俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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父娘喧嘩 Ⅱ

 昔からずっと不運だった。

 時々小さな幸運がちらほらあったが──一つ幸運を得る度に最低一つの不運が付いてくる。

 それが【テレンス・フォウ・ファイアブランド】の半生だった。

 

 テレンスの上には姉が三人いた。

 

 四人目にしてやっと授かった跡取り息子であるテレンスを両親は溺愛した。

 それが姉たちの嫉妬を買って、テレンスは事あるごとに嫌がらせを受けた。

 

 屋敷に帰れば姉たちがいて嫌な思いをするため、外で遊び歩くことが多くなった。

 両親はそんなテレンスを案じて、寄子の家から年の近い娘を選んで遊び相手に付けた。

 

 その娘──【マドライン・フォウ・ホプキンス】とテレンスが仲良くなるのに時間はかからなかった。

 初めて一緒にいて楽しい()()ができたテレンスはとても嬉しかった。

 姉たちにいじめられてもマドラインが慰めてくれたし、一緒に遊べば嫌なことも忘れられた。

 いつかマドラインと結婚して、ずっと一緒にいるのだろうと、漠然とそう思っていた。

 

 でも、現実は非情だった。

 子爵家の跡取り息子である自分と騎士家の娘であるマドラインとでは結婚できないと知った時、テレンスは泣いた。

 

 

 

 やがてテレンスは成人を迎え、学園に入学し──()()と出会った。

 

 学園は貴族の子女たちにとっては学び舎であると同時に出会いの場でもある。

 特に男子生徒たちにとっては、学園で家格に見合った結婚相手を見つけることは、三年間の学生生活の最重要目標である。

 その達成のためには選り好みなどしてはいられない。

 貴族──特に男爵家から伯爵家──の結婚は圧倒的な女性有利であり、そもそも結婚自体が難しい。愛する人と結ばれる恋愛結婚など望むべくもない。

 

 テレンスも頭ではそれを理解していた。

 でも──彼女を見た時から彼女のことしか考えられなくなった。

 一目惚れだった。

 貴族令嬢は元々美人揃いだが、彼女──【カタリナ・フォウ・クライヴ】は特にテレンスの嗜好のど真ん中だった。

 

 百七十センチを超える長身に引き締まったスレンダーな肢体。

 ウェーブの掛かった絹のような白銀の長い髪と宝石のような青い瞳。

 しなやかな体つきと寒色系の髪と瞳、そしてややつり目気味な顔立ちが内に秘めたる力強さを想起させる。

 実際彼女は勉強も運動も良くでき、成績優秀で自信に満ち溢れていた。

 カタリナの美しさと利発さの前には他の女子など皆霞んでしまい、気付けばテレンスはいつもカタリナを目で追っていた。

 

 彼女が男爵家出身で結婚に何の問題もないと知って、これは運命だと思った。

 彼女を落とすためにあらゆる努力をした。

 身嗜みを整え、身体を鍛え、休日にはダンジョンに挑んで金を稼ぎ、高級な道具や茶葉やお菓子を揃えて格式高いお茶会に招いた。

 

 その頃のカタリナは我儘で、奔放で、周囲を振り回しがちな所こそあったが、露骨に男子を見下してくるようなことはせず、誰にでも気さくに接する人物だった。

 

 当然そんなカタリナは男子生徒たちに大人気で、同級生のみならず上級生からもしょっちゅう口説かれていた。

 ライバルは非常に多かったが、テレンスは諦めなかった。

 カタリナの笑顔が見たい──その一心で頑張っていた。

 彼女が食べたがっていたお菓子をお茶会に出したり、行きたがっていたお店に連れて行ってあげたり、欲しがっていたアクセサリーを買ってあげたり、できることは何でもやった。

 

 ──それが彼女を付け上がらせていることに気付かないまま。

 

 

 

 気付いた時にはもう遅かった。

 テレンスが好きになったカタリナという利発で快活な少女はいなくなっていた。

 

 代わりにそこにいたのは学園の空気に染まって増長した性悪女だった。

 

 自信は傲慢に、我儘は強欲に、奔放は残虐に、賢さは狡猾さに──変わり果てたカタリナは幾人もの男子を自分の下僕のように従え、まるで女王様のように振る舞っていた。

 高級なお菓子やらブランド物の服やら高価なアクセサリーやらを貢がせ、気に入らないことがあれば下僕の男子か亜人奴隷を使ってリンチすることさえあった。

 

