『元国民的アイドル』かつ『超人気女優』である前島悠子まえしまゆうこの悲劇は、テレビドラマの撮影スタジオで発生した。



 前島は撮影の休憩中、テーブルに置かれていた『炭酸水』を飲んだ。



 その直後、胸の痛みを訴えて倒れたのだ。



 現場に立ち入りできたのは関係者のみ。



 部外者ぶがいしゃ侵入しんにゅうした形跡けいせきは存在しない。



 しかも、警察はスタッフや出演者をチェックしており、ケータリングなどの飲食物も全て調べていた。



 それでもコップの中から『異物』が検出されたのだ。



 付き添っていたマネージャーの川口も、その場にいた警察官たちも、コップに『毒』られていたとは、全く想定していなかった。



 唯一ゆいいつの救いだったのが、前島は軽症けいしょうだったこと。



 応急処置おうきゅうしょちも適切だったため、後遺症こういしょうが残ることもない。



 あらゆるマスメディアは「しばらく入院するが1週間ほどで退院できる予定」だと報じている。



 そして同時に「犯行手段は不明だが、容疑者は『電脳学博士』である」とも報じていた。




佐伯涼太

……さてと。
川口さんの話なら、この病院の最上階だったよね。



 事件が起きた翌々日の深夜。


 涼太は病院に忍び込み、前島の病室を目指していた。


 病室の前には警備の刑事が立っており、面会を許してくれそうもない。


 仕方なく屋上に向かい、フェンスにロープを引っ掛けた。


 腰に安全帯あんぜんたいを巻き、壁をゆっくり降下しながら病室を目指す。


 やがて目的の病室に到達。


 窓ガラスを軽く叩くと、前島が嬉しそうに窓を開け、ぶら下がっている涼太を出迎えた。


前島悠子

うふふ……。
涼太さんが来ました。
どうやって『お見舞い』に来てくれるのか、楽しみにしてたんです。
スパイダーマンみたいですね。


 涼太は苦笑しながら前島を見つめた。


佐伯涼太

はぁ……。
やっぱりねぇ。
そうじゃないかと思ったんだ。
僕のカンもたまには当たるね。

前島悠子

ありゃ?
涼太さんは見抜いてましたか。
師匠も見抜いてます?

佐伯涼太

それがそうでもないんだ。
クッソ面白いことになってるよ。
病室には誰もいないよね?

前島悠子

大丈夫です。
でも廊下には刑事さんがいますよ。

佐伯涼太

オッケー。
窓から飛び込むよ。
ちょっと離れてて。


 涼太は軽く壁を蹴ると、窓から病室の中に飛び込んだ。


 着地と同時に床を転がる。


 足音もたてずに侵入に成功した。


佐伯涼太

よっしゃ!
バッチリ侵入成功!
僕ってばめっちゃスパイディ!


 軽くガッツポーズを決めて窓を閉める。


 前島は小さな拍手を送りながら言った。


前島悠子

屋上から降りてきて窓からアタックなんて、涼太さんはやりますね。
私が起きてなかったら、どうするつもりだったんですか?

佐伯涼太

起きてると思ったよ。
きっと前島さんは夜更よふかしする娘だな、そして僕たちの来訪を待ってるだろうな、と思ったね。


 涼太は手短なパイプ椅子に座ると、のんびりと尋ねた。


佐伯涼太

それじゃ教えてよ。
なんでまた『毒物』なんか飲んだの?


 前島はベッドに腰掛けると、舌をぺろりと出しながら言った。


前島悠子

師匠の常套句じょうとうくじゃないですか。
『敵をあざむくにはまず味方から』ですよ。

だけど、思ったより漂白剤ひょうはくざいは強力でしたね。
胸の中が燃えるように痛かったです。
胃が溶けるんじゃないかって思いました。

佐伯涼太

せめて違う物を選んでよ。
もう大事件じゃん。
勇二に言えば怪しい『試薬』を手配してくれたのにさ。

前島悠子

えへへ……。
でもこれで『電脳学博士』の事件が、さらに大きくなりましたよね。


 涼太は感心したように息を吐いた。


佐伯涼太

はぁ……。
前島さんはゴイスーだね。
勇二をアシストしたんだ。
マジでそのためだけに、漂白剤サイダーを飲んだワケ?

