“聖霊の役割を果たすのは誰?”という記事の内容に付随することを書いておきたいと思います。

 

話し言葉では抑揚などで感情を伝えることができるものの、書き言葉ではそうは行かないので、予め書いておきます。これから書くことは、読む人によっては、とても感情的になるかもしれない内容です。しかし、書く側としては、とても冷静な、感情の入らない言葉を意図しています。

 

昨日書いたように、もしも第三アダムの世代において、真の母となるべき責任を負った人が、その責任を果たせなければ、第三アダムの世代において真の父母を定着させることはできず、息子の世代に真の父母を定着させる責任が引き継がれます。

 

では、第三アダムが、真の母となるべき責任を負った人が道を外れることにより、真の父母を定着させることができない場合には、第三アダムの世代において祝福を受けた人たちはどうなるのでしょうか?母が道を外れているのに、神様とサタンが認める祝福が成り立つでしょうか?成り立つとは思いません。サタンが祝福家庭に、「あなたが祝福を受けたのは真の父母の故です。では今、真の母はどこかにいるのですか?神様、あなたがこの人を祝福家庭であると認める原理はどこにあるのですか?」と讒訴しないでしょうか?実に簡単に讒訴できないでしょうか?

 

その場合どうなるのかと言うと、第三アダムの世代において祝福を受けた人たちは、使命を引き継ぎ真の父母を定着させる使命を担った人から、祝福をもう一度受ける必要性が生じるはずです。つまり、その祝福を受けなければ、祝福家庭として天から認められないということです。

 

事実、私のような人は、自分も家族も再度の祝福を、贖罪の祝福として数年前に受けていますし、それで完了でもなく、真の父母を定着させる使命を引き継いだ息子から、己の使命を明確にされ、そこからの自分の責任分担を果たす必要があります。

 

つまり、使命を引き継いだ、摂理的長男の息子夫婦によって祝福家庭は救われるのであり、摂理的長男の妻は、実体の聖霊、つまり、真の母の責任を担うことを意味します。このような移行は、徐々に展開します。そして、道を外れた第三アダムの家族も、その摂理的長男を認めることによってゆるされる道が開かれると思われます。

 

“聖会”では、「聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」と聖書にあるのを引用して、第三アダムの妻を批判するのはゆるされないと言うわけです。でも気を付けるべきなのは、真の母の使命は、果たせなければ移行するということです。“聖会”のリーダーの皆さんは、“郭グループ”という言葉を息子に投げかけて散々攻撃してきました。その攻撃が、そのまま自分に降りかかるかもしれないということです。

 

わかる人が読めばわかる、わかる時が来ればわかる、という思いから、詳しく説明せず、ざっと書いています。でも遅すぎるのは避けなければなりません。

 

神様の願いは人類全ての人が救われること、神様の下で家族となることにあります。どんなに障害があっても、道は開かれます。

 

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