 それでもテレンスはカタリナに尽くし続けた。それが愛だと信じて。

 

 そして幸か不幸か、学園を卒業した時、カタリナは幾人もの下僕の中からテレンスを結婚相手に選んだ。

 テレンスは望み通り、カタリナを自分のものにできたのだが──胸に湧いたのは嬉しさではなく、口惜しさと虚しさだった。

 確かに結婚こそしたが──王都に使用人数十人規模の屋敷を用意させられ、多額の仕送りをさせられ、おまけに跡取りを産んだ後は彼女に愛人を認めるという屈辱的な条件を呑まされたからだ。

 

 だがそれを恨んだり嘆いたりしたところで何かが変わるわけでもない。

 それにテレンスと同じようにカタリナに下僕扱いされながら、結局選ばれなかった者たちに比べればまだマシだった。

 

 

 

 そうして虚しさと屈辱感を抱えて領地に戻ったテレンスだったが、そこで僅かに残った幸運に巡り逢う。

 マドラインがわざわざ会いに来てくれたのだ。

 

 学園に入ってから疎遠になっていたにも関わらず、昔と変わらない笑顔で結婚を祝福してくれたマドラインにテレンスは感極まって──頭を下げて頼み込んだ。

 

 側にいて欲しい、と。──妾として。

 

 妾は辛い立場だ。正妻にいびられ、産んだ子供は跡を継げない。それどころか、学園にやることすらできないこともあり得る。

 なのにマドラインはそれを承諾してくれた。

 それが嬉しいやら、申し訳ないやらでテレンスはまた泣いた。

 

 カタリナはマドラインを妾として囲うことに特段何か言ってくることはなかった。

 カタリナからしてみればテレンスが他の女と仲良くしていようが、子供を作ろうが、自分の生活の保障さえしてくれればどうでも良かったのだろう。

 それがテレンスには悲しく、虚しかった。

 

 

 

 数年後、テレンスの父は引退し、テレンスは父の後を継いでファイアブランド領の領主となった。

 

 カタリナは普段王都の屋敷で生活していたので、顔を合わせる機会は少なくて済んだ。

 

 だがそれでも、結婚生活は控えめに言って地獄だった。

 学園にいた時には幾人もの下僕たちに分散していたカタリナの我儘は全て結婚相手のテレンスに向かっていた。

 カタリナへの仕送りのせいで家計は火の車。それなのにカタリナは感謝のひとつもなく、それどころか仕送りの増額をしょっちゅう迫ってきた。

 領地の懐事情が厳しいと言えば、もっと税を上げろだの金を借りろだのと統治にまで口を出してくる始末。

 そのために、ただでさえ疲弊した領地に更に重税をかけることになり、家臣や領民から凄まじい不満の声が上がった。

 カタリナと、悲鳴を上げる領内との板挟みに遭ったテレンスは心労で弱っていった。

 

 微かに残っていた愛が完全に憎悪へと変わるまで長くはかからなかった。

 

 しかし、結婚してしまった後では別れることもできなかった。

 妻がどんなに酷い女でも切り捨てれば悪評が立つ。ファイアブランド家の格を落としてしまい、貴族社会で不利な立場を強いられる。

 

 テレンスは心を殺してカタリナと夫婦であり続けた。

 

 他の男──亜人奴隷だと思っていたが後で違うと知った──と比べられて貶される屈辱に耐えて彼女を抱いて、身籠らせた。

 だが生まれたのは女の子。しかもテレンスに似ている所が一つもなかった。

 本当に俺の子なのか、という疑問は当然生じたが、確かめる術はない。

 

 何はともあれ、女の子では跡取りにできないので、二人目の子供を作ることになったのだが──二人目の子供は早産児であり、生まれてすぐに死んでしまった。

 

 そしてカタリナも産後程なくして病死した。

 長年の贅沢と不摂生、そして薬物の乱用が原因でカタリナの身体はボロボロになっていたのだ。

 

 それを聞いたテレンスは発狂した。

 俺の人生は何だったのだ?あの女のために全てを捧げて──その結果がこれか?

