「お嬢様。起きてください。起床時間ですよ」
耳元で囁かれる甘い声と窓から差し込む光が頭を覚醒させる。
横を向くと目と鼻の先にティナの顔。
先に起きて朝の支度を済ませてくれたらしい。
欠伸をしながらベッドを下り、ティナが用意した服に着替える。
すっかり女物の服に馴染んでしまった自分に何とも言えないものを感じつつも、洗面台で顔を洗って食堂に行く。
朝食を食べながら騎士たちの報告を聞く。
戦争に必要な物資の買い付けは当初の予定より遅れているようだ。
どうにも売ってくれる商人がなかなか見つからず、数少ない売ってくれる商人には足元を見られているようで、現在の予算では予定量の購入ができそうにない、とのことである。
腹立たしいことに、ファイアブランド家が伝手を持つ商人の全てにオフリー商会の息が掛かっていて、取引を軒並み拒否してきたのだ。
だからオフリー商会の息が掛かっていない商人から購入するほかないのだが、これが難航している。
幸い俺が冒険の帰りにサルベージで手に入れた財宝を換金して軍資金に充てることができそうなのと、時間との勝負なのとで、多少割高でも買い付けを優先するよう伝えてある。
──戦争というものは始まる前からやたら金がかかって気苦労が多いものだな。
それでもやめるという選択肢がないのが戦争が地獄たる所以だ。
嫁に行くのを回避するという自己保身と領主の地位を手に入れる野望──即ち自分一人の勝手で家臣と領民をそんな地獄に巻き込む俺は紛うことなき悪人だろう。
◇◇◇
「増税だな」
執務室での書類仕事がひと段落した俺は呟いた。
《資金繰りの話かしら?》
察しの良いセルカに頷き、俺の中で出した結論を述べる。
「外からの借金など以ての外だ。戦費は戦時増税で賄う!」
オフリー家との戦争のための武器と物資の購入に多額の予算が回されることへの帳尻合わせには、借金やファイアブランド家の私財放出などいくつか方法があったが、俺は自領の増税で賄うことにした。
何?領民が困る?関係ないな。
俺がオフリー伯爵家に勝って領主の座を手にするために必要な経費だ。
それに借金にはトラウマがある。
セルカはしばし考え込むように沈黙すると、肯定的な返事をしてきた。
《そうねぇ──財宝の買取価格にもよるけれど、装備調達費で相殺されてしまうでしょうし──良いと思うわ》
「だろ?今から領民共の悲鳴が聞こえてきそうだ」
《そうかしら?案外みんな喜んで納めたりして。撫民宣伝、相当な効果よ》
そう言ってセルカはビラを一枚、俺の前に差し出してくる。
「──ああ、あれのか。ふん、こんなものに踊らされるとはおめでたい連中だな」
撫民宣伝とは領内の混乱を避けるために行われているプロパガンダのことだ。
俺が親父にファイアブランド家全権を委譲させた──つまりファイアブランド家が事実上の代替わりをした──ことと、オフリー伯爵家との戦争を決定したことはたちまち領内に広まり、少なくない混乱と反発を生じさせた。
そこで俺の行動の正当性を知らしめるため、オフリー家が港島を襲撃・占拠した空賊団と繋がっていた事実、及び空賊との戦いでの俺の活躍を領民に向けて宣伝していた。
俺がアーヴリルとお茶会をやっている間、家臣たちはかなりの人手を割いて領内のあらゆる街や村で熱心にビラを貼り、演説をして回っていたらしい。ちなみにその際、港島で空賊共に人質に取られていた領民たちが大いに協力してくれたそうである。
その報告を聞いた時は俺のために熱心に働いてくれて実に結構だと聞き流していたが──今その宣伝のビラを見てみると思わずドン引きする内容だった。
会議で揉めていた家臣たちを怒鳴りつけて親父に啖呵を切った場面は、領民を想う善良かつ勇敢な
当主の地位を賭け金にした賭けを親父に持ち掛けた場面も、やはり凡愚で気弱な父親に代わってファイアブランド領を良くしたいという熱い志に基づいた行動であるかのように書かれている。
さらに自ら戦場に飛び込んだ理由は部下たちだけに危険を背負わせはしないという決意であった、などと勝手に解釈され、それを裏付ける証拠として戦闘中に敵エースにやられそうになった味方を間一髪で助け、味方のために危険な敵エースの相手を自ら引き受けた──とある。
そして極めつけはオフリー家との戦争の理由だ。
「空賊を雇ってけしかけるなど、民の上に立ち、民を守る立場にある貴族としてあるまじき悪逆非道な行いであり、そのような卑劣極まる行いをするならず者に屈しては、ファイアブランド領に暮らす者全ての生命と財産が危険に晒される」
という
これでもかと俺を持ち上げる方向に脚色された内容。
さすがにこれは少し気持ち悪いと感じたが──領民たちがこんなあからさまなプロパガンダにあっさり騙されているのは笑えるじゃないか。
せいぜい今のうちは無邪気に俺を信じているがいい。
全てが終わって俺が正式に領主になったら見ていろよ。嘆き、苦しみ、怨嗟の声を上げるまで虐め抜いてやるからな。
そうと決まればと早速どの税をどれだけ上げるか考えていると、扉がノックされた。
入室許可を出すとサイラスが入ってきた。
「エステル様。オフリー伯爵家より書簡が来ております」
そう言ってサイラスは封筒を一つ差し出してきた。
「書簡だと?」
ファイアブランド家に攻めてくるのは確実なのに、今更書簡など出して何を言ってくるのだ?
