない。
「写真はそれだけ。探査機の旧文明センサには何も反応なし。そもそも旧文明の宇宙船としてもありえないほどの大きさ。物体としては機能していないか、あるいは旧文明製ですらない何かか……」
と、ミトは補足した。
「それだけか」
「それだけだよ。安物探査機だもん。目標まで大雑把に飛んでいって、ちょっと軌道修正して、最接近時に写真をぱしゃぱしゃっと撮ったらミッション終了」
ダウードはため息をついて4枚の写真をミトに返した。
「それなら……例の"賢者たち"はなんて言ってるんだ」
"賢者たち"とは旧文明の生き証人である「セイゼイリゼイ」「ミケラ・ダ・スウェイア」「ネタルフィー」そして「ハーブェー・ウィラシック」の4体の人工知能のことだ。現パルエ人の一部の学者や軍人は、敬意を込めてこのように呼ぶ人もいる。
「公式にはノーコメントだよ」ミトは両手を開いて、なぜか嬉しそうな顔で続ける。「パラドメッドに居る友人に聞いてみたんだけどね。みんな大混乱だって。旧文明のあらゆる知識を持った"あの人ら"でさえ、ここまで巨大な宇宙船を造る技術は無かったはずなんだって言って議論は紛糾してる。あの規模の巨大宇宙船を建造した記録、どころかそれだけの資源が残存していた状況証拠のひとつすら思い当たらない、ありえないと……んで、ここからは私の見解だけど。あれは宇宙人の侵略の証拠だよ。パルエ宇宙防衛軍の出番だよ!」
「分からんが、まだちょっと気が早い」
と、ムロボロドは首をすくめた。しかし衝撃のニュースを聞いた直後のダウードとアトイは、すぐさま笑い飛ばす気分にはなれなかった。
同時刻・フォウ王国 オルドヴァ極域研究所遊星物理学チーム
「どう思う?」
ほの暗い部屋の中、ブラウン管に顔の半分を照らされたエディは、同じく画面の光に照らされた学生のルッツに呆れたように呟いた。
「どうもないですよね、これは……ホントに計算合ってますかね」
「合ってる。過去300年間の全天体の観測記録をぶち込んで、まったく誤差がなかった。これまでのどんな天体シミュレーションより正確だぜ」
「……」
「ウィトカで見つかった旧文明のシャトルな」
少し言葉を区切って、続ける。
「まさか、渦中の小惑星724番から出発したとはな」
しばしの沈黙。
「なんか……すごいですね」
あまりの驚きか、しばらく経って出てきた妙に平凡な学生の感想で、少し笑顔になったエディは立ち上がって伸びをした。
「疲れたなぁ。結果出たから論文にしてまとめるぞ。……その前に腹ごしらえにでも行こうかね。ひょっとしたら、俺達3か月後には宇宙行ってるかもしれないぞ」
3か月後
パルエ近傍宇宙空間 軌道上中継拠点
「やあ。魚の骨に泊まったのは初めてか?」
たった今開いたドッキングハッチから顔を出したエディは、挨拶もそこそこにニヤニヤして言い放った。人ひとりがやっと通れるぐらいのハッチをくぐり、輸送ドラム缶と大差ない太さの与圧部に乗り移る。彼の目の前で疲れ顔のミトがぐるぐる巻きの寝袋に詰まっていた。まるでミノムシだ。ぼやっと宙を眺めるミトは表情一つ変えずにぽつり。
「……狭すぎる。ワイゼン以下の居住空間のステーションって何なのよ」
「居住モジュールなんか撤去されたさ」
エディは軽い口調で寝袋のミトの隣を移動し、寝袋の足元にあるオーブンの蓋を開ける。ふたりは狭苦しい円筒の中ミトとエディの頭と足が反対側に浮いている状態となった。
「宇宙局は合理的だからな。広くて充実した設備の居住モジュールはこんな内地の中継拠点から取り外されてもっと辺境の星で大活躍してる」
エディはごそごそとポケットを探り、香辛料入りスープ粥の真空パックを取り出した。オーブンに入れてツマミを適当に回す。
「けちくさ」
ここ「第拾壱
解放記念宙継泊地」はパルエの第二衛星、メオミー周回軌道上にある有人機中継拠点である。深宇宙へと旅立つ泊地になる前線ステーションだともてはやされたのも今は昔、パルエ人の活動がウィトカやエイアに広がるにつれて後方の予備機材となっていった。
エディが言うように立派な居住区や実験モジュールはとうの昔に取り外され、他惑星を回る新型宇宙ステーションや月面基地へとリサイクルされている。代わりに第拾壱泊地に増築されたのは「与圧延長ノード
Ⅰ型」などという量産品のトンネルばかりで、なんとも細く心細い見た目となっている。チューブユニットばかりで身がない「魚の骨」のようなこれらは、パルエの衛星軌道に1ダースほど散在している。月面基地要員を乗せた船舶をたまに迎え、燃料補給や整備ができる宇宙泊地ということになってはいるが……
「細長いトンネルばかりで居住空間が手狭なのはまだいいとして」寝袋がごそごそと揺れ動き、ミトはそこから上半身を脱した。「補給も修理もセルフサービスってどういうことよ!」
ミトは新品の宇宙軍技官の制服を着ていた。くちゃくちゃの寝袋から足を引っ張りだしながら、あぁもうしわしわ、などと愚痴をこぼす。
「ここに何日泊まって、そのうち常駐職員がいたのは何日間だった?」
そう聞くエディは、オーブンの中のスープ粥がぽこぽこと煮立ち始めたので慌てて扉を開けた。
「5日目。ここの船長と言ってた人は2日目には連絡艇でメオミーに降りていって音沙汰無しなんだけど」
「あんたが乗ってきた船は」
「その船長が乗ってった連絡艇で乗り逃げされた。ねえなんで宇宙局肝いりの探検家の扱いがこんなに酷いんよ」
エディは鼻で笑いながら真空パックに入ったスープ粥のチューブに口を付ける。
「隊員はメオミーに現地集合だもんで。というか俺達と一緒に来ればよかったのに」
ワイゼンの量産機に乗ってきたんだぜ、とエディはドッキングハッチを指さす。そこからダウードが顔を出してサムズアップした。もう一人、眼鏡を掛けた若い男も手を振っている。
「あのヤングボーイは?」
「うちのラボの学生だ。ルッツっていう」
「あーよろしくね!」ミトはルッツに愛想よく手を振り返し、エディに振り返る。「……んで、あの学生君はワイゼンに乗せるのに私は放置か。ルーンで同じ飯食った私はもはやお前の子分以下か」
「ここで5日間居たってことは連絡回したころには君多分宇宙出てただろ。タイミングが悪かったな。久しぶりの宇宙だからって急ぎ過ぎたんじゃないか」
ミトはため息をついてここはニヂリスカのサービスエリアより酷いさと愚痴りつつ、狭さに四苦八苦しながら寝袋のエアを抜き丸めた。寝袋を収納棚に納めたミトは窓の外に目を遣る。ちょうどメオミーの地平線からパルエが昇ってくるところで、ほの蒼い光に照らされたメオミーの夜の部分に巨大なクレーターが見て取れた。
旧人類の夢の跡、シヴァ・クレーターだ。それが形成されたのはミトが初等学校の頃だった。当時を生きていた人ならだれであれ、あの時に感じた衝撃と人々の狂乱を覚えているだろう。ステーションの公転でクレーターの反対側の縁が地平線から現れはじめ、稜線に沿って人工の明かりがぽつぽつと煌めいている様子が目に入る。かつて世界を沸かせたこの地に、今や多数の人が住んでいるという事実に奇妙な倒錯感を感じていた。
メオミー地表 "シヴァ・クレーター"
荒廃した大地。真空の地表、クレーターの縁部に一人立ち尽くす存在があった。目前の地面を踏みしめる。そこは岩滓でできたメオミーの地殻が再融解し、ガラス質の地質へと変質していた。巨大なクレーターは地平線を超え、小さなメオミーの弧にそって果てなく外輪山が並んでいる。クレーターの中央に小さな記念碑が建っている。
これを作ったのは、彼女の意思によるものだ。彼女は宇宙服を着ていない。
彼女は背後で音がしたので振り返った。いや、正確には真空のメオミーで音は聞こえないのだが、足先にある振動センサが背後に寄る質量を認識したのだ。背後から彼女に近寄ってきた球体は、標準プロトコルの通信レーザーを彼女の目に照射した。空気の振動に頼らない「言葉」だ。
『やはりここにいましたか。君は外に出てたそがれるのが好きですね。スウェイアさん』
スウェイアは首をすくめため息をついたようなそぶりを見せた。もちろん口から空気は出てこないが。
『摂取した酸化剤の量からしてあと3時間は真空防露可能でしょう。"冒険家"達の到着をよりによってこんなところで眺めるつもりだったのですか?』
スウェイアもデジタルデータで、その球に言葉を返した。
『ネタルフィー、あなたもそうだったの? "第二世代"の専門家もたまには散歩?』
『否。スウェイアさんが散歩した理由について把握するため。ここに来ていることが想定されましたので』
『理由、あれよ』
ネタルフィーのパノラマカメラは、スウェイアの指さしたシヴァ・クレーターの中央に向き直った。ネタルフィーはハイズームでクレーター中央に建てられた石碑の碑文を読む。
『"過ちを超えて、もう一度 735年13月
パルエ連盟"と記されています。リスクからあの時の私は水爆実験に反対していましたが、蓋を開けてみればあなたの見立て通りに進みました』
初期のパイロットたちが火山礫とスコリアにまみれたメオミーの洞窟で見つけたのは、地下バンカーに大量に備蓄された旧文明の核兵器だった。当初"反応がない死んだアノマリー"と分類していたそれらは回収され、パラドメット研究所で分析された。まもなくそれらは、パルエ人にとって全く未知な技術体系でできた『旧式大量破壊兵器』だったことに気が付いた。リコゼイ砲やオクロ爆縮装置のような局所的な貫徹力や破壊力こそ持たないものの、猛烈な火球と衝撃波で数十キロ圏内を完全に焼き払う『究極の榴弾』であるこれらは、現生人類にとっては手が届かない代物であるはずだった。パルエ地表のウラン鉱山は旧文明の手によって完全に枯渇してしまっていたからである。宇宙派の人々か、それ以前に進出した人々かが来るべき最終戦争に備え、メオミーに大量の核兵器と核燃料を備蓄していたのだった。それは極秘裏に行われたため、"賢者たち"にとっても完全に想定外のことであった。
リゼイは慌てて核兵器の安全な無力化と放射性物質の取り扱い法、核の平和利用技術を開示しようとした。ハーヴもそれを支持した。それらの声は大量破壊兵器の回収に色めき立った国際連盟の場で弱く、スウェイアの「それなら一度ぐらい使ってみろ」という主張が通ってしまったのだった。
宇宙時代のとある昼下がり。数か月前からニュースをにぎわせていたその日その時間通りに炸裂し――このシヴァ・クレーターが形成された。パルエ全土で肉眼で目撃できるほどのメオミーの閃光は人々の脳裏に強く焼きつき、出力1ギガトンの熱核弾頭は消え去った。後に残ったのは人々の持つ価値観の永久的な変化だった。
『……半世紀前にこのクレーターが生まれた時の畏怖と熱狂は、貴重な群衆心理サンプルとして私の流体データバンクにしっかりと記録されています。現文明の集団心理については私よりスウェイアさんの方がよく認識できていたと思われます。大量破壊兵器を禁忌のものとし、全世界の人々が平和のためだけの連合を組むことを実行に移したのは、パルエの地に人類が誕生してからこの時が初めてだったのかもしれません』
スウェイアはそれに何も答えず。瞬きひとつなく凍り付いた星空を仰いだ。月面ではしんと静まった大気が彼女らを包むことすらない。
『……質問。スウェイアさんが小惑星724番に関して、我々より更なる情報を把握している可能性について』
いくらかの無言の後、ネタルフィーはスウェイアに言葉の光束を当てる。
『どうかしらね……』
