その日の昼休み。


 天野は昼食のパンを小脇に抱え、学生食堂の2階テラス席に向かっていた。



 テラス席は天野が好んで根城にしている場所。


 一般の学生はまず近づかない。


 大学の新入生は「絶対にテラスに近づくな。白衣を着た悪魔がいるぞ」と、先輩から教えられるのが恒例行事だったりする。


 だが、その日はテラスに先客がいた。



天野勇二

なんだ。
珍しいな。
富樫じゃないか。




 富樫がちょこんとテラスの椅子に座っている。


 背丈の低いブサイクな男なのだが、肌が輝くような美肌なので、天野は過去に『ヒアルロン酸』というあだ名をつけたこともあった。


富樫和親

天野さん。
お久しぶりです。
お邪魔してしまいすみません。

天野勇二

ここは誰が利用しても良いテラスだ。
気にするなよ。
何か俺様に用事か?


 タバコを取り出し、注意深く富樫を見つめる。


 富樫は頭の回転の早い切れ者だ。


 何か考えがありやって来たのだろうと、天野は感じていた。


富樫和親

はい……。
実はちょっと、気になることがありまして……。


 富樫はどう説明したらいいものか、思案して目を伏せた。


 天野はニタリと品のない笑みを浮かべた。


 富樫の顔を覗き込む。


天野勇二

まさか『学園の事件屋』である俺様に依頼したいのか?
誰をブチのめしてほしいんだ?
それとも面倒な女を妊娠させたのか?
ストーカーの手伝いなんかは御免だぜ。



 天野にはいくつかの『あだ名』がある。


 そのひとつが『学園の事件屋』だ。


 天野は『昼飯を奢ること』を報酬として、学生の様々なトラブルを解決する、という事件屋まがいの趣味を持っている。


 ストーカーを退治したり、男女関係のトラブルを解決したりと、依頼の幅は広い。



富樫和親

いや……。
そうじゃないんです。

天野勇二

依頼でもないのか。
何があったんだ?

富樫和親

えっと……。
あの、天野さんは『メイド喫茶』って……。
ご存知ですか?


 天野は思わず顔を歪めた。


天野勇二

(メイド喫茶だと? いつかの『天才ブタ野郎』を思い出すな)


 以前、天野の先輩がメイド喫茶にハマり、メイドの娘に恋をしたことがあった。


 2人の仲を取り持つため、天野はそれなりに苦労したものだ。


(詳しくは『天才クソ野郎の事件簿・彼を上手にご主人様にする方法』にて)


天野勇二

何度か行ったことはあるぜ。
くだらねぇ店だ。


 富樫は苦笑した。


富樫和親

そうですよね。
『天才クソ野郎』には似合いません。

天野勇二

まったくだ。
天才クソ野郎がメイド喫茶のリピーターなんて、虫唾が走るな。



 『天才クソ野郎』とは天野の『あだ名』のひとつだ。


 医学部の首席である天才なのに、性格が最低のドS。


 学生や教授から尊敬と軽蔑を込めて呼ばれている。


 天野はこの『あだ名』を気にいっており、呼ばれることをむしろ快感としていた。



富樫和親

お恥ずかしい話なんですけど、ちょっと通ってまして。

天野勇二

ふぅん……。
お前はブサイクだからな。
まぁ、それもいいんじゃないか。

富樫和親

情けない話です。
好きな子ができちゃいまして。
でも、天野さんに相談したいのは、メイド喫茶で出会った男のことなんです。

天野勇二

男だと……?
最近のメイド喫茶には、女装した男が働いているのか?

富樫和親

いやいや、違います。
その人も客だったんです。
マデューと名乗ってました。
たぶん、フランス人とのハーフなんだと思います。


 富樫は美肌を引き締め、真剣な表情で言葉を続けた。


富樫和親

他の客に話しかけることはないんですが、その人は少し気になったんです。
すれ違った時、『人体の腐敗臭』を嗅ぎとった気がしたんです。

天野勇二

ほう……。
死臭のする男、というワケか。

富樫和親

はい……。
髪にはメッシュを入れて、ナヨナヨとした動作が目立つ男で、赤いマニキュアを塗った気持ち悪い外見の男でした。
それがなんとなく、天野さんに似ていたんです。