眉をひそめながら封筒を開けてみる。
そして──
「──何だと?」
◇◇◇
久しぶりに悪夢を見なかった。
カタリナに見下されて暴言を吐かれる夢も、カタリナの亜人奴隷に締められる夢も──家出したエステルが復讐に戻ってきて殺される夢も──何の夢も見ずにぐっすりと眠れた。
こんなことは何時ぶりだろうか。
「あ、やっと起きたわね。おはよう」
マドラインの声が聞こえた。
昨夜しどけない格好で同衾していたのが嘘のように身なりを整えて裁縫をしていた。
どうやら服を作っているようだ。
誰のための服なのだろうか、と疑問に思いながらもテレンスは朝の挨拶をする。
「ああ──おはよう。──お疲れ様」
「昨夜はよく眠れたみたいね。安心したわ」
マドラインは裁縫の手を止め、テレンスの側に寄ってきて顔を覗き込む。
「ああ──久しぶりに何の夢も見なかったんだ」
「──そう。良かったわね。貴方、あの子が帰ってくるまでずっとうなされていたものね」
そう言ってマドラインはテレンスの隣に腰掛ける。
テレンスがマドラインの肩にもたれかかると、マドラインは頭を傾けてテレンスの頭に頬をくっつけた。
テレンスは昔からマドラインと二人でこうするのが好きだった。マドラインにもたれかかっていると気持ちが落ち着くのだ。
仕事で疲れた時も、王都で暮らすカタリナが領地にやってきて嫌な思いをさせられても、マドラインと身を寄せ合う時間が癒してくれた。
マドラインがふと呟く。
「ねぇ──あの子は──エステルは大丈夫なの?」
その問いにテレンスは即答できかねた。
領地の危機に手を付けかねて十二歳の娘に全権を委ねるなど前代未聞の所業である。
領内統治も戦争も、交渉の一つさえも経験していない箱入り娘──少なくとも普段屋敷に出入りすることのない者たちからすればエステルはそう見えていた──にファイアブランド家の全権が委譲されたと知った家臣や騎士たちからは凄まじい反発が起こった。
エステルを子供と侮る者も多かったし、素人と信用しない者もまた然り。
彼らを抑えていたのは昔からエステルと交流を持ち、彼女をよく知っていた者たち、そしてあの時の会議室でエステルの尋常ならざる覚悟を感じ取った者たちだ。
特に全権委譲の直後、抗議する役人目掛けて剣を投擲し、「命令に従わなければ殺す」とはっきり示した時、会議室にいた家臣たちはエステルに逆らう意志を完全に削がれた。
彼らが部下を抑えていなければ反乱が起こってもおかしくなかった。
──そうなると分かっていて、エステルを修羅場に放り込んだ。
エステルが持つ化け物じみた才能なら領地の危機もどうにかなるのではないか──その考えもあるにはあったが、ほとんど自棄になっていたのだ。
もう何もかもどうでもいい。ただただ、この世で最も憎かった女の娘──生意気で、浪費家で、可愛らしさや純真さの欠片もない、腹の立つ小娘を苦しめてやりたいと思った。
その時の気持ちを思い出してテレンスは顔を歪める。