『現文明人はこの場にいません。不確定要素を多分に含んだ低論理性洞察でも構いません』
『……ノーコメント、よ。確定的ではない夢想を他者に伝えるほど、私は曖昧でいたくない』
『それは憶測が確実になるまで話したくないためでしょうか。それとも私に話すことがリスクファクターであると判断したからなのでしょうか』
『……話しておく動機がない。いずれ明らかになる』
『それは確信をもって?』
『そう。手を打つにはもう遅すぎる。そのために私がいたはずなのに』
それきりスウェイアは黙りこくってしまった。ネタルフィーはしばらく左右にふらふら揺れる。ネタルフィーがその意味を理解しようとし、しかし受け取り切れず価値判断を保留とするまで、しばらく言葉のやりとりは途切れた。
『ところで』再びスウェイアは言葉のレーザーをネタルフィーに照射する。『あなたもリゼイも724番の探査には随行しないのよね』
『我々のオリジナルはいずれも、正体不明の存在に踏み込む以上リスクは踏めないと許可が下りませんでした。リゼイはパラドメット研究所で趨勢を監視し続けると。私は今後もこの基地で助言者をし続けます。ハーヴさんの分身は旅立ちますが』
『コピーは』スウェイアはクレーターの縁に座りこんだ。『本物じゃない。私はなんとしてでも行きたかったわ』
『許可が下りなかったことは残念でした』
『何かあったら、あとのことは頼むわよ』
スウェイアは本気とも冗談とも取れない、真顔でネタルフィーの方に振りむいた。
『先ほどからあなたの真意は測りかねますが、リスクを取らないでください』
スウェイアはぼやっとした視線を宙に泳がしながら口を開いた。
『こう長く生きているとね、自分が不滅の存在である気がしてくるのよ。たまには博打に出るのも悪くはない』
ネタルフィーはセンサに飛行物体が検出されたことで、スウェイアらしくない刹那主義に対する返事のタイミングを失った。スウェイアもその飛行物体をじっと見つめていた。
『冒険者たちが来たわ』
ネタルフィーのカメラはそれを捕捉する。月往還仕様のワイゼンが1機、陽光を反射してきらりと光る。猛スピードで2体の頭上を通りすぎ、メオミーの基地へとアプローチングを開始していた。大気が無く低重力のメオミーでは滑空できないため、かの機体は推力偏向装置を用いて下方にスラスタ噴射し、地平線遠くに見える平坦な飛行場へと降下していった。ネタルフィーはいっぱいまでズームしその光景をしばらく観測した。スラスタ噴射と運動の法則からワイゼンの質量分布を推定し、乗員数と貨物重量を思考する。しばしばメオミーに発着する宇宙機の物理運動から内容物を計算して答え合わせをすることは、メオミーに配置されてからのネタルフィーのひそかな楽しみとなっていた。飛行場に垂直着陸するとすぐ、サーチライトの明かりに埋もれてワイゼンが見えなくなったので、ネタルフィーはカメラをスウェイアの座っていたところへと向き直した。
『……それで、あなたは』
そこには何もいなかった。ただスウェイアの足跡のみが基地の方へ点々と続いているだけだった。
第二衛星メオミー 国際共同監視区域 "ザイル・トゥバーン要塞"
細かな塵が空気になびくことによって埃が立つ。真空の月面でレゴリスは巻き上がらず、放物線を描いてすぐに落ちる。機体は静かにメオミーに垂直着陸し、推力偏向スラスタが上げた飛行場の塵もすぐに静まった。飛行場とは名ばかりの、基地近辺を長方形に整地しただけの砂場である。月往還機のメオマルワイゼン、その隣には巨大な船舶が着陸していた。宇宙船というより、無蓋車のような簡素な船体に小さな与圧カプセルがくっついているだけである。どうもエンジンのようなものも見当たらない。メオマルワイゼンから降り立ったミトは、その不格好な大型船を見て感嘆の声を上げた。
「はぁ~なんて巨大な風呂桶……」
その言葉をはっ、と笑い飛ばしながら、ミトに続いてメオマルワイゼンのタラップから姿を現したエディが説明した。
「宇宙艀のソケッタだな。ああいうタグボートロケットにドッキングして、よくメオミーとセレネを往復している。セレネで採掘・集積された物資をバラ積みしてこっちまで持ってくるのさ」
エディが指さした先には補助浮遊機関と立派なエンジンを搭載した着陸船が数機泊まっていた。なるほど自力飛行せず低重力の月面で引っ張られて使うらしい。
「そっかー、メオミーも"宇宙軍"創設以来どんどん開発が進んでるもんね」
ミトは飛行場に立つ。宇宙艀から振り返りメオマルワイゼンの背後に広がった基地施設群を見渡した。空気がないことで霞むことなく、基地に設置された多数の照明群がボコボコの丘陵地をぎらぎらと照らしている。月面放射線対策なのか、居住施設の半分近くは丘陵の地下に埋まっているようだ。彼女の後ろにはエディとルッツ、メオマルワイゼンを操縦したダウードもそれに続いて月面に降り立った。まもなく与圧キャビンを備えた六輪の月面車がのっそりと姿を現した。
このトゥバーン基地はシヴァ・クレーターから数キロの位置にある緩やかな丘陵地に建設された、パルエ衛星系最大の宇宙複合基地だ。その誕生はセレネの基地よりは新しい。スウェイアの命じた水爆実験が実行され、シヴァ・クレーター形成に慌てた連盟が、国際協力の元で核備蓄バンカーの確保と無力化を目指して前身となるメオミー核監視基地が建設された。古代人の残した核兵器とプルトニウムは国際機関の監視の元無力化・解体され、複製オクロ機関やソーラーパネルで間に合わない大電力が必要な施設などで使用する原子炉の燃料として流用された。ルーンに向かったピシア宇宙船が搭載していた原子炉もこの核燃料によるものであった。
そのルーン探検をきっかけに宇宙軍が発足し、パルエを宇宙の脅威から守ることが真面目に取りざたされるようになる。パルエという惑星の防衛を考えたとき、周囲を回る空気の無い衛星は深宇宙の哨戒という点において絶好の存在だ。メオミーはよりパルエから遠く、空気が無いため大型の望遠鏡や観測施設が運用しやすい。セレネよりさらに重力が弱いことは建設や重機の運用に有利だ。そういうわけでメオミーの本基地は、深宇宙からパルエを防衛する要となる"衛星要塞"となった。荒涼とした丘にポツンと立つだけだったこの基地は集中的にリソースを投入され、科学者や技術者、宇宙軍関係者などの職員が数千人規模で常駐するようになった。ウィトカの基地は最大でも150人規模、常駐職員は20~30人程度だから、その規模の大きさが分かる。旧文明の残滓というオアシスをベースにして砂漠の地に急速に現れた基地を、500年代初期のザイル砂漠オアシス都市群の要塞化になぞらえ、いつしかこの月面基地はザイル・トゥバーン要塞と呼ばれるようになっていった。
「この基地に存在する施設は望遠鏡やSBアイ反重力子観測装置による集中的な宇宙監視網、パルエとの高速通信局、大規模な宇宙港に発電区域、職員向けの居住区とインフラ施設に物資生産工場まで。軍事面では核兵器を備蓄していた地下施設を流用した要塞と……最近では宇宙戦闘を研究する実験部隊が展開して演習やらしてるらしい。俺達がルーン出発前に訓練に立ち寄った時から、メオミーも変わったもんだな」
ミト、エディ、ダウードを飛行場から基地のエントランスまで運ぶ与圧月面車に揺られながら、トゥバーン基地の概要を記した案内プレートに目を通しながらエディが言った。
「ああ。私だって、この前トゥバーン基地に来た時は発展ぶりに驚いたよ。ウィトカより一桁は大規模だ」
飛行場で4人を迎え、月面車を運転するメロカが答えた。
「ピューイヤ!」
「お、ホラちょうど左の方に。宇宙軍部隊が演習をしてるとこだ。『惑星騎兵第一師団遠征大隊 メオミー駐屯
装甲化小隊』だとさ。宇宙軍本部は異星に展開したパルエ初の実戦精鋭部隊だとドヤってるよ」
と言ってもたった100人規模の戦技研究部門だがな、と鼻で笑いながらメロカは、ピチューチカが鳴いた方を一瞥し、親指を向けた。エディ達4人は見ると、やや離れた砂丘の稜線から角ばった戦車がレゴリスに絡まりつつドテドテと走行していた。後ろに特徴的な見た目をした装輪装甲車が4両ほど続く。それらは彼女らにとって見覚えのあるものだった。
「あれボラッタかな?」
「そうだ。ボラッタ歩兵戦闘車のメオミー仕様車だとさ。先頭を走るのは連盟メルパゼル管区軍が保有する720式キュマロ主力戦車の宇宙バージョン」
「あ、こけた」
ルッツが呟く。最後尾をゆくボラッタが、砂丘の稜線を超えようとしてバランスを崩し派手に転倒した。斜面をごろごろと転がる様は低重力下でスロー再生のようにゆっくりと間延びして見える。キュマロ戦車が停止し、何らかの旗を立てる。演習中止かなにかということらしい。残るボラッタの後部から扉が開いて宇宙服を着た兵士が20人ほど集まり、ひっくり返ったボラッタに駆け寄っていく。
「なるほど、初歩的な練習からってとこか。こんなんとても"本番"にゃ使えやしないな」
エディが転倒ボラッタからフラフラ目を回しながらはい出てくる"精鋭部隊"の様子を見ながらぼやいた。
「笑ってるうちが華さ。本番なんて永遠に来なきゃいい。……ほれ、もう着くぞ」
メロカの運転する月面車が、複合施設群の端部であるエントランスユニットに滑りこんだ。このユニットは月面車の格納庫も兼ねる大型エアロックとなっている。5列ほど並んだカマボコ状のガレージに月面車を車庫入れすると、チューブ状の有機気密管が月面車の側面にある扉部分に接続される。車庫の半分は気密となっており、このチューブを経由して車内から直接基地内部へと移動することができる仕組みである。
人ひとりが立って通れる程度の気密通路内をしばらく進むと、直径20メートルほどの広さを持つ楕円形のエントランスホールへと出た。トゥバーン基地にいくつかあるエアロックや車庫通路にはハブとしてずれもこのエントランスホールがあり、基地の職員が雑談やちょっとした議論に使っているラウンジ空間となっていた。このホールからは各ガレージに続く他の通路が半ダースほど別々に伸びており、正面に見えるバルクヘッドの奥には、ホールから別の区画に繋がる通路が続いているようだ。ホールの側方は高張力蛋白膜の窓があり、大型月面車がまた別のガレージへと入庫しているところだった。ホール内にはトゥバーン基地の全貌を表した模型が中央に、その周囲にいくつかの椅子とテーブルが雑に配置されていた。そこにいる数人は皆顔なじみだった。
「やあ、お疲れ、メロカ。ミト、ダウードとエディ、久しぶりだ」
ルーンへの冒険で母船船長を務めていたムロボロドだ。その時に同行した他のメンバー、アトイとクルツもその場にいて手を振っていた。彼らは全員宇宙軍制服や軍属技官の惑星作業服を着用している。
「おおみんな、久しぶりだな。あの時のメンツが全員揃ったのはナントカいうドキュメンタリー撮影で集まった時以来だなァ」
「ピーヤ」
「ピュイヤ」
「ピチカとセニャまでいるさ」
メロカが足元のクルカ二匹をつま先で小突く。数年ぶりに顔を合わせた7人は挨拶ののち軽い歓談や近況報告を済ませた。エディが連れてきた一番若い学生のルッツは人気だ。色々と質問が投げかけられていた。
「……それにしてももう6年か。皆相応に貫録が付いたようだな」
「ルーンに向かい始めたのも一昔前の話だ」アトイのつぶやきにメロカが返した。「それで。現地集合とは、トゥバーン基地のエントランスじゃなく地下要塞でと、聞いたんだが。こっからどう向かえばいいのかな」
