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ライフコラム
生きものがたり

俳句の季語にある「初蝶」 春の訪れ告げる使者

2015/3/28

生きものがたり

ベニシジミは幼虫で越冬し、春にさなぎになってから羽化する=写真 永幡嘉之

日本の春は毎年、小刻みだが正確に訪れる。3月に入り、気温が15度近くになった暖かい日の午後。まだソメイヨシノの開花には少し間があっても、視界を横切るチョウの姿を見ることがある。年が明けて最初に見かけるチョウは俳句にもしばしば詠まれ、「初蝶(はつちょう)」という季語にもなってきた。

ひときわ春らしいモンシロチョウ

四季が明瞭な日本では、寒さに耐えた様々な生きものが一斉に動き出す春という季節がひときわ待ち遠しい。もっとも、赤道直下の熱帯雨林にも四季がないわけではなく、例えばマレー半島やボルネオ島では4月になると多くの木々の芽が伸び始め、虫たちの数が劇的に増える。だが、寒さに耐えて眠る冬を経ていないため、虫たちの躍動も季節感を伴わない。冬があってこそ、初蝶を見かけた喜びも大きなものとなる。

初蝶でまず目にとまるのは、やはりモンシロチョウだ。気象庁が年ごとの初見日を記録しているように、風景の中で浮き立つ白い影は人目にとまりやすく、田畑や庭先などの生活圏に現れると、心にひときわ春らしい印象を残す。田畑のへりを飛び交うベニシジミはモンシロチョウよりも少し遅れて姿を見せ、赤い穂を出すスイバという草に卵を産みつける。

成虫のまま越冬する種類も

モンシロチョウやベニシジミは幼虫やさなぎで冬を過ごし、春になって暖かくなると羽化する顔ぶれだ。一方で、春先に現れるチョウの中には、ルリタテハ、テングチョウ、キタテハなど、前年の夏や秋から成虫のまま、寒い冬を過ごした顔ぶれも交じっている。

早春に暖かさに誘われて姿を見せたルリタテハ=写真 永幡嘉之

チョウが成虫の姿で冬を越す姿はなかなか想像しにくいが、彼らは草やぶの中や木々の洞などで冬を過ごす。冷たい風が吹きすさぶ初冬に、枯れ木の内部にできた洞の中で越冬しているキタテハを発見したことがあった。羽の表側はだいだい色でそれなりに鮮やかなのだが、閉じあわせると見事な保護色で、枯れ木や枯れ草に溶け込んでしまう。

越冬したタテハチョウの仲間は3月になると活発に活動を始め、オスは決まった時間になわばりを張ってメスを待つ。郊外の散策路を歩いてみよう。ヒオドシチョウは小高い山の山頂、ルリタテハは日当たりのよい谷間の道と、種によって選ぶ場所が決まっている上に、ヒオドシチョウは午後、ルリタテハは夕刻にしか姿を見せないなど、活動する時間も決まっている。広い雑木林の中でも、決まった時間に特定の環境に現れるから、雌雄が出会えるわけだ。

冬から春にという季節の変化は四季の移ろいの中でもとりわけ劇的なものだ。都会には自然が少なくなったと嘆く声をしばしば耳にするが、感覚を少し研ぎ澄ませば、春の使者は暖かな空気とともにあふれるように押し寄せている。

春の午後、山頂でなわばりを張るヒオドシチョウ=写真 永幡嘉之

東京や大阪近郊では、まずウメの花が咲き、花壇のクロッカスが咲き、やがてソメイヨシノが咲くころにチューリップのつぼみが膨らむという順番があるが、それはチョウも同じ。成虫で冬を越すルリタテハやヒオドシチョウは暖かい日が少し続けば2月でも顔を見せる。次いでモンシロチョウ、ルリシジミと続き、これらがある程度出そろって暖かさが安定してくると、ようやくアゲハの出番となる。チョウを見かけて心躍る場面を、俳句の中ではわずか2文字で「初蝶」と表すところに、明瞭な四季の中で暮らす日本人が育んできた季節感をみるのだ。

(自然写真家 永幡嘉之)

永幡嘉之(ながはた・よしゆき) 1973年生まれ。専門は個体群生態学。山形県を中心に昆虫や植物の調査・保全を手掛けるとともに、東日本大震災に被災した東北各地の沿岸部で、津波が生態系に与えた影響などを調査している。著書に「巨大津波は生態系をどう変えたか」など

※「生きものがたり」では日本経済新聞土曜夕刊の連載「野のしらべ」(社会面)と連動し、様々な生きものの四季折々の表情や人の暮らしとのかかわりを紹介します。

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