韓国のポータルサイト「イルべ」に「日本文化に対する韓国の捏造」という記事が上がっていたので翻訳します。
17枚の画像は元記事参照。
【折り紙】
韓国:折り紙文化財団によると、折り紙遊びは三国時代の巫女たちの折り紙で見られるように、日本よりずっと昔から、私たちの先祖が楽しんできた伝統文化だ。
真実:折り紙遊びがどこの国で最初に始まったかは分からない。
しかし、記録物としての起源を考えれば、日本が先だ。
12世紀の詩人藤原清輔が書いた『清輔阿孫集』という歌集を見ると、「紙で作った蛙」という表現が登場し、現存する最も古い折り紙の案内書「飛伝千羽鶴折形」は1797年に出版された。
一方、三国時代の巫女の帽子については何の史料もない。
三国時代の巫女たちの服飾さえまともに把握できていない実情なのに、三角帽子が紙なのか布なのか、他の材料なのか分からない。
単なる推測に過ぎない。折り紙を意味する英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語など、世界中のほとんどの言語で日本語の発音であるOrigamiとしていることに対する嫉妬のためである。
そしてOrigamiではなく、Jongie jupgiに統一しなければならないと主張している。
【お好み焼き】
韓国:釜山(プサン)の東莱(トンレ)パジョン(チヂミ)が元祖だ。 これを日帝時代(あるいは壬辰倭乱)の時、日本のやつらが持っていった。
真実:日本人が好んで食べる鉄板料理お好み焼きは起源をたどると日本茶道の父千利休が作った芙乃焼きだ。
この芙乃焼きが他の地域に伝播され変形する過程、特に1923年の関東大震災や第2次世界大戦で食糧難に見舞われ、事実上今日の形となった。
現在、東莱派のチヂミは東莱府使が旧暦3月3日に王様に進上した料理であると広報しているが、その東莱府使が誰なのか、王様が誰なのかは知らない。
俗な言葉で「カーダ」だ。釜山市が認めた元祖店である東莱ハルメチジョンは歴史がおよそ80年ほどだ。1930年代に創業した。
そして最後に東莱府使を務めた鄭寅學は1895年まで在任した。
したがって、創業者の祖母や母親まで含め、長く見積もってみても、19世紀半ばから後半にかけてのことだ。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の起源説も話にならないのが千利休は、倭乱勃発前の1591年に死亡した。
さらに、朝鮮(チョソン)時代には釜山(プサン)から漢城(ハンソン)まで播磨(パルマ)で狂ったように走っても丸4日もかかった。
何がそんなにすごい食べ物だと言って、4日以上もかかってまで真相を伝えたのか疑問だ。
【王仁】
韓国:未開の日本が文化を悟ることができたのは、百済の人である王仁(ワンイン)博士が文物を伝播してくれたおかげだ。
真実:王仁は韓国と中国の史料には全く言及されない人物であり、日本の史書である『古事記』と『日本書紀』などでだけ言及される。
ところが、韓国人は上記の2つの書籍をファンタジー小説だと卑下し、史料として価値のないゴミを扱う時はいつでも、王仁に対しては実在の人物であるかのように誇らしく思う。
いずれにせよ、王仁が百済人であるという証拠はない。
記録によると中国人だと考えられている。
故全羅南道霊岩郡(チョルラナムド・ヨンアムグン)の王仁(ワンイン)博士遺跡地は全部恥知らずな捏造・偽りの商法だ。
また、王仁が日本に持ってきた文物といっても『千字文』と『論語』という本だが、面白いことに『千字文』は王仁が日本に来たと考えられる時期から約200年後に作られた本である。
また、わが国の教科書を含めて霊岩郡の王仁博士遺跡地の紹介文を見ると、上記の本以外にも技術及び工芸伝授、歌謡創始、皇室師匠、政治顧問など多方面で日本人を啓蒙して聖人として追放され、甚だしくは飛鳥文化の創始者になったと説明しているが、先に述べたように日本の史料には千字文と論語という本を渡したこと以外、他の内容は一切ない。
これは、まるで「チョルスとヨンヒが手をつないでいった」が、翌日「チョルスとヨンヒが双子を生んで同居していた」に化けたレベルだ。
