-パルエ歴625年4月2日 クラッツ寒帯林パレオ基地-
未明、暁の時刻。薄暮の深き蒼に澄み渡る空は、明星エイアが未だ地平線下のソナに代わり輝いている。
クラッツ寒帯林の東端、カゼリエの大河を望む連邦勢力圏の最も外縁部に設けられたパレオ基地は、慌ただしい発進手順の最中に在り未明という時間帯の静寂なイメージに真っ向から反抗していた。
メル=パゼル共和国軍所管のこの基地は、人の手による鳥類が大小60機は翼を休める地であり、そして625年今日に於いてメル=パゼル軍最新鋭の航空隊が所属する基地である。
そして暗がりの中、この地に翼を休める4機の怪鳥が動き出そうとしていた。
「3番機は、離陸準備が完了したようです」
「ゴノ大尉の機体か。相変わらずせっかちな奴だな。こっちも始めるか燃料弁は?」
「もう開いています。燃料ポンプもです」「よしエンジンを掛けても問題ないな?」「はい機長」
人々が慌ただしく行き交う駐機場。元よりこの時刻にしては、騒がしい場所であったがその騒がしさに極めて煩い騒音が加えられた。
「全エンジン始動確認」「排気温度」「1番から4番全て正常」
「回転数」「1番から4番全て正常」「よろしい。次はフラップの動作確認」「了解」
薄暗いながら大型機らしく広々したコクピットの中、計器類だけが豆電球で照らされている。
黙々と等という事は無く一つ確認する度に欠かさず点呼がなされていた。
「離陸準備前確認事項、全て点検完了。問題ありません。飛ばせますよ機長」「俺たちが一番最後になったみたいだな」「問題ないでしょう。陸を離れれば地上準備の遅刻なんて無いも同然です」
機長が無線機のダイヤルを回し周波数を合わせる。先程までは、隊内無線にセットされていた故に管制塔とやり取りするには変えないといけない。
「パレオ、パレオ、マカナは全機準備よろし」
<<こちらパレオ、マカナ01了解 順に第2滑走路へ進入 離陸滑走開始位置に付き次第発進せよ>>
1、2分の安全確認が行われた後に機長が操縦士に滑走路への進入を指示する。
操縦士は、機首と第二、第三エンジンのナセルに設けられたランディングギアのブレーキを緩めると慎重にスロットルレバーを前へと押し倒す。
4発のエンジンを持つ怪鳥はエイアの明かりに照らされながら、ゆっくりと誘導路へ歩みを進み始めた。何一つ問題は無い。
そのうち怪鳥は、滑走路端へと進入し再びブレーキが掛けられた。
「パレオ、マカナ01発進」
機長――イズダ中佐が通信機から管制塔へと伝える。問も返答も簡潔なものだ。
<<マカナ01、パレオ 了解>>
「発進」
再び操縦士へと指示が出されスロットルレバーが大きく前へと押し出される。
ブレーキが外され動き出した怪鳥は、電飾で彩られた滑走路を疾走し始めた。
前線の滑走路で使用しても安全性と引き換えに目立つばかりの電気食いだがメル=パゼル人は、こういった凝ったモノを理由もなく好む傾向がある。
離陸推力を捻り出す4発エンジンの発するけたたましさが頂点へと達する。
20秒と少しで離陸速度を示すようになった速度計表示を見て操縦士は、操縦桿を引き上げる。
徐々に機首が上向きそして遂にランディングギアが地上から離れ怪鳥は――メル=パゼル共和国軍の新型機。"キタラギ"重陸上攻撃機は、本来の生息域へとその翼を広げた。
622年と言えばメル=パゼル共和国にとって最悪の年であった。
カノッサ地域に分類される領域からの連邦軍撤退並びに帝国信託統治領の設置という停戦協定という名の実質的な敗戦処理が締結されたのがこの年である。