今にして思えば何ということをしたのか。親どころか、人間としてどうかしている。
マドラインは昔から曲がりなりにも精一杯エステルを愛していたのに、自分はついぞエステルを愛せなかった。
打ちのめされて、絶望して、泣きながら助けを求めてくるのをどこかで期待していた。
だが──結果的にエステルは勝った。
港島の戦いを機に家臣たちのエステルを見る目は変わった。
姿形はか弱い少女でありながら自ら戦場に赴き、敵の矢面に立って戦ったばかりか、誰よりも多くの戦果を上げてみせた。
家臣たち──特に軍人たちからは畏敬の念と共に信頼と忠誠を抱かれ、エステルならばオフリー家にも勝てるのではないかという考えが広がりつつある。
「大丈夫──そう信じるほかはないだろう。それにあれはあの子自身が望んだことだ」
どうにか言葉にできたその考えにマドラインは不満げだった。
「でも──あの子まだ十二歳よ?学園も出ていないし、領主の仕事の経験だって一つもないのよ?なのに伯爵家と戦争なんて──やっぱり貴方から考え直すように言った方が──」
食い下がるマドラインに対してテレンスはかぶりを振った。
「あの子が一度決めたら絶対に譲らないのはお前も知っているだろう?今の俺が何を言ったところで意地でも耳を貸さないだろうさ。それに──俺は今まであの子につらくし過ぎた。さぞかし恨みを買っているだろう。今更下手に口を出したりすれば何をされるか──」
マドラインは黙ったが、その顔は納得していない表情をしている。
テレンスは居た堪れなくなるが、今更どうにもならないという諦観は変わらない。
否、変えてはいけないと、テレンスは思う。
領内はエステルを支持して対オフリー戦争の気運を高めている。
ここで逆らえばそれこそ殺されてもおかしくないし、そうでなくても自分やマドラインやクライドの今後の扱いに悪影響が出る恐れがある。
「そんな顔をするな。あの子は俺よりも、いや、このファイアブランド領の誰よりも強い。それに家臣たちもあの子の下で今までになく奮励努力している。あの子にどうにかできないなら誰にもどうすることもできないさ。今俺たちにできるのは見守ることと──祈ることだけだ」
せめてマドラインを少しは安心させてやりたいと思い、テレンスはエステルを精一杯持ち上げる。
だがマドラインの表情は晴れない。
「それはそうかもしれないけれど──でも、やっぱりちゃんと話はした方が良いと思うわよ?お互い意固地になったままじゃ、あの子にとっても私たちにとっても良くないことになる──そんな気がするの」
その言葉にテレンスは考え込む。
エステルが上手くやってオフリー伯爵家に勝てたとして──その後は?
ほぼ間違いなくエステルがファイアブランド家の当主になる。
口約束とはいえ、空賊とオフリー伯爵家に勝てば領主の地位を正式にエステルに譲るという約束をした。
エステルはその約束の履行を迫るだろうし、周囲もエステルが領主になることを歓迎するだろう。
──その時俺たちはどんな扱いになる?
