前島の仕事は夜には終了した。


 代理マネージャー園崎の運転で、まずは前島の自宅に帰ることになった。


 前島も着替えたいし、自宅の化粧品を使いたいし、何より家でくつろぎたい。



天野勇二

園崎よ。
何度も言うが、敵は交通事故を狙ってくる。
高速には乗るな。



 園崎はガチガチになりながら運転していた。


 前島の命を狙う殺し屋よりも、後部座席にいる天野のほうが怖いからだ。



天野勇二

そして時速30km以上は出すな。
死にたくなければ原付より遅く走れ。
仮に事故ったとしても、お前を川口のように助ける義理はない。
見殺しにするからな。



 天野は散々このセリフを園崎に吐き、心底怯えさせていた。


 しかも、少しでもスピードを出すと、天野は「早すぎる」と言って運転席のシートを蹴るのだ。


 とんでもないクソ野郎だ。



園崎里葎子

わかりました……!
わかりましたから、もう蹴らないでくださいよ!

天野勇二

じゃあ、のんびり走れ。
俺様はまだ死にたくないんだ。



 これは別に園崎をイジメている訳ではない。


 天野は警戒を強めているのだ。



 今は左腕が使い物にならない。


 背中にも大きな深手を負った。


 この状態で交通事故を仕掛けられたら、前島さえ救出できない。


 天野はかなり追い込まれていた。



前島悠子

師匠、家だったら安心ですかね。


 前島が震えながら尋ねる。


天野勇二

安心ではないだろう。
お前のマンションも敵に知られている可能性が高い。
それでも、いつかは家に帰らなければならない。
お前もストレスが溜まるし、PCを使った仕事があるだろう?
着替えやメイク道具も調達しなければな。


 天野にとってこれは賭けだった。


 マデューが本当に殺意を持って『トラップ』を仕掛けているのか、現段階でも確証に至っていない。


 交通事故も病室の爆破も、ただの事故である可能性を否定できない。


 天野たちは疑心暗鬼の底に叩き落とされていた。



園崎里葎子

天野さん……。
と、到着しましたぁ……。



 園崎のノロノロと走る車は、長い時間をかけて、前島のマンションに到着した。


 天野は尾行がないことを確認すると、前島と寄り添って車を出た。


天野勇二

園崎、お前はそこで待機だ。
車から一歩も出るな。
出ていたら骨を一本折る。

園崎里葎子

え、えぇっ?
で、でも……。

天野勇二

グダグダうるせぇな。
俺様は本気だ。
小指から折るぞ。

園崎里葎子

ひぃぃぃ!
なんで、私がこんな目にぃ……!


 喚く園崎を残し、天野はマンションの中に入った。


 かなり立派な高層マンションだ。


 セキュリティもしっかりしていて、駐車場からオートロックのついたエントランスまで内部を通って入ることができる。


 しかも警備員がエントランスに常駐していた。


警備員

前島様。
お帰りなさいませ。


 警備員が頭を下げて挨拶する。


 天野は小声で前島に尋ねた。


天野勇二

おい、アイツとは顔見知りか。

前島悠子

はい。
いつも夜遅く帰るのでよく会うんです。


 前島が答えると、警備員が警備室から小包を持って来た。


警備員

前島様にお届けものがございます。
事務所の方が前島様に渡してほしいと。


 警備員は小包を差し出した。


 四方20センチほどの箱だ。


 天野と前島の脳裏に『爆破』の2文字が浮かんだ。


天野勇二

ちょっとそれを貸せ。


 小包を警備員から奪い取る。


 天野は玄関から中庭目掛けて、迷いもせずに投げ捨てた。


警備員

あぁっ!?
何するんですか!?


 小包は地面を3度バウンドして止まった。


 爆破の危険を恐れたが、小包は何の反応も見せない。


 天野は安堵しながら警備員に尋ねた。


天野勇二

あれを預けたのはどんなヤツだ。

警備員

え?
そうですねぇ……。
事務所の方とおっしゃってましたが……。

天野勇二

男か?