一部でカノッサの屈辱とまで言われた、この停戦協定だがこの批判的呼称を最も好んで使用した国家もまたメル=パゼルだった。
カノッサ西部に当たるメリア地方の縦深損失。この事態に対する恐怖こそが新型重攻撃機の発注へと繋がった。
当時のメル=パゼル軍内では、遠征作戦に向く空中艦艇戦力の整備を主張する艦隊派こそが主流となっていたとされる。
620年にアーキルの鼻で竣工した空中空母"ライカク"は、その傾向を表す筆頭であり続いてメル=パゼル国内の造船所で2番艦"メイカク"の起工もされていた。
彼らの言うカノッサの屈辱は、この方針を覆し既に運用理論の確立した防衛戦力となる航空隊の充足を決断させるに十分足りえたのだ。
かくして"キタラギ"は、六三○試製陸上攻撃機としてその開発がスタートしたのだ。
623年、サラド人特殊部隊ダバーム隊による女帝フリッグ暗殺未遂と時を同じくしてラオデギアにて首都防衛第2連隊の連邦クーデター未遂が発生。
623事変と呼ばれる一連の出来事によりクランダルト帝国宰相ラツェルローゼは、報復を決定し南北の停戦協定は1年と10ヶ月ほどで歴史上概念となった。
この時"キタラギ"は、まだ初飛行を行ったばかりでありどう短く見積もっても実戦配備には、まだ2年は要するとされる状態にあった。
だが一度戦争が再開された以上、メル=パゼル空軍が目指すべきことは、明白であった。
カノッサ地域を目指す帝国軍への襲撃である。
最初の数ヶ月、帝国軍はヒグラード渓谷を攻勢の重心として選んだ事からメル=パゼル空軍の活動も従って低調なものであった。
彼らに正念場が訪れたのは、ヒグラード渓谷を巡る戦いの将来的な泥沼化が確実視されるようになった624年2月の事である。
624年初頭、遂にクランダルト帝国軍の先鋒艦隊がクラッツとは、グランパルエ河を隔てた南エウルノアに進出し続いてカノッサへの移動を開始した。
これを迎え撃つ当時のメル=パゼル軍飛行隊の主力機は、"クガト"陸攻と"シハク"陸攻である。
前者は、第二期後期に開発された機体であり登場当初は、護衛機不要との評判すらあった高速機であり第三期に入ってからも動力銃座の追加等の数々の近代化が施された高性能機。
一方で第二期中期の登場である後者は、明らかな旧式機ではあったが"クガト"の登場時期が航空艦隊構想の衰退と艦隊派の躍進に被さった事から完全な置き換えとならず長距離進出作戦では、未だに戦力の一角を成していた。
結論としてメル=パゼル軍飛行隊は、この正念場で全面敗北を喫した。
リューリア戦役とそれに続く帝作戦の教訓から対空砲の増備に加えて艦隊航空隊の増強が図られた新生帝国艦隊にこれらの長距離作戦機は、全くと言って良いほど刃が立たなかったのだ。
ある攻撃では、陸攻40機による一斉攻撃が行われたが飛行場へと帰還を果たしたのは、17機ばかり。
挙げ句に5割以上未帰還の大損害の代償に帝国艦隊に与えた損害は、駆逐艦1隻だけの大破という記録すら残っている。
そして何よりもこれが"シハク"だけによる攻撃ならまだしも40機中、28機は"クガト"であり被撃墜率も"シハク"と大差が無かったのだ。
結局の所、これら長距離作戦機は確かに遠隔地への攻撃に適していたが護衛機もなしに艦隊航空隊をくぐり抜け更には、対空砲火へと突撃するのはリスクが高すぎた。
"キタラギ"の要求性能に高い夜間飛行能力が付け加えられたのは、この大敗の直後でありこの失態がメル=パゼル軍上層部に与えた衝撃は、相当のものであったことが伺える。
また"キタラギ"を双発機へスケールダウンしたような姿をした"イズラギ"陸攻の開発が発注されたのもこの直後となっている――紆余曲折があったが"キタラギ"の実戦配備が開始されたのは、625年1月からであった。