【海東剣道と剣道】
韓国:海東剣道は故国元王2年、薛峯和尚から武芸に師事された「侍武郎」という高句麗の武士集団が使った剣法が起源だ。
日本の剣法である剣道は、親日派の子どもたちが作ったもので、正統性がない。
真実:海東剣道は武術の羅漢一と金正浩が1980年代初めに創設したが、後にこの二人が法廷で利権争いをしていた時に高句麗の士村が使用したという剣術は、実は日本、それも第二次世界大戦当時、軍人に剣術を教えた中村泰三郎やその他の日本陸軍の軍道術、あるいはそれの影響を受けて乱立した60~70年代の雑多な韓国剣の一つ一つを見て写すことが明らかになった。
そして、大韓剣道会を日本の「チョンパリ」と卑下し、悪口を言った。
大韓剣道会を中心とする韓国の剣道は、日本植民地時代や解放後、日本の剣道を学んだ人たちが導入した武術である。
ところが、ここで面白いことに、海東剣道の厳しい批判に自分たちの恥部(日本のもの)が公になると、80年代以降、本来の日本の技術や礼法、戸口などをそれとなく剣道に合わない『武芸道譜通志』に収録された本国の剣法などを引いて上塗りする行為をしている。
そして、いつのまにか、大韓剣道会の剣道は日本の剣道ではなく、本国の剣法、ひいては花郎の剣法に化けているのが実情だ。
本国剣法だの花郎だの伝統だのと言う前に、日本が中心になった国際剣道連盟から脱退するのが先ではないかと思う。
また、大韓剣道会は1896年に警務庁が導入した剣道を現代剣道の嚆矢と見ているが、この主張の根拠は『朝鮮王朝実録』にある、1895年に警務庁で働く巡検(今日の刑事)が撃剣機構の購入に319ウォンを使ったという記録だ。
一体、撃剣機構を購入することと現代剣道の嚆矢がどのように結びつくのか理解できない。
【テコンドー】
韓国:大韓テコンドー協会(KTA)と世界テコンドー連盟(WTF)は三国時代にテッキョン、スイカと呼ばれた武術が今日テコンドーの起源であり、特に百済の武術は日本に伝播され、日本武術の起源になったと説明している。
真実:テッキョンとスイカは今日その形を知らない。発音が似ているため誤解を招くこともあるが、今日の姿勢や形から分かるようにテッキョンとテコンドーは全く違う武術である。
テッキョンはテコンドー人の厚顔無恥さを厳しく批判している。
テコンドーを初めて広めた彼らは日本の植民地時代、あるいは解放後に空手やカンフー道場で武術を学んだ。
彼らは一様にテッキョンを習ったと主張しているが、先にも述べたようにテッキョンと似た動作は全く見当たらず、むしろテコンドーの動作はもちろん、姿勢や昇段制度などは空手に似ている。
【相撲】
韓国:<ファンダンゴギ>まで取り上げながらシルムの歴史を説明する大韓シルム協会によれば百済のシルム方式が日本に伝播されたというのが韓日の一般的学説だと説明している。
直接言及はしなかったが、日本の相撲は百済シルムが元祖だということだ。
真実:日本の相撲はその村や地方で最も力の強い体の大きい男を選び、神々の前で力を誇示することで感謝と礼を捧げる一種の宗教意識が起源である。
相撲という言葉は、少なくとも469年から使われており、両力士の力比べを描写する言葉は、より遠くまで遡る。
また、大韓シルム協会は642年、百済の使臣の前で相撲をしたのが百済シルムが日本に伝わった証拠であるかのように書いておいたが、常識的に外国から貴重なお客さんが来れば、その国では自分たちが持っている伝統のもの、固有のものを見せようと努力する。
言い換えれば、米国の大統領が韓国を訪問すれば国楽と伝統踊りを見せてくれるし、ヒップホップとビーボーイングを見せてくれないということだ。
百済使臣の前で相撲を見せたなら、それは相撲が他国に誇らしく見せる国技だったからだろう。
また、一般的な学説を云々しているが、百済のシルムや武術が日本に伝来したという証拠は韓中日の史料のどこにもない。
【忍者】
韓国:映画『ニンジャ・アサシン』の主役である歌手兼俳優ビは、アメリカのオンラインメディアとのインタビューで、劇中の主人公ライゾ(Raizo)は日本の忍者ではなく、国際的な東洋人孤児のようなキャラクター、韓国にも忍者文化があり、日本と違って武芸の分派のような存在だと発言した。
