渋谷しぶやの喫茶店にて、涼太が望月もちづきと対峙している頃。



 天野は神埼かんざき記念総合病院』の病室に立っていた。



 場所は都内の一等地。



 高台に建てられた大きな総合病院だ。



 天野のかたわらには、妹である桃香ももか胡桃くるみ、『めいっ子』である内田愛唯うちだめいの姿がある。



 4人は先ほどから、1人の男性に語りかけていた。









天野勇二

ゆう兄ちゃん……。
大勢で押しかけてしまい、すまないな。

勇一

…………



 天野は切なげに兄である勇一ゆういちを見つめた。


 やせ細った身体。


 焦点しょうてんの合わない瞳。


 うつろな表情で虚空こくうを見つめている。


 ここは勇一が長い間、入院している病室なのだ。


(詳しくは『彼女が上手にアイドルグループを卒業する方法』を参照)



天野勇二

最近の調子はどうだい?
季節の変わり目だから、調子を崩さないか心配だよ。

勇一

…………


 勇一は何も答えない。


 もう見慣れてしまった生気せいきのない横顔。


 天野はため息を吐きながら、妹たちを見つめた。


 桃香がひとつ頷き、勇一に語りかける。


天野桃香

ねぇゆう兄ちゃん。
今日はね、カーネーションのお花を持ってきたんだよ。
胡桃や愛唯ちゃんと一緒に選んだの。
なんか『母の日』みたいだけど、すごく綺麗だったから。


 桃香を援護するように、胡桃も勇一に語りかける。


天野胡桃

最近はジメジメしてるから、お部屋が「ぱぁっ」と明るくなるかと思ったの。
ゆう兄ちゃんは何色が好きだった?
青いのを多めにしてみたんだけど、気に入ってくれるかなぁ……?


 勇一は何も答えない。


 桃香や胡桃の声が聴こえていないかのようだ。


 ただ虚空こくうだけを見つめている。


内田愛唯

お父さん……。
学校でね、お母さんの絵を、かいたんだよ……。


 愛唯が画用紙を取り出した。


 『父親』である勇一に、懸命に語りかける。


(詳しくは『天才クソ野郎の事件簿 特別編・彼女を上手に誘拐する方法』を参照)


内田愛唯

先生にほめられたんだ。
東京都の美術コンクールにも入賞したの。
それでね、お母さんが、お父さんのお部屋にかざってみたらどうかって……。
めいわくじゃないよね?
かざってもいいよね?

勇一

…………


 勇一は何も答えない。


 愛唯の描いた絵を見ようともしていない。


 天野はやるせなさを噛み締めながらその光景を見つめた。


天野勇二

(俺たちの声が届いていないのか。それともあえて無視しているのか……。わからんな。兄の感情は昔から読めないんだ)


 愛唯は勇一の視線を誘導するように絵を持ち上げている。


 『父親』の気を引こうとしているのだが、勇一の眼球が反応することはない。


 勇一は何を見ているのだろう。


 その瞳には、どんな景色が映っているのだろう。


天野勇二

(体調自体は良くなっている。以前は起き上がることもできなかった。酷い時は拘束衣こうそくいを装着させられたこともあったが、最近は落ち着いてきたように見える。快復に向かっていることは間違いないのだが……)


 とてもそのようには見えない。


 この世界には兄の心が存在しないかのようだ。


 天野は大きく息を吐くと、意を決して尋ねた。


天野勇二

ゆう兄ちゃん……。
桃香から聞いたんだ。
時々、桃香と言葉を交わしているらしいね。

勇一

…………

天野勇二

それを聞いた時、俺は本当に嬉しかったよ。
またゆう兄ちゃんと話せる日が来るかもしれない。
そう思ったんだ。
だけど……。


 うつろな兄の横顔を見つめる。


天野勇二

俺とは、話してくれないのか?
俺がいると、何か不都合なことがあるのか?
もしかすると、俺の存在が、ゆう兄ちゃんにとって、迷惑だったりするのか……?

天野桃香

ち、ちい兄……!


