【2021年4月号掲載】

紋別観光振興公社・中島和彦副社長
市部長職退任でこれからのビジネス展開を語る

紋別市の観光行政はこの3月末、一つの転換点を迎える。ANA紋別地区総代理店・紋別観光振興公社の航空事業担当役員、中島和彦副社長がもう一つの顔である紋別市部長職(観光連携室室長)を4年の任期満了のため退任するからだ。コロナ禍にあって体を張ってANA東京—紋別線の路線を死守してきた中島氏が「市職員」の身分を外すことで、紋別サイドはこの先、路線を維持できるのか。中島氏に本音を聞いた。

 

航空路線維持の最大の功労者

▲中島和彦氏

「ビジネスは結果がすべて」。中島和彦紋別観光振興公社副社長のモットーである。

紋別市部長職としての中島氏の大きなミッションだったのがANA東京—紋別線の搭乗率の底上げだ。その期待に応えて2018年は搭乗者数で過去最高を更新し、19年度も市が掲げる年間搭乗者7万8000人、搭乗率65%の大目標を初達成寸前までこぎ着けた。

ところが、新型コロナウイルス感染拡大で打ち砕かれ、仕事の軸を搭乗目標必達から路線死守へと舵を切る。緊急事態宣言の発令以降、他路線がズタズタになる中でも紋別線は切れることなく飛び続けてきた。中島氏の功労によるところが大きいのは紛れもない事実だ。

中島氏が市から抜けた後、代わって同じような仕事をこなせる人材はいない。経験則によるノウハウ、各方面への人脈、研ぎ澄まされた感性、ANAをはじめとする大企業との交渉や駆け引き、どれをとっても引き継げる者は皆無なのだ。

そこで中島氏に胸中をズバリ聞いた。

◇  ◇

——3月末をもって紋別市役所を去られるのですが、現在の心境を。

思い起こせば、宮川良一市長、当時の棚橋一直副市長の厚意で紋別市企画監(部長職)で入庁させていただきました。民間企業で四半世紀以上働いていたことから民間の仕組みはわかっていましたが、将来自立する際に公の世界も見ていた方が強いと感じたからです。

紋別に来る前は、大手旅行会社HISグループで海外国内クルーズ商品を主販売するクルーズ旅行会社㈱クルーズプラネットの代表取締役社長を6年間務め、1年の半分は世界各国へ出向き、外国船会社の上層部相手に交渉し契約締結を繰り返しながら、欧米人相手の交渉ビジネスと会社経営を学びました。

その後、HIS本体へ転籍し、HIS国内営業本部部長(国内旅行事業)および、本社仕入本部部長(国際航空仕入)を務めさせていただきました。ちょうどHISが国内旅行事業をスタートさせるタイミングでANAと国内認可契約(国内線ツアー座席販売が可能な契約)を締結後、ゼロから数字を伸ばすことだけを意識して、日々戦っておりました。

国内営業本部部長として年間でANA国内線ツアー座席を115万席、ANA国内線ツアーチケット代金で166億円の販売まで伸ばせ、大きな自信となりました。さらにANA国際線座席を年間201億円、ANAセールス商品を110億円販売した結果、ANAとのビジネスで年間477億円を構築できました。

この時、ANAの組織のトップで活躍されていたのが今のANAホールディングス・片野坂真哉社長で、国内線・国際線の現場で侃々諤々と論議を戦わせていたのが今の本社の上層部の皆様、全国・全世界の支店長の皆様です。

悩み抜いて出た結論は…

——民間から官(公)の世界に入り、率直にどう思われましたか。

それまで頭の中は数字一色でしたので、全く違う世界ですよね。良い悪いではありません。4年間で今まで持っていなかった知識という財産を習得させていただきました。

——市部長職の退任で紋別とはきっぱり関わらなくなるのですか。中島さんのメールアドレス差出人表示も《MBE中島(紋別・中島)》から2月半ばに《中島和彦》に変更され、「MBE」表記がなくなっています。

正直、悩みました。紋別で嫌なこともたくさんありましたが、良いこともそれ以上にありました。

悩み抜いて出た答えは東京—紋別線をコロナ禍以前に戻すことが私を受け入れてくださった市長、前副市長への恩返しだということ。

それと同時に、現在いろいろな場面でサポートいただいている鈴木英樹副市長や、私の不在を守り、私の苦手な公的な事務処理を完璧にこなしていただいている観光連携室・髙橋博明参事と藤原正樹副参事、さらにはこの3年間、ANA滑走路ランやANAパークゴルフ大会など、いろいろなイベント時に嫌な顔をせずついてきてくれた紋別観光振興公社のスタッフ、私を信じて切らずに飛ばし続けるためにANA社内で相当な覚悟を持ってサポートしていただいている旧知の皆様への恩返しだと思っています。

そのため、紋別観光振興公社の副社長は継続して職責を全うすることとしました。引き続きANA東京—紋別線の路線維持活動および搭乗促進活動を進めていきます。メールアドレス表記を変えたのは特に深い意味はありません(笑)。