メロカが7人を順に見回す。7人とも聞いてない、とでもいう風にきょとんとしている。
「ピ?」
「お前には期待してない」
ムロボロドがああそういえば、と思いだしたように言った。彼は現役の宇宙軍士官だ。
「いや、ここで待ってれば担当者が来るっていう話だった」
「待ち合わせか」
メロカが椅子にどかっと腰を下ろした瞬間、背後のバルクヘッドが開いた音が聞こえ聞き覚えのある声が彼女の耳に入ってきた。
「私が、その担当者です。どうぞよろしく、お願いいたします」
7人が姿勢を正し敬礼する。よく見るとクルツの片眉が上がっている。嫌な予感がして振り返ったメロカは一瞬敬礼したものの、その男の顔を見るや否や顔に手を当ててしゃがみ込む。
「なんでお前がいるんだよ!」
「宇宙軍銀三等級のコルチクと申します。皆さまこれからの探検任務に数年間御付き合いいたします。お見知りおきを」
メロカを除いた7人はコルチクと順に握手する。メロカはしゃがみ込んだままだ。
「数年間こいつと一緒? 馬鹿なのか? こいつ何かと面倒くさいんだよ~~」
「はっ言うな、メロカ。いや、彼女とは昔からの知り合いなもので、お気になさらず。……さて、今回のミッションの目的地、小惑星724番まで向かう宇宙船のところへと行きましょう」
コルチクがバルクヘッドから基地内へと向かう通路へと歩き出し、7人と1匹もそれに付く。最後にピチューチカがしゃがんだメロカの頭をはたいた。
「分かってるよ。行くよ。ピチカめ生意気な」
メロカもピチューチカの頭を指ではじき返してから立ち上がり付いていった。
エントランスホールから先ほどより広くなった通路をしばらく進む。あ、よく見たら魚の骨と同じユニットじゃんこの廊下、とミトが呟いた。ノードになっている部屋から階段を下り、地下に3階分ほどを占める場末のホテルのような設備をした居住区画の端に駅がある。そこからクルカコースターのような簡素な貨客モノレールで数百メートルほど移動し、降りた駅から廊下を行くとすぐ行き止まりに到達した。そこはT字になっており、エアロックが並んでいる場所だった。
「ん、その集合場所ってのは外なのか」
「そうですね、正確には地下ですが。与圧されてませんので着替えてください」
ここのエアロックはカプセルホテルを縦にして1列に並べたような設備だ。それぞれのカプセルが1人用の小さなエアロックになっており、内部にサイズ可変の生体式船外服が用意されている。メロカ達9人と2匹以外にもちらほらと作業員らしき職員がエアロックに出入りしている。20人分も用意されているところを見る限り、この先の施設はかなり需要が多いらしい。
船外服を着たメロカはエアロックの反対、真空側の扉を開ける。そこは切りだした岩盤がそのままの未舗装トンネルで、十数メートル前方に建材用エレベーターが鎮座していた。
「まだ下るのか」
「もうしばらくです」
クルツがメオミー特有のボロボロな岩盤に触れながら「これスコリアか……」などと呟いている。扉もない大きな籠のような建材用エレベーターに乗りこみしばらく降下する。ごつごつした岩盤が高速で上に流れていく。
突然、目の前に大空間が広がった。メロカ達は感嘆の声を上げる。
青や緑のフラッシュライトに照らし出された広大な空間だ。エレベーターはその端のあたりに設置された支柱に沿ってなおも高速で降り続ける。鉄骨は心細いがメオミーの重力は弱いからこれでも大丈夫なのだろう。
「氷だ」
背後の岩盤をずっと眺めていたクルツが驚きの声を上げた。発泡した火山岩に混じってしばしば氷の層が貫入している。広大な空間の方へと視界を移動させれば、青いライトを反射して氷がキラキラと反射している様子が見える。メロカが下を覗きこんでみれば、百メートル以上下方で巨大な宇宙船が1隻。さらにその両サイドに同じ程度の船の骨組みが途中まで組み上がっていた。周囲に目をやると大型の探査機や宇宙ステーションのモジュールが所狭しと並べられ、製造が続いているようだ。それらの間をいくつもの月面車が貨車を牽引し、あるいはトラックや建設機材が行き来していた。
「地下造船所か!」
「ご名答、メロカ。宇宙局と連盟軍が合同で開発し、最近稼働を始めた最新鋭の製造拠点です。重力が弱いから重資材も楽々使用できるのでね。セレネの地下で見つかった、旧文明が中途半端なパルエフォーミングの為に備蓄していた炭素資源やら軽元素やらを、輸送船でメオミーに持ってきて各種資源に加工します。この空間のちょうど真上に物資加工工場がありまして、製造された装備はこの造船所で艤装します」
「落盤しそうだが」
「その点は大丈夫です」コルチクは疑問を投げかけたムロボロドに向き直って答えた。「旧人のオリハルコン建材で支えていますから。もともとはこの地下空間も彼らのパラパルエフォーミング実験場か何かだったようで、力学的には安定しています」
「初耳なんだが……コルチク。この施設隠しておく意味ある?」
「ま、曲りなりに軍事施設だからな。宇宙軍アーキル支局の管轄なわけで……」
「ああ」メロカは察したように苦笑した。「うちらが言えたことじゃないが、あそこは杓子定規な規則を当てはめたがるからな。機密にしまいがパルエ侵略を考える宇宙人のスパイなんていないだろうに」
「だが、新兵器も製造してるな? あれを見ろ」
アトイが指さした先に8人と2匹の視線が集まる。造船所の中央に鎮座する巨大な宇宙船が青白いフラッシュライトを反射して煌めく。その宇宙船がただの輸送船などの類ではないことは、甲板上に設置された2基の三連装砲塔が示していた。
「サイズは前時代のガリアグル級軽巡ってところか。スタイルは宇宙船そのものだが、俺達が昔乗ったピシア号と比べてはるかに洗練された設計に見える。新型の戦闘艦だ。宇宙戦艦を建造していたという噂話が事実だったとは」
ダウードが目を細めて観察し、感心したように言った。
「正確には戦艦じゃないですがね。第一世代掃宙巡航艦『ルスラン』です。新技術のフェゾン・ドライブを使用することで大搭載力と航続力を両立できるようになりました。つまり、これまで裸同然だった宇宙船に装甲と武装を載せられるようになったのです」
「ガスしか使えなかった連邦軍が浮遊機関を使えるようになったようなもんか」
ダウードが納得したように呟く。
「主な任務は掃宙……つまり、小惑星帯やらに分布する機雷原にわざと突っ込み、これを引き寄せて撃破することです」
「探査機を飛ばしても飛ばしても撃沈してくる機雷に対して、宇宙局も無策ではなかったか。存外、頼もしいな」
メロカが皮肉的に笑う。
「できれば機雷を鹵獲して調査も行うべきだな」と、ダウード。「で、我々はあれに乗っていくというわけか」
「そうですね。私と、ルスランの乗員が約120名。それからあなた方と、あと数名ほどの科学クルー、記者も1名名簿に入ってましたね……」
「あんたの役職は?」
メロカがにやにやと尋ねる。
「砲雷長だ」
「マジ!? 本気でお前そんな階級なのか!?」
「ああ。念願の宇宙艦の砲雷指揮になれたぜ」
ウィトカで揚陸艇の操舵手などしていたもんだからてっきり下っ端かと思い込み、ここぞと弄ってやろうと考えていたメロカは予想外の返答にたじろいだ。
「お、おお。まぁ、私は6年前にはルーンで戦車走らせてたからな。クレバスジャンプしたりしたし。わ、私よりずいぶん遅かったな。お前」
「そりゃどうも」
ケピピピ、とピチューチカ上げた笑い声はエレベーターが造船所再下面に付いた衝撃でメロカには聞こえなかった。
メオミー地下大洞窟 複合造船所「アーキルの頭頂」
「アーキルが主導したから付いたあだ名がアーキルの頭頂か」
エレベーターからルスランまで移動の月面ジープに乗りながら、話を聞いたメロカがケラケラと笑った。パルエにはアーキルの鼻と呼ばれる地域があり、500年代から北半球一の巨大造船所だったのだ。それにちなんだのだろう。
数人はジープの牽引する貨車に乗っている。エディは弟子のルッツと何やら話をしている。クルツは何気なく、彼らの指さした方を見る。大きなロケットの胴部を抱えた装脚クレーン車やら、爆発物印の入った装軌式のタンクローリーやら、職員輸送の与圧生体ホバーバスやら、多彩な工事車両が行き来している。表情には決して出さないものの、なかなか愉快な光景だ。楽しくなってくる。頭上に視線を移動させる。地下空間はフラッシュライトで非常に明るく照らし出され、ところどころ氷や結晶がそれを乱反射させ輝いている。岩盤の天井には吊り下げ式のクレーンが縦横無尽に動き回り、ゴンドラのような作業所が七色の光をサーチライトで照らしている。上から監視して建設作業を指揮しているのだろう。なかなかに幻想的な光景だ。
ジープがルスランに接近するにつれて、彼の視線もルスランに引き寄せられる。こうしてみると巨大だ。船体下部にも砲塔がある他、艦橋周りには所狭しと対空火器が並んでいる。機雷から身を守るためだろう。ルスランの両サイドには同じぐらいの大きさの骨組みが並んでいた。ルスランの姉妹艦が建設中なのだろうか。
ぼんやりとそこまで考えたところで、クルツは見慣れた顔がルスランの元に立っていることに気付いた。ジープはそこまで走り寄り停車した。
「あんたは確か……ナテハ君か」
「あっ、お久しぶりですわ♪」
『クルツ博士か。半年ぶりだ、ウィトカで出会ったね』
ナテハの隣にある月面探査用のローバーからも挨拶が返ってきた。
「そのローバーはひょっとして……ハーヴ君もいたのか。久しぶりだ」
『賢者達』とお知り合いなのか、クルツさんも中々大物ですねぇ、というミトの茶々を受け流し会話を続ける。
「あなた方もルスランに乗って724番の探査に?」
「ですね。皆様方と同じく科学クルーです。どっちかっていうと技術の方の人間ですが。リパブリア工科大の博士研究員で専門は旧時代の宇宙エンジニアリングです。このハーヴ先生6号ともどもよろしくお願いしますね」
『はは……よろしく』
ナテハはメロカ達に何度か頭を下げる。挨拶する時に頭を下げるのはメルパゼルの方の分化だな、そういえば今回もこの人の船外服はやたらヒラヒラした装飾が多いな趣味なのかな、とぼんやり考えていると、後ろ遠くの方から声が掛かった。現在使われている最新型の宇宙ヘルメットは、無線で拾った音声に距離と方向の情報を乗せてバイノーラル音響で自然に表現できるのだ。
「あぁ~、ルーンへ飛んだ冒険家の方々が! 皆さん皆さん、私もです! 混ぜてくださいな!」
メロカ達が振り返ると、パタパタとこちらに駆け寄ってくるひとりの女性がいた。いや、その身長を見るに女性というより少女と形容した方がいいかもしれない。ともかく彼女は駆け寄ってきた。船外服のカラーをよく見ると警備戦闘要員でも科学者でも技官でもない、民間人の灰色だった。
「あなたは。ここは軍施設だが、許可は取ってるのか」
「と、取ってますよ。大丈夫です! 私は」
大ジャンプでメロカ達の元まで来たその女性は中腰になりはぁ、と一呼吸置くと、自信満々の表情でこう自己紹介した。
「マイカ・セルです! 『海洋気象・国際学術ジャーナル』の敏腕記者ですよ!」
そう言って船外服のサイドポケットから機械カメラを取り出し、ポーズを決めた。テンションが高い。十数人の人だかりの間で2、3秒の沈黙が流れる。
「……で、そのブン屋さんがどういったご用件で」
やっとのことでメロカが質問した。マイカという女性も我に返ってそれに答える。
「あぁえっとですね。今回あなた方の小惑星……? か、宇宙船?
