西部戦線
せいぶせんせん
Westfront
第一次世界大戦でドイツ軍が英仏連合軍と対峙(たいじ)した戦線をいう。大戦が始まると、1914年8月、ドイツ軍はベルギーを突破して北フランスに入るが、マルヌの戦いに失敗して以来、西部戦線はほぼベルギー西端のイープルから南に下り、ソンム川の上流サン・カンタンを経て、マルヌ川の北をエーヌ川に沿って東に走り、ベルダンからドイツ・フランス国境に沿ってスイス国境に至る戦線に膠着(こうちゃく)した。16年のドイツ軍によるべルダン要塞(ようさい)攻撃、それに続く英仏軍によるソンム総攻撃も戦線をほとんど変化させなかった。だが18年春、ドイツ軍は全面的攻撃に失敗し、同年7月以後の連合軍の総反攻を支えきれず、西部戦線は急速に崩壊し始めた。10月初めドイツは休戦を提議するに至った。
[吉田輝夫]
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せいぶ‐せんせん【西部戦線】
第一次世界大戦中、ドイツ軍が英仏連合軍と対峙(たいじ)したドイツ西部国境(フランス東北国境)の戦線。第二次世界大戦中のドイツ・フランス間の戦線をさすこともある。
※茶話(1915‐30)〈
薄田泣菫〉独帝への進物「西部戦線
(セイブセンセン)の聯合軍を援
(たす)けに、最近本国から巴里へ渡った米国青年士官の二人があった」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
西部戦線
せいぶせんせん
Westfront
第一次世界大戦中,ドイツ軍と連合軍とが相対したドイツ国境西部の戦線
ドイツ軍はシュリーフェン作戦によって緒戦を飾ったが,やがて長期のざんごう戦となり,ソンムの戦い(1916),ヴェルダンの戦い(1916)に敗れ,1918年最後の総攻撃にも失敗して敗戦を早めた。
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せいぶ‐せんせん【西部戦線】
第一次大戦中、ドイツ軍と連合軍とが対峙したフランス北東部からドイツ西部国境沿いの戦線。ドイツ軍のフランス侵攻作戦失敗後、この戦線は膠着して塹壕戦となり、その状態が戦争終結まで続いた。
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