前島悠子

きゃあああ!
師匠!
助けてくださぁい!



 前島は泣きながら叫び、その両足が「ふわっ」と浮いた。


 もうそれまでだった。


 前島は一切抵抗できず、闇の底に落ちて行った。




天野勇二

何やってんだ!
この馬鹿!




 天野が前島の足首をがしっと掴んだ。



前島悠子

ししょおおお!
きゃああああ!
たすけてくださぁぁぁい!

天野勇二

叫ぶな!
暴れるんじゃねぇ!
くそっ!



 天野は左腕が負傷しており、右腕一本しか使えない。


 いくら天野でも片手だけで女性を釣り上げるのは無理がある。


 すぐに肩の骨が嫌な音をあげて外れた。



天野勇二

ぐあああああ!!



 段差に足を引っ掛け、背後に倒れこみながら前島を引きずりあげるが、天野の右手は一気に力を失っていった。


天野勇二

俺の腕を掴め!
もう限界だ!


 前島は必死に体を起こした。


 天野の袖と手首にしがみつく。


 天野は激痛に呻きながらも、最後の力を振り絞り、屋上に倒れこみながら前島を引き戻した。


 天野は意識していなかったが、滑る薬剤が壁と段差に塗られていたのが幸いした。


 前島を落とそうとした薬剤が、前島を引き上げる助けにもなっていた。



天野勇二

ぐああああああああッ!



 天野はもう激痛のため立っていることすらできなかった。


 右肩は脱臼して関節が外れており、靭帯も損傷している。


 そして何より背中の火傷が厄介だった。


 皮膚が損傷しているため、腕を伸ばすという行為自体が命取りなのだ。


 背中の皮膚は裂け、激しく出血していた。



前島悠子

師匠!
ししょぉぉ!
うぇぇぇん!



 前島が涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま天野に抱きついた。


 もうマンションの屋上から落ち、アスファルトに叩きつけられ、無残な肉塊になることまで覚悟していた。


 前島の恐怖は相当なものだ。



天野勇二

はぁ、はぁ……。
てめぇ……。
何をやってやがる……!



 天野が肩で息をしながら呻いた。



天野勇二

お前、ちっとも電話に出ないから、おかしいと思ったんだ……。
なぜ、屋上に来やがった……。



 前島はボロボロ泣きながら紙を差し出した。


前島悠子

だって、だって……!
手紙がポストに入ってたんですよ。
師匠のかと思ったんです!

天野勇二

て、手紙だと?


 天野はポストに投函された手紙を見ると、険しい表情で叫んだ。


天野勇二

こんなもの俺様の字じゃねぇぞ!
なんで見分けがつかなかったんだ!

前島悠子

そんなのわかりませんよ!
師匠はお手紙くれたことなんて、一度もないじゃないですか!


 天野は悔しそうに呟いた。


天野勇二

まぁ、そう言えばそうか。
お前にはメモ程度しか渡したことがない。


 天野は激痛に顔を歪めながら、前島に右腕を持たせた。


天野勇二

肩が外れてしまった。
しっかり持っていろ。

前島悠子

え、えぇ?
ど、どうすればいいんですか?

天野勇二

そこでガッチリ固定しておけ。


 天野は前島に右腕を持たせると、無理やり肩の骨をはめようとした。



天野勇二

ぐああああああっ!



 しかし天野と前島では体力差が違いすぎる。


 天野が力をこめても、前島が支えきれない。


天野勇二

くそっ!
ちゃんと持ってろよ!

前島悠子

も、持ってます!

天野勇二

ぐああッ!
くそっ、はまらねぇ!
もういい。さすがに無理か。


 さすがの天野でも左肩が骨折している状態では、自らの脱臼なんて治せない。


 もう右腕に力が入らないことは諦めるしかなかった。


天野勇二

お前、なぜ屋上から飛び降りようとしやがった?
何を考えてるんだ。


 前島はえぐえぐ泣きながら、段差に貼られた偽の遺書を指さした。


前島悠子

あれが貼ってあったんです。
読んでたら背中を押されたんです。

天野勇二

せ、背中を押されただと!