ええと、その724番の探検に際して、我々海洋気象・国際学術誌は宇宙局の厳格な抽選の結果、独占取材権を手に入れたのです。私もルスランに便乗して、今回の冒険を克明に記録するのであります!」
「あぁ、そういう……」
メロカは、私は別に構わないが、と呟きながら他のメンバーの顔色を窺う。
「取材は別に構わんのだが」メロカと目が合ったクルツが腰に手を当てながら聞いた。「その国際なんとか誌って初めて聞く名前だ。どんなジャーナルか知ってる人いる?」
クルツは皆に視線を投げかけるが、みな首をかしげるばかりだ。
「……弱小誌に当たったもんだな」
「弱小とは失礼なっ。まぁ会社自体は確かに駆け出しのベンチャー企業ですが。私の名前はニューポールとか皇国南方部族の間ではちょっとばかり知られてるんですよ。敏腕記者ですから」
メロカは微妙な地域ばかりじゃないか、ホントどんな雑誌なんだよという言葉が喉から出そうになったが、色々と失礼な発言なのでなんとか我慢する。代わりに「まぁ、無事探査が終わってパルエに帰ったら読んでみるよ」と言っておいた。
「別な質問だけど。君、いくつ?」
ミトが手を上げて質問する。確かにマイカの身長は小さい。それだけでなく、ヘルメットから覗きこんだ顔もどうも幼いように見える。個人差はあるだろうが、立ち振る舞いも含めて中等学校の生徒といった雰囲気だった。
「秘密です!」
「そ、そうですか……」
一応、連盟の規定では宇宙放射線量との兼ね合いから20歳未満は深宇宙へ飛行できないことになっている。メオミーに立っているということは成人してはいるのだろう。
「とまぁこんな個性的な方ではありますが、ちゃんと宇宙局の方で許可は取っています。こちら側の資料にも彼女の名前と身分は載っている。信頼していい人物ですよ」
コルチクのお墨付きでマイカはメロカ達に向き直り、元気な声でこう挨拶した。
「そういうわけで、民間人となりますが、往復2年6か月に渡る冒険にお付き合いいたします。皆さま改めましてよろしくお願いしますっ!」
数日後 掃宙巡航艦『ルスラン』艦内
『発進30分前。各員耐衝撃配置に付いたな?』ラパルドという艦長の声が座席横の通信機から聞こえる。メロカはルスラン艦内の居住モジュール、その最後尾にある座席に座っていた。
十数名ほどの科学者達とマイカはこの箇所で発進態勢に付いていた。残るルスラン乗員も配置状態でいるという。
メロカの座席は艦内の一番端だ。ちらりと左に視線を遣る。装甲シャッターは降ろされていないため、10センチほどの小さな窓ガラスから艦外の様子が覗ける。ルスランは洞窟造船所から台車に載せられ、巨大な搬出トンネルからひたすら斜めにゆっくりと移動している。
ガリガリっと音がした。窓から覗きこむとルスランの砲塔が搬出トンネルの突起を引っ掻いている。トンネルサイズがルスランと合っていない。
「雑だなぁ……」
ボソッとした呟きはかき消される。砲塔にはかすり傷ひとつ付いていない。オリハルコンとパルエリウムでできた複合装甲は流石に頑丈らしい。しかしそれらメタマテリアルは、ルスランの全体を覆えるほど手に入らない。
「願わくばここもそれだけの装甲が付いてれば……」
残念ながら居住区はバイタルパート外だ。外壁は至って普通の耐熱合金装甲しかない。非戦闘員は有事にはCICに避難することになっている。
突然、窓から日光が差し込んだ。ルスランが搬出トンネルからメオミーの外部に出たのだった。外を見ると巨大な岸壁が背後にそびえ立っていた。地下大洞窟からのトンネルはメオミーの巨大渓谷に繋がっていたのだった。
「こりゃあ溶岩チューブの天板が落盤した地形だな」
クルツが仏頂面で、聞いてもないのに渓谷の成因を呟いた。
渓谷を横切るように作られたモノレールの鉄橋の上を、ルスランを載せた台車はゆっくり進む。渓谷の中央辺りまで来たところで、突如ルスランは停止した。
『発進1分前。これよりリニアモーターカタパルトでメオミー地表を離れる。不要な会話は舌を噛みますゆえ』
ラパルド艦長の声が再び聞こえたがメロカはそれを聞き流す。窓の外をよく見ると渓谷の底に何両かの月面車が止まっていた。この艦の見送りか。メロカが緊張を緩和するため月面車の数を数えようと思い、数字を口に出した瞬間、強烈なGが体にのしかかった。
月面車を捉えていた視界が震え何も分からなくなる。ルスランにはモノレールの台車から持続的な加速度が加わる。すぐに渓谷を横断し、渓谷の対岸を削ったコースに差し掛かると、窓の外をメオミーの岩盤が猛スピードで走り去る。あれよと言う間に艦首が持ち上がり、加速する電磁モーターの音が途切れた。メオミーの地上が離れてゆく。ルスランは艦首上げ45度で軽くロール回転しながら、宇宙空間に打ち出された。一緒に打ち出されたリニアモーターの台車が切り離され、窓の外をゆっくりと離れていく。台車は何度かスラスタ噴射をして、そのあとはどうなったかもう分らない。一呼吸のち、さっきよりやや弱いGが再び体にかかった。ルスラン自身に搭載された液体ロケットブースターが点火され、メオミー周回軌道へと艦体を投入させるのだ。Gのかかる瞬間、なぜか一度「ゲピ!」というクルカの鳴き声が聞こえた。しばらくして、メオミー軌道上で聞いたことのない音色が響き渡った。パルエ人の現文明の手で造られたフェゾン・ドライブがこの時初めて起動され、パルエの重力圏外へこの巡宙艦を押し出し始めたのだった。もうメオミーは小さな白球でしかなくなっていた。
メロカとピチューチカは舌を噛んだ。
一か月後・ボルマン遷移軌道、ルーン ヒル球外域
メオミーを離脱して三か月が経った。すでにパルエ星系は小さく、ゴマ粒のような青球に目を凝らしてみると二つの点が付随するのみだ。メロカは窓から小さく見えるパルエ星系を、親指で隠す。パルエは二つの月ごと指先に隠れてしまった。
「これほど小さい世界に、何十億もの人々が息づいているのだ」
目覚め作戦以降の気候変動――正確には数万年間継続していた人工的な気象操作が解除されたことだが――によってパルエは生態系の大変動がもたらされた。本来なら植生の一変と気温の変化で大量絶滅すら発生しかねない事態だったが、旧人がそれを見越して地下大空間に整備していた生命保管庫と、そこに残されていた環境復旧プロトコルの解読によって、安定した緩やかな生態系の回復に成功することができた。それと同時に降水が回復した砂漠地帯の農地化、生体技術による環境負荷の軽い食肉農業の開花、シアノバクテリアを培養した液体燃料精製システムの完成、さらに南東地域の開拓に伴った「緑の革命」によって、パルエの文明は持続可能な社会の構築と工業化や人口爆発への対応と、それら両立に成功したのだった。
「パルエの人口はここ半世紀で10倍以上に増えました」
窓の外のパルエを眺めていたメロカに、マイカがふわりとやってきて言った。
「ん、それは喜ばしいことだ」
メロカはそう発言してから、自分の心を読まれた気がして変な気分になった。
「科学の発展も人々のより良い生活の実現も、経済の成長によって成し遂げられるのです。そして経済成長は、それをなす文明というパイの拡張のみが原動力です。停滞は大量破壊兵器を伴った戦乱に直結します。ここまで歩んできた我々は、もう二度と足踏みすることはできず、これからも大きく強くなり続けるしかないんですよ」
沈むことのない宇宙の陽光に顔の半分を照らされて柄にもなく黄昏れていたメロカは、このままマイカと政治社会問題とか、人類文明の歩むべき道とか、そういう話題を振りたい気分になったが、しかし小難しい話をするとボロが出そうだ。
「マイカさんは」なのでマイカに喋らせることにした。「なかなか社会問題やなんかにも詳しいのか?」
「ええ。いっちおう、ジャーナリストですから。一通りのことについては話せますよ?」マイカはそう言ってガッツポーズをして見せた。
「大きく強く、なり続けるしかない、か」
「それはかの、セイゼイリゼイが望んだこと。首の皮一枚でかろうじて生き残った人類は、リセットされた状態から文明を生み出してしまった時点で、再び拡張し続ける運命を背負う羽目になったのです。けれども人は、自分の意識の届く範囲のコミュニティしか認識できないもの。母集団が大きくなればなるほど、人々を結束する情報網は貧弱になってゆき、社会が分断されてゆきます。個人と情報を全世界レベルで結びつけることは困難だという問題は、旧文明もついぞ解決できませんでした」
マイカも宇宙の夕暮れのセンチメンタルな空気を感じたか、彼女らしくない口調で言った。
「社会が大きくなればなるほど、それを他人事だと思うようになって機能不全を起こしていくもの、か」
「その通り。そして人間とは、自分が慣れ親しんだ世界にこそ愛着を持つもの。拡張と変遷を繰り返す世界に、裏切られたと考える人々も出てくるのですよ。ある臨界点を突破すると、彼らの声が最も大きくなり、急速に社会の停滞意識が増してゆく」
「あぁ、そういう人間は身に覚えがなくもない。だいたいそういう奴に限って高い地位についていたりするんだ。それで自分が満足な生活を送っておいて、安全な立場から『これ以上の成長はいらないー!』などと言い出す」
メロカは腕を組みながらため息を吐き、苦笑した。
「あなたは、どうですか? 今でも大きく変わり続ける世界に身を投じていたい?」
「馬鹿言え、私はまだそんなに年老いていない。ここにいるのがその証拠さ」
メロカはマイカの質問に横目で返す。
「ま、確かにそうでしたね。巡宙艦に乗り込んで正体不明の宇宙船に調査しに行く。心が若くないとできない話です」
「おい、お前『心は』って何が言いたいんだ」
「え、いえいえ別に私は若く見られるからって余計な事思ってませんよぉ」
マイカはしまったというように舌を出してその場からふわりと離れていった。
「余計なこと言ってるじゃないか、マイカおい待てよ!」
メロカも苦笑しながら通路をふわりと逃げるマイカに、お前態度がでかいぞ、と叫んで追いかける。
「弱小誌のジャーナリストは図太いぐらいじゃないと生き残れないんですー!」
そう言ってマイカは、宇宙食のキャンデーを咥えてそばを泳いでいたセニャをひっつかみ、メロカに向かって投げつけた。丸まって飛んできたセニャはメロカの腹に刺さり、ぐぺっとゲロを吐く。メロカはセニャを掴み上げ、キャンデーを奪い取って自分の口に放り込むと「お前もとばっちりだなぁ」とセニャに語りかけた。
続いてメロカが不満げな表情のセニャを至極適当に放り投げる。マイカの行った方へと向き直ると、マイカは通路の反対側から出てきたナテハに捕まっているところだった。
「あぁ~~マイカちゃんだいいところに! 今度はガルーデアの民族衣装をモデルに似合うようなファッションを考えてみたんだけど、どう? あ、ちょっと!