前島悠子

そうですよ。
弟子のつとめってやつです。
時にはおとりを演じ、時には『被害者』にもなってみせる。
見事にやりきりましたね。


 前島はほこらしげに胸を張っている。


 涼太は切なげにその姿を見つめた。


 肌は真っ白で荒れており、かなり体調が悪そうだ。


前島悠子

でも、涼太さんに見破られるんじゃ、私もまだまだですね。
今回はビックリしてくれると思ったのに。

佐伯涼太

いや、十分驚いたよ。
だけど川口さんの話を聞く限り、誰かが『毒』を盛れる状況じゃなかったからさ。
警察の警護も完璧に近かったしね。

前島悠子

はい。
十分過ぎるくらいに警護していただきました。
川口さんや警察の皆さんには申し訳ないことをしましたね。
仕事にも穴を空けちゃいます。
ファンの皆さまも心配してるでしょうし。

佐伯涼太

世間を賑わす大事件だから、きっとみんな大目おおめに見てくれるよ。
SNSでも前島さんの応援ばっかり。
おまけに勇二がバカみたいに落ち込んでるしね。


 前島は驚いて尋ねた。


前島悠子

師匠が落ち込んでる?
どういうことですか?
師匠も見破ったんじゃないんですか?

佐伯涼太

いや、僕も驚いたんだけど、勇二は思ったより激高げっこうしちゃってさ。


 天野の様子を語って聞かせる。


 動揺し、川口を責め立て、自らの判断をいる姿。


 前島は嬉しそうに拳を握りしめた。


前島悠子

むっふっふっふっふっ……。

私の狂言ブラフを見破れないなんて、天才クソ野郎もまだまだですね。
これはやったかいがありました。
ちょっと嬉しすぎて叫んで踊り出したいぐらいです。

これは『きた』かもしれませんね。
いや、これは間違いなく『きた』と言えますよね。


 落ち込んでいる天野の話を聞き、前島は極上の笑みを浮かべている。


 師匠がクソ野郎なら、弟子も相当なものだ。


佐伯涼太

勇二は完全にキレてるよ。
前島さんに毒を盛った『犯人』を潰すことしか考えてないんだ。
あんな姿が見られるとはガチで驚いたねぇ。

前島悠子

私も見たかったですね。
そっかぁ……。
師匠はガチギレですかぁ……。


 そう言うと、前島は苦しそうにベッドに横たわった。


 まだ胸の中が燃えるように痛むのだ。


 軽症とはいえ、絶対安静が必要な状態。


 涼太は「申し訳ないな」と思いながらも、その姿を嬉しそうに見つめた。


佐伯涼太

本当にデキたお弟子さんだよ。
勇二のあんな姿をおがめる日が来るなんて。
前島さんは勇二の『何か』を変えてる気がする。
やっぱり『恋人関係』になったのが大きいのかな?

……いや、そうだ。


 「ぽん」と手を叩いて言葉を続ける。


佐伯涼太

僕はなんとなく『クリスマスの夜』あたりから、風向きが変わった気がするんだよね。
前島さんとデートしてたじゃん?
あの夜、何かあったんじゃないの?

前島悠子

ああ……。
『クリスマスデート』のことですね。
確かに『何かがあった』と、言えるかもしれないですね。


 前島がにんまりと微笑む。


 驚くほどの男前イケメンが演出してくれた、クリスマスの夜を思い浮かべる。


(詳しくは『彼女と上手にクリスマスデートする方法』を参照)


佐伯涼太

ここだけの話だけど……。
やっぱり……そうなった?
勇二は教えてくれなかったけど、絶対にそうだよね?
だってクリスマスだもんね?
2人で熱すぎる『性夜』を過ごして、コウノトリさんを召喚しょうかんしたんでしょ?


 前島は軽蔑けいべつの眼差しを送った。


前島悠子

むぅ……。
本当に涼太さんは歩くセクハラ野郎ですね。
そんなのしてません。
むしろ師匠はそれを「考えもしていない」とか言ってましたよ。


 涼太がげんなりとため息を吐く。


佐伯涼太

うげぇ……。
なんなのあのクソ野郎。
どんだけ草食なのよ。
見るからに肉食動物のくせに。

前島悠子

私もそう思いました。
でも、師匠のお気持ちは、しっかり感じることができたんです。
心が壊れたままのクソ野郎ですが、きっと私のことは、それなりに大切な存在なんだなって。
それを噛み締めることができました。


 前島は懐かしむような表情を浮かべた。


 きっと天野のことを思い浮かべているのだろう。


 涼太は「やれやれ。僕はお邪魔だ。やっぱり勇二を行かせれば良かった」と思いながら言った。


佐伯涼太

なんで勇二は、その辺りのことがダメになったのかなぁ。
僕に女の子の口説き方を教えて『チャラ男』に仕立てあげたのは、あのクソ野郎本人なのに。

前島悠子

前から思ってたんですけど……。
それって本当なんですか?

