帰還
案内人は激怒した。
必ずや、かの忌々しい女を地獄に叩き落とさねばならぬと決意した。
案内人には人間の心が分からぬ。案内人は悪魔や邪神の類である。
人を陥れ、その負の感情を貪って生きてきた。
だが、正の感情──こと感謝の気持ちを向けられるのは極めて苦痛なのであった。
今日未明、案内人はかの女──【エステル・フォウ・ファイアブランド】からの感謝によって痛む身体に鞭打って海を越え、オフリー伯爵領までやってきた。
この地を治めるオフリー伯爵の跡取りには正妻がなかった。
伯爵家の跡取りともなれば候補がいくらでもいそうなものだが、これが見つからない。
その理由はいくつもある。
まず第一に本人が貴族の血を引いていない上に、殆ど魅力がない。
甘やかされて育ったのが丸分かりの性格の悪さ、その性格の悪さが滲み出た不健康そうな容貌、でっぷりと太った身体。
第二に家にも魅力がない。それどころか、鼻つまみ者にされてすらいる。
元々男爵家だったのが商人に乗っ取られた──つまるところ豪商が「爵位を買う」という誇りの欠片もないやり方で貴族の地位を手にしたからである。
そして資金力に物を言わせて勢力を伸ばし、大物貴族に取り入って推薦を受けることで伯爵にまで成り上がった。その過程で様々な悪事にも手を染めていた。
真っ当な貴族からすれば憤慨ものである。
手柄を立てたわけでも、冒険者として成功したわけでもない者が貴族になり、金の力で勢力を伸ばすなど、自分たちのアイデンティティを根底から揺るがしかねない大問題である。
一方でオフリー伯爵家からすれば勢力を伸ばしはしたが、現当主も跡取りも貴族の血を引いていない上、後ろ盾頼みの不安定な立場を強いられているのが実情だ。
このような状況に甘んじていてはオフリー伯爵家に未来はない。
貴族社会で確固たる地位を築くためには家格に見合った身分の貴族令嬢を跡取りの正妻に迎え、貴族の血を取り込む必要があったのだ。
だが、貴族社会で嫌われているせいで縁談の一つも舞い込んで来ない。
こちらから持ちかければ拒否される。
そこで正攻法は諦めてあれこれ策を巡らせていた。
その一つが落ち目の家に援助して恩を売り、その家の娘をオフリー家に嫁がせるというもので、選ばれた家がファイアブランド家、選ばれた娘がエステルだったというわけである。
子爵家で血筋は申し分なく、容姿も整っていて将来が期待できる娘だったため、オフリー家は大いに期待していた。
縁談を持ちかけられたファイアブランド家当主、【テレンス・フォウ・ファイアブランド】は喜んで承諾し、必ずや良い返事をお持ちする、と請け合った。
だが、縁談を彼女が承諾したという知らせは一向にもたらされなかった。
それどころか拒否したとも言われず、一ヶ月近く音沙汰がない状態だ。
「どうなっておるのだ──」
オフリー伯爵家現当主、【ウェザビー・フォウ・オフリー】は毒づいた。
既にファイアブランド家には何通も書状を送っているにも関わらず、返事は来ない。
ウェザビーの背後に立つ案内人はほくそ笑んだ。
「これはチャンスだ。エステルが領地に戻ってきた時には既に領地は蹂躙された後。帰る場所がなくなるのがどんな絶望か知るがいい!エステル!」
オフリー家を唆してファイアブランド領に攻め込ませ、帰ってきたエステルに踏みにじられ、略奪され尽くした領地を見せて絶望に叩き込む──それが案内人の計画だった。
不意に胸がズキリと痛み、案内人は思わずうずくまる。
「ぐっ!な、何事──?」
胸を押さえながら映像を呼び出すと、どこかの浮島にいるエステルが映し出された。
「な!?くそ、急がねば──」