 時間と金と自由を奪われて、尊厳を踏みにじられて──跡取りさえも産んで貰えずに、残ったのは莫大な負債と誰の子かも知れない娘だけ。

 

 いっそのこと何もかも捨ててしまいたいと思った。

 屋敷の執務室から、浮島の縁から、飛行船の甲板から──何度も身を投げかけた。

 その衝動が治まるまでには数年を要することとなる。

 

 

 

 カタリナが残した忘れ形見である娘は法的な父親であるテレンスが引き取った。

 

 テレンスは心苦しく思いつつもその娘──エステルをマドラインに育てさせた。

 

 エステルは思いの外マドラインによく懐き、マドラインを「お母様」と呼んだ。

 それをテレンスは幸運だと胸を撫で下ろした。

 あの女の娘を育てさせるだけでも申し訳ないのに、懐かなかったら、今まで何度も自分を助けてくれたマドラインに合わす顔がない。

 

 そして数年後、テレンスにもう一つの幸運が訪れる。

 マドラインとの間に息子【クライド】が生まれたのだ。

 目元や口元にマドラインの面影があり、髪と瞳はテレンスと同じ炎のような赤。

 自分の子供だと実感できるだけでこんなにも愛おしく思えるのだと、感動した。

 

 だが、今まで通り、幸運の後には不運がやって来た。

 テレンスとマドラインがクライドの世話にかかりきりになり、構って貰えなくなったエステルが様々な問題行動を起こすようになったのだ。

 勝手に屋敷を飛び出しては広い庭をほっつき歩き、屋敷にいれば物を壊したり、壁や床に落書きしたり、調度品を汚したりといった悪さをする。

 

 何度注意しようが、叱りつけようが、全く直らなかった。

 昔両親がテレンスにしてくれたように遊び相手を付けてやろうともしたが、生憎と良い人材は見つからなかった。

 

 困り果てたテレンスはマドラインと相談して専属使用人を雇うことに決めた。

 専属使用人がエステルの世話係と遊び相手を兼ねてくれれば、エステルも悪さはしなくなるだろうと考えていたが、事態は予想だにしない方向へと動くことになる。

 

 確かに専属使用人を雇ってからエステルは悪さをしなくなったが──明らかに人が変わったようになった。

 立ち振る舞いや言葉遣いが粗暴になり、「俺」という一人称を使い出した。更に何を思ったのか、剣を習いたいと言い出した。

 

 断って癇癪を起こされても面倒なので、適当に指導者を探して雇ったが、報酬が一番安かった者を選んだ。どうせ子供の思いつきですぐに飽きるか、嫌になって投げ出すだろうと思っていたからだ。

 

 しかし、予想に反してエステルは剣の修行をやめなかった。

 

 悪さをしなくなったかと思えば、今度は変になったとテレンスは溜息を吐いた。

 

 雇った専属使用人(ティナ)が何か吹き込んだのかと思って問い詰めたこともあったが、彼女は関与を否定し、むしろ僭越ながら直そうともしたと言った。

 

 結局エステルが変わった原因は掴めず、テレンスは気味の悪さを感じた。

 そしてエステルを避けるかのようにより一層クライドを溺愛するようになった。

 

 

 

 エステルは成長するに連れてどんどん生みの親のカタリナに似てきた。

 

 顔立ちのみならず、気の強さや勉学の優秀さもカタリナを彷彿とさせる。

 そして何より、周りの人間を惹きつける資質を備えている所が出会った頃のカタリナによく似ている。

 家庭教師や使用人たちには勉学へのひたむきな努力を高く評価されていたし、家臣たちまでも彼女に一目置いていた。

 

 エステルは屋敷に出入りする役人や軍人たちと積極的に交流を持ち、彼らの仕事について知りたがった。

 彼らが質問に答えれば目を輝かせて聞き入り、時間を割いてくれたことへの礼をきちんと言い、立場が遥かに下の者たちにも腰を低くして教えを乞うた。

 当然、そんなエステルは家臣たちからは好感を抱かれ、男であれば良い領主になるだろうにと惜しむ声もちらほら出ていた。

 

 それに気付いてからテレンスは一層エステルを避けるようになった。

 エステルの顔を見ればカタリナを思い出して嫌な気分になってしまうし、おまけにカタリナに虐げられる悪夢まで見るからだ。

 

