川口由紀恵

『毒』られたんです。
今、救急病院に搬送中です……。



 震えながら告げられた衝撃の事実。



 その言葉を聞き、天野の全身から血の気が引いていった。



天野勇二

……なんだと?
どういうことだ!?
『毒』なんて俺たちは計画してねぇぞ!
誰が毒を盛りやがったんだ!?


 川口は泣きながら叫んだ。


川口由紀恵

私もわかりません!

悠子ちゃんが収録の休憩時間に、飲み物を口にして、突然、胸を押さえて苦しみ出して、そのまま倒れてしまったんです!
どうもコップに『洗剤のような物』が入っていたそうで……!

ああ、なんてことなの……。
天野様じゃなければ、誰がこんなことを……!


 天野の拳が咄嗟とっさに振り上がった。


 部室に置かれていた長机に叩き落される。


 「バキン」と大きな音を上げて、木製の長机が真っ二つに折れ曲がった。



天野勇二

おい川口……!
お前は何をしてやがったんだ!?
この事件では『被害者』を出すなと、特に前島が巻き込まれないように警戒しろと、散々注意したはずだ!
それなのになぜ前島が襲われてやがる!?



 天野の怒号どごうが部室に響き渡る。


 川口もそれに負けないほどの声で叫び返した。



川口由紀恵

私たちだって、十分に警戒してましたよ!
事務所総出そうでで悠子ちゃんの警備にあたっていたんです!
警察だって24時間体制で警護してました!
その状況でも『毒』を盛られたんです!



 天野は大きく息を吐いた。


 目眩めまいを覚えながらその場に踏みとどまる。


 まるで脳の奥を殴りつけられたかのような衝動を感じる。


天野勇二

冗談じゃねぇぞ……。
『毒殺』を仕掛けたのか?
そんなことは計画していない。
弟子は生きているのか!?

川口由紀恵

な、なんとか、全ての飲み物を吐き出させました。
息は、あります……。

天野勇二

くそっ……。
誰がやりやがった?
真犯人なのか……?


 天野は慌てて姫子を睨みつけた。 



天野勇二

姫子!
前島に『毒』が盛られた!
真犯人にもう一度接触しろ!



 全身からすさまじい量の殺気を放ちながら叫んでいる。


 姫子はそれに怯えながらも、ふるふると首を横に振った。


板垣姫子

も、もう……初期化、してる……。
メアドも、情報も、消しちゃった……。


 もう事件の情報を削除し、PCを真っ白にするための初期化の段階に入っている。


 天野は悔しそうに折れた長机を蹴り飛ばした。



天野勇二

くそったれが……!
おい川口!
前島の容態ようだいを詳しく教えろ!

『毒』
を吐き出させて応急処置をしたんだろうな!?
どれほどの『毒』だ!?
後遺症は残らないだろうな!?

川口由紀恵

も、もちろん応急処置はしました。
警察の方が、素早く動いてくれましたので、命に別状はないだろうと聞いています……。

ただ、悠子ちゃんは、起き上がれないほどの重症じゅうしょうで……。
まだ、どうなるのか、私にもわからないんです……!


 天野は奥歯をぎりぎりと噛み締め、また長机を蹴り飛ばした。


 もう机は完全に破壊され、破片が部屋中に飛び散っている。


天野勇二

なんということだ……。
容疑者はいないのか?
誰がやったのか判明していないのか?

川口由紀恵

まだ捜査中で、詳しい状況はわかりません……。

しかし、容疑者といえるような、怪しい人物が見つからないんです。
『毒』を盛る隙なんかありませんでした。
私だって、常に悠子ちゃんの側にいたんです。

おまけに私たちがいたのは、テレビ局のスタジオの中。
あの状況で、外部の人間が『毒』を盛るなんて、とても考えられないんです……。



 その言葉を聞きながら、天野は何度も息を吐いた。


 怒りに染まる脳をなだめて、冷静になるように努める。


 思わずスマホを握り潰してしまいそうだ。


 何度深呼吸しても、燃えるような怒りが治まらない。


 その苛立いらだちを川口にぶつけた。



天野勇二

川口よ……。
お前のことは信用していたんだ。
お前なら弟子を必ず守ってくれる。
そのように信じていたんだ。
よくも俺様の期待を裏切りやがったな。

川口由紀恵

そのお怒りは、深く理解しています。
しかし、お言葉を返すようですが、これだけは天野様に言わせていただきます。
これだけは、きもめいじてください……。


 川口は涙を流し、声を震わせながらも、厳しい声で叫んだ。



川口由紀恵

そもそも、悠子ちゃんを危険な状況に追い込んだのは、天野様じゃないんですか!?
天野様が悠子ちゃんをおとりとして使ったんですよ!
天野様が何もしなければ、こんなことにはならなかったはずなんです!