◇◇◇
いやはやセルカの有能さには驚かされる。
目の前に積み上げられた財宝を見て俺はホクホク顔である。
最後に残ったミッション──ファイアブランド家の財政を再建できるほどの金を用意する──を達成するため、セルカと共にどこかのダンジョンにでも潜ろうかと思っていた俺だが、セルカが財宝を積んだ沈没船を発見したのだ。
どうやったのかと訊いたら、タネは俺が使っている空間把握の上位互換だった。
千メートル上空から海底の様子が分かる上、対象の構成物質が何であるかまで正確に分かると知って、俺は呆気に取られた。
俺の空間把握の探知範囲は精々半径数百メートル程度で、距離が離れれば精度は落ちてしまう。地形や天候、生物の存在は分かっても物質の特定はできないのだ。
やはり【魔装】あるいは【魔法生物】と言うからには人間よりも強力な魔法が使えるようだ。人間にとってのコンピューターみたいなものなのだろう。
能力差がありすぎて却って敗北感は湧かない。
それはさておき、俺は近くにあった小さな浮島に飛行船を停めて鎧に乗り込み、沈没船の所に潜った。
沈没船はあちこちに大穴が空き、所々から積み込んだ財宝が飛び出して海底に転がっていたが、それでも原型を保っていた。
見たところ、ホルファート王国で見かける飛行船とはかけ離れた姿をしていた。
二又に分かれた船首と斜め前方向に伸びた翼、船尾にある球形の推進装置らしきもの──人型をしているように見えた。
もちろんそう見えるだけで、本当に人型をモチーフにしたのかは分からないが、そうとしか思えないほど奇抜な形だ。
セルカによれば、少なくとも旧文明時代の船ではないとのことだった。
──何となくだが、この世界の姿が見えてきたように思う。
ライチェスとセルカが言っていたことを纏めると、旧文明時代と呼ばれる大昔には「日本」と呼ばれた国が存在していた──つまり俺の前世とよく似た世界だった。
それが旧人類と新人類との戦争で文明は崩壊し、大地が空中に浮かぶ摩訶不思議な世界に変わり、その後いくつかの文明が興亡を繰り返した末に今の世界になった──というところだろうか。
そしてあの沈没船は旧文明時代と今の文明の間に存在した別の文明のものと考えるのが妥当なところだ。
──そんな風にらしくもなく考え込んでしまったのはライチェスに言われた言葉のせいだろう。
俺が滅んだはずの旧人類の遺伝子を持っている──ライチェスはそう言った。
転生者だからか?だが魂が日本人でもそれが肉体に影響するものか?
──止そう。考えても答えは出ない。
それよりも財宝だ。
あまりにも多くて鎧で引き揚げるには何往復もしなければならず、十往復を超えたあたりでセルカに押し付けた。
財宝の山は既に俺たちの背丈を超える高さにまで積み上がっている。
「これ、どれくらいの価値になるかな?」
目利きでも何でもない俺にはこの財宝の正確な価値は分からない。
貴金属で出来ているのは分かるし、ちらほら宝石が嵌め込まれたものもあるからかなりの額になるのは予想できるが、ファイアブランド家の財政再建に足りるかどうかは未知数だ。
「分かりませんが──ひょっとしたら浮島が買えるかもしれませんね」
「冒険者ギルドが査定してくれるとは思いますが──いつの時代のものか見当も付きません」
ティナが推測を延べ、アーヴリルが小さな金の杯を手に取って呟いた。
杯に施された菱形を幾重にも重ねたような奇怪な紋様はおよそホルファート王国製の食器の紋様とは似ても似つかない。
その杯だけでなく、ほかの財宝にも同じような紋様が施されていた。
ある種の様式なのだろうか?