 天野は慌てて周囲を見回した。


 天野が屋上に上がった時、前島は段差から落ちる寸前だった。


 その時、付近に人の気配はなかった。


 前島を引きずり上げた後でも、誰かが屋上から立ち去った気配を感じなかった。



 天野は屋上を一周して誰もいないことを確かめると、悔しそうに顔を歪めた。


天野勇二

誰もいないぞ。
風に押されたんじゃないのか。

前島悠子

ち、違います。
ぽん、と背中を押されたというか、何かにぶつかったような感じでした。

天野勇二

だが、俺様はお前の悲鳴が聴こえた時、最上階の廊下にいたんだ。
屋上から下りて来るヤツなんて誰もいなかったぞ。

前島悠子

私が来た時も、誰もいませんでした。



 天野は強風を受けながら、静かに段差にある遺書を見つめた。


 固くのりづけされているが、無理やり剥がすこともできそうだ。


 天野は遺書を剥がして読むと、それをビリビリに破り捨てたい衝動にかられた。



天野勇二

なるほどな……。
ふざけた遺書だ。
ここから前島が飛び降りれば、悩みを持ったアイドルの『自殺』が完成となるワケか。


 『遺書』が貼られた段差。


 そして、その奥にある壁を触ってみる。


 痺れた右手では正体がわからないが、無透明の液体が塗られている。


 段差に手を置けば手が滑り、壁に手を置けばまた滑り、落下を促す仕組みになっている。



天野勇二

ちくしょう。
やってくれる。
これは飛び降り自殺に見せかけるトラップか。



 天野は前島の手を引き、屋上から廊下に戻った。


 廊下には誰もいない。


天野勇二

前島よ。
俺様はもう右手が上がらない。
部屋の中に入れてくれ。

前島悠子

は、はい。
どうぞおあがりください。


 前島に扉を開けてもらい、天野は部屋に足を踏み入れた。


 小声で前島に告げる。


天野勇二

いいか前島。
これは決定的だ。
これ以上ないほどの決定的な証拠だ。
やはり敵は本気でお前を狙っている。

そして、お前の住居を完全に把握している。
ここに滞在することはできない。
急いで支度しろ。

前島悠子

はい……。



 前島は泣きながら天野に抱きついた。


 全身が恐怖で震えている。



 屋上から落下しそうになった恐怖。


 命を狙われているという恐怖。


 様々な恐怖が前島の中で渦巻き、心が張り裂けそうだ。



天野勇二

(くそっ……。まずいな。意識が飛びそうだ)



 天野は前島の頭を撫でながら、全身の激痛を堪えていた。


 背中の出血が激しく、巻いている包帯は胸まで赤い。


 もう右腕は満足に動かない。


 先ほどから呼吸が荒く、視界はぼやけている。


 それでも天野は優しく声をかけた。



天野勇二

前島、大丈夫だ。
俺様がついている。
必ずお前を守るさ。

前島悠子

はい……。
師匠、本当にありがとうございます……。

天野勇二

いいんだ。
怖かっただろう。
もう大丈夫だ。

前島悠子

ひっぐ……。
はい……。


 天野が前島を泣き止ませていると、前島のスマホが着信して鳴った。


 2人の身体がビクッと震える。


 前島は恐る恐るスマホの画面を見た。


天野勇二

ふぅ、園崎か。


 ハンズフリーにして電話に出る。


天野勇二

天野だ。

園崎里葎子

あ、天野さんですか?


 園崎はビックリしたような声を出した。


園崎里葎子

な、なんで、悠子ちゃんの電話に天野さんが出るんですか!?

天野勇二

そんなことはどうでもいい。
要件はなんだ。


 園崎はおずおずと口を開いた。


園崎里葎子

あ、あのぉ……。
私は、いつまでここにいれば、いいんでしょうか……?


 園崎には駐車場に停めた車の中で待機するように命じてある。


 天野はため息を吐きながら言った。


天野勇二

そんなことはどうでもいい。
また前島の命が狙われた。

園崎里葎子

えっ!
ほ、本当ですか!?
悠子ちゃんは無事ですか!?

天野勇二

ああ、俺様のおかげで無事だ。
だがな、それはこの家が敵に見破られている、ということを意味している。
お前のクソプロダクションの誰かが部屋番号まで漏らしてやがるぞ。
すぐに事務所に戻り、内通者を探し出せ。

園崎里葎子

は、はい!
あ、あの、悠子ちゃんは、どうするんですか……?

天野勇二

現状ではお前も含め、誰も信用できない。
俺が秘密裏に預かる。
場所は教えない。


 天野はそこまで言うと電話を切った。


 即座に涼太へ電話をかける。


佐伯涼太

ほい。
涼太だよ。

天野勇二

涼太か。
勇二だ。
頼みたいことがある。

佐伯涼太

うん、何かあったね。


 涼太は声のトーンから、天野に何かまずいことがあったと察した。


天野勇二

ああ、最悪の事態だ。
今、前島の部屋にいるんだが、ここも敵に見張られている。
前島が飛び降り自殺するようトラップを張り、遺書まで偽装工作してやがった。
もう全ての偶然は必然となった。


 涼太は打ちのめされたように唸った。


 マデューの仕業ではないかと疑っていたが、心のどこかでは偶然の事故であってほしいと願っていたのだ。


 しかし遺書まで偽装となれば、もうただの事故では済まされない。


佐伯涼太

まずいね。
僕は迎えに行けばいいんだね。

天野勇二

ああ、話が早くて助かる。
場所は……。


 前島の部屋の住所を告げる。


 涼太は即座に頷いた。


佐伯涼太

オッケー。
飛ばすよ。
30分もあれば到着できる。

天野勇二

頼むぜ。
エントランスで待ってる。


 天野は電話を切ると、しがみついて震える前島を切なげに見つめた。


天野勇二

涼太が来てくれる。
しばらくどこかのホテルに滞在するぞ。

前島悠子

はい……。

天野勇二

俺様も付き添う。
さぁ、支度を始めよう。


 天野はあえて明るい声で前島を励ました。


天野勇二

お前も知っている通り、俺様は医者のボンボンだ。
しばらく豪華なホテルに滞在させてやる。
せっかくだからバカンスだと思って、楽しんでやろうじゃないか。


 前島は涙を流しながら静かに頷いた。




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つばこ

【天野くんの負傷箇所まとめ】
・左肩&左肘&左腕を骨折(全治数ヶ月)
・首はムチウチ(全治1ヶ月)
・背中には広範囲の熱傷(全治半年)
・右肩脱臼(全治2週間)New!!!
 
今回の天野くんはとにかくボロボロです。 
よくぞ前島ちゃんを救出したと、褒めてやっていただければ幸いです。
そして、これでマデューの罠が、終わってくれれば良いのですが……。
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(๑•̀ㅂ•́)و✧

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コメント 83件

  • rtkyusgt

    身を呈して守るだなんてそうそう出来ることじゃないよね。覚悟が違う。

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  • あろまる

    クソ野郎様ぁぁぁ(;_;)

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  • 焼きましゅまろ

    ししょおお

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  • ニル

    愛じゃん

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  • ゆんこ

    なんで?なんで自分は瀕死の重症負いながら弟子の頭を撫で続けるの?これ惚れてるやつやん?

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