 天野の言葉が詰まった。


 川口が泣きながら叫び続ける。



川口由紀恵

あれだけの『脅迫状』を送りつければ、『真犯人』に『模倣犯もほうはん』や『便乗犯びんじょうはん』などに狙われることも、天野様はよく理解していたはずです!
それなのに、天野様は何をしてくれたんですか!?

悠子ちゃんはずっと、天野様を信じて気丈きじょうに振る舞っていたんです!
何が起きても『お師匠様』が守ってくれるって、そう信じていたんですよ!



 悲鳴にも似た叫び声が、天野の心に重くのしかかった。


 返す言葉もなかった。


 前島を巻き込むような作戦を実行したこと。


 前島を危険にさらしたこと。


 それでいて、警備のほとんどを川口に任せたこと。


 全て天野自身が選択したことだ。


 川口を責める権利なんて、天野が持っているはずなかった。



天野勇二

……ああ、その通りだ。
お前の言う通りだ。
すまなかった……。



 天野の声を聞き、川口は切なげに息を吐いた。


 涙を拭い、言葉を振り絞る。


川口由紀恵

悠子ちゃんの状況が判明次第、またご連絡いたします。
まだ警察の方には、今回の作戦を告げるつもりはありません。
しかし、もし悠子ちゃんに何かあれば、もう黙っている訳にはいきません。

天野勇二

そう、だろうな……。

川口由紀恵

それでは、失礼いたします。


 電話が切られた。


 天野の手からスマホがこぼれ落ち、床に落ちて乾いた音をたてる。


 天野も力なくその場に崩れ落ちた。


 涼太はスマホを拾うと、


佐伯涼太

……何があったの?
前島さんに『毒』が盛られた?
それマジなの……?


 震えながら尋ねた。


 天野は小さく頷いた。


天野勇二

ああ、そのようだ……。
やってくれる……。

佐伯涼太

真犯人が盛ったの?

……いや、そんなはずないよ。
さっきのメールを見る限り、そんな兆候ちょうこうは感じられなかった。
そもそもずっとメールをやり取りしてたのに、毒を盛っていたなんて考えられない……。

誰なの?
誰が毒を盛ったの?
ていうか前島さんは無事なの?
生きてるの?

天野勇二

うるせぇよ!
グダグダ質問するんじゃねぇ!
弟子は生きている!



 そう叫ぶと、天野は頭をおおってうずくまった。


 これは明らかな天野の失態しったいだった。


 『電脳学博士』として暗躍あんやくすることや、椎名や真犯人との対決ばかりにとらわれ、前島の注意をおこたっていた。


 真犯人には『事件』を起こすほどの度胸どきょうがない。


 自らが複数件の『凶悪事件』を演出すれば、警察や芸能事務所も前島を手厚く警護するだろう。


 その状況で前島を襲うような人間はいないだろう。


 そのように判断していた。



天野勇二

これは致命的なミスだ……。
俺は前島を守ることを、どこかおろそかにしていたんだ……。
くそっ、何が天才だ。
俺はどれだけ凡ミスを犯せば気が済むんだ……。



 天野の心に屈辱くつじょくが満ちていた。


 自分を信じておとりを演じた前島。


 頼りになる川口。


 2人であれば、ある程度の危機的状況を乗り越えられるだろうと、そのように考えてしまった。


 もしかすると無意識のうちに、2人の存在に甘えていたかもしれない。


 もっと前島の状況を確認すべきだった。


 前島に危機が迫っていないか、意識して注視ちゅうしすべきだったのだ。



板垣姫子

あまの……大丈夫……?