 桃香が天野の腕を掴んだ。


 涙目で首を横に振っている。


 あまり勇一を追い込むようなことを言わないほうがいい。


 そう伝えたいのだろう。


 天野は苦しげに息を吐いた。


天野勇二

……ああ、そうだな。
すまない。
俺は外に出ている。
あとはまかせたぜ。

天野桃香

そうだね……。
それがいいかも、しれないね……。

天野胡桃

ちい兄ちゃんは大丈夫?
あまり無理しないで。
なんだか顔色が悪いよ。


 胡桃が不安気に声かける。


 天野は軽く微笑んで言った。


天野勇二

問題ないさ。
少しタバコを吸ってくる。
胡桃たちはゆう兄ちゃんの傍にいてくれ。

天野胡桃

う、うん……。


 妹たちに背を向け、病室を後にする。


 廊下に出て扉を閉めると、天野は大きく息を吐いた。



天野勇二

(くそっ……。なぜなんだ。なぜ反応してくれない。あれは『俺の知っているゆう兄』の姿じゃないか……)



 拳を握り、軽く壁に押しつける。


 勇一が『心の病』を発症したのは、天野が中学3年生の時。


 あれ以来、天野は勇一と会話したことがない。


 お見舞いに来ても、どれだけ声をかけても、勇一の反応は変わらない。


 先ほどのようにぼんやりしているか、狂ったように暴れ出すか。


 耳にする声といえば、うめき声か叫び声のどちらかだった。



天野勇二

(それがなぜ、桃香とは会話しているんだ? しかも、胡桃との『血のつながり』がないことを、教えたというじゃないか。なぜゆう兄は、そんなことを桃香に伝えたんだ……?)



 胡桃が義妹ぎまいであること。


 天野や勇一や桃香とは、血のつながりがないこと。


 それは『天野家』におけるトップシークレットだった。


 なぜ勇一はそのことを桃香に伝えたのか。


 その疑問が天野の中から離れない。


(詳しくは『彼女を上手に救出する方法』を参照)



天野勇二

(俺はゆう兄のことを心からしたっていた。誰よりも尊敬できる兄であり、世界で一番の男だと信じていた。だが、ゆう兄は違ったのか? だから俺を拒絶しているのか? もしかすると、俺はゆう兄を傷つけるようなことを、していたというのか……?)



 苦しげに息を吐き出す。


 自分は世界中の誰よりも、兄の快復を願っているというのに。


 肩を落としながら歩き出した時。


 廊下の向こうに、見知った顔を見つけた。


天野勇二

……鈴本すずもとさん。
今、ちょっといいかな。

鈴本つぐみ

あっ、勇二くん……。


 看護師の鈴本すずもとつぐみ』だ。


 神埼記念総合病院に勤める看護師であり、兄である勇一の同期でもある女性。


 勇一の数少ない友人の1人だ。


天野勇二

聞きたいことがあるんだ。
5分で構わない。
忙しいとは思うのだが、少しだけ時間を貰えないか?


 鈴本は数枚のカルテを持っている。


 職務中の看護師は忙しく、雑談に付き合うような暇はない。


 それでも鈴本は頷いて言った。


鈴本つぐみ

大丈夫だよ。
勇一さんのことだよね。

天野勇二

ああ、そうだ。
鈴本さんには感謝している。
兄のことを安心して任せられるのは、全てあなたがいるからだ。


 鈴本は照れたように微笑んだ。


鈴本つぐみ

水臭いこと言わないでよ。
勇一さんは大切な友達だもの。
私にできることがあれば何でも言ってね。

天野勇二

噂で聞いたが、あらゆる昇進しょうしんや異動の話を断っているそうじゃないか。
可能な限り、兄のそばで働きたいと。
そのように希望していると聞いているぜ。

鈴本つぐみ

やだ……。
なんでそんなこと知ってるの?
誰から聞いたのよ。

天野勇二

それは秘密だ。
とても感謝しているが、あまり無理はしないでくれ。
兄のせいで鈴本さんの人生を縛りたくはない。
これはうちの家族全員の願いだ。


 鈴本が神妙しんみょうな表情で頷く。


鈴本つぐみ

うん……。
桃子ももこさんにも同じことを言われた。
だけどね、私は今の職場が気に入ってるの。
勇一さんのためという訳でもない。
そんなに気にしないでよ。


 『桃子さん』とは、天野の母親のことだ。


 鈴本は勇一のために昇進などの話を断っているのかもしれない。


 むしろ、自分の人生を犠牲にしてまで、勇一のサポートに取り組んでいるのかもしれない。


 天野家はそのように感じているのだ。


天野勇二

そうか……。
それならいいんだが。
本当に無理はしないでくれよ。

鈴本つぐみ

わかってるわよ。
それで、何を聞きたいの?

