実は、人間は肉体ではない‼️ | グッドムーンのブログ

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ほとんどの人は、自分も他人も人間は、肉体(物体)だ、と思っています。

でも真実は違っていた

そこから様々な間違いが生じ、今の世の中になってしまったと言っても過言ではありません!

「人間は肉体ではない」と心の底からわかったならば、それはもう「悟った人」です😄


悟とは、宇宙にある本心(ほんとうの自分)と肉体の吾が一体となった状態、つまり宇宙神と同じ境地です。


悟の境地、意識は、肉体波動ではありません、神霊波動であり、当然自分を肉体などとは思ってもいないのです。


お釈迦様、キリスト様、老子様、そして五井昌久先生、大聖者がそうなのです。


私たちももうすぐ自分が何者かがわかり、その境地(意識体)になります!





【実は・・・・・】


(一)


人間というのは

ここに肉体があるけれども

実はここにあるのではなく

光が流れて来ているのです

純粋な無念無想の状態で

光そのものになっているのです


肉体というのは 本当は

あるのではない ただ見えているだけなのです 

みなさんはここに座っているけれど

実は ここに座っているわけではないんですよ

光の波が幾すじも幾すじも流れて来て

ここに止まっているのです

光の波と業の波が混ざったものが

ここに来ているのです

そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと

業の波がきれいに洗われてゆくのです

みなさんは肉体と思ってはいけません

人間は肉体である という観念から

一日も早く脱却することです


人間は肉体ではないんです

霊なのです 光なのです 光線なのです

太陽が光り輝いているけれど

光線としては見えません

見えないけれど光線はある

それと同じように

人間はみんな光の波で天から来ているのです


それなのに肉体というものに把われて


肉体ばかりを見ているから

太陽の光を否定し

神さまから来ている自分の力を否定している

否定しただけ汚れてしまうのです 


だから

人間は勝手に苦しんでいる といわれてしまうのです

私は今までかつて生れてからこの方 悪いことをしたことがない

という人がある

ちっとも悪いことをしていないのに

私が不幸なのはどうしたわけか

神や仏があるのなら こんなに私を不幸にするわけがない

自分は悪いことをしたことがない といいます

悪いことをしたことがない というけれど

いったい誰がそう決められるのでしょう


悪いことの一番の根本は何だろう

それは

自分は神から来たものである

神と自分とは一体である

ということを否定すること 

そして

神と人間は別なのだ と思うことです

神から分かれた光線なのだ 分霊なのだ

とはっきり自覚しない以上は それだけ悪なのです


自分の真実の姿を否定して

神も仏もあるものかという時

その心は闇の想いです

そうした想いを持ちながら

神さまに助けてもらおうとするのは

お金を下さったり 一日の糧を下さったりしている人の悪口をいうのと同じです

人間は天の恵み 地の恵みで生きています

神さまは天にもいるし 地にもいます

天地縦横 宇宙一杯に光り輝いているのが神さまです

そこから人間は生きるすべての原料をもらっているのです

神さまなくして 人間は生きられません



【ここがポイント(二)】(これがわかれば悩みなく人生を悠々と生きていけます)


(二)