なんで逃げるの?」
ナテハの手には、民族衣装というにはあまりにもゆるふわな手縫い衣装らしきものが無重量に揺らめいていた。メロカは、今どきのメルパ圏の若い子はああいうのが流行ってるのかね、と通路から開けっ放しのナテハの自室を覗くと、ゲロを引っ掛けられたらしき彼女の衣服と、ハンガーにベルトで磔にされているピチューチカがいた。ピチューチカの首には「衣装にいたずらしました」とのプレートが掛けられている。隣には月面探査車のような機体がダクトテープで床に固定され、「ピチカのいたずらを助けました」との張り紙がなされていた。その機体はメロカにカメラを向けてライトをチカチカさせた。
「僕は無実だ! メロカくん、た……助けてくれないかい?」
メロカはめちゃくちゃだな、と呟いてそのハーヴの分身を取り外しながら、横目でナテハの趣味をまじまじと見つめた。
「こういうひらひらしたヤツは……」
私には似合わんかな。そう言い終わるとほぼ同時に、背後からヤツの声が掛かった。
「着てみないのか? ナテハちゃんはお前の分も用意してるらしいぜ」
「うるさいコルチク。ありえない」
「そうか? パルエキンギョみたいで意外と似合うかもしれん」
「誰が出目クルカか!」
「言ってない言ってない」
メロカははっ、とため息を吐き、ジト目でコルチクに質問を投げかけた。
「というか、砲雷長サマな。当直任務サボるなよ」
「いやいや、今は非番の時間だから。まだ宇宙機雷は出てきていないし、多分しばらくは……」
その瞬間、艦内に緊急ブザーが鳴り響き、照明灯が緊急の赤色に切り替わった。一瞬、メロカの身体は固まったが、すぐに決められた通りの行動を始めた。
「緊急事態だ、退避する。コルチクお前はどうするんだ」
「宇宙機雷だな。CICに移動する。どうせ探検隊の君らもCIC横の待避所で待機だろ。待避所とCICの間には窓があるから、戦闘の様子を見学できるぞ」
「そうか。ならこの巡宙艦の戦闘というものを見学させてもらおう」
メロカは、お前のツラは特に見たくもないけどな、とコルチクに向かって付け足した。
巡宙艦「ルスラン」戦闘指揮所内
「不明飛行物体を補足。本艦に向かって30コスモテルミタルで、50基以上、接近してきます!」
CIC内にオペレーターの声が響き渡る。窓ガラス越しの同乗者待避所でもその声はよく聞こえた。メロカは30数名の非戦闘員とともに、待避所内で四点シートベルトを装着し、いやに硬い座席に身を沈めていた。
「艦首上方左舷方面、5万ゲイアス先の微小惑星より不明体多数接近。おそらく、宇宙機雷です」
小惑星帯を遊弋する宇宙機雷について分かっていることは少ない。何度かショットガン計画の派生ミッションとして、2機1組の余り物探査機を小惑星帯に突入させて先にどちらかが沈む様子をどちらかが撮影するという作戦がなされたことがあり、いくらかの粗いデータが残されている程度だ。
「相手は正体不明の存在だ。慎重に、予定通りの多重防宙システムを起動させよう」
「艦首宙雷発射管よりデコイシステム発射。1レウコ前方および後方で展開」
CICの画面に光学観測データが映し出される。艦首発射管のところにカメラがあるらしい。にょきっと射出されたデコイ宙雷は、ルスランからしばらく離れたところまで飛行したのちガスを放出し、一瞬でルスランより巨大な『宇宙戦艦』の風船を形作った。
「宇宙機雷が最も巨大な物体へと誘導されるのなら、バルーン式のデコイが単純かつ有効ってわけか」
メロカは誰に言うとでもなく呟く。
「宇宙機雷、なおも接近。まっすぐ本艦へと向かってきます! デコイにはほとんど掛かってきません!」
「そう単純な敵ではなかったか。どんな物体だ、機雷の姿を拝んでやりたい。望遠鏡は指向できるか」
「照準します……接近する宇宙機雷を捕捉。画面映します」
オペレーターのその言葉と同時に、CIC正面のディスプレイに艦橋望遠鏡で捉えた宇宙機雷の姿が映し出された。いや、それは「機雷」と形容される機械的物体などではなく……
「なんだ。あの、物体は」
幼虫のような見た目をした肉塊だった。曲がりくねった蛇のような胴体の先がオレンジ色に光り、それは曳光しておりなんらかの推進源を備えているようだった。身体は太陽風に焼かれた生体部品のごとく赤黒く、その肉塊に走る血管あるいは神経網すら伺える気がした。頭の先には不気味な一つ目が付き、それはルスランの方をまっすぐに見つめている。胴体はところどころ結晶のような破片が付着し、とげとげとしたスタイルだ。それがうねりながら、ルスランに突進してきていた。
「ミケラ系の生体兵器か……? 長射程艦対宙突撃誘導弾、VLS 1番から4番に諸元入力。目標、宇宙機雷もとい不明接近物体!」
ラパルド艦長の声でメロカは我に返った。気味の悪いあの「宇宙機雷」に対し、パルエの技術力の粋を集めた武力を投射しようとするルスランが、とても頼もしく思えた。隣に座っていたアトイが、あの突撃宙雷のお披露目だ、と呟くのが聞こえた。
「斉射ァ!」
ゴンゴンゴン、とルスラン深部に据え置かれたCICにまで発射音が反響する。ホログラム投影によって、電子光学方位盤に設置されたルスランの模型に発射されたミサイルが重ねて表示されている。ルスランの艦首砲塔前のランチャーから連続して撃ち出された4発のミサイルは、突っ込んできた「宇宙機雷」を前にして弾頭分割し、それぞれが別目標に対して突入した。
「命中22。不明接近物体、22基撃沈。なおも接近、36基!」
「続いて主砲および多機能副砲による迎撃に移る。主砲弾種榴散弾、副砲加熱レーザーカートリッジ、装填。照準合わせ!」
「撃て!」
瞬間、3連装24センチ艦砲の重厚な反響が連続して、腹の底まで響き渡る。メロカは士官候補生時代の戦車乗務を思い出した。重砲はぶっ放すと砲弾と一緒にストレスまですっ飛んでいくんだ。気味悪い肉塊にはこうでなくっちゃな。
やや遅れて、間延びした電子音のような音響も続く。副砲から放たれた低圧レーザー砲だろう。しかし新時代になってもレーザーやミサイルを差し置いて砲弾を放つ重砲が戦闘艦の主砲となっていることに、畑違いのメロカは謎の優越感を感じて満足げにうなづいた。
「命中多数。不明接近物体、25基撃沈!」
「クソ、まだいるか」ラパルド艦長は舌打ちする。「近接誘導弾、自動迎撃始め。コスモパンパン砲、自由射撃開始!」
「コントロールオープン!」
艦橋横にところ狭しと並べられた連装50ミリ機関砲のコスモパンパン砲Ⅱが、ドコンドコンドコンと猛烈な弾幕を展開する。1門当たりのレートは低いが、数の嵐で猛烈な投射量を誇る対空砲弾と、それに混じって鉛筆のように細長い近接迎撃ミサイルが、スラスタを撒き散らしながら飛翔してゆく。それらは次々と「宇宙機雷」に襲い掛かり、吹き飛ばし、あるいは近接信管の炸裂によってできた破片が突き刺さり、物言わぬ亡骸へと変えていった。
ルスランの模型にトレースされたホログラムを見ていたマイカは、迎撃をかいくぐった1発の「宇宙機雷」がデコイの方へと誘導されているように見えた。ディスプレイに表示されたそれはデコイに突き刺さり、しかし爆発はしなかった。
「……交戦終了。我が艦に接近してきた不明接近物体はすべて撃沈しました」
オペレーターが報告した。CIC艦内の戦闘要員は胸をなでおろす。
「待って。デコイにひとつ、突き刺さってますよ」
マイカが声を上げる。CIC要員に注意を促し、デコイを映したディスプレイを見るように注意を促した。コルチクはディスプレイに注目し、カメラの位置を動かしてゆく。まもなく、バルーンでできたデコイを制御する機械船部分に突き刺さっている「宇宙機雷」の姿が現れた。
「デコイのコンピューターの電圧が下がっています」
「なんだ、電気が吸われてるのか?」
コルチクが呟いた瞬間、「宇宙機雷」が大爆発を起こした。デコイは大破し、カメラには一瞬ノイズが走り、レンズに何らかの残骸が直撃したようだった。
CIC内がざわめく。ルスランを操る軍人たちは困惑しているようだった。しかし、メロカが待避所内の科学者たちを見回すと、今まで恐怖の表情を浮かべていた彼らは、逆に目を光らせてこの何かにたいして興味津々なようだった。
「行こうぜ。敵の正体を見極めることは、我々の仕事だ。そのための科学者だ」
エディがシートベルトを外し、もう立ち上がっていた。
「ルスラン」艦内 装甲科学研究室
防護服に身を包んだミトが、部屋中央の密閉装置内に安置された肉塊もとい「宇宙機雷」の正体について、腰に手を当ててさらっと言い当てた。
「宇宙に生きるスカイバードの卵ね」
とんでもないその発言に皆息を飲んだ。
「旧文明の生体兵器ではなくてか」
研究室の強化蛋白窓から、科学者たちによる分析の様子を見下ろしていたムロボロドが尋ねる。
「身体の組成がそんな単純じゃなくってねーこの子……生体兵器としての肉体改造を受けてるんじゃなくて、自然淘汰で進化してきた生き物に思える」ミトは密閉容器内に接続されたゴム手袋に腕を突っ込み、ピンセットやナイフを使って「卵」から引きずり出した胎児のような肉塊をつついてみせた。「代謝系も真空防露に特化している」
ほれほれ~、とそれを弄繰り回すミトに、彼女の背後で大きな分析装置を操作していたエディはうえっと口元を歪ませ、質問した。
「空気も水滴もない真空でスカイバードが成長可能だと?」
「口の部分に、金属殻にも対応できる特殊なイオンチャネル膜を備えてる。要するに、電気を食べるんよ。電気を食べて、爆発して、この『卵』をまき散らす……」
「だからって宇宙空間に生き物が存在してるなどと考えるのは……やはり旧文明の何らかの生体兵器なんじゃないか?」
「あら、クルカは宇宙で干物になってもお湯かけたら戻るじゃない」ミトはメロカの質問に冗談めかして答えた。「宇宙空間で生命が存在できるかと言えば、初期のセレネ無人探査機から回収した機材にパルエ由来のバクテリアが付着したまま生存していたという例がある。生体機関も、慎重な調整と十分なエネルギー供給源があれば真空の月面でも使用可能さ。だから、宇宙空間はすなわち死の世界だというのは、本質的じゃないね」
メロカはそれを聞き、腕を組んでこの謎の生き物をよく観察する。両手で持ち上げられるぐらいの大きさの粘液が付着した、ぶよぶよの結晶状物質を回収した。その結晶を割った中から、ルスランに突撃してきた「宇宙機雷生物」の小さな胎児のような生き物がミトの手によって摘出された。見た目はなるほど言われてみればスカイバードに似ている。ミトによれば、特にパルエの裏側で見つかった攻撃性スカイバードを簡略化させたような構造をしているらしい。それはミトの見事な手際で三枚に卸され、メロカの目の前で急速に解剖標本へと姿を変えつつあった。
「つまるところ、寄生生物に進化した宇宙スカイバードなやつですか?」
強化タンパク窓の向こう、メロカの隣のマイカが発した質問が、ミトの防護服のイヤホンに届く。寄生生物?
「んー、どうだろ……なんでそう考えたの?」
ミトは逆にマイカに質問する。
「電気を食べる生き物でしょ?
宇宙船を標的にしてたけど、兵器じゃないとすればもっとほかの宇宙生物に対して同じことしてたはず。エネルギーを蓄えた存在に突撃してきて付着して、エネルギーを吸って、爆発。その時に結晶のような卵をまき散らす。そのひとつがこれかなって。養分を蓄えた卵は普段は結晶状態で小惑星に隠れて、そしてまた宇宙生物の接近を待つ。接近してきたら孵化してまた突撃……そのような生活環が考えられませんか?」
マイカの推測を聞いたミトは、ぽんと手をたたいた。
「なるほどうまい説明。腑に落ちた。結構センスあるね、ジャーナリスト君」
ミトに褒められたマイカはえへへとだらしなくにやける。しかしメロカは、その説明に引っかかるところがあった。
「待て。さらっと流してるが、宇宙船並みの生物が宇宙空間のそこらじゅうを泳いでるってのか」
「居るかもね。レアだとは思うけど」
ミトは平然と答えた。
「宇宙空間を泳ぐスカイバードの一種……コスモバードか、宇宙クジラといったところだろうか。宇宙軍が調査しなきゃいけないネタが増えたかもしれん」
笑いながらそう呟いたダウードは、興味深そうに捌かれた「宇宙機雷生物」のスケッチをノートにとっていた。宇宙クジラか、いいね、と誰かが呟いた。
「それで。その宇宙機雷改め爆発性の寄生宇宙生物には、どう対処すりゃいいんだ」
メロカはお手上げだ、というように首をすくめて言った。
「ルスランの防御火器でひとまずは対策できたから、724番の探査というミッション自体は継続可能だろう」
やはりメロカ達とともに強化蛋白窓から様子を見ていたラパルド艦長は、あごひげを指先でなぞりながら答えた。
「現時点では推測に過ぎないけど」ミトはそう前置きしてから、防護服内のマジックハンドで鼻先をぼりぼり掻きながら言った。「マイカちゃんの仮説が正しければ、この寄生宇宙生物は結晶状態で周辺軌道に漂ってるはず。それを片っ端から撃破していくのは骨が折れそう……」
「いや、そうでもないぞ」エディはミトの背後で、携行式の端末機を操作し、何らかの計算結果を表示する画面から視線をそらさずに話した。「これまで小惑星帯で蝕雷したと思われる探査機は、特定の軌道と交差するラインに達した時点で通信が途絶している。このルスランだって、その軌道のひとつに差し掛かったさっきになって初めて襲撃を受けた。……と考えると、寄生宇宙生物を呼び寄せる何かトリガーとなる条件があるのかもしれない」
しばらくその場を静寂が包む。こいつを呼び寄せるフラグはなんだったのだろうか?
