板垣姫子

もうすぐ……『国際オリンピック委員会』の偉い人たちが……日本に、やって来る……。
それを……わたしたちが襲撃するの……。
理事長とか……幹部とか……。
みんな……殺すの……。



 そう言って、姫子は唇を歪めて白い歯を見せつけた。



 唖然あぜんとして震える椎名を見つめる。



 椎名は青ざめながら口を開いた。



椎名善晴

し、信じられない……。
天野くんが、そんな馬鹿げたことを、考えているなんて……。
来日する『IOC』の幹部を襲撃する……?
しかも、殺害するなんて……!


 椎名の顔は絶望に染まっている。


 身体の震えが止まらない。


椎名善晴

それはいくらなんでもやり過ぎだ……。
そんなことは絶対に許されない。
まだ『東京オリンピック』が開催されるかどうかもさだかではないのに。
もし襲撃が実行されれば、日本の立場は最悪だ……。


 椎名が言う通り、これは事件のスケールが大きすぎる。


 これまでに発生した『爆発』『銃撃』生易なまやさしい事件に思えるほどだ。


 もし『IOC』の幹部が襲撃されれば、『東京オリンピック』の存続に関わる話になる。


 それだけで済むとも思えない。


 日本は国際社会から孤立し、あらゆる不利益ふりえきこうむることになるだろう。


 椎名は懸命に訴えた。


椎名善晴

姫子……。
自分が何を言っているのか、本当に理解しているのか?
それは姫子が想像している以上の事態になる。

天野くんだって本気ではないのだろう?
ただの『ブラフ』だと言ってくれ。
そこまでのことは、天野くんだって、やらないはずだ……。


 姫子が「ふるふる」と首を横に振る。


板垣姫子

あまのは、本気だよ……。
本気で……やるつもり……。

椎名善晴

そんな……。
いくらなんでも、信じられない……。

板垣姫子

皆殺しに、するって……。
どうせ殺すなら……まとめてやったほうが、効率的だし……。

椎名善晴

皆殺しだって!?
う、嘘だ……!
そ、そんなこと、できるはずがない!

板垣姫子

あまのなら、やる……。
それをやれる男、だよ……。


 姫子は「ぎゅっ」と父親の手を握った。


 たどたどしく言葉を重ねる。


板垣姫子

だって、今のままじゃ……あまのは、逮捕される……。
パパも、あまのを、見殺し……。
だから……道連れなの……。

椎名善晴

な、なんてことを考えているんだ……。
最悪なんてものじゃない。
そこまでの国際問題に発展したら、パパの力では姫子を守ることができない。
それに加担してはいけない。


 姫子はまた首を横に振った。


 姫子はもう覚悟を決めている。


 誰が何を言っても、天野と一緒に『悪の道』を走るつもりだ。


板垣姫子

あまのを、助けるの……。
もし、警察に捕まったら……パパのことも、喋る……。
ぜんぶ、喋るから……。


 椎名の背中を冷たいものが流れた。


 天野と姫子は、歴史上最悪に近い形の『テロ行為』を起こしたうえに、椎名が『電脳学博士』に関わっていたことを告げるつもりなのだ。


 しかも『椎名はテロ行為を知りながら黙認した』と、告げることもできる。


 椎名が天野に『依頼』している以上、全てを否定するのは難しい。


椎名善晴

そ、そんな……。
これが、天野くんの『制裁』だと、言うのか……。


 椎名は桜田門さくらだもんの前で、天野が浮かべていた激しい怒りの表情を思い浮かべた。


 天野が自分に対してどのような『制裁』を与えるのか、椎名としても不安だった。


 お得意の暴力を振りかざすのか。


 自分を警察から追放するように仕向けるのか。


 それなりの脅威きょういを想定していたが、天野は完全に予想の斜め上を飛んでいた。


椎名善晴

ありえない……。
いくらなんでも、事件の規模が大きすぎる。
天野くんでも、そんなことがやれるはずがない。
彼は『殺人』に手を染めるような青年ではないはずだ。
私に『制裁』を与えるために、そこまでの事件を起こすなんて、考えられない……。



 椎名は苦しげに息を吐いた。


 何度も自分自身に「天野はそこまでのことはやらない」と言い聞かせる。


 これは天才クソ野郎が得意とする『ブラフ』だ。


 何度も言い聞かせるが、小さな疑念が椎名の中から消えない。







 天野であれば、やりかねない。







 そんな疑念が離れない。


 逮捕される未来が待っているならば、それを台無しにするために動き、椎名や姫子を道連れにするかもしれない。


 『殺人』は避けたとしても、『襲撃』程度であれば実行するかもしれない。


 『IOC』の幹部が『テロ行為』によって襲撃されれば、選手の派遣を見送る国が増えてくるはず。


 そうなれば『東京オリンピック』の開催が頓挫とんざするかもしれない。


 天野という『悪』は、それぐらいのことをやりかねない。



板垣姫子

パパ……。
あまのは、やるよ……。
本当に、やる男だよ……。


 姫子がそう言って、椎名の疑念をふくらませる。


椎名善晴

それは、いくらなんでも、信じられない……。
『トロイの事件』を、最悪の『テロ事件』に発展させてしまうなんて……。

板垣姫子

やるよ……。
あまのは、本当にやる……。
それにこんなこと、言ってた……。


 姫子は小首を傾げながら言葉を続けた。


板垣姫子

パパは『本質』を、理解していない……。
その罰を、与えるんだって……。
だから、本当にやるって……。
わたし、よく意味が……わからなかったけど……パパならわかるって、言ってた……。