警備員

いえ、若い女性でした……。

天野勇二

そうか。
悪いが、あれは開封せずに捨ててくれ。

警備員

はぁ、構いませんけど……。


 前島は困惑しながら天野を見つめた。


前島悠子

師匠、いいんですか?
手がかりになるかもしれませんよ。


 天野はあっさり首を横に振った。


天野勇二

ダメだ。
危険すぎる。
開けた瞬間にドカーンといくかもしれない。
そんな危険な手がかりはいらん。
ああいったものは全てスルーだ。

前島悠子

わ、わかりました。


 前島はエレベーターに乗り、最上階まで天野を招待した。


 前島の中には『ついに愛しの天野が部屋を訪問する』という喜びがあったが、さすがにこの状況では、無邪気に喜ぶことができなかった。


天野勇二

お前の部屋はどこだ?

前島悠子

このフロアの一番奥です。


 天野は周囲を見回した。


 マンションの25階だ。


 かなり高い。


 廊下も周囲から見えないように壁が設置されている。


天野勇二

ちょっとマンションの様子を見てくる。
お前は部屋に戻れ。
怪しいものがあればすぐに電話しろ。
俺が部屋に入る前に電話をする。
俺以外の人間は中に入れるな。

前島悠子

は、はい。
わかりました。


 天野は廊下全体を見回すと非常階段を下りて行った。


 前島は恐る恐るカギを開け、部屋に足を踏み入れた。


 鍵穴にこじ開けられた形跡はない。


 部屋の中はいつもと変わりなかった。



前島悠子

はぁ……。
お部屋は無事ですね……。



 前島が安堵していると、ケージに入っている2匹のモルモットが嬉しそうに鳴き始めた。


 前島の飼っているペットだ。


 2匹のモルモットが前島にとっての家族だ。


前島悠子

あぁ、チョビちゃんにミケちゃん。
餌がなくてごめんなさいね。
今お掃除してあげますね。


 まずは寂しがりやたちのケージをお掃除。


 水と餌を新しいものに交換した。


前島悠子

さて、師匠が来るんですよね。
どうしましょう。
お部屋は綺麗だからいいとして……。



 前島はウォーキングクローゼットに飛び込んだ。


 室内着を着て構わないだろう。


 そのほうが自然で違和感がない。



前島悠子

で、でも……。
し、下着は……。
ど、どうしましょう……。



 前島は頬を赤らめて戸惑った。


 天野が押し倒してくるとは考えにくいが、万が一ということもある。


 前島はいそいそと勝負下着には見えないが、とびきり清潔な下着に履き替えた。


 女性としては当たり前の行為だ。





 (カタン)





 玄関からひとつの小さい音があがった。



前島悠子

あれ?
師匠ですか?



 呼びかけるが返答はない。


 スマホを確かめるが、天野からの着信はない。


 ビクビクしながら玄関に向かう。


 玄関ポストに1枚の紙が入っているのを見つけた。



前島悠子

こ、これは……?



 どうやら手紙のようだ。


 乱暴な字で書かれている。




天野だ。

相手の裏をかく。

誰にも見られずに屋上まで来い

電話もかけるな。




 前島は驚いて手紙を見つめた。


 天野からの指示だろうか。


 『電話もかけるな』とは、盗聴を警戒しているのかもしれない。


 しかし、これは本当に、天野からの手紙なのだろうか。



 前島は震えながら手紙を見つめ、ひとつの結論を出した。



前島悠子

いくらなんでも私が帰ってすぐに投函だなんて、タイミングが良すぎます。
盗聴の恐れがあるのかもしれません。
屋上に行ってみましょう。



 前島はゆっくり扉を開け、廊下に誰もいないことを確かめると、屋上までの道を歩いた。


 前島の住むフロアは最上階だ。


 屋上の扉は廊下の果てにある。


 通常は施錠されており、マンションの住民も上がることはできない。



前島悠子

……開いてますね……。



 前島は慎重に扉を開けた。


 屋上へ進む階段が続いている。


 階段の先にも扉があり、そこの施錠も解除されている。


 前島は周囲を警戒しながら進み、広い屋上に降り立った。



前島悠子

ひぃ……。
寒い……。
風が強いですね……。



 25階建てのマンションの屋上には強い風が吹いていた。


 前島の小さい体では強風に吹き飛ばされそうだ。


 屋上にあるのは給水のタンクがひとつ。


 四隅に高い柱が立っており、先端が時折赤く発光している。


 雷の直撃を避けるための避雷針だ。


 それら以外に目立った設備はない。



前島悠子

師匠!
ししょぉー!?
いないんですかぁー!?