いつの間にか海から上がってきていたセルカがまた財宝を積み上げて言った。
《貴女たちの国の物価は知らないけれど、その財宝、かなりの貴重品よ。高純度の金や白金がふんだんに使われているし、その紋様の細工だって普通の道具じゃできないわ。だからとっても高く売れると思うわよ。それとね──》
セルカは言葉を区切り、鎧の背中に背負っていたものを降ろした。
《この剣は船の周りに散らばって落ちていたのだけれど、これはそこの財宝よりもっと凄いわよ。最強クラスの魔導金属で出来ているわ》
セルカが取ってきた大小十三本の剣は漆黒の美しい刀身をしていた。
何というか、今まで見てきた鎧用の剣とは纏っているオーラが違う。
触ってみると、微かにだが、確かな魔力反応を感じた。何らかの術式が掛けられているようだ。
「これいいな。今度からこいつを使うか」
鎧に乗って漆黒の剣を振るう様を想像すると、ワクワクする。
《飛行船に積み込めるのはこれくらいかしらね。これ以上はスペースがなくなるわ》
「まあ、これだけあれば親父の度肝を抜くには十分だな。いずれ落ち着いたらまた来るか」
そして俺たちは引き揚げられた財宝を飛行船に積み込む作業に取り掛かるのだった。
◇◇◇
「あの使い魔、本当に大丈夫なのでしょうか?そもそもあれは何者ですか?」
財宝を積み込んで出発してからしばらく経った頃にブリッジでアーヴリルが尋ねてきた。
アーヴリルにはセルカのことをダンジョンに封印されていた
セルカの封印を解き、使い魔にしたことでダンジョンを脱出した、という説明にアーヴリルは半信半疑だった。
そしてセルカの能力を見て警戒心を増しているようだ。
セルカとライチェスの見た目が似ているのも原因の一つだろう。
白い球体に一つ目。
もちろんボディの質感は違うし、一つ目もライチェスのそれと違ってセルカのは人間の目と同じ見た目をしている。
──どっちみち不気味に見えるのは否めないが。
そのせいでアーヴリルはセルカとライチェスが同族なのではないか、反乱を起こすのではないか──そう疑っているようだ。
「さあな。とんでもない大昔の存在だってことしか分からん。でもお前を捕まえて拷問した奴の仲間じゃないのは確かだ。ダンジョンが消えて、お前を拷問した奴もいなくなった今は実害ねえよ」
そう言ってやるとアーヴリルは黙ったが、キッとセルカの方を睨みつけたのを俺は見逃さなかった。
やはり頭では理解できても心では納得できないようだ。
こればっかりは仕方ないかとも思う。
一度根付いた不信感は並大抵のことでは消えないのだから。
俺だって心の奥底では人間を信用してはいない。
強すぎる力には誰しもが恐怖する。
アーヴリルはそれを身をもって知った。
既存のサルベージ技術ではとても引き揚げられないような深さにあった財宝を難なく見つけて引き揚げたセルカにアーヴリルは恐怖心を抱いていた。
エステルの話によれば、あの絶望的な状況から自分たちを救出したのもセルカだという。
アーヴリルでは手も足も出ず、モンスターの大群を一人で屠れるエステルですら明確に恐れていた「ロボット」を一方的に次々に斬り捨てた──エステルはそれをどこかうっとりと興奮気味に話してくれたが、アーヴリルは「そんな想像もつかない力の持ち主がもしエステルに牙を剥いたら」という悪い想像が湧き上がって止められない。
自分や世界のことではなく、真っ先にエステルの心配をしているのは彼女がセルカに一番近いところにいるから──というだけではなかった。
エステルに怪物の追手が迫っていると分かった時に、自分の心の闇を知ってしまったからだ。
あの時──エステルが捕まってしまえばいいと思った。
自分がこんな目に遭っているのは、エステルが女三人だけでのダンジョン攻略を強行したからだ、あいつがこんな無謀なことしなければ。否、そもそも家出なんてせずに大人しく嫁に行っておけば良かったんだ。だから──捕まって自分と同じ苦しみを味わえばいい。
そう、思ってしまった。
エステルについて行ったのは自分自身の意志だったのに。
エステルが家出してアクロイド男爵領を訪れ、リックを斬殺したおかげで妹の仇討ちが果たされ、本来であればそれを果たした後に裁かれて処刑されていたであろう自分の運命が良い方向に変わったというのに。
私はなんと身勝手で、恩知らずなことを!
