決死のバトン

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『日本共産党の八十年』という本の前半部分 ― 日本共産党の創立期~第二次世界大戦が終わるまでの話を読んだ。

 

 

普通にさらさらと読むことができず、眉間にしわが寄った。

 

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日本共産党が創立した当時、日本では“天皇絶対の専制政治”と“侵略戦争”が繰り返されていた。

この動きに反対し、“主権在民の民主政治”“反戦平和”を求めて生まれたのが日本共産党だった。

1922年7月15日のことだった。

 

(以前、街頭演説しているときに、中年の女性に

「共産党のくせに、何が“民主主義”よ!ふざけないで!」

と怒鳴られたことがあったが、こういう勘違いをしている人は少なくないと思う。

でも、日本共産党は根っから“民主主義”【国民が主人公】を目指す政党なのです)

 

時代が時代で、

「天皇絶対!」

「戦争いくぞー!」

っていう時代だったので、その中での活動はまさに“命懸け”だったようだ。

(新聞『赤旗』の配達も普通にはできないので、靴の中に隠したりしてバレないように配達していたそうな・・・。)

 

実際に1925年には“治安維持法”が施行され、日本共産党は弾圧の対象となった。

1945年の終戦までの間に、この治安維持法による弾圧が原因で命を落とした人は、分かっているだけでも1,682人。

逮捕された人は数十万人。

さらに、治安維持法による弾圧と一体になっていた予防拘束や警察への拘留まで含めると、数百万人に及ぶ。

 

こんな中で日本共産党は生き続けてきたのだ。

(政党として戦争に反対していたのは、唯一日本共産党だけである)

 

この事実を知って、僕は自問自答した。

「果たして僕は、もしこの時代に生きていたとしたら、共産党員として戦い抜くことができただろうか・・・」

 

弾圧されると分かっていながら活動するなんて、相当な覚悟が必要だったに違いない。

 

ギュッと身の引き締まる思いがした。

 

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今こうして僕が平和に日本共産党員として活動ができているのは、命懸けで共産党を創り上げてきてくれた先人たちがいたからだ。

中には当然、途中で逃げ出す人や、裏切る人たちもたくさんいただろう。

それでも未来の我々のために、“民主主義”と“平和な社会”を何としても築き上げようと、共産党を守り抜いてきてくれた先人たちもいたのだ。

 

今でも日本共産党は“真の民主主義”“平和な社会”の実現を目指し活動を続けている。

これは決してにわかに掲げられた目標などではない。

 

ここには 命懸けで我々の幸せを願った 数百万人の先人たちの想いが込められているのである。

 

 

 

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