 その言葉に椎名は何よりも打ちのめされた。


 もう何度、娘の言葉に打ちのめされただろう。


 椎名には立ち上がる気力が残っていなかった。


椎名善晴

私は、姫子が抱いていた『動機』に、気づいていなかった……。
この『制裁』はその罰だというのか……。

彼はあの時、自分を見捨てる私に、怒りを燃やしていたのではない……。
姫子のことを理解していない、駄目な『父親』に対して、怒りを燃やしていたのか……。


 椎名は何度も姫子の手を握った。


 そのたびに悲しげな息を吐く。


 姫子はその姿を心配そうに見つめている。


 娘は天野を信じている。


 どんな『悪の道』が目の前に広がっていても、天野と一緒に進むつもりだ。


椎名善晴

……姫子は、パパがどれだけ頭を下げても、天野くんを選ぶのかい?


 姫子はしょんぼりと肩を落とし、切なげに口を開いた。


板垣姫子

うん……。
あまのを、選ぶ……。
だって、あまのは……わたしのために……動いてた……。
わたしが、パパを救いたい……その気持ち、あるから……危険な『悪の道』を、走ったの……。
そんな、あまのを、選ばなかったら……ともだち、じゃない……。


 一生懸命、たどたどしく、自らの気持ちを言葉に変える。


板垣姫子

あまのを、選ばないなら……信じられないなら……。
わたしは、ずっと、ひとりでいい……。
でも、あまのが……教えてくれた……。

人は……人だから……。
機械じゃないから……。
人は、ひとりでは、生きられない……。
ふたりは、とても、楽しい……。
さんにんだって、思ったより、悪くない……。


それを、教えてくれたの……。


 椎名は黙って姫子を見つめた。


 つたない言葉を懸命に操り、父親に自らの『声』を届けようとしている。


 決して饒舌じょうぜつとは言えない。


 しかしその『声』は、この世界に存在するどんな『声』よりも、椎名の心を揺さぶった。


 自らの中にあった迷いや、打算などを、『声』が洗い流していく。


 椎名はそこで覚悟を決めた。


椎名善晴

……わかった。
姫子、これが最後のお願いだ。

そんなことはやめてほしい。
そんな計画には加担してほしくない。
もし計画を中止してくれるなら、パパはどんなことでもやろう。
それがどれだけ法にそむく行為だったとしても、パパは必ずやってみせる。
姫子のために、姫子を想う天野くんのために、全てを捧げよう。

板垣姫子

本当に……?

椎名善晴

ああ、本当だ。
約束するよ。


 姫子はじっと父親の顔を見つめた。


 娘を想う真剣な父親の表情。


 それを確かめると、唇を歪めて白い歯を覗かせながら、指を2本伸ばした。


板垣姫子

それなら……ふたつ……。
お願いが、あるの……。





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つばこ

今週は2話分更新しております!
姫ちゃんがどんな「お願い」をしたのか、気になる方は次話をご覧くださいませ。
 
そして、今週発表があった通り、comicoノベルは10月27日をもってサービス終了することになりました。
天クソの更新も8月中旬あたりで終わります。
サービス終了後は全作品読めなくなってしまうので、忘れずにつばこ作品を読んでいただければ幸いです。
 
いやもうとにかく残念です。
そして読者の皆さまには申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
読者の皆さまのおかげで続けることができたのに、それを裏切るような結末を迎えてしまったことが悲しくてたまりません。
本当にごめんなさい。
 
まぁ、しょんぼりしてもしょうがないね!
残りわずかですが、いっぱいコメントとかください!
頑張った姫ちゃんを褒めてください!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!!!

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コメント 44件

  • emer

    天野が姫ちゃんに感じていた奇妙なシンパシーは、父親に見られていないことだったんだ
    本質を
    だからこんなに怒っているんだ
    椎名が天野の父親に似ていたのかもしれない

    好きだなぁ

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  • ジュード。

    クラウドファンディングでもなんでも、つばこさんが連載を続けられるように助力したいと思ってる人は私だけではないと思う
    どうか、誰も納得のいかない完結だけは…

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  • 田中

    てか、コミコノベル水増ししてたんだな
    確かにちょっと不自然なほどこの作品だけ多いとは思ってたけど、ここまで露骨に減らすか?笑

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  • ポン

    次の場所決まったら教えてください。
    プラットフォーム変わっても
    つばこさんの才能は変わりません

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  • みょん

    つばこさんの作品大好きです!!!
    形は変わっても、連載を続けて頂けたら幸いです!
    これからも応援しています!!

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