はじめに
どうも、refuです。
Wathematica Advent Calenderの箸休め記事 (12/15) は当記事です。
前回は自己紹介もせず自分の性癖趣味・趣向をインターネット上で披露してしまったのですが、これが公然猥褻に当たらないか不安になっております。もしもそうであるならば直ちに憲法を書き換えに行こうと思います。改憲派ってこういうことでしょうか。
名前に関して言うと、当初は「さんさんれふさん」を名乗っていたのですが、長いわりにダサい恩恵を受け難いものだったので「れふさん」や「refu」と表記の変遷を辿ってきた次第です。
かの物理学教程で知られるLandauのFirst NameがLevだということを知ったのは名乗り始めて1年ほど経ってからだというのはご内密にしておいてください。僕とあなただけの秘密ですよ、なんか素敵ですね。
茶番はさておき、主題に触れましょう。読者の皆さんはさぞ早稲田大学 先進理工学部 化学・生命化学科 理学専攻 物性物理学専修の実体に興味を抱いているのでしょうから本記事に目を通していると思うのです。
なお、以下では「鞍替え」という正直読み方も見た後直ちに忘れてしまいそうな言葉が度々現れますが、読み方や意味を知らない方は「ディセプティコンからオートボットに移籍すること」くらいに思ってもらえれば十分です。トランスフォーマー2の視聴を前提とした文章を書いて読者厳選するのはほどほどにしましょう。
refuの生態は?専門は?経歴は?
というわけで、魔境やら秘境やら人類未踏の地こと早稲田大学 先進理工学部 化学・生命化学科 理学専攻 物性物理学専修に生息するのは一体どんな生物なのでしょうか?
そこに居付いた一個体であるrefuの専門分野・興味分野、経歴......つまりその生態に迫ることとしましょう!本稿における生命要素はここのみです
専門分野・興味分野
- 専門分野:物性物理学, 量子化学
- 興味分野:強相関電子系, 相転移, 量子スピン液体, 超伝導, 磁性, トポロジカル物性, 非平衡統計力学, 場の量子論(QFT), 密度行列繰り込み群法(DMRG), 密度汎関数理論(DFT), 微分方程式, 認知心理学, 宗教画・宗教建築, 古代ギリシア哲学
あーあーあーあーあーなんだこれは。何が化学・生命化学科ですか。興味分野にはもはや化学の字も生命の字も見い出せません。"カ"学の字は見いだせるが... まあ流石に学部、学科と学問領域を絞りながら専攻と来てどっと学問領域を拡大しているだけあります。その名のおどろおどろしさに恥じないその実態に流石に畏敬の念を感じざるを得ませんね。感じろ
まぁなるほど、その名の意味するところはこれで分かりました。所謂「鞍替え」というやつですね。つまり彼はディセプティコンの皮をかぶったオートボットというわけです。化学の方が物理よりもオートボット感あるという指摘は違憲です
はてさて、しかしまあなぜ彼はそんな一途を辿ることになってしまったのでしょうか。それを明らかにすべく、我々はさらにAmazom Primeの奥地へ進んだ......かの有名な失言として「映画には2種類しかない。アマプラで見れる映画と見れない映画だ」というのがある
経歴
- B1夏:好意を抱いていた相手に「やりたいことあるならやればいいんじゃない?」と言われる
......いかがでしたか?広義ヤリモクでしたね!