天野勇二

兄の体調のことだ。
俺は未だに兄と言葉を交わしたことがないんだが、妹は違うらしい。
兄と会話をしたと言うんだ。


 天野が強い瞳で鈴本の顔を見つめる。


 全てを見透かしてしまうような鋭い瞳。


 鈴本は一瞬だけ、怯えたような表情を浮かべた。


天野勇二

俺はいつもあなたから、兄の様子に「変化はない」と伝えられていた。
言葉を交わすことはできない。
そんなあなたの言葉を信じていた。
だが、実際は違っている。

もう正直に教えてほしい。
あなたは兄と言葉を交わしたことがあるのか?
兄が喋ることを、あなたは知らなかったのか?


 鈴本は苦しげに視線をらした。


 天野の言葉は丁寧かつおだやかで、野蛮な剣幕けんまくなどは存在しない。


 それでも有無うむをいわせない迫力がこもっている。


 まるで詰問きつもんのようだった。


鈴本つぐみ

……そっか。
桃香ちゃんから聞いたんだ。


 鈴本は大きく息を吐いた。


 その横顔には「気まずさ」や「後悔」といった感情が浮かんでいる。


 天野はそれを見て「鈴本はその質問をされることを覚悟していた」と感じた。


鈴本つぐみ

まず勇二くん、これだけは信じてほしい。
私はあなたのことを『弟』のように感じてる。
勇一さんをしたっていることもよく理解してる。
だからこそ、勇二くんには正直でありたかった。
隠し事もしたくなかったの。


 鈴本の表情は暗く重い。


 天野はそこでかすかな違和感を覚えた。


天野勇二

『隠し事』だと?
それはなんだ?
あなたは何を隠しているんだ?


 尋ねながら鈴本の心理をうかがう。


 鈴本は『何か』を隠している。


 恐らく長い間、隠し続けていたのだろう。


 それは鈴本にとって、抱えきることが難しいほどの秘密。


 いったい何を隠しているのか。


 鈴本は頭を下げて言った。


鈴本つぐみ

ごめんなさい。
私ずっと、勇二くんに嘘を吐いてた。
勇一さんの体調はすごく良くなってる。
もう入院しなくても大丈夫なほどに。
だけど、勇一さんに口止めされていたの。

天野勇二

なんだと……?
何を口止めされていたんだ?

鈴本つぐみ

体調が良くなっていること……。
時々、言葉を交わすことができること……。
それを隠してほしいって。
特に「勇二くんだけには知らせないようにしてほしい」って、そう頼まれていたの。





この作品が気に入ったら「応援!」

応援ありがとう!

860

つばこ

天野くんのお兄さんが登場したのは約6年前。
ついに挿絵が登場しました。
長らくお待たせしましたが、これがお兄さんです!
 
【質問コーナー】
Q:天野くんが1ヶ月で使った最高金額はいくらくらいですか?
A:ダントツで『クリスマスデート編』で使った3,159,000円ですね。彼はあれに『みかんの王子様』で稼いだ全額をつぎ込んでます(*´∀`)
 
Q:桃太郎と大和くんは元気にしてますか?
A:まだヒミツです。もしかしたら、今回登場するかもしれないからです! 登場しなかったらごめんなさい!
 
Q:今年は何回うんちょすを漏らしましたか?
A:も、漏らしてないし! マジで漏らしてないし! つばこはウンチョスを漏らすような子供じゃないんだぞ!! たぶん!!!!
 
そんなこんなでいつも応援やコメント、本当にありがとうございます!ヾ(*´∀`*)ノウンチョス-

この作品が気に入ったら読者になろう!

コメント 21件

  • ニル

    ロボトミー手術受けた人みたいだなって思ってた

    通報

  • うどん

    つばこ先生のウンチョス懐かしい(笑)

    通報

  • こちび

    広告必須になってから久しぶりにcomico開いてさぁ天クソ読むぞ!ってなったらまさかのサービス終了で、とりあえず全話買えばいいかと思ったら購入し多分も消えるってどゆこと?え?まって?理解が追いつかないしんどすぎるつらい、冗談抜きで書記化してほしい。全話買うから…

    通報

  • altena

    ほう!?
    なんか、面白そうな展開だなー!これが今後もう見れないと思うと辛いな。コミコを離れても何処かで続けてほしいな。絶対見つけるから

    通報

  • 777

    つまり望月同様に家族やこの看護師も勇二の敵ということか?
    兄の行動、この看護師の行動、望月を異常に信頼する母親と妹たちを見る限りそうとしか思えないんだが。
    最終的に誰が生き残るのかね?

    通報

関連お知らせ

オトナ限定comicoに移動しますか?
刺激が強い作品が掲載されています。

  • OK