「ああ──そうだな。今更遅いかもしれんが、あの子と和解する努力をしよう。お前とクライドのためだ。つまらないプライドや私怨は捨てよう」
可及的速やかに──遅くともオフリー軍との戦いが始まる前にエステルと話をしようとテレンスは決意する。
◇◇◇
書簡の内容は再度の交渉の打診だった。
オフリー家から新たな提案があるのでこちらから使者を送る──と書いてあったが、オフリー家の魂胆は知れている。
使者に見せかけたスパイを送り込んで空賊と組んでいた証拠がファイアブランド家の手に渡っていないか探りを入れ、あわよくば盗み出そうとでもしているのだろう。
だがそうはいかない。
「ふん。誰が交渉などするか。今更媚びても遅いんだよ」
毒づくとサイラスは心配そうに言ってくる。
「よろしいのですか?差し出がましいですが、向こうの提案を聞いてから決めても遅くはないかと存じます」
「論外だ。空賊と組んでうちの領地を荒らさせた奴らだぞ?そんな奴らの提案など信用に値しない。というか、聞く価値もないな」
突っぱねると、サイラスはあっさりと引き下がって頭を下げてきた。
「──出過ぎた真似を致しました。申し訳ありません」
「分かったら下がれ。あ、それとお茶を用意しろ。喉が渇いた」
「かしこまりました」
サイラスは一礼して部屋を辞した。
入れ違いに隠れていたセルカが出てくる。
《やっぱり貴女、しっかりしているのね》
「いや、当然のことを言っただけだ。あの書類の存在を知ってしまえば誰だって同じ選択をしたさ」
セルカはふっと目を閉じて、うんうんと頷くように身体を揺らした。
《そうね。ここで交渉を受けたりしたらそれこそ信用問題よ。空賊と組んだ卑劣なオフリー家に屈しない!っていう大義名分で戦争準備をしているのだし》
「ああ。俺の沽券に関わる」
そう言って俺は書状をクシャクシャに丸めて炎魔法で燃やした。
もし、オフリー家が空賊と繋がっていた証拠を見つけていなかったら、血を流さずに済むと思って交渉に応じたかもしれないが、そんな仮定をしたって仕方がない。
それに親父に啖呵を切った時に言ってしまったのだ。
空賊共も
それが領主の地位を頂く条件だからきっちり満たしてやらないといけない。
◇◇◇
エステルとセルカのやりとりを隣の部屋でこっそりと聞いていたのは案内人である。
口元を三日月形に歪め、ガッツポーズをしている。
「ふふふ。これでもう戦うしかなくなりましたね。プロパガンダを盛り上げた甲斐があったというものです」
案内人はファイアブランド家がオフリー家との戦争に突き進むよう、ファイアブランド領の領民たちを煽動していたのだ。
一部の家臣たちが行なっていた撫民宣伝を見てこれは使えると思い、他の家臣たちや領民たちの意識にせっせと働きかけて、オフリー家倒すべしの気運を盛り上げていった。
その効果は満足のいくもので、オフリー家への激しい敵意が燎原の火のようにファイアブランド領全体に広がっていった。
ただ、それは案内人にとっては諸刃の剣でもあった。
経済的に困窮した現状に強い不満を抱いていたファイアブランド領の領民たちの目に、エステルが希望の太陽のように映ったのだ。
多くの世界の歴史上で度々繰り返された通り、鬱屈したものを抱える民たちは強い指導者を求め、その
エステルに向けられる期待と好意がエステルの感謝に上乗せされ、案内人の身体を蝕む。
「もう少し──もう少しの辛抱だ。エステルが負ければこの熱狂は失望と憎悪に変わる。覚悟しておけ、エステル。とびっきりの地獄を用意してやるからな。さてと、次はオフリーだな。あ〜忙しい忙しい」
胸を押さえながらも笑みを浮かべてそう呟くと、案内人は浮かび上がり、天井をすり抜けて姿を消した。
ファイアブランド家での仕込みはもう十分だと判断したのと、あまりに気分が悪いのとで、ファイアブランド領を離れてオフリー家での仕込みに取り掛かることにしたのだ。
案内人が部屋から消えると、物陰から淡い光がそっと出てきた。
犬のような形をしたその光はじっと案内人の消えた天井を睨み付けていた。
◇◇◇
夜。
執務室の扉がノックされたかと思うと、聞こえてきたのは親父の声だった。
「エステル──入ってもいいか?」
答えはノーだ。今は親父の顔など見たくもない。
「今忙しい」
そう言って追い払おうとするが、親父は去っていかなかった。
「そうか──ではひと段落してからでいい。話をさせてくれないか?それまで待っている」
はぁ?今更何を話しに来やがった。
というか、いつまでも外に張り付かれているのも気持ち悪いんだが。
無理矢理追い払おうかと思ったが──やめた。
俺も前世では娘を持つ父親だった。そして──その娘に拒絶された。
ありったけの愛情を注いで大事に育てたのに、「新しいパパがいい」と言われた。
娘を誑かした元妻のせいだと分かってはいるが、納得はできないし、許せもしない。
今ここで親父を追い払ったら──俺は前世でロクに話も聞かずに俺を拒絶した元妻や娘とどう違うんだ?