-パルエ歴625年4月2日 南エウルノア ゼルベク近郊空域-
紫がかった日の出の空。ソナが遂に顔を出す頃、4機の"キタラギ"は順調に飛行を続けていた。
「ガナイ。飛行進路に問題は?航法士が方角を間違えた等、洒落にならんぞ」「作戦通り順調ですよ機長、心配なさんな作戦目標は逃げられません」
「どうだか。クランダルティンこっちに感づいて徒労かもしれないぜ」「やめろイバナイ。空で揉め事の起こされても仕事が増えるだけで給料にならない。操縦に集中してろ」
ただエンジン音で満ちた機内。"キタラギ"という機体は高性能なのはいいが航続距離に合わせるように飛行時間が長い。
そういった機体を扱う飛行隊では自然と乗員同士の談笑が許容される風潮がある。通常飛行中の間だけという但し書きは付くが。
<<こちらマカナ02 マカナ01応答せよ応答せよ>>
「マカナ01応答 どうしたマカナ02」
<<8時方向に船影を認める おそらく攻撃目標の帝国船団 直掩機は認めず>>
「了解したマカナ02 そうゆうことだ誰か8時方向に見つけられる奴は?」
「あー……」「見つけました機長。おそらくはアレです」
「ガナイ少尉。間違いないな?よし……マカナ01 こちらでも視認した 指示を出す 従えどうぞ」
<<マカナ01へ 了解した>>
一度戦闘態勢に入った飛行士達は、およそ先程まで談笑を行っていた者たちと同一とは思えぬ動きで自らの役割を全うしにかかる。
「マカナ各機は02を追尾せよ マカナ01は推定敵性船団、上空を確保する」
<<こちらマカナ02 降下を開始>>
イズダ機長はガナイ航法士の指し示した船影を探すべくキャノピーへとその体を寄せた。
艦種はまだ判然としないが大きな船影は4つおそらく貨物船。顔を出したばかりのソナの明かりを受けて白銀に光っている。
暗闇に長時間慣らした目はすぐにその正体を見破る。
甲虫みたいな帝国標準輸送艦が3隻に――海洋生物みたいな大型ライナーが1隻。
護衛が1、2、3……6隻と言った所だろうか?こんな場所で飛ぶ6隻の従卒を連れた艦艇となればカノッサを目指す帝国の補給船団で間違いないだろう。
「視認した。おそらく貨物船が4隻で付添は6隻と言った所だな。イバナイ少尉。高度5000まで上昇しろ船団の上空を取る」
「了解機長」
「お相手さんは直掩機も出してない。明け方を攻撃時間に選んだのは正解だな」
「コイツの夜間飛行能力があってこそですよ機長」
一直線に攻撃目標へと突き進む4機編隊は1機と3機に分散した。1機が上昇し残り3機だけで船団への接近を続けている。
航空攻撃について多少の理解がある者からすれば不可解な動きに見える。
僅か4機の編隊を更に分ける事はリスクばかりでメリットも一切無いと思われるだろう。
だが彼らにはそうする理由があった。
「ダイサト技術大尉。状況は把握してるな?」
<<えぇ既に聞いておりますよ機長 既に高度は取ってくれているので?>>
イズダ中佐が話してる相手はコクピットの乗員でも隊内の僚機でも無く機体の後部キャビンの乗員である。
「イバナイ中尉には5000まで上げるように言っておいたよ。装置の方は問題無いんだな?」
<<バッチリです機長 我々技術部はいざ使うときに壊れてるような代物を実戦配備させませんので>>
「満点の回答だ技術大尉。爆弾倉開け展開用意」
帝国船団上方へと向かうイズダ中佐のキタラギの爆弾倉扉が開かれる。
機内に金属の擦れる音が鳴りそれが止まると同時にガクンと機体が揺れた。