真実:あきれるばかりだ。
【サムライ】
韓国:日本語で武士を意味する「サムライ」は純韓国語の「喧嘩おやじ」から、または「サムラン」から由来した。
真実:高句麗第16代故国元王2年、白頭山の薛峯善人が青年を集めて海東剣道を教えたが、その中でも特に優れた人を士武郎と呼んだ。
侍郎は新羅の花郎徒よりずっと以前の美天王の代に国家公認武士集団として認められるようになり、後に広開土大王の大陸征伐、薩水大捷、安市城防御戦などの戦闘でも大いに活躍したが、そのうちの幾人かの侍郎が日本に渡り侍の語源となった。
先に述べたように、これは海東剣道側がでっち上げた真っ赤な嘘だ。
一方、「戦う父」は三国時代に武士を意味する純韓国語であり、百済人が日本に渡って武術を伝えたのが現在の侍だと時々マスコミなどで言及されたり、また国語辞典にも登載されたおかげで広く信頼を受けているが、これもまた真っ赤な嘘だ。
【茶道】
韓国:韓国は新羅時代からお茶を好んで飲んできた。
日本のお茶と茶道は新羅時代の文化から伝わった。
真実:日本がお茶を飲み始めたのは、805年に唐に留学した僧侶・最澄が茶の種子を持ち帰ったことから始まる。
そして同じ時期、お茶に関する様々な知識を書いた『茶経』という唐の本が輸入され、仏教を中心にお茶を飲む慣習と礼儀が広まった。
時間が経ってこれを一つの意識、一つの体系、一つの教養、一つの心身修養法として体系化させた人が先に述べたお好み焼きでも言及した千利休だ。
韓国も善徳女王以降、仏教を中心に茶礼という茶文化が広まったが、日本のように共通した体系に従う形式で統一されたことはなかった。
そして朝鮮時代の崇有億仏政策のために多くの仏教文化が断絶または衰退したが、茶礼も同様である。
今日の名節の他の言葉として多く使われる茶礼という言葉がまさにこの茶礼から由来した。
仏教で仏様にお茶を供養する儀式である茶礼がいつからか先祖たちにお辞儀して脂っこい肉を食べる日に変わったのだ。
また、日本と中国では平民たちもお茶を好んで飲んだという記録が多い反面、韓国にはない。
王族、貴族、両班、僧侶以外は好んで飲んだという記録が全くない。
全人口の10%にも満たない人々が楽しんだ飲み物を伝統文化に含めることができるだろうか...
確かに、今日の韓国人の中で自分の祖先が賎民、平民という人は一人もいないから、もしかしたら両班文化は韓国人全体の伝統文化なのかもしれない。
残りの90%はどこに行ったんだっけ? 現在、韓国で茶道、または茶礼とし、塾や文化院、体験場で教える礼法は、ほとんど1970年代に李貴礼女史が定立したものだ。
【豆腐】
韓国:韓国で伝統豆腐メーカーや料理専門家の話によると、日本の豆腐は韓国から由来している。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、日本人に連れ去られた朝鮮人の中で朴ホインという豆腐職人がいたが、彼が伝授してくれた豆腐が現在日本の豆腐だ。
真実:日本の史料で豆腐という名前が初めて登場するのは平安時代の言葉だ。
ところで今日の漢字である豆(ではなく発音のみ同じ唐府と書かれていることから、古く唐から伝わったものと考えられる。
韓国に豆腐がいつ伝わったかは分からないが、元祖が中国だということは誰も否定していない。
豆腐という名称が史料に初めて登場するのは、高麗末の儒学者・李色(イ・セク)が書いた<木銀集>からである。
長い目で見れば、三国時代、短くは高麗時代に中国から伝わったものと推定されている。
パク・ホインという人物が、日本の高知県に連れてこられながら地元の人に伝えた豆腐というのは、普通の豆腐ではなく、樫切と呼ぶどんぐりムックだ。
日本の樫切とどんぐりの宿は、見た目には見分けがつかないほど似ている。
しかし、EBSドキュメンタリー・プライムをはじめ、韓国にはまるで韓国産豆腐のように表面が固い豆腐全体を朝鮮人が伝来したように捏造された情報が蔓延している。