佐伯涼太

本当だよ。
僕は女の子と喋るのが苦手な奥手のチェリーボーイだったの。
それを勇二に色々とコーチしてもらって……。


 涼太が昔話に花を咲かせようとした時。


 病室の扉が「コンコン」と叩かれた。


高尾律果

……前島さん?
入ってもよろしいですか?

佐伯涼太

うわっ……!
やばっ!


 聞き覚えのある声だ。


 きっと病室を警護していたのだろう。


 涼太が急いでベッドの下に潜り込む。


前島悠子

は、はい。
大丈夫ですよ。

高尾律果

夜分、恐れ入ります。


 高尾が恐る恐る扉を開け、いぶかしげに病室を見回した。


高尾律果

今、男性の声が聴こえたのですが……。
誰かとお話をされてましたか?


 前島は小首を傾げながら答えた。


前島悠子

いいえ。
誰ともお喋りしてませんよ。

高尾律果

えっ……?
だ、誰かと、話してませんでしたか?
お電話したりとか……?

前島悠子

してませんねぇ。
スマホも触ってませんよ。


 画面が真っ暗なスマホを指さす。


 確かに病室は静寂せいじゃくに満ちている。


 明かりの落ちた深夜の病室。


 まさか、この世のものではない声を、聞いてしまったのだろうか。


 高尾は「ぶるっ」と肩を震わせた。


高尾律果

そ、そうですか……。
何かあれば、お呼びください……。
し、失礼いたします……。


 怯えた表情で扉を閉める。


 前島はそれを確かめ、ベッドの下に声をかけた。


前島悠子

涼太さん。
行っちゃいましたよ。


 ベッドの下から、涼太がガタガタ震えながら出てきた。


佐伯涼太

ひ、ひぃぃ……。
あの声は、高尾さんだ……!
高尾さんが警備してたんだ!
バレなくて良かったぁ……!

前島悠子

あれ?
お知り合いなんですか?

佐伯涼太

そうなのよ。
猛牛バッファローみたいな刑事さんでしょ。
クソ怖いしクソ強いのよ。
うわぁ、怖い。
もうおいとまするね。


 涼太は急いで立ち去ることにした。


 窓を開けると、腰の安全帯にロープを結び直す。


前島悠子

それじゃ涼太さん。
師匠によろしくお伝えください。

佐伯涼太

オッケー。
ちなみに勇二はもっとデカい作戦を張ってるんだ。
前島さんの『毒殺』が騒ぎになると、作戦に支障ししょうが出るかもしれない。
誰にも『毒』を盛られてはいなかった、ってことにしてくれるかな。

前島悠子

それもバッチリ想定してます。
間違って私が漂白剤を誤飲ごいんしたと、誤魔化せるようにもしています。

佐伯涼太

さすがだね!
それじゃあバイバイ!
またテラスで!


 涼太はそう言うと、素早く窓の外に飛び出した。


 ロープを握りながら壁を上っていく。


 降りるのはそれほど難しくなかったが、ロープ一本で壁を上るのはかなりの重労働。


 すぐに諦めて、屋上にいる男に声をかけた。


佐伯涼太

こりゃキツいや!
アシストプリーズ!


 屋上で待機していた男がロープを引っ張り上げる。


 涼太は汗だくになりながら屋上にい上がると、嬉しそうに言った。


佐伯涼太

はぁ、はぁ……。
なんとか無事に生還せいかんできた。
病室の入り口に高尾さんが立っててさぁ。
見つかったらシバかれちゃうところだったよ。

天野勇二

そんなことはどうでもいい。
弟子の容態ようだいはどうだ?

佐伯涼太

顔色は悪かったけど、それなりに元気だったね。
後遺症もなさそうだし、すぐに退院できるんじゃないかな。

天野勇二

『毒』を盛った人間に心当たりはいたか?


 天野が尋ねると、涼太は爽やかに笑った。


佐伯涼太

あはは。
まだそんなこと考えてるの?
狂言きょうげんだよ。
『毒を盛られた』なんて、前島さんの自作自演ブラフだったんだよ。

天野勇二

なんだと?
アイツは自分で『毒』を飲んだのか?