 できる限り顔を合わさずに済むように、波風立たないように、彼女の我儘は全て聞いた。

 

 だがそれもやがて限界を迎えた。

 

 そしてある時、ふと思った。

 自分がカタリナのせいで味わった地獄を、彼女の娘であるエステルに味わわせてやれたら──この上ないカタリナへの復讐になるではないか、と。

 

 

◇◇◇

 

 

 飛んできた拳骨はノロい上に軽かった。

 何の苦もなく片手で受け止め、押し返すと親父は椅子ごとひっくり返る。

 その拍子に床で頭を打ったらしく、親父は後頭部を押さえて呻いた。

 

「てんで駄目だな。ただの力任せで速度も重さも乗ってない。こんなんで私を殴れるとでも思ったのか?」

 

 これ見よがしに溜息を吐いてやると、親父は嗚咽を漏らしていた。

 

「俺の──俺たちの境遇の苦しさ、理不尽さはお前には分かるまい。必死で頑張って、真面目に生きているのに負担ばかり背負わされて──どう足掻いたって報われない。感謝すらされない──それに反抗などすれば蔑まれ、弾き出される──お前は俺たちが味わった地獄を見ていないからそんなことが言えるんだ!」

 

 残念だが俺は知っている。この世界の男の、ではないが──地獄の苦しみなら知っている。

 惨めなものだ。自分の時間、自分で稼いだ金、自分のやりたい事──その全てを犠牲にして他者のために尽くして──そして騙され、何もかも失って無様に死んだ。

 

 だが、前世で俺がそんな苦しみを味わったのは、前世の俺が世界の現実を何も理解していなかったからだ。

 どんな世界でも強者が弱者を支配し、悪党が善良な人間を虐げて繁栄を謳歌する。

 それが厳然と存在する人の世の摂理だ。

 

 だから、親父が責めるべきは俺やカタリナではない。社会に望まれる通りに()()()生きることがただの自己満足でしかないと気付かなかった自分自身だ。

 

 以前に案内人がこの世界の貴族男性は何かと不遇だと言っていたが──それはその不遇な現状に甘んじ、下手に出てばかりで女共を付け上がらせた男たち自身の責任だ。

 そもそも人口を見れば、男の方が結婚において立場が有利になるのは自明の理だ。

 空賊やモンスターが跳梁跋扈し、いつもどこかで戦いが起こっているのがこの世界だ。

 戦いで男がどんどん死んでいくせいで女余りが生じているのだから、男の方が女を選ぶ立場になるはずなのだ。

 なのに現実にそぐわない意味不明な女尊男卑の社会常識に囚われて、自分の価値を自分で貶め、女を付け上がらせるとは、何という体たらく。

 

「ああそうだな。私はお前じゃない。だがこれだけは確かだ。お前が奪われて虐げられたのは、お前がやり方を間違えたからだ。諦観に縛られて、下手に出て、相手に尽くして、苦しめられても抗議も仕返しもしない──そりゃあ女は付け上がるさ。権力か暴力で首根っこを押さえつけるくらいの気概で接していれば、少なくとも見下されて搾取されることはなかっただろうにな」

 

 冷たく言い放ってやると、親父はカッと目を見開き、俺の方に向き直って怒鳴ってきた。

 

「黙れ!何を分かったようなことを!そんなことをして結婚などできると思うのか!女には嫌われて、噂が広がって周りから白い目で見られて、不利益を被るだけだ!他に選択肢などなかった!」

「はぁ?そんなのただの言い訳だろうが。世間体を言い訳にして状況を改善する努力を怠り、口先だけの不平不満ばかり垂れ流して、結局できたことは年端もいかない娘への八つ当たりだけ。しかもその娘にすら勝てないとか──本当にどうしようもないな」

 

 煽ってやると、親父は立ち上がって再び殴りかかってきた。

 

 今度は魔力で肉体を強化しての渾身の拳打。

 なるほど、素の肉体が俺より屈強な分、俺の拳より重くなっている。

 そして腐ってもよく鍛えられているらしく、動きも悪くない。

 拳が躱されて空を切ってもすぐに次の打撃を繰り出し、隙を見せない。

 