表面が堅い豆腐は堅津侯といって壬辰倭乱(文禄・慶長の役)前から存在し、いや、中国から伝来した時から元々そのように固い。
まるで今の中国と韓国産豆腐のように。
高知県土佐市という地所で作る土佐豆腐がこうした片豆腐の一種であるが、樫切が朝鮮から伝来した食べ物というのは、日本でもよく知られているが、土佐豆腐が朝鮮から伝来した食べ物という言葉は皆無である。
現在の片豆腐は天ぷら用で、一般的な日本産豆腐は水分が多く軟らかいのでそのまま食べるには良い。
【味噌と醤油】
韓国:日本の味噌と醤油は三国時代に韓国が伝授したものだ。
真実:韓国側の主張に対する史料の根拠は全くない。
ただ日本より先に作って食べたのだから、日本に伝授するのが当然だという立場だ。
韓国の伝統自生料理だと主張する根拠は『三国志魏志東夷伝』で高句麗を紹介するときに出てくる「蔵釀」(チャンヤン)という言葉のためだ。
ところが面白いのが、この一つの単語を置いてできた醤油関係者と伝統酒関係者の言葉が違う。テンジャン関連人は「テンジャン漬け」、伝統酒関連人は「酒造り」と解釈している。チャンヤン(蔵()は発酵食品に関する総称である。
したがって、正確が何かは分からない。現在、学界では大半が「酒造り」と解釈している。
また、『新唐書』には渤海のチェクソンという味噌が有名だと記されているが、これも味噌なのか醤油なのか知る由もない。
醤は塩蔵発酵食に関する総称である。東アジアの大豆原産地は現在の満州地方と考えられるため、醤油関係者らは高句麗(韓国)の自生料理と主張している。
しかし、高句麗人が最初に大豆でできた(肝)醤油を作って食べたことを立証できる資料は一つもない。
味噌という単語は紀元前の春秋戦国時代に書かれた「周礼」にはじめて書かれており、満州の大豆が中国本土に伝わったのもこの時期である。
このため、中国人が味噌を開発した可能性が全くないわけではない。紀元前から塩漬け発酵食を好んで作っていたという点で、むしろ可能性が高いといえる。
日本の塩蔵や発酵食の起源は遺物を通じて紀元前2~3世紀までさかのぼる。自生か伝来かはわからない それなのに、やたらに韓国が元祖なんだよというのは変である。
【たくあん】
韓国:日本でタクアンと呼ぶたくあんは、高句麗(または朝鮮)の僧侶、沢庵(テクアム)が日本に渡って伝授したおかずだ。
これは日本で書かれた『高僧大徳伝』にも記されている。
真実:沢庵を日本語で読めば沢庵だ。韓国人も好んで食べる日本の食べ物の沢庵漬けといい江戸時代の高僧沢庵が初めて作ったということで「沢庵漬け」という名前が付けられた。
韓国で史料の証拠として言及した<高僧大徳伝>は...世の中には存在しない本である。
おそらくタクアンは韓半島から来た人だということがばれてから憤慨した日本人が燃やしてしまったようだ。
沢庵僧侶は1573年、日本の兵庫県で生まれ、父親や先祖が韓国から渡ってきたという証拠はない。
それで、ある人間は高句麗ではなく朝鮮時代の人物、またある人間は壬辰倭乱の時に日本軍に付いて朝鮮を訪れた日本の僧侶などと主張するが、壬辰倭乱当時、彼は他の大僧正の下でお経の勉強をし、他の寺に居所を移すなどの行動が出たりもするだけだ。
当時、朝鮮や高句麗に沢庵という僧侶がいたという史料もない。
【のり巻き】
韓国:のり巻き事業で最も有名な鐘路(チョンノ)のり巻き側の話によると、のり巻きが韓国料理なのか、日本料理なのか判断は難しいが、韓国が海苔を三国時代から食べ、日本は海苔を1800年代から食べ始めたのだから、のり巻きが韓国料理だという主張もあり得るという立場だ。
真実:鐘路キムパプ側は、日本の様々なキムパプ類の食べ物(マキ)について言及し、韓国の「キムパプ」とどのように違うのか詳しく説明しているが、「キムパプ」時代については大きく間違いを犯している。
日本で食品として海苔に関する言及は702年にまでさかのぼる。その年、大宝律令を実施する際、各地方の粗工品目録に「海苔」があった。
このため日本では、この律令が頒布された2月6日を「金の日」と制定している。