 屋上には誰もいなかった。


 人が隠れるようなスペースは、屋上への入り口と、給水タンクぐらいしかない。


 前島はそれぞれの裏手を調べてみたが、天野の姿はおろか、猫1匹いなかった。



前島悠子

お、おかしいですね。
な、なんだか、嫌な予感がします。



 前島が帰ろうかと思った時、屋上の隅に『白く光る四角い物』があるのを発見した。


 壁の端にはフェンスなど存在しない。


 高さ30センチほどの段差があるだけだ。


 『白く光る四角い物』は、その段差の上に置かれている。



前島悠子

な、なんでしょう。
気になります。



 前島はそろそろ近づいた。


 さすがに壁の近くは風が強い。


 前島は前かがみになり、風の直撃を受けないように進んだ。



前島悠子

どうやら、紙というか、カードっぽいですね……。
蛍光塗料でも塗られた紙でしょうか……?



 大きさは葉書1枚ほど。


 かなり小さな文字がびっしり書かれている。


 紙はべったりとのり付けされているのか、手に持つこともできない。


 天野からの指示が書いてあるのだろうか。


 前島は顔を紙に近づけて、文章を読んでみた。




私、前島悠子は芸能界での活動に疲れました。

もう生きていることが苦痛です。

事務所やファンの皆さん、先立つ不幸をお許しください……


前島悠子

……えぇっ!?
これなんですか!?
私の遺書いしょみたいじゃないですか!



 前島が驚いて立ち上がった瞬間、「ぽん」と軽く、何かに背中を押されたような気がした。


 ほんの軽い衝撃だった。


 前島を天井から突き飛ばすほどではなかったが、よろめいて段差に手をつくには十分な衝撃だった。



前島悠子

えっ?



 驚いて後ろを振り返るが、誰もいない。


 だが、本当の不幸は前島が手をついた『段差』にあった。


 手がつるんと滑り、前島は腹から段差に落ちた。



前島悠子

ひえええええ!



 目の前に高さ25階の底辺が見えた。


 闇のアスファルトを微かに電灯が照らしている。


 強風が「落ちろ、落ちろ」とばかりに吹きつける。


 前島は慌てて壁に手をやるが、その手もつるんと滑った。



前島悠子

な、何か塗られています!
ひえぇ!
踏ん張りがききません!
師匠!
助けてください!



 壁と段差に滑る薬剤が塗られている。


 どこに手を伸ばしても身体を支えられない。


 前島の身体はゆっくりと、25階下の底辺目掛けて傾いていった。



前島悠子

きゃあああ!
師匠!
助けてくださぁい!



 前島は泣きながら叫び、その両足が「ふわっ」と浮いた。


 もうそれまでだった。


 前島は一切抵抗できず、闇の底に落ちて行った。




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つばこ

前島ちゃんが大変な状況ですが、ここで告知です!!!!
 
 
☆緊急告知☆
 
『天才クソ野郎の事件簿』がcomico漫画になります!
6月28日(水)より連載開始!
作画は『ぼく りゅーちゃん!』でお馴染みの篠月梟太郎先生! 読んでください!ヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 67件

  • rtkyusgt

    あんだけ電話するまでダメって言われてたのに・・・案外おバカちゃんだな。

    師匠助けてあげて!

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  • あろまる

    これは流石に助からない……!?
    いやいやいやいや

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  • 焼きましゅまろ

    嘘でしょおおおおおおおお?!?!
    前島ちゃん(´•̥ω•̥`)

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  • ゆんこ

    ゆっくりしてた結果がこれだよ

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  • アオカ

    手紙の時点で気付けよ前島ちゃん…

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