「こいつが空中魚雷だったら帰りは楽になるんだがな」
通常ならこのとき、つまり攻撃時は爆撃手が操縦を一時的に代行するのだがこの機の場合はそうではない。
大嵐の最中のような強烈な風切り音の響く機内で、数秒で見事に揺れを補正した隊長機付きの操縦手は操縦桿を未来予知じみた手さばきであやしながら大声でぼやいた。
「こいつを出すと機体が軽くなるどころか抵抗と重心が変わって扱いにくいったらありゃしない着陸重量も気を抜けん」
「航法としても何時までも無くならない重量物は、困りもんですな。いっそケーブルだけ繋いで落としちまうのはどうでしょうかね機長?」
<<勘弁してください!こいつは最高機密なんですよ!>>
「やめておけイバナイ、ガナイ。お前等の機上手当じゃ百年飛んでも賠償しきれん」
爆弾倉から露出し強烈な騒音と抵抗を生み出し続けているのは、空雷では無くパラボラを取り付けられた長大な装置であった。
新たな空中艦隊思想に於いてメル=パゼル軍が最も盛んに議論した事は、大型の機体が如何にして対空砲火を掻い潜り攻撃を仕掛けるかという問題である。
この装置はその問題に対する一つの回答であった。
制式名称"メルパン六二四式電波照準器"これこそが"キタラギ"をメル=パゼル空軍の切り札せしめる最大の存在である。
「技術大尉。狙うのは一番でかいライナーだ。角度はそこまで絞らなくていい」
<<アイアイ機長 照射開始します>>
昇る朝日のソナ。イズダ中佐が攻撃命令を下してから帝国船団が眩しいそれを背景にした朝方の襲撃者の接近に気がつくまで要した時間は、2分ほどに過ぎない。
その2分で彼らの命運は既に決したと言って過言ではなかった。
接近する敵機を目視した後の対応が遅かった訳ではない。
彼らが対空戦闘配備に要した時間は、僅か1分ばかりなものの終ぞ、その対空砲火が"キタラギ"へと火を吹くことは無い。
上昇を続けたイズダ中佐の"キタラギ"を除く3機の胴体下部には2本の長大な空雷が吊り下げられていた。
「マカナ各機 投下を開始せよ」
<<マカナ02了解 投下開始>> <<こちらマカナ03 全弾発射完了>>
それらは帝国船団の対空砲の射程の遥か手前で投下される。爆弾倉扉が開かれ更に1本が追加される。
"六二四式誘導空中魚雷"――9発が発射されたそれは翼を広げると通常であれば当たるはずがない対空砲射程の手前の距離から帝国船団目掛け推進機を始動した。
X字の尾翼を細かに稼働させながら軌道が伸びていく。
帝国船団が一斉に対空砲火を投下された空雷向けて射掛け始める。朝焼けの空に幾つもの閃光が飛び交い火華が炸裂する。
だが航空機よりも小さく速いそれらに向けられた決死の射撃は何ら意味を成すことはなかった。
空雷のうち1発が機械的故障により失速し残り8発が白煙を曳きながら弧を描き帝国船団へと迫った。
その先端には、パッシブ式の電波検知器が取り付けられており――上空から浴びせられる高出力電波を反射する帝国船舶をしっかりと捉えている。
そして誘導の最終段階、稼働翼の機械的故障により逸走した1発、それから誘導電波の反射を見失った1発を除く6発の空雷が最終的な帝国船団への命中弾と成った。
最初に被弾したのは、キタラギの接近方向から最も手前に位置した護衛艦艇の1隻、クライプティア級駆逐艦"トレーヴ"であった。
この駆逐艦は、迫る空雷に対し機関砲だけではなく主砲まで動員しあらん限りの火力を叩きつけて、その先端に数発の命中弾を与え誘導能力の破壊に成功していた。
だがそれも報われる事もなく慣性のままに突っ込んできた空雷は丁度、艦橋後端下部の船体に突き刺さる。