また、日帝時代から韓国ののり巻きが日本ののり巻き(太巻き)と違うと主張した時、必ず言及するのが酢とごま油だ。 韓国ののり巻きはごま油で、日本ののり巻きは酢で味を調えるため違うという主張だ。果たしてそうだろうか。
(資料写真)
ご覧の通り、70年代まで海苔巻きのご飯を味付けする時に使われる主材料は酢だった。
日本式だ。
甚だしくはのり巻きを切る時も、ごま油ではなく酢を使うことを勧める。
そうするうちに70年代末から酢の代わりにごま油を使う調理法が新聞などに紹介される。
したがって、日帝時代、あるいはそれ以前の日本ののり巻きと違い、胡麻油でご飯を味付けしていたという韓国の伝統(?)のり巻きが存在するかどうかについては、疑念を抱かざるを得ない。
【日本皇室】
韓国:明仁天皇が、自分は百済人の子孫だと直接発言した。故に現在の日本の皇室と皇族は、すべて韓国人といえる。
真実:以下は明仁天皇の発言内容である。
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であり、皇子と日本紀に記載されていることに韓国のゆかりを感ずることに韓国の皇武天皇の生母が百済武寧王の子孫であるという故に、私自身は韓国との絆を感じています」と明仁天皇が言及した。
皇后の先祖には百済の武寧王(462-523)の息子、順打太子(514)が産んだ」と記されている。
日本の天皇がこの発言をしたのは2002年韓日ワールドカップ(W杯)が開かれる1年前のことだ。
韓国人と日本人は昔から互いに行き来する仲であるため、和合してW杯を成功させようという意味である「系図のない系図」のない「系図」をあさって姻戚の八親等のようにつながりを作ったのだ。
あまり親しくもない人が、ある日突然尋ねてきて、私の母方の祖父の祖父があなたのような先祖だから、これからは私たち仲良くしようと言ったら、あなたはどんな気持ちになるだろうか。
そして何より韓国は、百済王室の正統を継承する国家ではない。
現在のスペイン王家はブルボン王家の血統だから、スペイン王族たちはフランス人だと主張するのと変わらない。
【軍隊文化】
韓国:自分より年下か地位の低い人を軍紀という名で暴行し、差別し、苦しめることは、日帝時代に日本軍が韓国人に植えつけた残滓だ。
真実:高麗時代末に創設された最高の国家教育機関である成均館を中心に、朝鮮時代末まで伝えられてきた500年の歴史の悠久な伝統風習があったので、免新礼と許参礼というものである。
面神礼と許参礼は、簡単に言えば今日の申告式であり組織文化だ。
先輩たちが命令を下すと、新入生はその内容がどんなものであれ、絶対服従して従わなければならない。
これを遂行することができない場合、過酷な殴打と精神的な嫌がらせ、今後の組織での待遇、昇進、人間関係まですべてが粉々になってしまう。
それだけではない。新人は赴任初期、先輩たちのために食卓の脚が折れるほど手厚い食事のもてなしと金銭提供をしなければならなかった。
また、軍隊に行ってきた男ならよく知っているはずだが、新任少尉がたとえ階級は高くても上司や元士にむやみに言葉をかけて命令できないように、朝鮮(チョソン)時代も職級がどうであれ、位階がどうであれ、該当部署で長く働いたのが「王」だった。
むやみに行動すると仲間はずれになり、「空気」扱いされた。
今日も大学の新入生たちがMTの時に飲みすぎて死亡したというニュースが時々聞こえてくるが、朝鮮時代にも過酷な申告式を行う過程で、死者が本当に多かった。
考えてみろ。朝鮮時代は新生児死亡率も高く、父系社会なので息子が非常に大事にされた。
さらに、官職に出たり成均館に入ったりする人は、両班(ヤンバン)家の子弟がほとんどだ。
したがって、面神礼と許参礼で息子を失った名門士大夫は怒りのあまり、王に何度も上訴をし、高官たちが集まって悪習をなくそうと努力もしたが、すべて無駄だった。
歴代の王様たちも抜本塞源のために刑罰で処罰したが、何の役にも立たなかった。御名も無視して上の者が遊んでいるのに、下の者だからといって黙っているはずがない。
朝鮮時代の官職社会全体がこうだった。ましてや民間社会はどうだったのか想像がつくだろう。
暴行と過酷な申告式、いじめが日本軍の悪習?
