渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

登山

2021年12月17日 | open
 
大昔、プライベートではなく職務で
元共産同赤軍派の「兵士」たちと
弁護士と共に日曜に数十年ぶりに
現地調査で大菩薩に登山した。
不思議なもので、山荘のおやじさん
は、数十年ぶりなのに、即「もしか
して赤軍派の方?」と笑顔で話し
かけて来た。
元赤軍派の二人は、「その節はどう
もお世話になりました。お世話で
なく、ご迷惑をおかけしました」
(ママ)と言って頭を下げた。
当時は大学のワンダーフォーゲル部
の合宿と称して高校生を含む50数名
が合宿した。
ただ、現実の真実は「軍事訓練」な
どはやっていない。
大菩薩嶺の頂上の瓦礫がある場所で
爆弾に見立てて石ころをみんなで
投げる練習をしただけだ。牧歌的に。
だが、それは事前に合宿計画の段階
から全てお上はお見通しで、いわゆ
る「赤軍罪」で全員逮捕した。
赤軍罪とは、何もしていなくとも
共産主義者同盟赤軍派のメンバー
になったり、関与しただけで即逮捕
するという事が現実に実行された
ものだった。
無論、日本の法律を国家が犯してい
る。戦前の特高のような事をして
いるのだから。戦後民主主義国家
では赤軍派の行ないもそうだが、
国家権力のやり口も著しく法律に
違反する違法行為をやっていた。
日本には「民主主義」や「法治」な
どは1970年時点では存在しなかっ
た。
これは内実として真実だ。
 
ブント赤軍派は大間違いの情念的な
マンガセクトではあったが、昭和元
と浮かれる日本のニセモノの平和
や贋物民主主義の嘘を暴き、現実の
本質をえぐり出す任務は歴史の中で
果たした。
ただ、赤軍派崩壊後の残存グループ
(メンバーはほぼ全員逮捕。内ゲバ
で現場敵前逃亡した森たちにより
残存部分が集結した)による後退的
局面で場当たり的に中国派と野合し
て結成した連合赤軍による同士殺し
は、それが判明したあとに反ソを
謳う新左翼に壊滅的な精神的打撃
を与えた。
結局、組織内でも中央路線に異を
口にしたら粛正する。それを正義
とする。
「共産主義」が陥る決定的な過ちだ。
ソ連はじめ、各国の擬似共産主義者
たちと何ら変わらない。
連合赤軍はそれだったからだ。
マルクスはそんな事は望んではいな
かった。
それは人類上世界初のソ連から指令
を受けていた各国の既成左翼から
対立独立した左翼である日本の新
翼が一番理解していた。
世界の希望だった日本新左翼は、
連合赤軍の大きな過ちによって、
全国的な壊滅状態を生んだ。
同士殺しを正義とする奴らは、必ず
そのうち人民をも殺し出す。
ソ連はじめ、世界中のエセ赤国家が
そうだった。
だからこそ、新左翼はそうではない、
新しい社会制度を実行する部隊とし
て自らを規定していた。
それが根底から崩れた。
 
それでも、まだ現在の日本には旧
「新」左翼のつもりの革マルや中核
や青解やブント残滓が残していて、
一切何らの新左翼運動の失敗の総括
していない。
特に革共同と革労協は全く我が物と
して連赤問題を反省していない。
共産主義者として恥知らずにも程
がある。
連赤問題を我が事と捉えて自身に
刃を向けて自立的な決裁はしない
のが今の旧「新左翼」だ。
相変わらず高慢チキのままである。
人民を裏切った日共以下の罪悪だ。
 
連赤裁判の最高裁冒頭陳述書は、
私が職務でワープロ清書打ちした。
なお、長かった裁判では、私の個人
蔵書も時代性を立証する疎明資料
として多く使われた。

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