CROWN 3 L6: Only a Camera Lens between Us (2)
Section3
停戦後には、
やらなければいけない作業がまだたくさんあります。
兵士たちは仕事もなく住む家もなく家族を養うお金もない状態で
街に放り出されるかもしれません。
元兵士が武装紛争に戻る危険が常にあります。
元兵士たちは社会に戻り、
生産的な生活を送ることができなければいけません。
これが社会復帰です。
2003年から2005年まで、瀬谷さんは
DDRのチームと一緒にアフガニスタンにいました。
63,380人の兵士を武装解除させ、
12,000以上もの重火器を集め、
58,000近くの小火器を集めました。
2009年には、瀬谷さんはスーダンにいて、
少年兵を含む傷つきやすい若者たちを支援する
新しいプロジェクトを立ち上げる任務に
取り組んでいました。
こうした子供たちの信頼と、
子供たちが帰って行く共同体の信頼を
得なければいけないことを知っていました。
信頼はDDRの活動では大切な役割を果たします。
瀬谷さんは、
内戦で5年間兵士だったマイケルという名前の男の子に
出会いました。
戦争が終わると、マイケルは警察に移送されました。
当時、マイケルは学校に戻りたいと思っていました。
しかし着手の仕方を理解できませんでした。
瀬谷さんはマイケルの支援を申し出ましたが、
マイケルは瀬谷さんを信頼していませんでした。
あまりにも多くの人が守れない約束をしてきていたからでした。
最初に瀬谷さんはマイケルの信頼を得なければいけませんでした。
それからマイケルが学校に戻れる許可をしてくれるよう
マイケルの上官を説得しなければいけませんでした。
瀬谷さんはこの両方の作業に成功しました。
マイケルの将来は難しく、不確かでしょう。
マイケルは他の人を信頼することを学ばねばならないでしょう。
自分自身を信頼することを学ばなければいけないでしょう。
瀬谷さんは、マイケルに今こそ自立するのよと言いました。
「これは私の人生じゃないのよ。
あなた自身の人生よ。
これからは自分の力で考えなきゃだめよ」
と言いました。
マイケルは
「何をすることになるのかやっとわかったよ。
これは僕の人生なんだ」
と答えました。
瀬谷ルミ子さんにとっての1つの小さな成功でした。
Section 4
今では自身の経験と専門知識から、
瀬谷さんは、知識と技術を持っているだけでは
解決策を見つけるのに十分でないということを
確信しています。
君たちが既成の解決策を携えて
戦争や紛争で荒廃した地域に行くことは
まずないのです。
解決策を見つけるためには、
人々に直接会って声を聞くことが必要だと、
瀬谷さんは信じています。
また瀬谷さんは、支援を与えすぎると、
人々から自立しようという気持ちを
奪うことになる可能性があると確信しています。
瀬谷さんは言います。
「私にできることは人々に選択の自由を作ってあげて、
少しだけ支えてあげることです。
自分自身の生活と社会をうまく回していけるかどうかは、
現場にいる人たち次第なのです」
やらなければいけないことはたくさんあります。
十分に人がいるわけではありません。
十分な資金があるわけではありません。
うまく行った事例はありますが、限定されたものです。
瀬谷さんは言います。
「たとえ何か有望そうなことをどうにか作れたとしても、
すべてを解決できるわけではない状況があります」
活動はいつ終了するのでしょうかと尋ねられて、瀬谷さんは
「人々がもう私たちを必要でないと言ってくれたときに、
私たちの活動は終了するのです」
と言います。
様々な文化的生い立ちを持っている人の窮状に対処する際に
瀬谷さんは難しい立場にいることによく気づきます。
しかし瀬谷さんには、DDRの専門家としての職業を
選んだことについて後悔はまったくありません。
状況が難しくなってくると、
瀬谷さんは自分自身に言い聞かせます。
「何かができない言い訳を見つけようとしてはダメだ。
もし問題の完璧な解決策は見つけられないとしても
それでも問題の1割を解決するために
出来ることを考え始めることはできる。
少なくともそれが正しい方向への一歩なのです」
瀬谷さんはくじけません。
瀬谷さんは、たとえひどい状況に直面しても
感情に圧倒されることを許さない人だと、
同僚は言います。
瀬谷さんは、
私たちが困っている人たちに同情するだけでは
十分ではないと信じています。
私たちは困っている人と一緒になって
選択の自由を作りださなければいけません。
結局、人は自分で自分自身を助けなければいけないのです。
コメント