さてのこの本質情報は有耶無耶にして、もう少し物性物理学とrefuの関係を掘り下げましょう。
要素還元主義者として
自らの志向性の根底にあるものを辿っていくと「要素還元主義」という言葉に必ず辿り着きます。要素を分割・分解し、その各要素の本質を探る。そんな思想を掲げている、というわけです。
正直言えば、物質のミクロな構成要素により関心を抱くようになったことが先であったか、要素還元主義が先であったかの順序問題に対して答えを持ち合わせていませんが、それは問題ではありません。
ただ間違いなく屹立として存在していたのは、様々な元素たちが類似する特性やまるで異なる特性を発揮することに対してミクロな視点で興味を持っていたという事実のみです。これはある意味で興味対象となる特異な性質を示すものの存在を前提としているという点で「物質」的であると言えるでしょう。そしてこの志向性が僕を化学の道へ手招いたことは言うまでもありません。
そして、化学の道へ進むことを決めた最後の一押しになったのは、度々「自分の生徒から科学者を出したい」と漏らしては化学への愛を熱意溢れる形で指導してくださった高校時代の恩師の存在でした。
そして彼の離任時に放った「僕は科学者を目指します」という自らの言葉は忘れていません。
畦道と物性物理学との邂逅
そして1年間の浪人を経て晴れて弊学科へ入学。高校物理における原子分野に感化された僕は入学時から「化学の基礎付けとして量子力学は独学であれ学び、習得する」ことを志していました。特に錯体化学や超分子化学の理論的側面を見たいと考えていました。
物理へ臨もうと逸る気持ちを抑え、物理を学ぶためにも数学を学ばなくては、と最低限の数学を修めたのが1回生時春学期の功績です。
しかし、「どこまで基礎を学べば自分のやりたいことができるのか、そもそも何を読めば良いのか」と喘いでは未整備の畦道を往く勇気は無く、ただ地団駄を踏むばかりでした。
そこを一歩踏み出し、ぬかるんだ足場ながらも量子力学へ一歩踏み込んだのが1回生時秋。それからは畦道の歩き方をその足で学び、色んな光景を目にしました。そしてそこで何かが僕の志向性にカチャリと嵌る音を聞いたのです。それこそが物性物理学でした。
アイデンティティの所在地
自らの志向性の赴くまま物性物理学を目指して物理学を修めるようになった僕は、もはや化学屋としての矜持というものは失いました。化学反応に元来興味が無かったことも思い知り、自分のアイデンティティはどこに属しているのかも分からない。苦し紛れに名乗り始めた「物質科学屋」という言葉はまさに僕のことをよく表していたと今でも思います。
ただ、苦し紛れのそのフレーズもいよいよ葬り去り、別れを告げる必然性が生じました。大学院進学はその必然性を冷酷に告げます。
右往左往しながらも、その歩む道の軸は物質にあったこと。今の自分は単純な要素還元主義に駆られているのではなく、量子多体系の協奏現象によるバルクな物性に最も関心を寄せていること。それらが導く答えは記すまでもないでしょう。
鞍替えと不安感
鞍替えともなれば物理科で学ぶ基礎物理・物理数学は全て最低限入試で使い物になる程度には修めなくてはならないということは院試対策をしていれば否応なしに思い出されてしまいます。また、4回生時の卒研や修士以降のadvancedな物理などもいくらかの不安材料足り得ます。
しかしこれもやがて死に逝く人の定めと同じように、僕には不可避なものです。かと言って、不可避であろうと現に無いものに怯えて足を竦ませていては何処にも行けないというのもまた事実で。だから、今は現にあるものと対峙しながら、その間隙を縫って自分のしたいようにすることにします。
メッセージ
とりとめのない文章でしたが、僕が伝えたいのは
- やりたいことはやってみればいい。身を滅ぼしそうならその身を退けばいい。
- 進捗主義に駆られ、先へ先へと焦りすぎなくていい。やっておくべきことをやっておくことは後々自分の足場として拠り所になる。
- アイデンティティの所在に悩んでいるなら手を動かして経験してみればいい。やればいいことが分からないならやるべきとされていることをゆっくりすればいい。そのうちに自分の志向性を見出し、整合性が合う日が来るはず。
ということです。
最後に
「知の前線へ。僕らは一人じゃない。」
なんてクサいフレーズですが、僕はこれの苦労の上でこのサークルを運営してきました。
どうか、このサークルが今後も誰かの好奇心のためになることを切に願います。(2021/12/15)