戦争を知る者の言葉 大分総局長 堀田 正彦

 戦争は絶対悪と論じた軍人がいた。堀悌吉(1883~1959)。

 海軍兵学校を首席で卒業した俊才で、ワシントン会議(21~22年)など数々の軍縮会議に関わった。最終階級は中将、大分県杵築市の出身だ。

 海軍大学校時代に書いた「戦争善悪論」(18年)が物議を醸したという。戦争は善か悪か、その本質を論ぜよ。教官の課題に対し堀の結論は、目的・動機、結果によらず戦争は善たり得ないと明快だ。

 堀は国の生存上やむを得ないか、他国から攻撃を受けた場合のみ戦争は是認される、として自衛戦争は否定しない。さらに、正当な目的のために戦争を起こし、またはこれに応じることはあるとして、国家が戦争に訴えることを条件付きで認めている。

 その上で、こう述べる。

 「然(しか)レトモ其(そ)ノ目的ヲ達スルニ、戦争ニ依(よ)ラスシテ他ニ平和的手段アラハ、之(これ)ニ依ルヲ可トスヘキナリ。(略)仮令(たとい)之ヲ是認シテ正当ナリトナスモ、之レ其ノ目的達成カ正当ナリトイフニ過キスシテ、戦争カ善事ナリトイフヲ証スルモノニアラス」

 堀は兵学校を出た後、少尉候補生として戦艦三笠に乗り組み、日本海海戦で撃沈されるロシア艦を目の当たりにした。後年、敵艦が沈没するのはさぞ愉快だったろうと水を向けられ、こう答えている。「唯モウ悲惨ノ思ヒデ胸一杯デシタ。殊ニ乗ッテ居タ人々ニ対シテハ気ノ毒デタマラナカッタノデス」(回顧録)。この実戦体験が、堀の戦争観を方向付けたのではないか。

 戦争善悪論の中で、こうも述べている。「人或(ある)ハ戦争ハ神聖ナリ万徳ノ基ナリトナス。然レトモ(略)多クハ真ニ戦争ノ何タルカヲ知ラサルモノノ言ナリ」

 「反戦軍人」と評されることがある堀だが、軍備を否定したわけではない。「平和ヲ保証スルニ過不足ナキ如(ごと)ク整備スベキデアル」(回顧録)と位置付け、おのずと限度があると説く。実戦を知る者は戦争を望まない見本のような人物だ。戦争回避のために軍人として信念に基づき行動したが、34年、時代に押し流されるように海軍を追われる。

 太平洋戦争開戦の日、12月8日が巡ってくる。真珠湾攻撃を指揮した山本五十六と堀は兵学校同期の盟友だった。堀は山本の書簡や遺品、自身の著述などをきちんと整理して後世に残した。大分県先哲史料館(大分市)で関係資料が12月1日から展示される。

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 ▼ほった・まさひこ 福岡市出身。1984年入社。山口支局、整理部、佐伯支局、熊本総局、長崎総局などを経て、昨年8月から現職。

=2018/11/30付 西日本新聞朝刊=

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