ペンを置き、執務机から立ち上がった。
すぐ横で待機していたティナが察して扉を開けようとするが、手で合図してやめさせ、自分で扉を開けた。
親父は扉の前に立ったまま待っていた。
「今終わったよ」
そう言ってソファを示すと、親父は遠慮がちに座った。
俺は扉を閉めて親父の対面に座る。
「それで?話って何だ?」
単刀直入に切り出すと、親父は怒鳴るでも机を叩くでもなく、謝罪の言葉を口にした。
「今まですまなかった」
「──は?」
少々予想外だった。
どうせ今まで俺が戦場に出るのを止めようとしてきた家臣たちみたく、オフリー家との戦争を考え直せとでも言ってくるものと思っていた。
でも、親父が憎んでいる俺──見ていると酷かった前妻を思い出すという理不尽な理由でだが──にいきなり謝ってきても、何か裏があるとしか思えない。
親父は俯いたまま淡々と話す。
「俺は──お前が嫌いだった。いや、違うな。お前の生みの親──カタリナが嫌いだった。だから──お前とカタリナを重ねてしまった。とうの昔に死んだカタリナへの積もり積もった恨みを──お前にぶつけてきたんだ。お前は──カタリナのしたこととは関係ない──それどころかカタリナの存在すら知らなかったのに──お前を苦しめた。今になってやっと思い返した。今更謝っても遅いだろうが──本当に、すまなかった」
親父の反省の弁を聞いていて思った。
──コイツ、色々と駄目だなって。
典型的な手の平返しだ。
空賊共を倒して領地が勝利に沸き、オフリー家との戦争に向けて戦意を高揚させている今のタイミングで俺に阿ってきたのが何よりの証拠だ。
俺の機嫌が良いであろう時を狙って心証を良くしに来たのが丸分かりだ。
全くもって図々しい。
どうせ俺が何かヘマをすれば、また手の平を返して俺を罵るのだろう。
前世でそういう奴を多く見たから分かる。
身に覚えのない横領で告発された時、周りの奴らは口では俺を信じているようなことを言って励ましておきながら、具体的な助けを寄越してくれることはせず、いざ俺が不利になると逃げるように俺から離れていった。
結局人間なんて自分可愛さに簡単に他人を裏切り、貶める信用ならない存在なのだ。
だから俺は言葉など信じない。
俺に信じて欲しければ、俺のために命を懸けることだ。
そして俺は親父に言ってやる。
「その白々しい小芝居をやめろ。苛々する」
親父の顔から表情が消えた。
◇◇◇
随分と長く感じられた沈黙を破ったのは親父の乾いた笑い声だった。
「はは──は、そうか。それがお前の本性か」
親父は暗い笑みを浮かべて上目遣いに俺を見る。
いや、オッサンの上目遣いとか需要ないから。
「──やっぱり俺はお前が嫌いだよ」
親父の言葉に俺は笑顔で返してやる。
「奇遇だな。私もだ。何でか言ってやろうか?お前が弱っちくて情けないカス野郎だからだよ!」
「な、何だと?」
たちまち親父が顔を真っ赤にする。
でも、止まらない。止まれなかった。
「私の生みの親──カタリナだったか?そいつに見下された?金をせびられた?愛人まで囲われた?お前それに抗議とか仕返しの一つでもしたことあるのか?その様子だとないんだろうな。苦しめられているのに正妻として迎え入れて、言われるままに金を出して、言いなりになって──そんな情けないお前だから虐げられて、搾取されて、苦しめられたんだ。自業自得だ!何も行動を起こさなかったくせして、口先だけでは一丁前に罵詈雑言を並べ立てる。そんなお前は見ていて物凄く苛々するんだよ!」
つい長々と罵倒してしまった。
俺はたしかに悪人だ。
恨みと憎悪が服を着て歩いているかのような人間だ。
だが──何もできずに口先だけの虚しい呪詛を唱えることしかできない弱虫とは違う。
前世で死んだ時、案内人が俺を異世界転生させるのではなく、生き返らせてくれたなら、俺は俺を苦しめた元凶全てに直接復讐した。
結局それは叶わず、今世で
それに比べてコイツときたら何だ?
カタリナに抗議や仕返しをする機会はたくさんあったにも関わらず、何もせずにカタリナが死んだ後になって年端もいかない実娘に対して八つ当たりしている。
こんな弱虫を前世の俺と重ねてほんの少しでも同情したことが馬鹿馬鹿しい。
特大級の地雷を踏み抜かれた親父はこれまでにないほどの憎悪が込もった目で俺を睨み付けている。
そして親父は涙を浮かべて怒鳴ってきた。
「お前に──お前に俺の何が分かる!!」
拳骨が飛んでくる。