——明確な発言で安心された紋別市関係者も多いと思います。今後、東京—紋別線を再浮上させる戦略などは描けているのですか。

はい。ただ、戦略・戦術は財産ですのでお答えできません。一つだけ言えるのは、路線維持はやはり搭乗者、搭乗率を上げることに尽きます。

搭乗者数を増やすことで言えば、東京—紋別線は個人型割引運賃座席および旅行会社グループ座席は、時間の経過とともに戻る仕組みは出来ていますが、従来に増した活動を考えて、仕掛けていくことが必要です。

実は市職員の退任に合わせ首都圏の旅行会社4社からお誘いを受けていました。このご時世ですから心から嬉しく感じました。いろいろとお話をさせていただく中で諸条件、特に東京—紋別線路線維持活動を制限なくやらせていただける立場であることから、紋別の皆様にもご理解いただけると判断し、4月から首都圏に本社を置く東証上場の旅行会社の役員にも就任させていただくことになりました。

社長はじめ役員、そして約400人にもおよぶ社員の旅行業への熱意と人柄の良さを肌で感じたのが大きな理由です。この会社は私がHIS勤務時代に社長を務められていた平林朗さんが社外取締役を務めています。平林さんは現在、首都圏や大阪、京都を中心に20以上のホテルを運営する㈱JHATの代表取締役社長として活躍しており、私のことはすべてわかっているので安心です。

民と民の二足の草鞋で貢献

——東証上場会社の役員も兼務するとなると、さらに忙しくなりますね。

忙しいうちが花です(笑)。今後は、一人でも多く東京—紋別線に搭乗していただき、一人でも多くのお客様が紋別エリアに訪れていただけるように首都圏でも頑張ります。また、着地型である紋別観光振興公社との連携を含めた新たなビジネススタイルにも挑戦したいと考えています。

HAC(北海道エアシステム)やFDA(フジドリームエアラインズ)のチャーター便による紋別への送客も、その旅行会社で私が手掛けることで実現できそうで、そうなれば紋別や周辺エリアにも貢献できますよね。

宮川市長、鈴木副市長や棚橋前副市長をはじめ紋別市職員の皆様、紋別観光振興公社のスタッフ、常にサポートいただいた紋別市議の皆様、苦しい時に励ましていただいた紋別市民の皆様、ご協力いただけた西紋4町村の皆様、全てに感謝して心機一転で、〝公と民の二足の草鞋〟から、〝民と民の二足の草鞋〟に履き替えて地域の生命線である東京—紋別線を守り抜きたいと思っています。

◇  ◇

中島氏のコメントからは力強さを感じた。紋別観光振興公社副社長として航空路の路線維持に精魂を傾けながら、首都圏の東証上場会社役員としても西紋別エリアの地域振興に目を配る。こんな破天荒なビジネスへの期待感は高まるばかりだ。

飛び続けたANA東京—紋別線 コロナ禍の1年〝奇跡の軌跡〟
〝地域医療崩壊〟を阻止した関係者の熱意 それでも中島和彦氏「2月は敗戦」の真意

▲紋別に降り立ったANAの東京直行便

新型コロナウイルス感染症の猛威による昨年4月の全国に拡大した緊急事態宣言からまもなく1年。北海道は春の兆しが見え始めたかと思えば全道的なドカ雪という不安定な天気だが、国内航空路線も依然不安定なまま完全復活は見えてこない。決して人口は多くはないものの首都圏と直結する航空路を持つ紋別市の路線維持活動を改めて振り返ってみる。

ANA東京—紋別線は、コロナ発生後の昨年4月は毎日運航、5〜7月の3ヵ月は週4往復の曜日運航、8〜11月の4ヵ月は毎日運航、そして12〜3月の4ヵ月は週4往復の曜日運航と推移してきた。切らすことなく飛び続けてきたことは、紋別にとって「ベスト」と言える。

というのも、首都圏と道内地方空港を結ぶ路線は稚内や中標津、釧路などで完全運休もしくは部分運休となり、「紋別だけが残った」といっても過言ではないからだ。

航空会社の路線運休は国土交通省の承認が大前提である。東京—紋別線は当初より旭川空港からの陸上代替移動手段を提供する条件付きで運休を認めていたため、ANAはいつでも運休に踏み切れる環境にあった。そこで紋別サイドは懸命に路線死守のための活動を展開してきたのだ。

首都圏と地方を結ぶ航空路は一般論として、生活路線、ビジネス路線、観光路線などに分類される。この東京—紋別線は、大きな枠組みでは生活路線だが、地域医療を支える“生命線”であることも見逃せない。紋別を含む西紋別地区5市町村が共同運営する広域紋別病院は多数の医師がこの路線で行き来し、ほかにも市内の医療機関、隣接する滝上町国保病院の医師ら、合計すると10数人の医師が東京—紋別線で“通勤”しているのである。

だから、東京—紋別線が運休し、旭川空港からの陸上移動を余儀なくされると、この医師たちは時間、体力、精神面等で諸々の負担を強いられる。場合によっては診療時間の変更や診療科目の休廃止を招きかねない。まさに地域医療の根幹を支える航空路線なのだが、市民・町民にはわかりにくいかも知れない。