「……小惑星か」
沈黙を破ったクルツの一言に、エディが指を鳴らす。
「なるほど、結晶化した卵は小惑星に飛んでいって『巣』を作るのか」
「確かに。ルスランも戦闘直前に小惑星のそばを通った。あそこにこの寄生宇宙生物の卵がわんさと潜んでいたのか」と、コルチク。
「その『巣』となった小惑星に接近すると、飛んでくるのでしょう」マイカは話の流れを取材手帳に書き込みながら言った。「『機雷の掃除』は簡単です」
「そうだ、卵が分布してる小惑星の巣を吹っ飛ばそう。ルスランの持つ艦首模造リコゼイ砲を持ってすれば可能なはずです」
メロカはなぜか嬉しそうに、コルチクではなくラパルドの方を向いた。
「確かに。しかし襲い来る寄生宇宙生物をかいくぐりながら接近して、艦首を小惑星の巣に向けることは難しい」ラパルドはふむ、としばし言葉を途切り、何か決心したかのようにうなづいて続けた。「だが、まだある。実のところ……熱核弾頭を装備した戦略宙雷が、我が艦最後の切り札として特別に配備されている。奴らの死角から、小惑星そのものの殲滅も可能だ」
その場にいた全員が息を飲んだ。
「その弾頭は通常にあらず……か」
メロカが造船所で装填されていた艦首宙雷を思い出す。それはまさしく、人類にとっての最終手段だ。
「しかしそれは、かつて人類を滅ぼした兵器に他ならない。連盟議会と『賢者たち』の認可無しに使用は不可能とされている。ハーヴェさん、どう思われますか」
突然ラパルド艦長に尋ねられたハーヴは、今は自身の身体となっている量産型探査車のランプを青黄緑と点滅させ、慎重に言葉を選びながら言った。
「ええ、この流れで僕に振るのかい。こういうことは専門外なんだけど……そうだね。今の僕に許可は下せない。ここにいる僕は、あくまでハーヴという人格のコピーでしかないからね。……まず、その仮説が事実とは限らない。それにもし小惑星の『巣』が事実だったとして、そこを爆撃することはルスランに課された本来の任務でもない。今この艦がしなければ取り返しがつかなくなるようなことでもない。ルスランの姉妹艦が完成すれば、数をもって可能になる作戦だ。今回は見送るべきだと思うよ。ひとまずは寄生宇宙生物のサンプルを持って帰って、パラド生命技研で徹底的に調査すべきだと、進言させてもらう」
パラド生命技研は六王湖首都バリグにある、パルエ現文明最大の生命を扱う研究所である。ルーツは南北戦争時代帝国のテクノクラートまでさかのぼる。生体技術研究を行うマッドサイエンティストの集いであったテクノクラートは六王湖に逃れ、600年代後半は生命科学の基礎研究の階層まで真っ先に足を踏み入れた。軌道時代初期に波乱を生んだ、リゼイとスウェイアの反目と和解。そしてパルエの南北アカデミアが統合されていく流れにより、テクノクラート由来の生命研究所がパラドメッド研究所の傘下に入ったのが、パラド生命技研なのである。
閑話休題。ハーヴのその提案によって、ひとまず小惑星への核攻撃は凍結となった。現段階でそれは早計過ぎる。引き続き、ルスランは「小惑星」724番の探査へと、真空の宇宙空間を進み続けることになったのであった。
「まぁ、それでいいでしょう」
マイカは誰に言うともなく、通路の窓から星の闇を眺めて呟いた。既に装甲科学研究室前の廊下から人々は去り、通常業務へと戻っていた。マイカの眼は良い。窓からでもいろいろなものが見える。ルスランの乗員がいまだ見たことない、宇宙クジラだって。
マイカが窓から半身を翻すと、ナテハに着せられたケープがふわりと舞う。目の前には対照的な、機能性ばかりの防護服を脱いだミトがエアロックから出てきたところだった。
「やーマイカちゃん。見事な洞察だよ、おみそれしました」
「あ。……ああ、どうもです!」
マイカはミトに、びしっと敬礼のまねをする。
「あー、宇宙にも動物はいるんじゃないかって話ね。さっきは宇宙クジラ、って名前付いたっけ。突拍子もない考えだし、証拠がない今の段階じゃ科学者の間でもそんなこと言ったら色々突っ込み食らいそうだけど、実はなかなかありなんじゃないかって個人的には思ってる」
「なんでですか?」
「そうだね。いろいろ考えてたんだけど……じゃ、ちょっと思考の整理を。あなた、学校で生命科学の授業を受けたことある?」
「ええとまぁ、基礎課程程度には」
「じゃそこで、パルエに生息する全生命体の遺伝情報ね、それを進化系統樹に載せた図を教科書かなんかで見たことはあるかな?」
「記憶にはありますね。パルエに存在する生命体の系統樹は、根本的に遺伝情報の違うグループで複数のクラスタを形成してたと思います」
「その系統樹で、人間はどの場所だったかとか覚えてる?」
「えっと確か、ヒトという種が単独でクラスタを形成してたはずです」
「そのことについて、教科書の説明とか見た記憶は……」
「進化して人類の起源となった脊椎動物は、いずれも旧文明の形成前に絶滅したと考えられる、ということになっていたはずですね」
「その通り。人類に至るまでのその動物群の化石が発見されないことについて、古生物学者の間で定説となっている解釈は……」
「パルエの惑星ダイナミクスは内在的なものです。地殻で確認される堆積岩は地質活動がより活動的だった数億年以上過去のサンプルに限られているため、原始的なパルエウオ程度の化石すら発見されていませんもの。それだけの期間を隔てれば、パルエウオから人類へと進化することも不可能ではない、と皆さん考えてるはずです。パルエに息づく生物の系統樹が飛び飛びに見えるのは、近い過去についての化石が発見されていないことで生まれるミッシングリンクですね」
ミトが言おうと思っていたことをほとんどマイカが説明してしまった。
「……きみ、実は生命科学の学位持ってたりするの?」
「んーと、いえ。そういう大したものはないですよ」
「でもでも、さっきからかなり的確に返答してるじゃない。結構詳しいんじゃない? 絶対生物系のコース行ってたでしょ。学校はどこ通ってたの?」
「え~言っても分からないじゃないですかぁ」
「いやいや、でもあなたみたいな学生がいる大学ならちょっと交流してみたいなって。どこなの?」
「……じゃあ、オデッタ国立大学で」
ミトはそれを聞いて大声を出して笑った。
「あはは!寄付さえすれば学位がもらえるとこじゃないの!」
まいいや、とミトは笑い飛ばし、脱いだ防護服をコンテナに投げ込んだ。
「それでまぁ、パルエに生息する大型生物の系統樹はね。大きく分類して人間のグループと、パルエウオ類とスカイバードにクルカのグループ、それから昆虫類グループ、植物グループ、一部の例外的な原生生物グループなんかに大分類される。それぞれグループごとに体の仕組みから遺伝情報まで根本的に違っていてね、一部はほかの天体からやって来てあとからパルエに根付いたんじゃないかって推測する研究者もいるのよ」
その筆頭が私なんだけどね、とミトは笑顔で付け足した。
「宇宙生物のグループが、パルエの生態系に溶け込んでいると。まるで空想科学小説ですね」
マイカの感想に、ミトは答える。
「それほどまでに私たちの学問が進んできたのさ。当事者として、とっても楽しいよ」
メオミー出発より7か月後 小惑星724番近傍宙域
「見えてきたぜ、今回の探査対象だ」
エディは望遠鏡を覗きながら言った。小惑星724番は肉眼ではまだ砂粒のようにしか見えないが、エディはルスランの艦外に出、私物の望遠鏡をキャットウォークの欄干に据え付け科学者たちを集めて観望会を開いていた。
「ルスランが『投錨』するホームポジションの宙域まであと1日。小惑星、もといかの宇宙構造物がよく見える。見てみるか?」
エディは望遠鏡の捉えた光景が映されたディスプレイをルッツに手渡す。メロカとミト、クルツにナテハも彼の肩越しに拡大された小惑星724番を覗き込んだ。一年ほど前、パルエでショットガン計画の探査機が写したままの姿の構造物が、そこにはあった。
「ぼっこぼこだが確かに人工物だな……大きさはどのぐらい?」
真空なので距離感や大きさの感覚が分からない。画面に写されたそれを見るだけでは、壊れたおもちゃの模型か何かのように思えてしまう。
「あれでラオデギア市と同じぐらいの全長だ。城塞部分じゃないぞ、その外側も含めたラオデギア特別市の領域すべてだ」
エディの言葉にメロカは、改めてこれほど規格外の大きさの人工物に乗り込もうとしているのかと、奇妙な感覚に襲われた。しかしラオデギア市に例えたせいで、中に旧連邦タワーがそびえ立ちクルカが巣を作っているさまを想像してしまい、変な声が出た。
「宇宙船として見ると、このルスラン艦もピシア号を凌駕する大型船だが……奴の足元にも及ぶまい」
クルツもさすがに感心したように、欄干から身を乗り出して小惑星724番の方へ目を凝らした。
「なんせ小惑星と誤認していたほどだからな。……おい、何か動いてないか」
艦にくっついた磁力靴から伝わる振動に、真っ先に気付いたのはエディだった。
「あっ、砲塔ですね」
ナテハが指さす。ルスランの巨大な主砲塔がゆらりと動き、彼女らの頭上に砲身が差し掛かるところだった。
「砲撃? やばいかな。退避した方がいいのかもしれませんよ」
ルッツの困惑するような声に、メロカが返答した。
「非常サイレンは鳴っていない。状況を把握しよう。何に向かって指向している?」
メロカが周りを見回す。一呼吸おいて、欄干から身を乗り出し宇宙を眺めていたクルツが主砲の延長線上を指示した。
「何かあそこに浮いているものが見える。デブリだろうか」
「デブリに砲撃するものか?
望遠鏡で見てみよう。貸してみな」エディがルッツからディスプレイを受け取り、望遠鏡のねじを操作する。「いる。確かに何か動いている。奴は……」
なんだこれは。何かがくねくねと動いている。エディがメモリを調節してディスプレイを明るくしたことで、その存在がはっきり見えるようになった。
それは帝国の最新の空中艦のようにスマートな見た目をしている。ルスランと並行するように数十キロほど離れたところを泳いでいるようだった。頭部らしき部分に眼があるように見受けられる。オレンジに光っていた。尾部はかすかに光っているが、寄生宇宙生物のそれとは対照的な天色だ。星を散らせた色とりどりの天の川を背後に、それは水を泳ぐ魚のように静かに航行していた。
「これが宇宙クジラ、でしょうか」
実在していたのね、とナテハが呟いた。
その幻想的な光景に、メロカは開拓時代の逸話を思い出していた。かつてパンドーラ隊が前人未到の地で、低空に降りてきたスカイバードを目撃した時もこのような感覚だったのかもしれない。
主砲を照準したルスランもそれ以上攻撃的な行動に出ることはなかった。悠々と真空を飛翔するこの宇宙クジラが宇宙の宵闇に消えゆくまで、乗組員皆が畏敬の念をもって見つめ続けていた。
小惑星724番近傍宇宙空間(距離50km) ルスラン待機地点「ホームポジション」
ルスランの艦首宙雷発射管から2発のロケットが発射された。それはルスランからまっすぐ馳走していってのち、ぽしゅぽしゅとスラスタを噴射しながら小惑星724番へと方向転換してゆく。しかしそれは攻撃用兵器でもデコイでもない。
「宙雷型探査機、全機射出完了。以後の調査ミッションは、緊急時を除いて探査チーム隊長のムロボロドに指揮権を委譲します」
CICにいるラパルド艦長はそう伝え、カメラに向かって敬礼した。「科学隊長」ムロボロドも画面に映ったラパルド艦長に敬礼し返す。ムロボロド以下探査チームは、ルスラン艦底「宙間ムーンプール」で外骨格アームによって保持された調査艇内で、発進前の最終準備を行っていた。
「了解しました」ムロボロドは調査艇内で作業中の科学者たちに、インカムで今後の計画を伝える。「これより宙雷探査機を724番に接近させて、有人探査前のデータ収集を行う。1型は再接近時に開口部から写真撮影、内部の評価判定を行い、2型は724番を挟んだルスランの反対側に展開。スカイバード・アイ観測装置を用いて、724番内部の三次元地図を取得する」
探査チームの科学者達は調査艇内で所定の座席についている。調査艇のキャビン内装は都市間バスを大きくしたぐらいのシロモノで、一列二席の座席がやや間隔をあけて並んでいる。メロカとナテハの席は一番後ろで、画面付き電算機を内蔵した折りたたみの作業机が付属している。ぱちぱちとキーボードを叩く音が心地よく聞こえる。ナテハが画面に表示される文字列を読み取りながら、高速で何かのコードを打ち込んでいるようだ。メロカは双眼鏡を使って、座席の強化蛋白窓の外に向けて目を凝らす。飛翔する四つの光点が、尾を引きながら724番にすうっと消えていく。
宙雷型探査機だ。それはまもなく宙雷部分を切り離し、弾頭部分に積載されていた探査機のみになった。探査機はゆっくりと回転しながら、遠心力でアンテナと巨大な太陽電池パドルを引き出していった。