 天野は嫌そうに顔を歪めた。


天野勇二

そんな気持ち悪いオカマと、この俺様を並べやがったのか。

富樫和親

でも似ていたんです。
顔や外見ではなく、仕草が似てたんです。
それに『人の目を見て心理が読める』とまで言ってました。


 天野は本当に嫌そうに顔を歪めた。


 『目を見て心理を読む』というのは、あらゆる心理学を学んだ天才である天野が持つ『特技』のひとつだ。


 相手の仕草、網膜の収縮、重心の移動、筋肉やリンパ腺の緊張などを観察し、簡単なウソならすぐに見破ることができる。



富樫和親

しかもその男は、自らのことを『殺し屋』と名乗ったんです。

天野勇二

なに?
『殺し屋』だと?

富樫和親

そうです。


 天野は懐からタバコを取り出した。


 呆れたように尋ねる。


天野勇二

殺し屋にも色々あるぜ。
狙撃手スナイパーなのか。
鉄砲玉ヒットマンなのか。
始末屋スイーパーなのか。
もしくは……。



 タバコに火をつけようとした天野の動きが止まった。



 一度、小さく首を横に振る。



 火をつけながら言った。



天野勇二

もしくは……。
遠隔殺人者トリックメイカー
なのか……。
色々と種類があるぜ。



 富樫は頷いて口を開いた。


富樫和親

その定義で言えば『遠隔殺人者トリックメイカー』に近いと思います。
これまで100人以上を殺害したと言い、その全てで容疑をかけられていないそうです。


 天野は舌打ちした。


天野勇二

随分とフカしやがったな。
そんなヤツがこの世に存在するワケがない。
裏にどんなケツモチが控えてやがる?
大手の暴力団組織か?

富樫和親

その可能性はあります。
だけどマデューは、あくまで自分はフリーランスの殺し屋だと名乗ってました。

天野勇二

フリーランスでそこまで殺せる上に、容疑がかかっていないのか。
真実であれば興味深いな。
殺害方法はなんだ?

富樫和親

殺害方法は……。
その、ないんです。

天野勇二

ない?
ないとはどういうことだ?


 富樫はその問いには答えず、逆に質問を飛ばした。


富樫和親

以前、天野さんと殺人者のことを話しましたよね。
あの時、天野さんは『死体が発見されない』こと……。

つまりは『殺人事件を発覚させない』ことが、殺人者が逮捕されない一番の近道だと、仰ってましたよね。

天野勇二

ああ、そうだな。

富樫和親

マデューも同じことを言ってました。
でもマデューは、死体が発見されても、それが『殺人事件と認定されなければいい』と言うんです。
つまり自殺や事故死や変死です。
マデューはそんな死に方をするように、タロット占いでターゲットを導くと言っていたんです。


 天野は納得したように頷いた。


天野勇二

殺人と断定されないように殺すのか。
『死体』を隠すのではなく『事件性』を隠すため、事故死や変死に見せかけるトリックか。
だが、タロット占いってのはなんだ?

富樫和親

それが……。
本当におかしな話なんですが、マデューは自分の『タロットカード』で、相手や事件を操ることできると、豪語してるんです。

天野勇二

はぁ?
占いで相手を操る?
それが占いなのか?
そんなものが当たるのかよ。

富樫和親

僕も信じてませんでした。
でも、マデューは僕を殺しの現場に連れて行って、それを証明したんです。


 思わず天野の動きが止まった。


天野勇二

……なんだと?
お前、殺しを見たのか?

富樫和親

はい、見ました。
地下鉄の駅でした。
僕とマデューがホームの先頭に立って話していたら、反対側のホームにいる男が電車に飛び込んだんです。
男の側には誰もいませんでした。

天野勇二

おいおい……。
まさかその飛び込んだ男が、マデューとやらのターゲットだったのか?

富樫和親

そのまさかです。
タロットの占い通りに事故死したんです。
あの状況では、誰も『殺人事件』とは認識できません。


 天野は思わず唸った。


天野勇二

……なるほど。
それなら殺人事件にならず、警察が捜査することもない。
当然、捕まることもない。
徹底的に『事故死・自然死・変死』に偽装する殺し屋か。

富樫和親

そうです。
完全に事件性を隠蔽いんぺいしています。
死体を隠す以前の問題から、事実を捻じ曲げているんです。


 天野は冷静に言った。


天野勇二

『確率論』の問題はどうだ。
日常起きる『奇跡的』な事象は、確率論でいえば奇跡ではない。
マデューが常にそのターゲットに尾行し続け、たまたま都合よく事故死したとしても、確率論からいえば『奇跡』ではない。


 富樫は首を横に振った。


富樫和親

しかし、マデューは僕の前で、殺してみせると宣言してました。
事故死に見せかけるとも話していたんです。
その後にタロットを取り出し、飛び込み事故が発生したんです。
こんなに都合良くいくでしょうか?