それは駆逐艦の薄い外板を破り更に数秒、艦内へと突き進んでから炸裂した。
次の瞬間、被弾箇所から割れるように火柱が噴き上がって"トレーヴ"の船体は、くの字に折れ曲がった。
この時点でこの艦の命運は尽きた。
続いて被弾したのが帝国標準輸送艦の"ゼルーフ・インネマン"
この甲虫のような船舶は、輸送艦であるものの船体下部に貨物どころか戦車でさえもを吊り下げる事が可能な搭載方式を買われて貨物の代わりに"グランバール"を懸吊し護衛空母かつ船団旗艦として運用されていた。
そして空雷が突き刺さったのは接近するキタラギに対して漸くの事、搭載機の投下を開始した直後の出来事だった。
全体的に甲虫のようなシルエットの丁度ど真ん中に設置された機関砲座に空雷が突き刺さり信管を作動させる。
炸裂と機関砲弾の誘爆により瞬く間に艦中央が火の海となり、そして念の為と搭載してされていた搭載機用の250クリム爆弾4発が焼かれた。
十数秒の間隔を開けて二度目の大爆発を引き起こした"ゼルーフ・インネマン"は、こうしてまだ発進する前の"グランバール"2機を巻き添えにしながら急速に地上への一方通行の航行を開始した。
最も悲惨だったのは、船団最大の船舶であったファルクム級戦略輸送艦の"シュタイン・オルデンベルク"である。
戦艦にも匹敵する全長を誇るこの大型輸送艦は、"メルパン六二四式電波照準器"が丁度、目標としており電波照射の中心に位置していた。
最大量の電波を反射したこの船舶に相次いで3発の空雷が命中したのだ。
1発目は、艦尾に伸びたスタビライザー状の尻尾を一撃で吹き飛ばしこの船舶の操舵機能を奪い去った。
続く2発、3発は立て続けの被弾となった。
共に3番機――ゴノ大尉の機体が放った空雷であったことから船団への到達時刻がほぼ一致したのだ。
命中箇所もそう離れた場所ではなく共に船体前部へ深く突き刺さってから爆発を引き起こす。
爆炎は船底まで到達しそこに吊り下げられる輸送コンテナを巻き込んだ。
"シュタイン・オルデンベルク"の乗員たちにとって大変不幸なことに、その輸送コンテナに搭載される物資は――多数の152mm野砲の砲弾であった。
この瞬間、625年4月2日のグランパルエ河南岸地域に於いて最大の爆発が生じた。"シュタイン・オルデンベルク"が船体前部とそれ以降で両断され制御不能な錐揉みに陥るまで要した時間は、最初の被弾から僅か1分と少し。轟沈である。
最後に命中弾を受けたのはリクトレス級護衛駆逐艦"アンヴィルド"であった。
一度目標を見失い直進を続けた空雷は、今まさに炎上の最中にあった"ゼルーフ・インネマン"の上空を過ぎ去った所でキタラギの飛来方向の反対側に位置したこの護衛駆逐艦を検知したのだ。
"アンヴィルド"が属するリクトレス級は、艦載機2機に空雷8発を搭載する第三紀に竣工した護衛駆逐艦とは名ばかりの重装駆逐艦である。
そしてその空雷は4発装填の発射管として艦橋脇の左右に配置されていたがそれが命取りとなった。この発射管に"キタラギ"の放った空雷は着弾したのだ。
第三紀らしくスマートなシルエットが瞬時にして打ち砕かれ歪んで燃え上がった。
船体構造に致命傷を受けた"トレーヴ"は結局、きっかり34分燃え続けた後に横転沈降し帝国艦隊から永久に喪われた。
"アンヴィルド"は、先の被弾で艦橋が奇っ怪に裂けた金属オブジェと化して艦の首脳陣が喪われていた事が致命傷となっていた。
ダメージコントロール指示が後手後手にと廻り燃え続けたこの艦は、一度空雷の誘爆を引き起こした駆逐艦の例に漏れず再度誘爆を引き起こし総員退艦となった。