メロカは調査艇からの観測望遠鏡担当だ。調査艇の外部に設置された、潜水艦の潜望鏡のような装置を操作し、724番に接近する探査機に異常がないかルスランから観測する。宙雷ブースターを切り離すと、もう窓から双眼鏡でも追えなくなった。メロカは窓の遮光シートを降ろして作業机を持ち上げ、天板に埋め込まれた電算機画面を立てる。いくつかスイッチを押して潜望鏡を表示させ、そこに表示される文字列を注視した。
「宙雷型探査機からテレメトリを受信。システムチェック完了、探査機の機体状況に問題なし、だ」
メロカの報告に科学機器担当のナテハが続ける。「カメラ、旧兵器逆探、妨害装置にSBアイ透視システム。いずれも大丈夫そうですね」
ムロボロドの了承の返事とほぼ同時に、メロカとナテハのすぐ後ろにある隔壁扉が開いてエディがキャビン内に入ってきた。調査艇キャビンの後部にはエアロックがあり、さらにその後ろが非与圧の貨物区画となっている。
「浮行型ボラッタ、あと宙間モオビルの積み込みも完了したぞ」
それを聞いたメロカはタブレットのスイッチを押し、調査艇の現状一覧画面を表示させた。探査機と貨物室の表示がスワイプされ、【待機】から【完了】へと切り替わった。
「探査機は無事稼働してるのを確認、積み荷の方も完全にOKだ」
エディは通路をのそりと移動し、メロカ前席に着席、手際よく四点シートベルトを締めた。一呼吸遅れて弟子のルッツも隔壁扉から姿を見せ、ふわりと自席に座った。メロカの斜め前(すなわちエディの隣で、ナテハの前)だ。ミトやクルツはもうちょっと前の方に座っている。床が一段高くなっている座席最前列は、司令席だ。右座席に座る機長のダウードが操縦を受け持ち、左側の司令席には隊長であるムロボロドが座る。その間にはハーヴが車輪を折りたたんだ状態で床に張り付いて鎮座している。全員が座席に着いていることを確認し、メロカはムロボロドに声を掛けた。
「行こうぜ、隊長」
ムロボロドは通路に腕を伸ばし、全員に見えるようサムズアップした。ほぼ同時に、ダウードもチェックリストを確認し終わったらしい。振り返ってキャビン内を一瞥すると、いくつかのスイッチを押下しながらルスランとの回線を開いた。
「こちら宙間揚陸調査艇『ザリャー』ただいまよりルスランを発艦し、小惑星724番へと降着を目指す。ルスランCIC、聞こえるか」
『よおく聞こえるぞ』無線機からよく知った声が返事する。コルチクだ。
「おう、いいぞ」操縦席に並ぶ一列のスイッチをパチパチと操作しながら、ムロボロドは返した。「データリンクはチャンネル2で、こちらのセンサで得たデータはすべてそっちへも分岐させる。未知のアノマリーにアプローチするんだ。念のため、こちらの保安状況を二重にチェックしておいてくれ」
『兵装使用の権限は、連盟の特交戦規定一項に則るのだな』
「ああ。こちらの火力支援要請があれば、あるいは――」
メロカは蛋白窓から覗くルスランの24センチ砲身を見上げた。一切の通信とテレメトリが途絶した30分後。完全に未知なアノマリーを探査する際の教本である、特交戦規定にはそう書かれている。
「まあ、心配するな」ダウードは鼻で笑った。「逆探のカウントはすべて下振れしている。宇宙軍発足で改訂される前のプロトコルでは失効アノマリーに該当する、脅威度は限りなく低いはずだ。貴重なお宝を探してくるさ」
『頼もしいな……』
メロカは、左腕に光を受けたのを感じた。遮光シートを少し上げて窓の外を覗き見ると、宇宙空間から太陽光が差し込んできた。真空を突き刺すように鋭利な直射日光がメロカの光彩を絞る。ルスラン艦底部にあるハッチが大きく開いていた。
「よっしゃ、行こうぜ!」
ダウードがそう言った直後、調査艇『ザリャー』は前後に大きく振動する。メロカは数秒間、強く前進する加速度を感じた。ザリャーは宇宙空間に躍り出る。ルスランの艦影が視線の端から去っていく。大仰に揺らめく座席に身を沈めながら、メロカは大昔にアーキルの鼻で乗ったアトラクションのことを思い出し、少し楽しくなってきた。
ヒピピピピ、と間の抜けた鳴き声が背後から聞こえてくる。キャビン壁に貼り付けられたピチカとセニャは、もうこれしきで吐かなくなったのか、喉を鳴らして楽しんでいるようだ。
「ごぅごぅ!」「あはは!」
全員の声が聞こえるインカムのオープンチャンネルからは、マイカの楽しそうな声や、ミトの笑い声が聞こえる。探査機データをリアルタイムで処理しているナテハは、どうやっているのか外を眺めながらもキーを高速打鍵していた。
まもなく、ザリャーの挙動はすうっと落ち着いていった。いまやザリャーは、724番の微小重力に引かれながら、螺旋を描くように降下しつつあった。インカムに、ムロボロドからの声が入った。
「探査機担当、データはそろそろやって来そうか」
「はい♪ 1型が撮影した至近写真、出ました。送りますね」
1型の機体は、724番に空いた大きな割れ目に接近飛行して写真を撮影したのだった。メロカ手持ちの端末機に通知が入った。ナテハが全員に向けて送信したファイルから、その写真を開く。
「ほう……」
誰かのため息が聞こえる。接近写真からも、724番が明らかに人工物であることが理解できる。割れ目の断面には鋭利な金属断面、破断された配管のような筒状の構造、鉄骨のようなフレーム構造がささくれ突き出ている。割れ目の奥は影が多くて見づらいが、なにかキラキラと結晶のようなものが反射している。さらに、結晶は構造物か何かを内部に含んでいるようにも見える気がする。
「これ、なんの物質が中に詰まっているかはわかるか?」 クルツが質問した。
「そこまでは、まだ。近赤外の分光データも送りますね」
また通知が来たので開いてみたが、メロカにはよくわからないグラフや数値ばかりだった。
「あぁ、これは氷だな。なんでだろ」エディが呟いた。
「……氷?」ミトが聞き返す。
「水の氷だ。みんながいつも飲んでる、普通の水が、宇宙で凍ってるやつだ」エディが座席机に置いたドリンクボトルを頭上に持ち上げて見せた。
「まったく訳が分からんな」メロカがため息を吐く。「科学者サン方、どう思う?」
「まったく訳が分からんぜ」茶化すように、エディがオウム返し。
「そんな……」
「わずかな情報だけをもって莫大な結論を出すようなことは、真摯な態度じゃあありませんもんね」メロカのあきれ声に、マイカがフォローする。
数秒。沈黙。
「そうだ、もう一つの方のデータは来てないか。あちらは、724番の内部をグラヴィティーノ・トモグラフィでザクっと透視することができるはずだ」
ぐ、とナテハの詰まる声が聞こえた気がした。
「ちょーっと……マシンスペックが足りないせいか、処理に手間取ってまして。せぇーんせ、ちょっと脳みそ貸していただけないでしょうか」
「悪いが、このローバに搭載されたCPUでは、僕の仮想人格をトレースするのに精いっぱいだ。ちょいと余力がない」
そういえば、ルスランではずっとハーヴの廃熱口にクルカがたかってたな。今もハーヴの声に合わせて、常にファンの音が混ざってる気がする。
「冗談。ご存知ですわ。……さて、アーキルのソフトウェアにはバグが多くて。今になって生データを加工するコードを修正する必要が、少々」
「手伝いましょうか」とルッツが、前席から顔を出した。「私物の電算機とリンクさせれば、処理能力も上がるはずです」
「あー、ありがとうルッ君! ルスランに帰ったらメイプルケイク全部おごるよ」
「あざっす」
「データ送るねー」
次のヒントはもうしばらくかかりそうだ。メロカはふう、とため息を吐いて、再び写真に目をやった。水氷の中に閉じ込められたなにか構造物、それを拡大してみてみる。ちょうど、太陽光が当たって氷に反射している部分や、日陰で真っ暗な部分とが絡み合っていて非常に見づらい。しかし、眺めているうちに人工物のような形態を持った何かではない気がしてくる。もっと生物的な、まさにさっき見たような宇宙クジラのような……
ふと、端末機の中に写真の解像度を向上させるソフトウェアが内蔵されていることを思い出した。アプリを立ち上げ、写真の構造物部分をトリミングしてピクセルを補完させてみる。
白と黒の模様を持った、未知の動物の一種に思えた。スケールを合わせる限り人間大の大きさか。しなやかな形態で、空中艦の尾翼のような鰭を胸と背、尾に持っている。このような生き物は心当たりがなく、しいて言えばアンゴに似ているだろうか。だが、丸みを帯びてゆったりとしたそれは、パルエに息づく生態系の文脈とはかけ離れていると直感した。ともかく、旧人の記録にすら残っていない巨大宇宙船の中で、パルエ人の知らない海棲動物が氷漬けになっている。そうとしか思えなかったのである。
いや。輝度が補正されて表示されたそれは、やはり非常に見づらい”構造物”に過ぎない。この生き物は、おそらくメロカの錯視が生み出したモノだろう。
しかし。
メロカは、何十年も合っていなかった旧友にばったり再会したような、ジワリと暖かい安心感を脳裏に。なにか冷たい武器を突き当てられているような、現実から逃避したい嫌な予感を背筋に。その相反する直感の両方を、少しづつ感じ始めていた。
724番 降着まであと1時間
>惑星間高速連絡コマンド
> Log in name : Kortik
Kortik -> To Rizei, Micaノ シュッパンシャ データベースヨリ カクニンデキズ
Kortik -> カンナイ ニモ シルヒト オラズ
Kortik -> Mica シュツジト サイヨウ センテイリユウ チョウサ ネガイタイ
--------------
Rizei -> To Kortik, リョウカイ コチラモ ココロアタリナシ アタッテミル
Rizei -> P.S. スウェイアノ ショウソクキカズ カンレンセイフメイ
-------
「出ましたわ」
ナテハの声とともにメロカのタブレット端にアイコンが光り、”724番透視ビュー”のコメントがポップアップされた。メロカは、宙雷型探査機の画像データをダウンロードする。一呼吸あって表示された画面に、機内のクルーから次々と声が漏れる。円柱と角柱が規則正しく林立し、隙間には直線的な平坦地形が伸びている様子が、荒い三次元画面に浮かび上がっていた。
「これは……都市か?」
メロカがつぶやいたのをきっかけに、科学者たちの議論が始まった。
「いや、宇宙空間にここまで発達した都市を建設する余裕は旧文明にはなかったはずだ。洞窟と鍾乳洞だろう」
最初に指摘したのはエディだ。
「少なくとも鍾乳洞ではないんじゃないか。こんな真空低重力下で水圏が維持できるわけがない」
地質学者クルツの反論に、ミトは。
「私には都市構造のように見えるな。ほら、この大通りが交差する中心街のビル群が一番高いし、おそらくこの連続隆起は橋桁だ。モノレールか何かが通ってるんじゃない?」
エンジニアのナテハはこう返した。
「こう考えましょう……特殊な礫岩が規則正しく配列したと。もともと巨大な基盤岩が日周の熱疲労で規則正しく割れたようなものじゃないかしら」
「なるほど、いわば柱状節理みたいな……」
クルツがそう言った瞬間だった。724番のゆっくりとした自転に合わせて、太陽光が調査艇に差し込んだ。さらに日射は調査艇を超え、眼下に広がる大空洞まで速やかに光で満たす。かすまない強烈な陽光は容赦なく、都市以外の何物でもない構造体をモノクロで照らし出した。
一行があっけに取られているうちに、六脚を伸張した揚陸艇は都市構造のビル群……そうとしか表現しようのない円筒の林の間に沈んでいく。それは紛れもなく、パルエの南東遺跡にある高層ビルそのものだ。半壊した抗張力窓ガラスから、内装工事が済んでいない無骨なフロア構造が見え隠れする。秒速数メルトで降下しているから中をよく観察する暇はない。しかし、旧文明時代再晩期に流行した、まったくデザイン性の欠片もないブロック式の汎用簡易建造体と同一の設計らしく、技術的に見るものは少ないようだ。クルー達がそのようなことを考えている間にも、もう降下を終え、軽いスラスタ噴射のショックと同時に着陸した。さらに艇前方窓からは、着地点の前方に平坦で細い台地がまっすぐに続いていることが見て取れた。いや、それは台地ではなく、紛れもない……
「こりゃ、ハイウェイに降りちまったな」
操縦桿から手を離したダウードが笑い飛ばす。比喩表現ではなく、その言葉通り高架上の道路に降りたとしか形容しようがない状況だった。道路の広さは片道4車線ぐらいありそうだ。
「小惑星724番と呼び続けてきたが……これはもうさすがに、旧文明の宇宙都市か、あるいは推進式スペースコロニーといった方がいいかもしれんシロモノだな」呆れたようにエディが肩をすくめ「こりゃいくら時間があっても探検し終わらねぇぜ。どうする」