天野勇二

確かに都合が良いが、確率がゼロというワケじゃない。
まず飛び込んだ男が本当に『ターゲット』だったのか。
お前には確かめる術がない。
たまたま『ただの人身事故』を目撃しただけかもしれないんだぜ。


 タバコの煙を吐き、言葉を続ける。


天野勇二

人身事故が発生する確率。
たまたまそれを目撃する確率。
かなり低い確率だがゼロではない。
タロット占いなんかよりも、その低い確率のほうが現実的だ。


 富樫は「なるほど……」と呟いた。


富樫和親

マデューが『タロット占いで殺した』なんてオカルトより、偶然という可能性のほうが現実的なんですね……。

天野勇二

ああ、事故が起こりやすい時間と、事故件数の高い駅を知っていればなおさらの話だ。

富樫和親

僕はマデューに『偶然の事故死』を『占いによる殺害』だと、錯覚された訳ですね。

天野勇二

そういうことさ。
そもそもマデューの存在自体が現実的じゃない。
警察は無能だが、そんな殺し屋を野放しにするほどバカではないさ。



 富樫は素直に頷いた。


 富樫は天野に話すまで、すっかりマデューのオカルト発言を信じきっていた。


 確かにタロット占いによる殺害なんてありえない。


 あんな『殺し屋』が存在するはずがない。


 全ては偶然の出来事と考えるほうが、よっぽど現実的であるように感じた。



富樫和親

はぁ……。
やっぱり天野さんは違いますね。
完全に目が覚めた気分です。


 安堵して息を吐く。


 天野は少し顔を嫌そうに歪めている。


富樫和親

天野さん。
何か気になることが?

天野勇二

いや、別に……。
なんでもないさ。


 そう言ってタバコの火を消す。


 富樫は試しに尋ねてみた。


富樫和親

あの、もし、マデューの発言が真実だったら、どうでしょう……?
本当に100人以上殺していて、その全てを事故死や自然死などに偽装しているとしたら……?


 天野は新しいタバコを取り出した。


 険しい顔で虚空を見る。



天野勇二

最悪の犯罪者だ。
恐るべき遠隔殺人者トリックメイカーであり、殺害計画者マーダープランナーだ。
地下鉄に警察が想像もできないトラップを仕掛けて殺した。
それ以外にも解くことができないトラップを仕掛け、殺し続けていたことになる。


 タバコに火をつける。


 忠告するように言った。


天野勇二

恐らくマデューの話はデタラメだろう。
だが、近づかないほうが賢明だな。



 煙を吐き出しながら空を見上げる。


 紫煙しえんが風に揺られ、テラスの木漏れ日をくぐり抜けて、青空の彼方に溶けていく。


 穏やかなテラスの午後だ。


 それでも天野の中には、未だかつて感じたことのないほどの、嫌な予感が渦巻いていた。



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つばこ

本作の主人公「天才クソ野郎」こと天野勇二。
そして謎の殺し屋、「アルカナの支配者」ことマデュー。
この2人の運命はどこかで交わることがあるのか。それともないのか。嫌な予感とやらは当たるのか。とりあえず現在のつばこが言えることは、「どいつもこいつもネーミングセンスが厨二病だな!」ってことかなぁ( ゚д゚)
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!ヽ(*´∀`*)ノ.+゚

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コメント 35件

  • 敷宗

    都内の地下鉄の駅は皆ホームドア付いててよっぽどの事しないと飛び込めないんだけどこの辺は謎解きされるかな?(*^O^*)

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  • あちゃん

    本当に面白い

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  • 太宰雅

    こういう話、好きだな~。

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  • バルサ

    冨樫くん、普通にイケメンに見えます(^^;;

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  • ゆーり

    話ながら美肌を引き締めるとかすごいスキルだなww

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