そんな罪悪感がアーヴリルにのしかかり、自己嫌悪を起こさせていた。
恩人である以前に、理不尽な運命に必死で抗う一人の健気な少女であるエステルに対して身勝手な恨みを抱くなんて──騎士失格だ。
そう思い込むアーヴリルは罪悪感を紛らわせる代償行為として、エステルのことを以前にも増して心配するようになっていた。
本質的にはエステルのためというより、自分を許せる理由を作るため──ただのポーズなのだが、彼女自身それに気付いてはいなかった。
◇◇◇
ファイアブランド家の屋敷。
その執務室でテレンスは真っ青になっていた。
「なん──だと?」
額には大粒の冷や汗が浮かび、呼吸は浅く、心臓の鼓動は早鐘のようだった。
原因は彼が握りしめている書状にある。
要約すると、「二週間以内に件の取引を履行しなければ戦争も辞さない」という内容だった。
二週間以内にエステルの身柄をオフリー家に引き渡せる目処など立っていない。
エステルは未だに戻って来ず、その消息は知れない。
「時間稼ぎもここまでか──」
エステルが家出してから、あと数日で一ヶ月になる。
その間は何とか誤魔化し、もし一ヶ月経っても戻って来なければ死んだことにしようと考えていたテレンスだが、オフリー家の書状を見る限り、その言い訳が通用するかは怪しい。
偽者を身代わりに差し出すという考えが浮かんだが、すぐに否定する。
身上書の交換でエステルの顔は知られてしまっている。多少似た偽者を用意したところですぐに面が割れるに違いないし、そうなればオフリー家の報復待ったなしである。そもそも偽者を用意するあてもない。
かといって黙殺することもできない。
書状の黙殺──爵位や宮廷階位が上の相手からの書状であれば尚更──はかなりの無礼に当たり、そのような無礼を働かれてはオフリー家は黙っていない。
貴族──彼方は当主も跡取りも貴族の血を引いていない名ばかりの伯爵家ではあるが──は常に面子商売だからである。
この書状を黙殺すれば、オフリー家は面子を守るために武力を行使してくる──戦争になると考えて良い。
そして戦争になればまず勝ち目はない。
ファイアブランド家の艦隊戦力は全部で三十隻ほどあるが、実際に動かせるのは二十隻ほどだ。しかもその多くはフリゲートやコルベットと呼ばれる護衛用の小型艦であり、艦対艦の戦闘が行える戦闘艦となると四隻しかない。
対してオフリー家は主力艦と呼ばれる二百メートルクラスの大型戦闘艦だけで八隻も保有しており、それ以下の中・小型艦ともなれば五十隻近く、補給船の役割を果たす武装商船ともなれば百隻近くに上る。
オフリー家が実際に攻めてくるなら主力艦を旗艦にして十隻乃至は二十隻の艦隊と補給船団を合わせて五十隻程度の戦力で来寇すると予想される。
もし奇跡が起こって撃退できたとしても、それで終わりではない。
戦力を増強して再び攻めてくるだろうし、万難排してそれすら切り抜けたとしても、より強力な敵が現れるだけだ。
そもそも商人に乗っ取られ、悪どい事業に手を染めて成り上がったオフリー家がなぜ嫌われ疎まれながらものさばっていられるのか──強力な後ろ盾があるからに他ならない。
それも宮廷政治を動かせる大物貴族──その気になればファイアブランド家など簡単に捻り潰して消し去れるほどの権力者。
今更のようにそんな危険な相手と取引したことを後悔するテレンスだったが、詰んでいる状況は何も変わらない。
取引を履行できなければ戦争。
なかったことにしてくれと言っても戦争。
代わりの
そして戦争になれば──
まともにぶつかれば敗北して領地は蹂躙される。
降伏しても拷問か、処刑か。妻【マドライン】と息子【クライド】の命も危うい。
逃げれば領地は蹂躙され、領主の地位を失い、一家揃って露頭に迷う。
勝てたとしてもキリがない戦いの泥沼に引きずり込まれる。
──悪夢だ。
「どうすれば良い──あと──二週間だと──何が──」
恐怖と焦りで頭が混乱するテレンスに更なる凶報がもたらされた。
「テレンス様!港島より緊急電!空賊が出現しました!既に上陸を開始!略奪が始まっています!」
オフリー家の侵略に怯える中で空賊まで出るとは、弱り目に祟り目だ。
頭を抱えるテレンスは今すぐに何もかも放り出して逃げてしまいたい衝動に駆られた。
翌日。
屋敷に用意された会議室にファイアブランド家の家臣たちが集まっていた。
長テーブルの上座にテレンスが座り、左には役人、右には騎士たちの代表が座る。
「──状況は?」
テレンスの問いかけに騎士たちは厳しい顔をする。
彼らのその表情が戦況がよろしくないことを物語っていた。