メル=パゼル空軍の空襲が終わってから2時間と12分後の出来事である。
「命中!命中!」
船団上方を占めるイズダ中佐の機体からは、攻撃の成果がよく見下ろせた。
既に空雷の投下を担った僚機3機のキタラギは翼を翻し炎上する帝国船団から悠々と離脱する機動へと入っている。
母艦が爆発炎上する前に辛うじて投下された4機の"グランバール"は、船団に災厄を持ってきた怪鳥の遥か低空から仇を取らんと必死に上昇を続けてその3機に食らいつこうとしていたが間に合いそうにはない。
「電波照準器の格納を急がせろ。此方が離脱するまでに上がってこれはしないだろうが一応、敵機が発艦している」
イズダ中佐達に戦果確認を正確に行っている暇は無い。
この空域の北方、グランパルエ河とカゼリエ河の合流点に浮かぶエスベリール島――この要衝に帝国軍航空隊が進出したことは、飛行士達の間で広く共有されていた。
「こちらマカナ01 マカナ01 マカナ各機に伝達 合流はグランパルエ河上空にて行う 次の指示まで針路そのまま」
<<マカナ04よりマカナ01へ 了解した>> <<マカナ02了解>> <<03了解
現針路を維持する>>
「それにしても――こうして寝込みを襲わねばやってられないとは、歯がゆいものだな」
「機長?艦隊派の連中の陰口を気にしてるので?」
「いや、気にしてる訳じゃないさ。操縦に集中していてくれ。航空機でよそ見運転されては、生きた心地がしない」
視程の悪い日の出時或いは、日の入時にソナを背にする進入角度から接近し対空砲火の射程外から誘導機の照準目掛けて空中魚雷を射掛けて仕留める。
相手が小規模部隊であれば極めて有効な戦術と言えた。直掩機が存在する場合、誘導機が大変な危険に晒される事を除けば。
今回の攻撃は、日の出と共に襲いかかり直掩機はまだ上がっておらず全てが理想的であった。非の打ち所は無い大成功としても過言ではない。
それ故にイズダ中佐は、気がかりであった。
航空艦隊思想の復活など有り得ない。今やっている事は、寝首をかいているだけに過ぎない。相手が大規模戦闘部隊になれば陸上航空隊に出来ること等、存在しない。
そういった艦隊派の軍人が公言していることは案外、正鵠を射ているのでは無いだろうかと考えていたのだ。
今現在、軍上層部は来たるべき決戦へと向け"キタラギ"の生産にリソースをつぎ込んでいる。
噂では、"キタラギ"に多大の予算を計上したせいで"メイカク"の建造が遅延してるなんて話まである。
艦隊派がああまで声を上げるのもそれが気に食わないのがあるのだろう。
何故そこまでして長距離航空隊の刷新を急ぐのかと言えば来たるべき決戦の時の為らしい。
つまりは、自分たちも将来的に帝国の大艦隊へ――勿論、強力な艦載航空隊を保有するそれへ向けて投入される時が来る。
その時、あくまでも鈍い大型航空機の"キタラギ"が何処まで戦えるものか――
「機長、そろそろ合流地点ですぜ」
「あぁすまないなガナイ。さて無線機の周波数は――」
暁の怪鳥。この名は、"キタラギ"の俗称でありメル=パゼル軍広報部が好んで使うモノであった。
暗がりに紛れ朝日と共にクランダルティンに誅を下すと言えば随分と聞こえが良いがコレは、護衛機の随伴出来ない長距離作戦に於いて"キタラギ"が悠々飛べるのは、夜間のみという裏返しである。
怪鳥は、その名に反して決して空の支配者などでは無かったのだ。
果たして"キタラギ"がメル=パゼル空軍上層部の期待に応えられるのかどうか。それが判明するのは3年後――来たるべき決戦たるシルクダット戦役まで待たねばならなかった。
カノッサの冬は始まったばかりであった。