 だが、無意味だ。俺にはスローモーションにさえ見える。

 全ての打撃を最小限の動きで難なく躱し、疲れからか打撃が途切れた隙に跳び膝蹴りをお見舞いしてやる。

 親父は腕でガードしようとしたが、俺は空中で身体を捻って軌道を変え、側頭部に回し蹴りを直撃させてやった。

 ニコラ師匠が教えてくれた、相手のガードを迂回して蹴りを叩き込む技だ。

 

 効果は抜群だった。親父はあっさりと吹っ飛び、執務机に激突して倒れ込んだ。

 

 机上の書類や小道具が床に散らばるのを横目に、立ち上がろうとする親父の上に伸し掛かり、体術の関節技を決めて動きを封じる。

 親父は抜け出そうともがくが、俺はびくともしない。

 

 ちなみにここまで俺は魔法による肉体強化を使っていない。

 親父のあまりの弱さに拍子抜けしてしまう。

 

「魔法も使っていない小娘相手に魔法を使ってこれとか──やっぱり弱っちいな。お前はさっき私がお前の味わった地獄を見ていないとか言っていたが──逆にお前は私の何を見てきたんだ?この力を得るために私は何年も修行してきた。周りには品がないだの、おかしいだの陰口を叩かれて──挫けそうになったことだって一度や二度じゃなかった。それでも毎日欠かさず続けてきた。その修行をお前は一度だって見に来たか?来なかったよな!お前はずっと同じ屋敷にいながら、私の──私自身のことなんて何にも見ていなかった!だから私との実力差も分からないんだ!」

 

 後半は殆ど私怨から来る恨言だが、こいつがカタリナの亡霊に囚われて俺自身のことをまるで見ていなかったのは事実だ。

 

 親父は俺に押さえつけられたまま、歯を食い縛って涙を流しながら怨嗟の声を漏らす。

 

「くそ──何なんだ──何なんだよお前は!なんで──そんな力を求めた!?守られて、優遇されて、強くなる必要なんてない立場のお前が──なんで──」

「そんなの決まってるだろ。奪われないためだよ」

 

 質問に答えてやると親父は訳が分からないという顔をする。

 

「何を言って──」

「この世はな──強い悪党が弱者を虐げて美味しい思いをするようにできているんだよ。いくら善良だろうが、誠実だろうが、良い立場にいようが、弱ければ奪われて蔑まれるだけさ」

 

 上から目線でそう言ってやった。

 

 傍から見れば、十二歳の少女が大の大人に伸し掛かって偉そうに説教を垂れているというおかしな光景だが、俺は前世を含めれば親父と同等かそれ以上の年月を生きている。

 つまり、これは人の世の摂理を知った人生の先輩たる俺が何も分かっていない後輩である親父に残酷な世界で生きる心構えを説いてやっているのだ。

 

 だが、親父は再び顔を歪ませて言い返してくる。

 

「ヒヨッコが偉そうにさえずりやがって。何様のつもりだ!たかだか十二年しか生きていないくせに何を分かったような口を──」

「少なくともお前よりは分かっているさ」

 

 自分でも驚くほど低い声で親父を遮る。

 

 親父の物言いが頭にきたので掛けていた関節技を外し、親父の襟首を引っ掴んで無理矢理身体を起こさせた。

 そして耳元で言ってやる。

 

「実際私は父親だと思っていたお前に何もかも奪われかけた。私の知らない奴を勝手に私に重ねて、八つ当たりで私の自由と幸福を奪おうとしたよな?私が無力な小娘だったら、今頃気持ち悪いメタボ野郎に嫁がされて、地獄みたいな生活をしていただろうさ。力をつけておいて正解だった。守られる立場にいたって、強さがなければ結局奪われるんだ。それも守っている奴(父親)にな」

 

 すると親父はクツクツと笑い出した。

 

 気持ち悪くなって襟首を離すと、親父は両手を床につき、俯いたまま笑い続ける。

 

「──自由だと?幸福だと?貴族に生まれついてそんなことを口にするとは傑作だ!では聞くが、お前が言う自由と幸福とは何なのだ?お前は──何がしたいんだ?」

 

 何がしたいかだと?とっくに答えを言っただろうが。

 