 姫子が心配そうに手を伸ばし、天野の肩にそっと触れた。


天野勇二

ああ……。
俺は別に問題ない。
だが、弟子が……。
くそっ、俺はなんて、なんて情けない……。
何をしてやがる……。
ここで弟子が、狙われてしまうとは……。

佐伯涼太

ありゃりゃ……。
これはまいったね。


 涼太と姫子は困ったように目を合わせた。


 天野の落ち込み方が尋常じんじょうではない。


 大好きな妹に嫌われた時もかなり落ち込んでいたが、それに匹敵ひってきしている。


 いや、もしかすると、それをわずかに超えているかもしれない。


佐伯涼太

まぁ、とりあえずさ。
起きたことは仕方ないよ。


 涼太が天野の隣にしゃがみこむ。


 励ますように声をかけた。


佐伯涼太

前島さんは生きてる。
まだ死んだワケじゃない。
ここでんだことをやんでも仕方ないと思うな。

きっと警察や川口さんもしっかり警備していたはず。
僕たちがいても防げなかったかもしれない。
前島さんがそんなに重症じゃないといいんだけど。


 天野は力なく言った。


天野勇二

まだ、それがわからん……。
恐らく『毒』を吐き出させ、胃を洗浄し、後遺症が残らないように全力を尽くしたと思うのだが……。

佐伯涼太

どこかの病院に運ばれたのかな?
入院してる感じ?

天野勇二

ああ、たぶんな……。
涼太よ、俺は弟子に合わせる顔がない。
川口から状況を聞き出してくれないか?

佐伯涼太

オッケー。
僕が確かめる。
前島さんのことは任せて。
勇二は真犯人の確保に専念してよ。

天野勇二

すまんな。
頼むぞ……。


 涼太はため息を吐きながら天野を見つめた。


 天野はがっくりと顔を落とし、完全に憔悴しょうすいしている。


 身体が後悔こうかい屈辱くつじょくで震えている。


 このまま泣き出して首でも吊ってしまうのではないか、と思えるほどの姿だ。


板垣姫子

あまの……。
元気、だして……。
真犯人、捕まえて……お仕置き、するの……。


 姫子も天野の肩を掴み、懸命に励ましている。


 その声に天野がピクリと反応した。


天野勇二

……そうだ。
真犯人だ。
元はといえば、そのバカがふざけた事件を起こすから、こんなハメになっているんだ……。


 そう呟くと、天野はゆっくり立ち上がった。


 そして、恐ろしいまでの殺気を放ち出した。


佐伯涼太

(ひぃぃ……。こ、こわっ! こんな勇二、初めて見るんですけど……!)


 凶暴きょうぼうな姿を見慣れているはずの涼太と姫子も、思わず恐怖のあまり退しりぞいた。


 飢えた肉食獣のような瞳は、かつてないほどの狂気を放っている。


天野勇二

許さねぇ……。
絶対に許しはしない……。
俺様の弟子に手を出すヤツは全殺しだ。
天才クソ野郎の弟子に手を出したらどうなるのか、地獄の底で思い知らせてやる……!


 その姿を見て、姫子がぽつりと呟いた。


板垣姫子

あまの……弟子……。

天野勇二

姫子よ、制裁する人間が増えるかもしれん。
協力してくれるな?

板垣姫子

う、うん……。


 姫子がおびえながら頷く。


 そして、やや複雑な心境で天野を見上げた。




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つばこ

きっと皆さまも察していたと思いますが、「前島ちゃんが実際に襲われちゃう」というのは、今回の作戦における最大のウィークポイントでした。
天野くんもそれは理解していたんです。
だからこそ川口さんに土下座してまで協力を申し出たワケです。
芸能事務所に実弾をブチ込んだのだって、警察がしっかり前島ちゃんを警護するためにやったようなものです。
大人気のアイドルが脅迫状通りに射殺されるとか、警察にとっては絶対に避けたい展開ですからね。
 
とはいえ、人は人だから、機械ではないから、時に過ちを犯してしまうもの。
前島ちゃんはcomicoノベル終了まで生き残れるのか!?
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(`・ω・´)ゞ

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コメント 19件

  • みゆ

    姫子ちゃん切なすぎて思わずコメント…つらすぎ…

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  • みん

    前になぜ前島悠子だけ狙う?って言ってたから
    実は違う人とか‥
    あの時のなぜが気になってた
    と言って違かったらこのコメント恥ずかしい(ノД`)

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  • とうか。

    真っ先に演技疑ったけど演技だといいなぁ…
    天才クソ野郎も流星クソ女に1発かまされてほしい

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  • ちぃ

    全然察せなかったです( *¯ ꒳¯*)フンスッ!笑

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  • ゆう

    初めの方、天野くん割と警戒心薄い気がして伏線かなあとは思ってたけどストーリー濃すぎて、そんなこと思ってたこと忘れてたなあ。これ演技って言ってる人いるし、私もそう願いたいけど怖いよなあ。

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