忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

自己肯定感が高ければいいというわけではない

 ここ数年の流行りの一つに「自己肯定感を高めよう」という風潮があるかと思います。私の認識している範囲だけかもしれませんが、ニュースを検索すると毎日いくつもの紙面にあがっている言葉ですのでほどほどに流行っていると勝手に断定します。

 正直、あまり好みの風潮ではありません。高くても低くてもデメリットはあるのですから囚われずフラットに見たほうが良いと考えています。高低は重要ではなく、外部環境に対してどう変動しているかを認知することのほうが大切だという考えです。

自己肯定感の低さがうつ病の原因ではない

 自己肯定感が低い人は抑うつ的となりうつ病になりやすいという意見があります。しかし自己肯定感が低いからうつ病になるという明確なデータはありません。反面、うつ病の人は自己肯定感が低くなるというデータはあります。

 つまり因果が逆である可能性が高いです。自己肯定感の低さがうつ病の原因なのではなく、うつ病になったから自己肯定感が低下するのです。

 だからこそメンタルが弱っている人に「自己肯定感が低いからいけないんだ、もっと自分で自分を認めないと!」と言い立てるような行為や風潮は望ましくないと考えています。それはうつ病の人に「もっと頑張れ!」と言っているようなものであり、最もやってはいけない行為です。

 メンタルが弱っている人に対してメンタルで立ち直れというのは無茶苦茶な言い分です。足腰が弱っている人に走れば健康になると言うようなものであり、それが出来なくなっているから問題なのです。うつ病による自己肯定感の低下は根性論でなんとかなるものではなく、経験や体験によらなければいけません。頭で理解して意識を変革するのではなく成功体験を積み重ねて身体で学ぶような、時間を掛ける療法が必要なのです。

誤った自己肯定感の高さ

 自己肯定感が高ければいいかというとそれもまた疑問です。ともすれば方向性がズレてしまい過大な自尊心や狭量な自己満足に陥る危険があります。それこそ「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に達してしまうかもしれません。虎になりたいのなら止めはしませんが、あまり良いことでは無いでしょう。これでいいんだ、今のままでいいんだという考えは、それ以上になるべきだという向上心を挫く可能性もあります。

 自己肯定感と自尊心・自己満足をはき違えてはいけないのですが、これを区別して認知するのは案外難しく相当に意識的でなければ誤ってしまうことになるでしょう。

 また過大な自己肯定感を持っていたとして、自分が認知している自己評価に対して現実がそれに追従してくれるとは限りません。むしろ過大な自己肯定感は容易に過大な自己愛へと変貌し、現実よりも遥かに高い評価を自らに与えてしまうことすらあります。「私はこれだけ頑張って成果を出している、こんなにも立派な私を何故世間は評価しないのか」というように、過大な自己愛は現実とのギャップに苦しむことになるでしょう。これはやはり虎になりかねないものです。

 もちろん人にはほどほどの自尊心と自己肯定感が必要です。しかしほどほどで良いのです、高ければ高いなりのリスクがあるのですから。

高低よりもどこにいるかのメタ認知

 気にすべきは自己肯定感の高低ではなく、外部からの影響によって自己がどの程度揺らいでいるか、現在の自己はどの程度の高さに居てそれは状況に適しているか、ということを理解するためのメタ認知の技能でしょう。自身が思う絶対的な高低の位置は重要ではなく高い方が良い状況もあれば低い方が良い状況もあります。それは外部環境との相対で決まるものです。

 自己肯定感を高くしないと!と考えても、どこまで登れば高いと言えるかは個人では分かりません。人や社会との比較をしなければ無制限に高みを目指すことになり、それは現実との著しいギャップを産み出します。

 よって自らを俯瞰して必要な位置に調整することこそが必要であり、そのためにはメタ認知が必須です。むしろこのメタ認知が不足しているからこそ適切な自己肯定感が持てず、現実とのギャップに苦しむことになるのです。

 自らを客観的に見るためのメタ認知技能は自己肯定感の話に限らず、感情の制御や暴走の回避、見当違いな逸脱の認知など様々なことに役立ちますので、鍛えて損はない技能かと思います。

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  • 珈琲好きの忘れん坊 (id:external-storage-area)

    志賀 雷太 (id:shiga-raita)さん
    コメントありがとうございます。

    ちょっと若者の自己肯定感で気になることがありまして。相変わらず書きたいことを書きたいときに書きたいように書いています。

    友人関係は難しいところがありますね、気の置けない関係が望ましいですが、互いに多少の譲り合いや目の瞑り合いが必要な場合もありますので。断言することは難しいですが、片方が辛い状況ではどうしても長続きしないためその時は距離を取ったり離れることは悪いことではないと思います。
    それを肯定的に捉えることが出来ているのですから、それは適切な自己肯定感だと私は思いますよ。とても前向きで良いと思います。何をどう決断しても選ばなかった方に未練が残るのは仕方がないことですので、選んだ方を肯定的に捉えられるかどうかが自己肯定感の正体なのかもしれません。

    ケースバイケースというのが正しいのでしょうね、くっきりはっきりした結論が好きな人にはあまり好まれないですが。でも何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しです。

  • 志賀 雷太 (id:shiga-raita)

    珈琲好きの忘れん坊さん、こんばんは。今日は自己肯定感の話題なのですね。
    私は昔、友人関係を続けるために価値基準が合わない相手の行動に自分を合わせる人生を送っていたのですが、ある時から自分の価値観を肯定し、相手に合わせることを止めました。当然そこの友人関係は続かなくなってしまいましたが、反面、悩んだり苦悩したりすることがとても減って、個人的には良い人生を送れるようになったと考えています。
    何と言いますか……保守的な自己肯定ではなく、革新的な自己肯定ですかね?
    自分が生きやすい世界をつくるためには適度な自己肯定感は必要だと思いますし、自分を救うためには虎にならざるを得ない場合もあるのかな、と思います。
    …元も子もないですが、要はケースバイケースでしょうか?