「言っただろ?私は領主になりたいんだ。民の上に立って権力を振るって、民から財を集めて贅沢して、誰にも何も奪われずに、誰からも指図されずに、優雅に自分の思うままに生きていく。それが私の自由と幸福さ」

 

 すると親父は小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

 

「随分と領主に夢を見ているのだな。領主になっても得られるのは今以上の責任と重圧だけだ。己の自由も幸福も民と国のために犠牲になる。それにファイアブランド領は斜陽の地だ。今更領主になったところでお前の思っているような気ままな暮らしなどできんぞ」

 

 ──前半はともかく後半はその通りなのが癪だ。

 

 家出して冒険の旅に出る前から何度かお忍びで街に出掛けたことがあるが、活気のない寂れた雰囲気だった。

 親父が俺にオフリー家の跡取りとのお見合いを伝えてきた時も「うちの財政は危ないんだよ!」と言っていた。

 そして戦争準備をしている今、俺自身の目で領内の状況を把握して分かったのは──今のファイアブランド領は悪徳領主として領民たちを虐げた「後」の状態だということだ。

 既にギリギリまで搾り取られていて、今回の戦費調達でまた搾り取ったら──後は干からびた搾りかす同然になってしまう。

 領民から搾り取って贅沢に暮らすなど不可能だ。

 

 だが手はある。今貧乏で搾り取れないなら、豊かにしてから搾り取れば良いのだ。

 幸い俺にはセルカという素晴らしい味方というか、片腕がいる。

 彼女の頭脳と能力を以ってすれば領地を発展させることなど容易いだろう。

 だから俺は余裕の笑みで返してやる。

 

「そうかそうか。お前の代はよっぽどキツかったんだな。今までご苦労さん。だったら尚更そんな領地さっさと私に譲ってしまえよ。オフリー家が片付いたら私が豊かにしてやるからさ。豊かになって領民共が肥え太れば、私の夢は叶う」

 

 親父はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

「やれるものならやってみろ。今に吠え面かくだろうがな。──ただ一つ、約束しろ」

「何だ?」

 

 俺から自由と幸福を奪おうとして、逆に俺に領主の地位も財産も奪われる親父の最後の足掻きくらい聞いてやろうとすると、親父は床から手を離して座り込み、俺の方に向き直って言った。

 

「マドラインとクライドに危害を加えるな」

「ああ──今更私のご機嫌取りをしに来た理由はそれか」

 

 今になって親父が憎んでいるはずの俺に謝罪してくるなど、どう考えても裏があるとは思っていたが──現妻と息子のためだったとはな。

 ──憎らしい。

 俺のことは酷かった前妻に似ているというだけで腫れ物扱いしてネグレクトしてきた親父が、こうまで大事に守ろうとする二人が──嫉ましい。

 

 ──いや、やっぱりどうでもいい。

 最初から今世の家族に情など期待していなかった。

 そもそも俺の親は前世の父と母だけだ。

 

「──それはお前ら次第だな」

 

 俺に刃向かったり、俺を貶めたりしなければ、領地の隅っこで大人しくしていることくらい許してやる──くらいの意味を込めて言った。

 

 親父やお袋には嫌な思いも沢山させられたが、今まで養い育てて貰ったのは確かだし、ティナを買ってくれたことやニコラ師匠を雇ってくれたこと、冒険で使った武器や装備品、そしてアヴァリスの購入費用を出してくれたことには感謝している。

 

「相互不干渉。それでいい。お前のことに口出しはしない。だから──俺の居場所を奪わないでくれ」

 

 親父は絞り出すような声でそう言った。

 

 俺の自由と幸福を奪おうとしておいて虫がいい話だが、下手に虐めて話が拗れても面倒だな。

 

「──分かった。それで?話は終わりか?ならさっさと下がってくれ」

 

 扉を顎で示すと、親父はよろよろと立ち上がり、扉に向かって歩いていく。

 

 手も口も出さずに背景に徹していたティナが扉を開ける。

 親父に肩を貸そうとしていたが、親父はかぶりを振った。

 

 そして出て行く直前、親父は一瞬こちらを振り向き、「ごめんな」と言った。

 その目には後悔が見て取れた。

 

 

 

 その後、荒れた執務室をティナとセルカと一緒に片付けながら、俺は毒づいた。

 

「遅いんだよ。クソが」

 


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