肉体人間というものより


霊的人間のほうが非常に感受性が強い


運命の危険な線も避けることが出来るようになる


守護霊や守護神の注意が速やかにわかるのです


自然に危機というものを避ける力が強くなる


たとえば


放射能というものがある


放射能の波はやはり物質の波ですから


放射能を受けてもあまり感じなくなる


ということになるでしょう


住んでいる次元が違ってくるわけです


肉体にいながらも


自分の住んでいる世界は霊界になってしまう


そういう人がたくさん出れば


不幸がそれだけなくなるのです


人間は物質だ肉体だと思っている


その意識はなかなか消えません


相当長い期間 つめこんで聞かされないと


人間は肉体だと思っています


人間は物質だと思っています


頭が痛い ああ病気と思います


ところが私どもの世界では


頭が痛くても 腹が痛くても


別に病気だと思うことはありません


波がかかって来て 消える姿だと思っているんです


みんな波だと思っているんですよ


全部現われがすべて波だと思っている


科学でも今は波動説でしょう


私はすべて波動だと思っている


波にも汚れた波と 光の波とがある


光の波の中に自分が入っていれば


汚れた波に感染しないから


自分は病気にもならない


たとえ病気になったとしてもすぐ消えてしまう


すぐ治ってしまう


私は朝から晩まで拍手を叩いて浄めています


三百人やろうと五百人やろうと同じです


そんなに疲れはしません


なぜ疲れないかというと


疲れるというのは物質の波動なんです


その波を超えていますから


いくら物質の波が ぶつかって来ても


スッと光の波の中に入る


降りちゃ上り 降りちゃ上りしている


ということは


物質の波 肉体の波の中にいながら


いつでも光の波の中にいるのです


だから皆さんも


人間というものは光なんだ


太陽と同じような光なんだ


ということを


いつも頭の中に思わなければいけません


太陽のような光


それは神さまなんだ と


光が小さいか大きいかは別として


自分は光の体なんだ


といつも思っていることです


だからお腹が痛もうと頭が痛もうと どこが痛もうと


病んだということは


病気ということは


過去の因縁が消えてゆく姿なんです


自分の本体はいつも光なんです


ある人が 「まだ自分の心が足りないからこうこうなる」 とおっしゃるから


それは違う


自分が悪いからこうなった ああなったじゃないんだ


と説明しました


普通の宗教では


あなたが悪いからこうなった お母さんが悪いから子供がこうなった


良人が悪いから妻がこうなった


ということになるんだけれども


それは嘘なんです


悪いものはみな消えてゆく姿


今のその人が悪いわけじゃないんです


今現われている不幸というものは


今現われている悪い想念 嫌な感情というのは


今つくったんじゃないのです


ここを間違えてはいけません


たとえば今ご飯を食べているとすれば


そのお米は去年作ったお米ですね


今作って 今食べるわけじゃない


人間の口に入る時には


自分の目の前に現われる時には


過去に作ったものが現われる


それと同じように


人間の想いというものは 今現われている想いというものは


今現われている環境というものは


それは今作ったもんじゃなくて


過去世の因縁が過去世の想いの波が


今ここに現われて


その人の環境になっているんです


だから今現われている環境をとやかくいったって始まらないでしょう


食べちゃったものを


お前こんなもの食べちゃって!といったって


あとは出るだけの話です


食べたものは出る


やったことは必ず自分に帰ってくる


これは原則です


だから今の不幸とか今の喜びとか今の悲しみとか


今の想いというものは 今あるように見えるけれども


それは消えてゆく姿としてこの世に現われただけであって


今作ったのではないのです


いいですか それをよく頭にしみこませてください


今作ったんであればその人を責めることが出来ます


ところが今作ったんじゃなくて


過去において行った想い お互いの想いが


ぶつかって喧嘩になり争いになるのです


だから


争った場合 あるいはいじめられた場合


こちらが全然悪くなくて


いじめられたり 悪口をいわれたりするならば


それは相手が悪口をいったように見えるけれども


悪口をいわれているほうが過去世において相手をいじめた


その波が向こうからうつって今 自分に帰って来ているところなのです


それでいじめられているのです だから


今のその人が悪いわけじゃなく


今いじめられている自分が悪いわけじゃなく


神さまを離れたお互いの想いが


そこでぶつかって消えてゆく姿なんですよ


わかりますね


そういうのが本当の宗教というんです


人間は神の子なんです


みんな神さまなんです


この世は神さまの世なのです


神代から初まっているのだから


その神代のことを説くのが日本神道です


人間は神だ 神の子なんだ と日本では初めからそういっているわけなんです


それが今改めてハッキリ説かれているんです


私の話していることは 神道らしく話さないけれど神道なんです 法華経なんです 


法華経を超えて神道なんです


それをやさしく説いているんです


人間は神の子なんだ


光明燦然としているものなんだ


悪はないんだ


と説いたらば


もうお前の心が悪い そんな心の影だよ


などという心の法則は一切いらないんです


それがあったら人間は神の子でなくなっちゃう


お前は神の子なんだ 仏の子なんだ


光明燦然としているんだ


どの宗教でも教えていながら


お前が悪い とこういうのです


それは悪をいつまでも抱えていることになる


お前が悪いというのは一切いらないんです


お前が悪く見えるのも すべて


みんな過去世の因縁が現われて消えてゆく姿で


今のその人は悪くないんだ


こういう見方をしませんと


本当に人間の世界は幸福になりません



『大決意』 五井昌久著 白光出版
 



みなさんはグッドムーンは五井先生(大聖者)の文章を書き移しているくらいだからきっと書いてある内容はすべて理解しているのだろう?悟っているのだろう?と思っておられのかもしれませんが、私もわからないことはあるのです。

とくに人間は光りである、肉体ではない・・・・のところです。

それは肉体が従で心が主である、心は永遠に生き続けるのだ、ということから納得は出来るのですが、どうしても意識は肉体(物質)へといってしまうのです。


しかしわかるところもあります。

光の波と業の波が混ざったものがここに来ているのです、のところです。


人と人間とは違うということはここでも何度か書きましたが、人とは霊止(ひと)であり、霊とは神さまのことなので神さまが宿った状態を人というのです。(お釈迦様、キリスト様などの覚者)

一方マイナスのエネルギー(業)を被った人を人間といいます。(ほとんどの地球人類)

イナスのエネルギー、業とは主に感情想念なので動物にたとえられます。(動物は神様が創った被造物であり、神ではない)

この神さまと感情(動物)の間にいるのが人間です。

私たちの本体は神、人(霊止)なので業が本体を光らす邪魔をしているのです。

苦しい原因、不幸、病気、不調和な原因はすべて神さまから心が離れていたからです。

これから私たちは、人間から人(霊止)になってゆきます。

目覚めてゆきます。

今はその過渡期なのです。


追伸・・・・個人、人類の業(マイナスエネルギー・過去世の想念行為・潜在意識)を消し浄め、青空のようにスッキリ爽やかな状態(地上天国)にするメソッドが『世界平和の祈り』、印(我即神也・人類即神也・神聖復活目覚めの印)です。
 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊さまありがとうございます

守護神さまありがとうございます




*この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。




自分はいったい何者なのか?

どこからやって来て、死ぬとどこへ行くのか?

生まれて来た目的は何なのか?

知らなければならない時期に来ています。

「神と人間」は私たち人間が生きてゆくための指南書、道標です。

是非‼️読まれてください!

これまで貴方が抱いていた疑問がすべて解決されます。