「港島との連絡は完全に途絶。既に砦も落ちたものと思われます」
「援軍はどうなっている?」
「手酷くやられました。奴ら只者ではないようです。鎧の性能では此方と同等、技量は一部上回っております。恐らくですが、傭兵稼業も行なっている奴らかと」
「先日の
港島と呼ばれる貿易港がある浮島を占領されたファイアブランド家は、直ちに私設軍を動員して奪還にかかった。
だがあろうことか、空賊共は逃げるどころか、鎧を出して応戦してきたのである。
そしてファイアブランド軍は空賊を撃退するはずが、逆に空賊に撃退されるという事態に陥っていた。
「なぜ逃げない?盗る物を盗ったらすぐに逃げるのが空賊であろうに──」
空賊共の空賊らしからぬ振る舞いに誰かが疑問を吐露した。
それはこの場にいる誰しもが思っていることではあったが、その答えを悠長に考えている暇はテレンスたちにはなかった。
「それはこの際問題ではありますまい。このままでは商船が入港できず、物資が入ってこなくなる。そうなれば我々は戦わずして負けることになります。一刻も早く再度の攻勢を掛け、奪還すべきです」
「簡単に言われても困りますな。消耗した部隊の再編もまだ完了していませんし、補給もまだ──」
「そもそも鎧部隊だけで挑んだのが間違いなのです。テレンス様、ここは艦隊を動かすべきです。出し惜しみしていては徒らに消耗を重ねるだけ。どうか【アリージェント】の出撃許可を!」
「空賊相手に虎の子の戦闘艦を動かすと?危険過ぎる!万が一にも撃沈されたら、オフリー家に攻められた時上陸を阻止できなくなるぞ!」
「今必要なのは空賊への対処だ!」
「王国への連絡は?」
「通信は繋がりません。伝令を出すほかありませんが、今すぐコルベットを出発させても最寄りの正規軍基地まで二日はかかる見込みです」
「二日だと?そのロスは大きすぎるぞ」
喧々諤々の論争が巻き起こるが、テレンスは収拾をつけかねていた。
そして一人の役人の提案により、場はさらに騒がしさを増すことになる。
「領主様、オフリー家との戦争に備えて兵力を温存しておく必要がある以上、ここは空賊と交渉して穏便に済ませるべきではないでしょうか?」
その言葉は興奮状態の騎士たちを一気に憤激の坩堝に叩き込むに十分過ぎる威力があった。
「交渉だと!?相手は空賊だ!卑しいならず者だぞ!」
「あり得ぬ!恥を知れ!」
「すぐに攻勢を掛けて殲滅するべきだ!」
怒号を上げる騎士たちに対して役人は冷めた表情で反論する。
「貴方方のその判断で一体何人の兵士が死んで、どれだけの費用がかかるか、考えたことはお有りなのですか?我々には空賊相手に失って良い命などないのです。港島の奪回には交戦よりも交渉が有効と判断します」
騎士たちの反応は二つに分かれた。
怒号を上げる者と役人にも一理あると思って考え込む者。
そして艦隊指揮官の騎士が再び戦闘艦を出すことを提言する。
「戦闘艦を投入して迅速に片を付ければ犠牲も費用も最も少なくなると考えます。空賊が交渉に乗るかも、内容を履行するかも定かではありません。それよりも戦闘艦の火力を以て確実に殲滅するのが最善手です」
しかし、役人の方も負けてはいない。
その試算は甘いと一蹴し、飛行船の数と艦級、稼働率を考えれば艦隊と空賊の戦力は良くて拮抗、下手をすればこちらが不利であり、相当な犠牲を覚悟しなければならないと指摘した。
その上で改めて空賊相手に戦力を消耗することは避けるべきだと交渉の必要性を強く訴えた。
再び喧々諤々の言い争いになり、遂には物が飛び交い始める始末である。
テレンスが制止しようとしても頭に血が昇った彼らの耳には届かない。
「ギャアギャアうるせえんだよ!」
不意にこの場にそぐわない鈴を振るような声が、喧騒を突き破って会議室に響き渡った。
その美声で発せられた言葉は可憐さとはあまりにもかけ離れた罵声である。
会議室は水を打ったように静かになり、視線が入り口の方に集まる。
そこにいたのは怒気を纏った銀髪碧眼の少女──領主の娘、エステルだった。
誰もが呆気に取られる中、テレンスが真っ先に辛うじて口を開いた。
「エス──テル?戻ったのか?」
驚愕のあまり吃ったテレンスを見てエステルは不敵に笑う。
「ええついさっき戻りましたよ父上。お約束通り大金を用意して、ね」
そしてエステルは笑みを消し、再び怒気を纏って尋ねた。
「それで?これはどういう状況だ?」
その声はとても十二歳の少女が発していいものではなかった。
憤怒に歪む美しい顔と相まって会議室にいた者全員を硬直させる凄まじい威圧感を放っていた。