そんな地域事情もあってコロナ発生後、宮川良一紋別市長はどの自治体よりも早く行動した。ANA紋別地区総代理店・紋別観光振興公社の航空事業担当役員、中島和彦副社長ともどもANA東京汐留本社を訪問。役員や運航・運休の決定権を持つ上層部とのミーティングで東京—紋別線がいかに地域の生命線であるかを改めて説明するためだ。4月上旬のことである。

それも、ただお願いするだけでなく、地元として何が出来るか誠意をもって伝えた。緊急事態宣言が全国に拡大され、移動・行動が大きく制限されたのはその翌日のことだ。“間一髪”だった。

その後も関係者は路線維持に集中し、情報収集のためアンテナを張り巡らせてきた。それが空気の流れを良くして気運も上昇。路線維持に結びついたといえる。

基幹路線は回復の兆しも…

▲宮川良一紋別市長


▲中島和彦氏

さて、新たな事業年度である4月を迎える。1年の中でも希望に満ち溢れる月だが、全国の航空路線はまだまだ長いトンネルの途中だ。ただ、先にANAが発表した最新の国内線運航・運休案内によると、底を脱したかのように受け止められる。搭乗者数の公式発表はないものの、頻繁に飛行機を利用するビジネスマンは「基幹路線を中心に徐々に搭乗者は戻っている」と話す。

北海道関連では、東京—札幌(新千歳)線は最大5往復の減便だが、一時は最大8往復の減便だったことを考えると回復の兆しがみられる。ある経済人は「2〜3時間に1往復とあってか、満席に近い便ばかり」と言う。一方で「東京と地方都市を結ぶ便はスカスカ」と地方路線の苦戦は当分続きそうな雲行きである。

前述の稚内、中標津線も引き続き運休。この2つのまちが完全復活を目指すにはANAに頼るだけでなく、自分たちで搭乗促進活動を行うなど行動で表すことも必要なタイミングにきている。「自治体(市役所、役場)が再開を目指してどう動いているのかが全くわからない」という危機意識を持った苦言が市民や町民から聞かれ始めるようになったからだ。

釧路線も運休継続だが、こちらはエア・ドゥとの共同運航便が飛んでいるため、問題意識を持つ向きは少ない。函館線は先のGoToトラベルで一気に回復したことからわかるように、観光路線的な要素が大きく、観光需要回復を狙った運航形態となっていると言える。

一方、道内路線に目を向けると、札幌(新千歳)—女満別線、札幌—中標津線は減便継続、札幌と全国地方を結ぶ路線は静岡、沖縄、広島線などは運休継続、秋田、仙台、富山、小松などは減便継続と、復活には時間を要しそうだ。

4月も週4往復の運航継続

東京—紋別線は4月も週4日の曜日運航となっている。医療崩壊回避を訴え続けてきた紋別市や周辺町村にとって大きな意義を持つ運航継続だ。

前出の中島氏は、常に先手でANA北海道支社、ANAきた北海道支店とともに、ANA本社に対する路線維持活動に心血を注いできた。紋別がこれまで路線を切らさなかったのは全国的にも異例とみられるが、それでも中島氏が残念がるのは流氷観光のピークである2月が曜日運航となってしまったことだ。

中島氏が言う。

「東京—紋別線の最大需要期であることから、私にとっては“敗戦”の一言です。団体ツアーが見込めない中、少しでも搭乗率を上げようと個人型FITツアーを首都圏旅行会社に造成していただき、そのツアーだけでも約500人、1000席の予約を作れました。しかし、曜日運航となって出発日が限定されたことで約350人、700席の予約が一瞬のうちにして消えてしまいました。

曜日運航でも路線は繋がっているので、地域にとってはありがたいのですが、我々の提案を受け入れてツアー商品を企画、販売してくださった旅行会社様に対して本当に申し訳なく感じました」

率直に“敗戦”という言葉が出るのは、中島氏が紋別線の路線維持活動にいかに必死に、命運を賭けてビジネス戦争の如く向き合っていることを証明するものだ。そして、次に口にするのはANAへの感謝の言葉である。

「ANAさんは本当に地方都市のことを考えながら、会社の立て直しに挑戦されています。心から敬意を払います。会社や社員を守ることだけを考えれば赤字垂れ流しの地方路線は運休にして、少しでもキャッシュアウトを防ぐのが常。そんな中でもブレずに飛ばし続けてくださることに心から感謝しています。

今のような危機的状況において、譲れるところは譲るのは相手に対する最低限のビジネスマナー。東京—紋別線の4月の予約状況を見ると、運休か、週2〜3往復の曜日運航が成り立つ現実下にあって、週4往復はとてもありがたい。ANA総代理店として地元にアナウンスし、一人でも多くのANAファンをつくり、一人でも多く搭乗していただける環境を創ることが我々に課せられた責任と感じています」

一日も早く、コロナ以前の航空路に戻ることを願うばかりである。

▲オホーツク紋別空港ターミナルビル