2021年から始まる今の時代は、もう一度、真の父母、真の家庭の定着と基元節への歩みが、本格的に始まる時であると私は思っています。
神学的な説明もできるのですが、その神学的説明が指し示す到達点というのは、私たちが神様の下で家族となり、人類が家族の下で家族となることです。耳にタコ、何度も聞いたかもしれないことかもしれません。でも大切なのは、私たちが心の奥底から理解し感じられるようになることではないかと思います。
では、私たちが心の底から理解し、その目標地に至るのを妨げるものは何でしょうか?一言で言うと、それは堕落性と呼ばれるものです。自己中心な考え方、傲慢、自分を憐れむ心、お金、位置、権力、名声を優先する心、そうした、この世では当たり前として見過ごされているものが、目標地に達するのに妨げとなると思われます。
逆に、精誠、真心、利他的な心、犠牲的な心、謙遜、感謝、神様を何よりも優先し仕える心というのは、目標地に至ることを促進すると思われます。
復帰原理的には、カインの子女は、主体であるアベルの子女と一つになってこそ、父母に至る道があります。この復帰の道というのは、神学的な話として聞くと、数時間でわかったような気になる可能性もありますが、実際の道のりは、一瞬一瞬の心の積み重ねであり、一つ一つの行動の積み重ねです。精誠がなくては歩めず、また、精誠は堕落性と呼ばれる汚れのようなものを洗い流し、私たちが神様の下の家族となることを促進します。
文顯進会長が23の頃から、私は文会長をアベルとして侍るようになり、最近は文会長の御家族にも侍る機会がある中で、アベル・カインの復帰原理というのは、実際に、自分というものの汚れを洗い流すようなところがあり、失敗をすることも、上手くできないこともあるのですけれども、それでも神様に対する切なる思いを抱き、献身しながら歩むことで、神様の下での一家族となる道が開かれる、というのを感じます。
これは、教団が大きな会場で派手なパフォーマンスをするようなものとは違います。ライトも要らない、音響設備も要らない、ステージも要らないものです。
具体的なことが書けない中で、少し抽象的になってしまいますが、最後に、文鮮明師の平和メッセージ2から引用します。
「だとすれば、人間創造を通した神様の理想は何だったのでしょうか。それは正に四位基台を成すことです。ここでいう四位基台とは、神様を中心として、アダムとエバが神様の愛の圏内から離れようにも離れられない、完全一体の境地を意味します。神様と一体を成すことはもちろん、彼らが互いに一つになって理想的な夫婦を成し、理想的な子女を繁殖することによって成し遂げるようになる、神様中心の家庭的愛の基台をいうのです。このように家庭的四位基台が完成すれば、これが正に神様の願われた創造理想家庭になるのです。
一般的に家庭とは、結局、父母と子女、そして夫婦の結合によって成された一つの束のようなものですが、この束の中心は、神様の愛でなければならないということです。ここで、夫は天を代表し、妻は地を代表するようになります。したがって、夫婦は二人ですが、彼らが横的に一つになるとき、天と地が統一された立場に立つようになります。神様の愛を中心として夫婦が一つになれば、天宙が統一される道が開かれるのです。」
「皆様。私たちが遠く離れた家族を慕うのは、そこに、『ために生きる愛』があるからです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親戚の愛が、一つ一つ宿る所です。このすべての関係と因縁が、『ために生きる愛』によって結ばれていて、そのすべてを抱きたいと思う、温かい所です。そこに、解放された自らとして堂々と帰り、胸いっぱいに自然を抱き、家族や親戚を愛しながら、歓喜の歌を歌いたいのが、家族のもとを離れた旅人の郷愁の思いであり、希望でしょう。故郷を追われ、ふるさととの心情の絆を失ってしまい、家族に会いたいと思っても行くことのできなかった、永遠の孤独の敗亡者として、独り流浪しながら生き、地獄に行くしかなかった身の上が、正に堕落の末裔である人類だったというのです。」
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