日本による植民地時代の時、全国民が強制入隊でもしたのか。
それとも、中国や米国と戦うのに忙しい日本軍たちが、朝鮮の地に居座っていたということか。
自分たち自らが把握し、反省しなければならない欠点まで、ただ伝家の宝刀のように日本のせいにして隠す振る舞いこそ、今日までも韓国社会で硬直した上下関係、殴打、いじめ、軍隊式権威主義が消えない本当の理由だろう。
【着物】
韓国:日本の着物は三国時代に伝来したもの。
真実:日本も人が生きる関係で、彼らだけの服を作って着た。
そして中国との交流が始まり、大きな影響を受けた。
7世紀の日本の官服は隋のデザインと体系を模倣し、8世紀には唐の漢服から大きく影響を受け、次第に今日の独自の形で定着した。
日本の史書にも手当から影響を受けたと堂々と書かれている。
しかし、当時、韓国から影響を受けたという記録はどこにもない。
韓国人の論理はこれだ。わが民族が着ていた韓服(ハンボク)も中国から影響を受けた。
このため、未開の日本人が自分の手で服を作って着るわけがない。
三国時代に、特に百済が大きな影響を及ぼしたはずである。
故に日本の着物は韓国が元祖だ、というふうな論理だ。
【桜の木】
韓国:慶尚南道鎮海市(キョンサンナムド・チンヘシ)が主管する軍港制に関する紹介文を見ると、「ソメイヨシノの原産地は済州島(チェジュド)」とし、「鎮海市に植えられた桜はソメイヨシノだ」と強調している。
真実:日本による植民地時代の時、日本が鎮海を軍港にしたことで、日本人居住区域にある日本産の代表的な桜の品種であるソメイヨシノをものすごくたくさん植えた。
しかし、解放後の反日感情と植民地支配に対する腹いせで、これらの桜の木がほとんど切り取られていく。
李承晩(イ・スンマン)は桜が嫌いだったが、新たに政権を握った朴正熙は桜が大好きだったが、1962年頃から日本の桜(ソメイヨシノ)は済州島(チェジュド)で自生する桜が起源だというニュースが当時の新聞メディアなどを通じて大々的に報道される。
(資料写真)
上のニュースは実は1932年、日本の植物学者小泉源一が出した学説が根拠だ。
さらに、韓国政府はソメイヨシノを天然記念物に指定し、日本から数千本のソメイヨシノを利用しています。
シノを買い付け、鎮海(チンヘ)や済州道(チェジュド)を始め、全国各地に再び植え付ける。
その時から韓国人は「日本の桜=済州(チェジュ)も桜」と信じて優越感にとらわれる。
「日本人が好きだと言って楽しむ桜の木は実は韓国が原産地だ」韓日学界ではこの問題をめぐり何度も激突した。
DNA調査が導入された1990年代以降、日本が優位に立つと、公正性と正確性を期すために2007年に米国農務省にDNA検査を依頼したところ、日本のソメイヨシノと済州島(チェジュド)のソメイヨシノは、違う種と結論付けられる。
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簡単に言えば、韓国人は日本人が植えた日本の桜を苦労して切り取って、日本人のでたらめな学説に騙され、再び日本に金を払って日本の桜を買って植える、実に情けない愚かなことを犯したのだ。
鎮海に済州産のソメイヨシノという立て札がかかっているやつら、いや鎮海にある桜の木はすべて日本産だ。
常識的にソメイヨシノは1700年代から人間によって人為的に交雑されて作られた観賞目的の栽培種であり、済州道(チェジュド)のソメイヨシノはそこでのみ育つ自生種(1908年、フランス人神父・タケが発見し、1912年、ドイツ人植物学者・ケネが新種だとして、学界に公式発表)としている。
ところが、韓国のマスコミや学者たちは、
「えーん。 日本のやつらは、韓国の桜の木が美しいから盗んだんだろうね」
「どうしてやつらが略奪し、何本か掘ったんだろうね」
「自生地がないから日本のものではない」
(当然だが栽培種だから自生地があるはずがない)と漠然とした推測で国民をだましてきた。
問題はこれではない。
桜は自家不和合性という特性のため、自然で他の種と容易に交雑してしまう性質がある。
ソメイヨシノを大量に輸入して全国的に植えてしまったため、果たして現在のソメイヨシノが1908年のソメイヨシノとDNA上でどれだけ同じなのか、誰にも分からない状況だ。
ちなみにソメイヨシノの公式学名はPrunus yedoensis Matsumだが、ここでyedoensis(江戸エンシス)は江戸(東京の昔の地名)を指す。交雑させて大量に栽培したのが江戸だからだ。
ソメイヨシノも1962年から2007年以前までは、日本の学者のでたらめな学説に基づいて公式的にソメイヨシノも、シノと同じ学名を使ってきたが、DNA検査で別種であることが明らかになってからは、学名も失うことになった。
またケネが付けてくれたPrunus yedoensis var. nudifloraも使いにくい。今のところ、ソメイヨシノの公式の学名はない。
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