佐伯涼太

そういうこと。
たまには僕の推理カンも当たるもんだね。


 涼太が汗を拭い、屋上のフェンスに巻きつけていたロープを解く。


 天野はしばらく呆然としていたが、舌打ちしながら言った。


天野勇二

……チッ。
そういうことか。
俺様をアシストするために、電脳学博士の犯行を増やそうとしたのか。
ふざけた真似をしやがって……。

佐伯涼太

そんなこと言わないでよ。
きっと僕が『暴行』されたから、自分も『被害者』を演じてみようと考えたんだろうね。
仕事のできるお弟子さんじゃん。

天野勇二

事前に言えばいいじゃないか。
余計なスタンドプレイに走りやがって。

佐伯涼太

敵をあざむくにはまず味方から、でしょ?
自作自演ブラフを見破れなかった勇二が悪いんだよ。


 ヘラヘラと笑いながら、安堵あんどの息を吐く。


佐伯涼太

いやでも自作自演ブラフで良かった。
ちゃんと川口さんや警察は、前島さんを警護してくれていたんだ。
前島さんは誰にも狙われていない。
最悪のシナリオは回避できたね。



 涼太は嬉しそうに笑っているが、天野は複雑な思いを抱いていた。


 胸の奥で渦巻うずまく様々な感情。


 それらを表現する言葉が見つからない。


 なぜ自分は自作自演ブラフを見落としていたのだろう。


 なぜそれを想定せず、我を忘れるほど怒り狂ってしまったのだろう。


 その事実がどこか悔しくもあり、それでいて、どこか嬉しくもある。


 この感情の正体が、天野にはわからなかった。



天野勇二

あの弟子め……。
面倒ばかりかけやがって。
今度会ったら文句を言ってやる。


 舌打ちしながら言葉を続ける。


天野勇二

もう弟子のことはいい。
明日は決行けっこうだ。
夜が明ける前に、姫子の記憶装置ストレージを埋めに行くぞ。

佐伯涼太

ほいほい。
ついにIOCの幹部たちをヘッドショットしちゃうのね。
僕ちゃんとしては可愛い女の子を連れ込んでベッドショットしたいけど、そんな暇はなさそうだね。
野暮用を済ませて成田なりたに向かいますか。

天野勇二

ああ……。
くそ、気持ち悪いな……。
冷静に考えてみれば、狂言ブラフの可能性が最も高かったのに……。
なぜ見落としていたんだ……。


 天野がブツブツと愚痴りながら首を捻る。


 涼太はその姿を苦笑しながら眺めていた。





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つばこ

読者コメントでもガンガン見抜かれた通り、『毒』に関しては前島ちゃんのブラフでした!
まぁ、そりゃそうですよ。
部外者が簡単に出入りできるほどテレビ局は甘くありません。
おまけにジャーマネの川口さんは優秀ですし、警察だってちゃんと仕事をするものです。
前島ちゃんは口にしてませんでしたが、
 
「めっちゃワイを『囮』として使ってるくせに、師匠はSPとかやってくれんやないか。どないなっとんねん(*`ω´)」
 
みたいなプチおこもあったんじゃないかな、と思います。
この出来事が天野くんに、何らかの変化をもたらしたりするのかな?
 
そんなこんなで決行の日を迎えました!
今週は2話更新してるのですぐ読めます!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!\( 'ω')/

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コメント 10件

  • こるく

    前島ちゃんやるなぁ……!

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  • ニル

    天野くんかわいい

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  • みぃ

    毒を「盛られた」のはブラフでもガチで飲んだんだ…すごい、流石前島ちゃん

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  • カボルイス世ハピ天クソ契約

    2話更新!やった!
    ブラフかぁー、前島さんも本質にクソを持ってることを失念してたな……
    ブラフ……か……
    うーん、天野くんの邪魔にしかなってないし前島さんがやる意味あるかなぁと思ったけど……天野くんの心への意味合いはあったのかもしれないな。

    しかも思ってた以上にw
    でもまだ、実は前島さんがトリックメイカー説拭えないや。決め手にも欠けるけどなぁ

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  • べっちん

    ブラフで良かったけど。
    漂白剤、よく飲み込めたなーと。
    私も昔、間違って漂白中のコップの水を、口に含んだことがあったけど、とてもじゃないけど飲み込めなかったよ。
    前島ちゃん、お大事にね!

    あと、天野っちは、いい加減に弟子のことを愛していると認めた方が良いw

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