『木を見て森を見ず、ということになってはいけない』ハーヴが入ったローバのカメラマストが180度回転して座席のエディの方を向いた。『さっきの間に人格模倣処理をちょっと落として、代わりにトモグラフィデータで気になるところを大まかにマッピングしておいた。今端末に共有したよ』
メロカが手元のタブレットを見ると、表示された724番の三次元ビュアーに2ダースほどの赤点が打たれていた。現在位置を示す青矢印の周辺に数か所、ほかは天体の隅々にまでポイントされている。
「気になるというのは、どういう感じの」
『僕にもはっきりと言えることは少ないんだけどね。地形データのテクスチャが変わる場所をピックするアルゴリズムでいくつか面白そうな調査候補地を打ってみた』
「つまり、ここで示されたあたりで地形……もしくは都市の形態みたいなものが変わるということですね」ナテハが解釈して補足する。
「ぜひ行ってみようよ」ミトがシートベルトを外し、キャビンの通路を一歩踏み出そうとして浮き上がり、そのまま天井に頭をぶつけてしまった。「あいた! おおっと……この微小重力じゃ徒歩は無理だね」
隣で同じように拘束バンドを抜け出したピチューチカが天井まで飛び上がって頭をぶつけた。その様子を鼻で笑い、ムロボロドが指示を出した。
「生体宙間モービルを出そう。揚陸艇のカーゴハッチを開けてくれ。総員、船外活動用意!」
30分ほどのち、宇宙服を装備したメロカ達調査隊一行は、揚陸艇尾のハッチから姿を現した。8人の人間はいずれも車輪のないバイクのようなビークルにまたがっている。
「ふん、『宙間モービル』か」
クルツは鼻で笑う。
「宇宙でバイクに乗れるとは、悪くないな。こういうの好きだぞ」
メロカはハンドル前の左右に突き出したタンクをコンコンとノックしながら呟いた。特別に調整された生体機関は宇宙空間で極めて優秀な機動性を発揮するが、非常に高価な装置だからそうそう乗り回す機会はないだろう。真空でも生存できるよう、大きな酸化剤と栄養剤のバイナリータンクがモービルに装着されていた。その予備タンクや観測機材を詰めた軽貨物輸送ユニットが、クルーたちに続いてのっそりと姿を現した。命綱でそこに括りつけられた2匹のクルカは状況に興奮しているのか、へばりついて高速ヘドバンを見せつけている。
最後に6輪を折りたたんで移動ユニットに接続したハーヴローバが、パスパスと移動スラスタを吹きながらエアロックから飛び出してきた。
『揚陸艇の心配はいらない。艇の電算機に僕の人格の一部をインストールしてある。こっちの僕から常時モニターしておくから、大丈夫だ』
「ハーヴさんってある程度ハイスペックな電算機さえあれば、なんにでも”分霊”を入れて変身できるんだね」ルッツが感心したようにつぶやいた。「こんどうちのラボにも入ってきてくれないかな……代わりに深夜実験の番してほしいな」
院生の仕事は自分で手を動かしてこそだよ後輩君、とどこか達観したように笑い飛ばすナテハ。彼女を尻目に、全員の準備が完了したのを確認したムロボロドが指示を下した。
「全員、調整はいいな。モービルに慣れない奴は前車追従モードに入れておけ。俺のモービルに合わせて一定の距離で追いかけてくれる。……では、行こう。まずは降着地点前方、ハイウェイ状構造物に沿って数百メルトほど進む。」
『地理データを読み解く限り、この旧文明らしき都市構造はちょっとした辺境のオアシス都市くらいの規模だ。ここから見渡すと周囲に高層建築の骨組みが広がってるように思うけど、コンクリートジャングルはたかだか数ブロックに過ぎない。領域は724番の船体サイズに比べてはるかに小さいらしい』
ハーヴはくるっと向きを変えると、赤いライトで一方向を照らして見せた。
『あっちにしばらく進んで、この都市エリアの端まで行ってみよう。そこから先はどうも未整備区画か、工事中といった塩梅かもしれない。でもさらに先にはまた規則正しい構造が続いているようだ』
「都市が広がっているのかしら?」とナテハの声。
『いや、どうも”感触”が違う。資材置き場のような何かか、あるいはこの辺とはよほど変わった設計の市街地かもしれない。少なくとも、何かを建設する前のがらんどうという訳ではなさそうだ。詳しいことはわからない』
「進んでみよう。5分もあればハイウェイの端まで到達するはずだ」
ムロボロドは宙間モービルのハンドルにあるトグルスイッチを親指ではじく。整地巡行モードで目を覚ました生体は、無重力真空下で微弱な電磁気的相互作用を器用にも認識し、複合材のハイウェイ舗装から15 cm程度の距離を取って停滞した。アクセルを踏み込むと、振動もなく滑るように前進を始めた。すぐに調査隊の全員が同じように滑り出し、60km/h程度まで容易に加速した。最後に、スラスタ噴射で貨物ユニットとハーヴローバが追従していった。
ハイウェイは一部だけ高張力ガラスや化粧板が張られたビルの死骸を縫って進む。いずれの建築物も、フロア内には何もない死んだ骨組みのようらしい。時折ハイウェイは枝分かれしており、弧を描いてはビル群の向こうに消えていく。ハーヴの言った通り、不格好な摩天楼がそびえる区画はすぐに終わりを迎え、風景はブロックのような低層の簡易ビルや平屋の倉庫のような建造物が散在する姿に変わった。まだ手を付ける前なのか、内部空間の床面に打ち込まれたパレット状の基礎のみからなる長方形区画もしばしば見受けられる。さらに進むと、数百メートルの合成土壌からなる空地が目立つようになった。完成の暁には緑地公園にでもするつもりだったのだろうか。どこも長い年月を経て見る影もなく、微小天体のクレーターや瓦礫が散乱している。
メロカは、ハンドルを追従運転モードに任せてリラックスし、荒廃した空地をぼうっと眺める。いつか完成するはずだった、宇宙のただなかに存在する大都市空間に思いをはせていると、急に宙間モービルが停止した。メロカは一瞬つんのめりかけたが、そこは持ち前の運動神経で立て直し、前を向くと壁になっていた。
「おおっと、料金所だな」
エディが軽口を叩く。ハイウェイは突然途絶え、その端部に蓋をするかのような状態で、高さ10mほどの巨大な機材のような壁がそびえたっていた。見ようによっては、ハイウェイの料金所から先がそのまま壁になっているようにも思えた。
『旧時代の自動建設マシンだ』勝手知ったるという風な口ぶりでハーヴが説明する。
『旧時代の末期には土木工事をする労働者すらいなくなってね。このような自動機械が荒廃したインフラを延々と補修していたよ。それと同じようなタイプに見える』
「……この都市構造の建設が旧文明の手によることは間違いなさそうですわね」
ナテハは宙間モービルから降り、自動機械に大ジャンプで接近するとすぐに銘板を見つけ出す。
「間違いなく旧時代の言語で書かれた文字ね」
ナテハはそれを翻訳して読み上げた。“ラジハ工廠 民営部門製造11268式 自律高架建機(微小重力対応改修)”
『民間向けの量産機だ』
「それを改造してここまで持ってきたか。ずいぶんと泥縄的なプロジェクトだ、奇妙なことに」とクルツ。
「旧時代末期の計画なんてどこもそんな泥縄ですわ。むしろ、このコロニーを旧人類が建造したという仮説の説得力が増します」ナテハが手際よく端末機で銘板をスキャンすると、すぐスラスタを吹いてふわりと降りてきた。
「さて、ここからどうする?」メロカは今降りてきた所を大仰に見上げて訊いた。
「もう少し先まで行く。ハイウェイを降りよう。なに、ここは微小重力だ」
ムロボロドはそう言うと、宙間モービルのハンドルを引き上げる。それは道路面から浮上し、目前の建機をこともなげに飛び越えた。
生体装置にはお手の物かとメロカは呟き、すぐに後ろを追従する。建機を飛び越えると予想外なことに、先ほどまで眺めていた合成土壌の空き地がずっと前方にまで広がっていた。それだけでなく、ちらほらと旧時代のメカが散在しているようだ。それらは動いている気配がない。宙間モービルにまたがったメロカ達調査隊は、前進しながらゆっくりと地面の高さまで舞い降りる。
「旧兵器ECMに反応なし。死んでるかな」
『僕も一切のシグナルを検出不能だ。あれはすべて機能停止しているようだ』
旧人類が持ち込んだと思われる、多脚ユニットが死んだ状態で転がっている。
「ま、念のため……」
ムロボロドは最後尾の貨物ユニットをインカムで呼び寄せると、防護モードだ、と命令した。貨物ユニットは透明な防御用のシールドを展開し、調査隊の最先頭に配列した。貨物ユニットに接続していたクルカ2匹もお行儀よくシールドの後ろに隠れて張り付く。調査隊も後ろに続き、恐る恐る倒れた多脚ユニットの一体に肉薄する。
「やはり死んでいるようだ」
防護シールド越しに、メロカ達は横転した旧時代の機材を観察する。それは記録映像で見たメンフィスやラニカニカといった旧兵器に似た見た目だが、腕部にはショベルや土木用レーザーなどが接続されている。純粋に民間モデルの自律重機らしい。
『これも民生機だね。若いころ、僕のいたラボでも動いてたのをよく知っている。使い道は施設整備や造園用の機体だから、この面積の空間を整地するにはとてもじゃないが力不足だ。やはり資源も時間も無い中、もといこのコロニー船の建設のためにやむを得ず使用していたんだろう。規模のちぐはぐさを除けば、ここは旧時代の工事現場の光景にそっくりだよ』
どこか懐かしむように、ハーヴローバはカメラマストをゆっくりと振った。メロカも釣られてあたりを見渡す。太陽光に照らされた地面は色を持たず、ひたすら灰色で平たんに近いが、ところどころ凹んでいる。先ほど揚陸艇が降下してきた、大きな亀裂から降ってきた隕石によるものだろう。この大空間は直径10数キロのドームのようになっているようだが、太陽光に照らされていないので向こう側の壁は見えない。頭上を見上げると、数キロくらい上にコロニー船の外壁が天板のように広がっていて、破損したその隙間には宇宙の星々が控え目に輝くのが見えた。地上には同じように行き倒れた自動重機が散在している。パルエの旧兵器は数十年前でも稼働していたが、宇宙空間に暴露されたこれらは早々に限界を迎えたらしい。背後にはさっき走ってきたハイウェイの端部が、もう地平線すれすれに立っていた。月や惑星よりはるかに小さい大地なのだろう。そしてぐるりと視線を前に移すと、ハイウェイの反対方向にもどうやらビル群か何かが立っているらしかった。
「お、アレが目的地か?」
「あぁそうだ。行ってみよう」
ムロボロドはハンドサインで合図すると貨物ユニットは手際よくシールドを折りたたみ、巡航形態に戻った。その横をするりと抜ける。ムロボロドに続き、ダウード、エディ、メロカ、ミト、クルツ、アトイ、ナテハ、ルッツ、そしてハーヴと、貨物ユニットが続いた。
前進を始めると目標の建造物が地平の下からすぐに姿を現した。やはり都市か何かといった方がよさそうな、複数のビル群だ。メロカは遠くの光景に違和感を覚えた。それは泡と円錐の連続でできた構造のように見える。なによりこれまでモノクロの世界だったこの船内で、初めて色味を持った実体に思えたからだ。対象はまだ小さく、距離があるようだ。だからもっとよく見ようと接近を続けたが……できなかった。既にそこに到達してしまっていたのである。
「え?」
遠景では巨大なビル群かと思いきや、3階建て程度のスモールな建築物に過ぎず、拍子抜けしてしまった。目前には柵があり、銘板で何か書かれている。
「"改修工事中”と、書かれていますわ」ナテハが事も無げに読む。
その柵から向こうは、新たなビル群だった。半球の家屋のような建築物が並び、ときおり円柱や円筒、三角柱の高い建築物が分布している。紫色をした表面は金属質のようにも見えるが、極端に風化しており、白っぽい粉が薄く覆っている。そして何より奇妙なのは、小さいのである。半球の構造は人の身長ぐらいに過ぎない。
「ハーヴが言っていた、感触が違う都市構造ってここのことかい?」
『そうだね。場所は間違いない。これと同じような構造が、ぐるっとこの大きな空間の端のあたりを占めている。その内側にさっきの荒れ地が続いていて、中心に揚陸艇が降りた旧時代の都市ブロックがあるという設計になっているようだ』
進んでみよう、とムロボロドはひょいっと柵を飛び越えて進んでいく。クルー達もそれに続き、奇妙に狭い街道を慎重に進んでいく。ナテハは貨物ユニットからアンテナを引き出し、立ち上げたセンサで経路をスキャンしていく。
「なんなんだ、ここは……」
「エネルギープラントか、タンクか何かだろうか……?」
調査隊は口々に困惑を呟く。言いようのない、人間離れしたデザインセンスと、異質な設計思想がにじみ出た建築物に、みな閉口していた。2匹のクルカだけが興奮したように活発になり、街道沿いの構造物をすべて見回すかの如く、命綱の届く範囲であっちに行ったりこっちに富んだり動き回っていた。